〈番外編〉不死鳥の流儀③
残酷な描写があります。ご注意ください。
女の亡霊に導かれて、シェーンはグレゴリー・テンプルトンの書斎に向かった。
途中で先程の家政婦を追い越しながら、「書斎で軽く食事をしながらお話をしたいので、牛乳で煮出した紅茶とチーズトースト、それから甘い菓子類を持って来てください」と指示することも忘れない。
書斎に飛び込んだシェーンが見たものは、机に山と積まれた借用書。その山の一番上にあった借用書には、借りた人間としてマチルダ・ターナーの名前が書かれていた。そして、別の借用書の金額欄には、今まさにグレゴリー・テンプルトンが数字を書き込んでいるところだった。
「随分と他人の筆跡を真似るのが巧みなようですね。しかし、ご存知ないのですか。貴方がしていることは、れっきとした犯罪行為ですよ」
グレゴリー・テンプルトンは、シェーンに気が付くと、机にかけていたステッキを手に、真っ赤な顔をして殴りかかってきた。
シェーンはそれをさっと躱し、独り言のように言った。
「そんなお粗末な手口で何年もやってきたということは、公証人や判事も何人か抱き込んでいそうですね。……『死人に口なし』をよいことに、死者の名義で借用書を作って、狙った相手を食い物にしてきたのですか」
ブラウニーをはじめとする屋敷に潜む妖精たちが、侵入者であるはずのシェーンを上位者と見て、色々と教えてくれた。また、復讐の機会を狙っていた亡霊も、窶れた女だけではなく、老人の亡霊や若者の亡霊なども次々と集まって来た。
「この屋敷に潜みたる妖精ども、並びにこの場に集い来たる亡霊らよ、不死鳥の名において命ずる。グレゴリー・テンプルトンが悪事の証を全て暴き出せ!」
妖精も亡霊もシェーンの呼びかけに応じ、普通の人間の目にも映るようにその姿を現した。亡霊たちがグレゴリー・テンプルトンに群がって動きを封じ、妖精たちはクローゼットや書類棚や机の引き出しから、あれこれと書類を引っ張り出した。
「お前たち、今後この男の口からは、悪事に手を貸した公証人や判事の名前しか吐けないようにしてやれ」
妖精たちに魔力を少し分けてやると、彼らは嬉々としてシェーンの言うことに従った。
シェーンはグレゴリー・テンプルトンが悪事に用いていた書類を、紙だけを燃やす魔法の炎で全て灰に変えてしまった。グレゴリー・テンプルトンを警察に突き出して刑務所に入れるのに必要な証拠まで灰になってしまったが、別に構わなかった。なぜなら――。
「恨みを呑んで死したる者らよ、不死鳥の名において許可する。グレゴリー・テンプルトンの命さえ奪わなければ構わない、存分に報復し、気の済んだ者から冥府に旅立つが良い」
彼は亡霊たちに冥府への道標となる魔法の毛糸玉を渡すと、そのまま書斎を出た。
「あら、お客様、もうお帰りですか?」
ティーワゴンを押しながら廊下を歩いて来た家政婦が、訝しげにシェーンを見た。
シェーンは、なるべく深刻に見えるように表情を作った。
「グレゴリー・テンプルトン氏が何かの発作を起こしたようです。急いで医者を呼んで来てください。私はご子息を呼んで来ます」
「そりゃ大変だ!」
家政婦がバタバタと走り去るのを見送ると、シェーンは子ども部屋へと向かった。
子ども部屋にいたのは、ぞっとするほど荒んだ目をした男児だった。まだ七歳ほどかと思われるのに、既に素直さも無邪気さも持ち合わせていなかった。
シェーンは久しくその背にしまい込んでいた虹色の翼を、わざとその子どもの前で広げて見せた。
「幼き者よ、私について来なさい。残酷で思いやりを持たず、常に弱き相手を虐げ、不正ばかりを行ってきた男の末路を見せてあげよう」
シェーンが子どもに手を差し出すと、子どもは無言で彼の手を取った。
書斎では、亡霊たちがグレゴリー・テンプルトンに怨嗟と呪詛を吐きながら責め苛んでいるところだった。
――お前のせいで、俺は生きていられなくなったんだ。お前が俺から全てを奪ったからだ。
――お前が私から家を取り上げた。私が老後のために蓄えていた財産まで取り上げた。
――私の顔をよく見なさい。よくも身重だった私に満足な食事を与える代わりに、罵倒と辛い仕事ばかりくれたわね。しかも私が命と引き換えに産んだ子を、いつまでも放ったらかしにして。私は何のために苦しんで死んだのかしら。そもそも愛もなかったくせに、何故私を無理やり妻にしたの。私だって貴方を愛したことなど一度もないのよ。
グレゴリー・テンプルトンは窶れた女の亡霊に左右の瞼を指で押し上げられて瞬きも出来ず、両腕は若者の亡霊にきつく捻り上げられ、ただでさえ少ない頭髪は老人の亡霊に乱暴に毟られ、両足は別の亡霊によって抑えつけられていた。
妖精たちは、グレゴリー・テンプルトンの身体中を鋭い爪の生えた小さな指で抓ったり、咬みついたりする。
グレゴリー・テンプルトンの口から漏れるのは、嗚咽と涎と、不正に加担した者たちの名前ばかり。
シェーンはその様子を隠すことなく子どもに見せ、重々しく言い聞かせた。
「見なさい、お前の父は、思いやりを示さず、弱き者を虐げ、不正を行って正しい者を陥れた報いを受けている。お前も悔い改めなければ、あのように報いを受けることになるのだ」
子どもはガタガタと震え、ぼろぼろと涙を零した。
「……思いやりなんて知らない。悔い改めろってどうすれば良いのか分からない」
その声に気付いたのか、窶れた女の亡霊が、グレゴリー・テンプルトンから手を離し、子どもを見た。
――私の坊や、そこにいるの?
窶れた女の亡霊がするすると近付いて来ると、子どもはますます怯えて、掠れた悲鳴を上げた。
「恐れずとも良い。この婦人は、お前の母上だ」
シェーンが女の亡霊の肩に手を置くと、女は窶れ果てた姿ではなく、健康で美しかった頃の姿に変わった。
女が、ひしと子どもを抱きしめた。
――坊や、お母さんの声が聞こえる?
「……おかあさん?」
――良かった、私の声が聞こえるのね。私の可愛い坊や。今までずっと側にいたのに、触れることも声を届けることも出来なかった。
「幼き者よ、お前が今日より十八歳の誕生日を迎えるまでの間、お前の母上がお前に思いやりを教え、過ちを諌められるように計らってやろう」
子どもが、こくこくと頷いた。
女は子どもを抱きしめたまま、よろしいのですかとシェーンに尋ねた。
「その毛糸玉を所持し、また、その子どもを導く役目を忘れぬ限り、悪霊になることはない。どうか、上手くその子どもを導いてやってほしい」
シェーンの言葉に女は感極まったように泣き、子どもはまだ慣れぬ母親の感触を確かめるように、おずおずと抱きしめ返した。
* *
「マグノリア通りのグレゴリー・テンプルトンが、酷い脳炎を患ったという話だよ」
夕方、マープル嬢は懇意にしている雑貨店の老主人からそう聞かされた。
「何でも、来客中に急に発作を起こしたとかで、家政婦が急いで医者を呼んだそうだが、どうもあまり良くないらしい。その医者はこう言ったそうだよ、『アンバーコーブの精神病院に入れるほかない』と」
アンバーコーブの精神病院と聞いて、マープル嬢はぶるりと身を震わせた。そこは一度入ったら二度と出て来られないとも、患者が劣悪な環境に置かれているとも噂される病院で、その噂が事実に近いことを彼女は確信していたからだ。
「まだ小さい息子さんが一人、いらしたでしょう。あの子はどうなるのかしら」
「他に身寄りがないという話だったから、州都の孤児院に入ることになるのだろう。良い引き取り先が見つかれば幸い、もし州都の孤児院で育つことになったとしても、あの父親といるよりは、遥かにましだろうさ」
老主人の言葉に、マープル嬢はつい頷いてしまった。
妖精たちからも恨みを買っていたグレゴリー・テンプルトン。ケチな癖に、家具や調度の扱いが乱暴だったからです。
アンバーコーブの精神病院は、健康な人までも強制入院させることがあるので、その悪評は北部連邦全土に知れ渡っています。




