〈番外編〉不死鳥の流儀②
シェーンが不愉快な気分でバンガローに戻ると、ベッキーが紅茶を淹れて待っていた。
「さっき、マープル嬢がピクルスとパストラミビーフのサンドイッチをを持って来てくれたんだ。夕食までの虫抑えに、とね」
ベッキーはシェーンの顔を見て、ついで彼が抱えている果物や缶詰の入った紙袋を見やり、そしてもう一度シェーンの顔を見た。
「やっぱり、嫌な話ばかり聞く羽目になったみたいだね」
「我が主も、お聞きになったのですか、ターナー嬢が不当に貶められていたことを」
ベッキーはあっさり頷き、それから苦笑した。
「安心して。マープル嬢はモリーに好意的だ。彼女はモリーについて嫌な話が出る度に打ち消そうとしたようだけれど、普通の人間が水妖の魔力のこもった声に太刀打ち出来るわけがないからね」
水妖の声を持つ女に、シェーンは心当たりがあった。
「アイリーン・スターリングの仕業ですか」
「そう。外側は美しい人間の女で、中身は醜悪な魔物そのものの毒婦だよ」
アイリーン・スターリングは、モリーの父方の叔母だ。モリーの祖母マチルダ・ターナーの死後、正統な相続人たるモリーの代理として薔薇荘の管理を任されていた。しかし昨年、薔薇荘が失火によって焼失した跡に家もどきが居座ったのを幸い、何も知らずに帰郷したモリーが家もどきに呑み込まれるよう仕向けたことで、今年の夏に「聖騎士団関係者は全員、今後一年間、絶対に関わらない」という制裁を受けた。
彼女は現在、恋人だったロジャー・マクドナルド弁護士と共に行方不明となっているが、既にどちらも生きてはいないだろう、というのがベッキーの見立てだ。なぜなら彼らはどちらも過去に殺人を犯し、被害者の亡霊たちから執念深く纏わりつかれていたので。
「モリーの祖母であるターナー夫人が生前、フォスター第三隊長が薔薇荘を訪ねることを禁じた理由も分かったよ。ある年、フォスター第三隊長が、背が高くてとびきり麗しい紳士を伴って、モリーに会うべく薔薇荘を訪問したことがあったそうだ。そして二人が数日滞在してアーケイディアに戻った後、アイリーンが母親のターナー夫人に訴えたらしい。『この数日というもの、ヒルダの連れの男が自分に色目を使ってきて恐ろしかった』と」
シェーンは首を振った。ヒルダ・フォスター第三隊長が薔薇荘に伴うほど親密な紳士とは、彼女の使い魔にして猫型妖精の王、オシアンに他ならない。
「オシアン公が、アイリーン・スターリングにそのような態度をお取りになるはずがありません。公は、アイリーン・スターリングなど、最も醜い者としかご覧にならないでしょうから」
シェーンの言葉に、ベッキーが頷いた。
「私も真相はアイリーンの主張とは逆だと思う。人間形態のオシアン公はかなりの美丈夫だ。アイリーンはオシアン公を籠絡しようとしただろうが、オシアン公が相手にするわけがない。だからプライドを傷付けられた腹いせに、オシアン公の最愛の女性と、その最愛の女性の掌中の珠であるモリーを苦しめようと考えたのではないかな。アイリーンお得意の毒殺方法はモリーには通用しないから、言葉の毒を使ってね。問題は、そのアイリーンは既にいないのに、その毒の回った故郷の人間たちが、これからモリーに牙を向きかねないところだ」
シェーンは眉根を寄せた。魅了の魔力を帯びた言葉は厄介だ。言葉の主が「こうだ」と言えば、皆がそう思い込む。ちょうど去年薔薇荘が全焼した時、町の人々が異常に気付きながらも、アイリーンの「ちょっとした妖精の悪戯だ」という言葉を信じたように。
「アイリーンがモリーを魅力も価値もない娘だと吹聴して回れば、町の人間たちはそう思い込む。でも実際にはモリーは美人で気立ても良く、少々迂闊だけれどそれなりに有能だ。少しばかり魅了の魔力も持っているしね。だからアイリーンの言葉に影響されやすい人間たちの中では、モリーの価値が捻れ、おそらくこうなっているはずだ。『モリーは魅力のない娘だと考えられているが、自分だけは彼女の価値に気付いている。だからこの状況を利用して、モリーを自分の物にしよう。まともな結婚を望めないモリーは、どう扱われても結婚出来るだけでありがたがるだろうから、どこまでも自分の思い通りに出来るはずだ』とね。モリーが薔薇荘の相続人だと知っていれば、物欲も絡むだろう。そういう人間が、モリーとハワードの結婚を受け入れるわけがない。モリーが若く有能な聖騎士団長ハワード・キャンベルに選ばれたとなれば、彼女は最初から自分たちの手に入るはずもない高嶺の花だったということになるから、自分たちの認識が大きく間違っていたと認めざるを得なくなるのも業腹だろう」
シェーンはぞっとした。つまり、このスカーレットタウンには、モリーとハワード卿の結婚を阻むためにモリーに危害を加えようとする人間たちが存在しているということになる。
「多分、レオナルド・マーティンの話を聞いてシェーンが嫌な予感を覚えた、というのはそういうことだよ。幸いモリーはまだこちらに帰って来られないらしいし、今のうちに大掃除と行こうじゃないか」
ベッキーが不敵に笑い、シェーンは拳を握りしめた。
結婚式の準備から本番、片付けまでを滞りなく進めるのも花婿介添人の役目。ハワード卿の幸せな結婚を阻もうとする者がいるなら、その者たちを排除する。それがシェーン・マールなりの流儀だ、と。
シェーンがモリーに執着する人間を炙り出すのに、さほど日数はかからなかった。町の人々は老若男女問わず、シェーンに少し見つめられただけで、うっとりした表情で様々なことを教えてくれるのだから。
「――そういえば、この前、大通りで薔薇荘のモリーを見かけたと言って、グレゴリー・テンプルトンがひどく興奮していたわね。彼なら、マグノリア通りに面した、古めかしい赤煉瓦の屋敷に住んでいるわよ。頭の天辺が禿げた痩せぎすの、顔色の悪い男だから、見たらすぐに分かるわ」
郵便局の若い事務員が、シェーンにこっそりそう囁いてウインクした。
「グレゴリー・テンプルトンでしょう、奴の細君は気の毒に、奴にはこれっぽっちも惚れていなかったのに、金絡みで外堀を埋められて結婚させられた挙げ句、産褥で亡くなったんですよ。そりゃあ普段からあれだけ虐げられていれば、お産の時に力尽きても仕方ないというのが当時の評判でしたな」
マグノリア通りを散歩していた老人に少し手を貸せば、老人は嘆息混じりにそう話してくれた。
「グレゴリー・テンプルトンの息子も、何だか気持ちの悪い子なんですよ。まだ十歳にもならないんですけれど、無口で、残酷なことばかりするんです。この前などは野良猫を捕まえて生き埋めにしていましたから、あたしゃ慌てて止めましたよ。何かにつけてそういうふうだから、子守りも家庭教師も嫌がって、長く続かないんですよね」
マグノリア通りの他の屋敷から出て来た家政婦に声をかけると、彼女は十字を切りながらそう教えてくれた。
まず片付けるべきはグレゴリー・テンプルトンとその息子だな、とシェーンは判断した。
マグノリア通りの前時代的な赤煉瓦の屋敷を訪ねると、まだ子どものような若い家政婦が、シェーンが訪問の約束をしていたものと勘違いして応接間に通してくれた。
「ご主人様は今日はお仕事で忙しいと言ってましたけど、すぐ呼んで来ますね」
言葉遣いも所作も垢抜けない家政婦はシェーンを応接間に残し、足音高く駆けていった。
その家政婦が開け放した扉から、ひどく窶れた女の亡霊が入り込んだ。
――どうかお願い、あの男を止めてください。あの男が借用書を偽造し、また誰かを陥れようとしているのです。




