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赤子

結論から言うと、先生はとても無責任だった。


「言い出しっぺは彼だろう? 私は“素養がある”と言っただけだ」


そう言って、あっさりと私をあの若い男に押し付けた。


魔術院の廊下。


昨日と同じ場所で、昨日よりもさらに気まずい空気のなか対面する。男は書類を胸に抱えたまま、露骨に嫌そうな顔をした。


「……本気ですか、院長」


「本気も本気だよ。私は忙しいんだ」


「いや、忙しいのは分かりますが……」


ちらり、と男の視線が私に向く。値踏みするような、観察するような目。


正直、あまり好意的とは言えなかった。


「……昨日は少し見ただけでしたが、コレ本当酷いですよ。 学んだことがないどころかほとんど赤子と同じじゃないですか。本能だけで制御している」


「だから君が教えるんだろう?学園で君の持ってるクラスにでも入れてあげてよ」


「本当にあなたって人は何から何まで雑すぎませんか。いつもいつも人使いが荒いんですよ、大体先日の出張だってあれもう丸投げじゃないですか。こっちだって忙しいんですよ。そもそも院長が貯めた仕事を片付けているのは誰だとーーー」


ひとつ言い出すと途端に苦情が止まらなくなった男を前に、先生は軽く肩をすくめるだけだった。


「香奈ちゃん、もし彼と馬が合わなそうなら今回の話は無かった事にしてもいいよ」


それはつまり、学びたければ彼にどうにかして頼むしか選択肢はないということ。


先生はそれだけ言って、またお店でねとさっさとどこかへ転移してしまった。


私たち二人が引き留める隙もなく逃げ出した先生に呆れながらも、改めて男の方へ向き直る。


「……あの。迷惑はかけないので」


「既にだいぶ迷惑しています」


即答だった。


だが、そのあと小さく溜め息を吐いて、男は続ける。


「……先に言っておきますが、児童教育の経験は無いので文句は言わないでくださいね」


教えてくれるんだという驚きと、私って赤子とか児童とかそのレベルなんだというちょっとした悲しさを感じる。教えてくれる気になったのは嬉しいけれどもうちょっとだけ言葉の選び方を優しくしてほしい。マジで。


「改めて、自己紹介を。

 レオニス・ヴァルツです」


黒髪、黒目。

やや痩せ気味で、目の下にはうっすらと隈。

睨んでいるわけでもないのに、常に不機嫌そうな眼付き。


なんというか、色も白いし細身の猫背で、不健康そうだなーというのが第一印象。


「現代魔法術理論を専門としています。研究員兼、講師補佐です。

 ……本来なら、あなたのような立場の人間に教えることはありません」


「香奈です。香奈ちゃんとか香奈ぴとか好きに呼んでください。   あの、なんか無理にお願いすることになっちゃってすみません」


「あなたの謝ることでは無いです。あの人の無茶ぶりには慣れていますので」


前半綺麗にガン無視されて逆におもろいまである。レオニスは私をもう一度、今度は上から下までじっくり見る。


「ふむ、魔力は昨日見た通りそこそこある。

 しかも量だけじゃなく質もまあ悪くないですね」


こういう人の言う悪くないは結構良いんじゃないだろうか。


「ただ、流れが滅茶苦茶です。

 制御をろくに身に着けぬまま今まで生きてきたでしょう」


「あのぅ、まず自分に魔力があるのを昨日初めて知ったんですけど」


「......一体、どんな人生送ればそうなるんですか」


眉根をこれでもかってくらいに寄せてドン引きと同情と呆れ全部盛の変な顔をされる。


仕方ないじゃん、今まで魔法なんてない世界で生きてたんだから なんて言えるはずもなくへらっと笑って誤魔化した。


ドン引いた顔は継続したまま話が続く。


「まず最初に、院長はああ言いましたが国立魔導術学院の生徒となるには相応の学力に加えて貴族籍か推薦のどちらかが必要です」


「へえ」


「そのため、現時点であなたが学生になることは不可能です」


そこに関しては、もとよりちょこっと魔法使えたら出来る仕事も増えるかな~くらいの気持ちだったので香奈としても特に不満は無い。


火か水が出せるようになればいいなくらいのものだ。


ですが――とレオニスは続ける。


「最低限、入学できる程度までは伸ばしてみせましょう」


意外な言葉に、思わず瞬きをする。この国で一番の学校に入れるくらいって、だいぶじゃない?


先生の話が適当なのは割といつもの事なので、レオニスの感じからしてちょこっと魔法を教えてもらって終わりだと思ったのに。


「もちろん当分は基礎です。魔力の扱い方。

 暴走させない方法。自分で自分を壊さないための知識を叩き込みます」


淡々とした口調のわりに、言っている内容にはずいぶんと優しさを感じる。


「あの、なんでそこまでしてくれるんですか」


「危険だからです。魔力は刃物と同じで、正しく使わなければ本人も周りも怪我をする」


そう言って、レオニスは私の手首を軽く掴んだ。


触れられた瞬間、パチッ、と静電気のような微かな痛みと痺れが走る。


「……ほら」


「え?」


「今、私の出した魔力に反応して無意識に流しましたね」


驚いて手に意識を集中させてみるも、流れているという魔力は一切感じ取れない。


「驚いたり、緊張したりすると勝手に漏れる。自覚がないのが一番厄介なんです」


手を離しながら、レオニスは小さく息を吐いた。


「まずは魔力を感じるところからのようですね……」


「あの、マジに私って学院入れるくらいになりますかね」


「あなたの覚悟次第です」


はっきり言われて、さすがに背筋が伸びる。勉強はそんなに好きじゃなかったけど、魔法の勉強とかなら意外と楽しいかもしれない。


あと真面目に自分の今後の人生左右されるって思うと必死になれそう。もし学院に入れたら、それだけでも選べる道がだいぶ多くなる。


「教える時間ですが」


レオニスは手帳を開き、予定を確認する。


「夜は仕事があると言っていましたね」


「はい。夕方から、深夜か早朝くらいまで」


「では、昼。

 毎日は大変でしょうから、週に三回」


「あなたが起きられる時間で結構ですが、一度決めたら遅刻は厳禁です」

 

集合時間は、天の5の鐘にしてもらった。

天っていうのは、太陽が天にある時間帯のこと。つまり昼間の5の鐘。地球で言うと12時~13時くらいかな?多分。


「睡眠時間を削る覚悟はありますか」


少しだけ、試すような視線。


「あります」


即答すると、レオニスは褒めるように薄く笑った。こんな顔もする人なんだ。


「やる気は結構」


「やる気だけはあります!」


「では、慣れてきたら4の鐘にしましょうか」


「最初の授業からでも大丈夫ですよ?」


「最初のうちはどうせ長くは持ちませんから慣れてからで十分です。

 場所は......そうですね、1階の空き小部屋を使いましょうか。暴走しても被害が少ないので」


「暴走前提なの怖っ」


「……そう不安に思われずとも大丈夫ですよ。最初のうちは魔力行使させませんし、そばには必ず私がついています。

 感じる、流す、止める。最初はそれだけですので」


暴走、と聞いて私がビビっているのを感じ取ったのか、安心させるように言葉を続けてくれた。


「……ちょっとだけ安心しました」


「なら良かったです」


レオニスにまだ時間はあるかと問われ、日が沈むまでならと答える。


今後使うことになる部屋を案内するついでに簡単な講義をしてくれるらしい。


日中の研究棟は静かだった。廊下を歩く人はほとんどおらず、遠くで紙を捲る音や話し声、機械の低い駆動音などは聞こえてくるが街のような喧騒は一切ない。


これまでは夜と朝に通るだけだったから静かでもこんなものかと思っていたが、昼でも街の喧騒とは無縁なようだ。


「ここです」


案内されたのは小さな部屋で、木製の机の近くに、椅子が乱雑に五つほど置かれている。


壁には背の高い棚がずらりと並んでいたが、その中には本も何も入っておらず空っぽだった。


机を挟んでレオニスの向かいに座る。


「まず前提として、あなたの魔力は強い方です。正確には測らないと分かりませんが中の上くらいでしょうか。

 ただし、扱いが致命的に下手です」


「わお。私ってばそんなひどいんですか」


「壊滅的。下の下。生まれたばかりの赤子の方が上手いんじゃないでしょうか」


淡々と続くボロカスな評価にもう笑うしかない。


「魔術師は、魔力の流れを意識的に整えます。無意識化でも流れはするので生きていけますが、行使するとなると無駄が多く非効率的です」


彼は自分の胸元に指を当てる。


「呼吸のようなものです。意識しないと自分がしていることにも気付きませんが、一度気付けば深呼吸ができるようになる」


レオニスが一度、深く吸って 吐く。


「なるほど?」


「ちなみにそれで言うとあなたは過呼吸のような状態ですね」


「普通にやばくないですかそれ」


「ええ、普通にやばいです」

 

この人意外とおちゃめな人かもしれない。


さっきと同じで、私を安心させるみたいに、大丈夫。ひとつずつやっていきましょうと優しく言われる。


「今日は流れていることを知るだけでいいので、もし流れを見つけても逆らったり、止めようとしなくて結構です。無理に掴もうともしないでください」


「分かりました」


「では、目を閉じて」


言われるままに目を閉じると、部屋の静けさが一層はっきりと感じられた。




自分の呼吸音、鼓動、そして――




「何も感じないです……」


「焦らないで。初日は見つけられなくても構わないので、自分の体の隅々まで意識を向けてみてください」


もっと丁寧に。ゆっくりと。体の内側を這う血管から足の爪の裏までいたるところに感覚を通して全身を探っていく。


「人によって違いますがあなたの場合は……あまり纏まりが無いので、狭い範囲で探すよりも広く。 感覚を体全体に広げてぼんやりと探してみて下さい」


言われて意識を全身へ向けると、確かに膜のような、皮膚のような何かが体の少し外側を覆っている感覚がした。


「なんか、薄い、膜?があります」


「それが魔力です。今はただ、そこにあると理解してください」


不思議と、違和感はなかった。昨日まで知らなかったものなのに、ずっと昔から体の一部だったような感覚。


「……変な感じ」


「最初は皆そう言います」




「今日はここまで。無理に長くやれば明日動けなくなりますから」


目を開けると、彼は既に立ち上がっていた。


「次は三日後です。門まで送るので、ついでに受付に寄って行きましょう」


廊下を歩きながら、疑問を口にする。


「ここって受付あったんですか?」


「入口の脇にあるでしょう?---ああ、朝と夜は閉まっているから気が付かなかったんですね」


「もしかして私って今まで思いっきり不法侵入して……?」


誰か偉い人に怒られたりしないだろうかとか、そもそも普通に夜中も入れるって警備どうなってんのとかぐるぐる考えていたが、


「何もかも、私情で勝手に関係のない女性を招き入れる院長が全面的に悪いので気にすることはありません」


こうもスッパリ言われると、まあそれもそうかと思えてきて考えるのをやめた。


受付で挨拶し、入場許可証を発行してもらう。許可証、と言ってもただの綺麗な鍵だった。


魔力を照合しているらしく、渡された本人しか使うことができない上に魔力の登録がない扉は開かないらしい。だいぶハイテク。


これがないと、さっき行った研究棟の部屋はどこも開かないようになっているのだそうで、次来る時までにさっきまで居た小部屋の扉へ私の魔力を登録しておいてくれるとのことだった。


受付が終わった後も、出口まで送ってくれる。この人、見た目のボサボサ具合に反して意外と優しいというか紳士なんだよな。実はお貴族様だったりするのだろうか。


それではここで、と言う彼に改めてしっかりと向き直る。


「あの、レオニス先生」


「レオニスで構いません。あなた、院長のこともそう呼んでいるでしょう」


「じゃーレオニスさん。これからよろしくお願いします!」


思いっきり下げた頭の上から、小さなため息が聞こえた。




「……こちらこそ、よろしくお願いします」


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