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決別

「みんなに話があるの」


美穂がそう切り出したのは、夕食を終えたあとのことだった。


がたつくテーブルの上にはまだ肉の骨が転がり、階下からは居酒屋の喧騒が響いている。


リューイに教えてもらったあの日から、1年間ずっとこの宿が私たちのホームだ。


美穂は真剣な面持ちで、けれど少し言い出しにくそうにしながら私たちを見回した。


「私……アンソニー様の婚約者として迎えられることになったの」


一瞬、部屋の空気が止まった。


ああ、やっぱり。私は心の奥でそう呟く。予想していた未来。けれど実際に耳にすると、胸の奥がじくりと痛む。


「まじか、良かったな!」


ほんの少しの沈黙のあと太田が素直に声を上げ、遠野も「そりゃあすげぇ玉の輿だな」と笑った。


阿部はわずかに目を伏せ、持っていたコップに視線を落とす。その横顔に、何か言いかけて呑み込んだような影がよぎる。


「伯爵様ってば美穂に一目惚れしてベッタベタだったもんねー、あんだけイケメンでスパダリなら美穂が応じるのも納得って感じ」


私は精一杯の笑みを浮かべてからかう。出来るだけ空気が重くならないように。


赤くなった美穂は小さく頷き、続きを話し始めた。


「婚約したら向こうのお屋敷に住まないといけなくて、もうみんなで一緒に寝たり、露店でボーラおばさんの串焼きを分け合ったり……全部、できなくなっちゃう」


途中から、声が震えていた。言葉の一つ一つが胸を締めつける。


分かっていたはずのことなのに、改めて突きつけられると逃げ場がなかった。


「……じゃあ、俺たちも進路を決める時期だな!」


太田が肩を回し、わざと明るく言った。隣の遠野と視線を交わし、頷き合う。


「俺たち、冒険者やるわ」


「ダンジョン潜って、目指せ一攫千金」


遠野は笑いながら言う。


この世界には何があるのか、どんな人たちが居るのか見て回りたいんだと教えてくれる。


太田はその隣で「危険な分、金払いもいいしな」と歯を見せて笑った。


彼はこっちに来てから体を動かすことが好きになったらしく、ギルドでも荷運びや水汲みの力仕事を率先してやっていた。最近は剣を買って素振りも始めていたらしい。


「俺、いや、私は……王宮で働くよ」


阿部が静かに告げた。


「アンソニー様が勧めてくれてね。学者や官僚として務めることになりそうだ」


もとよりそのつもりで、最近は勉強のために本を貸して貰っていたと言って分厚い法律なんかの本を何冊もベッドの下から出して見せてくれた。


最近よく見ていたのはそれだったのかと一人納得する。


山下のことも心配だしね、と付け加えた彼の声音は落ち着いていたが、美穂を見る目にはまだ未練が残っているような気がした。


そして彼は、私の方をちらりと見た。視線がぶつかるとすぐ、彼は慌てたように顔を逸らした。


「香奈ちゃんは?」


美穂が問いかける。


「まだ決めてないんだ。当分女将さんにでも仕事貰いながらブラブラするかなー」


私は用意しておいた答えを言う。まるきり嘘。


胸の奥ではもう答えを出していた。けれど、それを皆の前で口にすることはない。




 ◇ ◇ ◇




最後の夜、私たちは宿の下にある酒場で最後の晩餐をした。


木のジョッキを掲げ、五人で声を合わせる。


「この1年間に、乾杯!」


喉を焼く酒の熱さが、胸の痛みをごまかしてくれる気がした。


ここでは14歳ごろに成人を迎えれば酒が飲めるようになるのだが、阿部と美穂は真面目なのでただのジュースだ。


だいぶ酔いが回ってきた私は良い気分で美穂に寄りかかる。


「私ね、香奈ちゃんには……幸せになってほしいんだ。無理しないでね」


囁かれた言葉は、酒よりも強烈に心を揺さぶった。


美穂は一緒に伯爵邸で暮らさないか、と何度も言ってくれた。毎回濁して答えていたけれど、すごく嬉しかったのは確かだ。


私はただ笑って頷いた。けれど喉の奥が焼け付くようで、上手く声が出なかった。


阿部は向かいの席で、静かにジョッキを傾けていた。彼はやがて私の方を見て、口を開く。


「久本さんは器用だから、どんな道でも上手くやれるよ」


淡々とした口調の裏には何か別の思いが滲んでいる気がして、酔った振りをして目を伏せた。

 

遠野と太田は大声でくだらない話を繰り返していた。最初に転移した日のこと、教会での失敗談、市場でぼったくられた記憶。


二人の笑い声は、どこか無理に明るさを保っているように聞こえた。


「そんな顔しなくてもまたすぐ会おうぜ!」


「なんなら一緒に来るか?」


目が合うと、二人はそう言って笑った。


酒場での夜は笑いと喧騒で過ぎていった。


けれどどれだけ飲んでも、胸の奥に沈む重さは消えてくれなかった。


明日になれば、私たちはそれぞれの道へ散っていく。今日この瞬間が、もう二度と戻らない最後の五人での夜だと誰もが分かっていた。


部屋に戻ると、慣れ親しんだ干し草のベッドがある。


なんとなく懐かしくなる匂い。最初にここに来た頃、慣れない硬さに文句を言い合った夜を思い出す。


あの頃はお金も無くて五人一部屋だったが今は男女別で二部屋借りられるようになった。


ベッドに入ってから、泣いてしまいそうで殆ど何も話さなかったけど、どちらからともなく二人で手を繋いで寝た。




 ◇ ◇ ◇




翌朝。


女将のシュヴェンナさんに挨拶をして私たちは宿を後にした。


大きな通りに出ると、人々のざわめきと馬車の車輪の音が押し寄せてくる。王都の朝は早い。


「じゃあ、ここで解散だな」


遠野が大声で言い、手を差し出した。


「全員死なないで、また会おうぜ」


皆で握手をしあった、ハグもした。


太田は笑顔で「絶対だぞ」と言い、美穂は涙をこらえながらも「元気でね」と答えた。


阿部は眉間にしわを寄せて黙っていたけど、いつもよりほんの少し目元が赤かった。



四人はそれぞれの方向へ歩き出す。背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、私は立ち尽くしていた。


そして一人きりになった途端、呼吸が浅くなる。胸が締めつけられ、どうしようもない寂しさに襲われた。


その日の夕方。


私は人気のない裏通りを歩き、顔を隠すようにフードを深く被った。


表向きは「まだ進路を決めていない」と言ったけれど、本当はもうとっくに決めていた。


一年間の暮らしで気付いていた。若い女の体は、この世界でも価値が高いと。



最初の男はリューイだった。


宿を教えてもらった翌日、二人きりでデートしたいと言われ夕飯をご馳走になったあと――「香奈ちゃん、この後いくら?」と聞かれた。


最初は意味わかんなかったけど、詳しく話を聞いていけばすぐに納得した。


彼は、私が「娼婦になるために王都へ来た」と思い込んでいたらしい。


制服のスカートを履いていた時の男達の視線も、リューイが異様に足ばっか褒めてくれてた事も謎が解けた。


足が性的な場所って扱いっぽいからそんなん出して歩いてる若い女ってそりゃまあ、そうだよね。


反論する気は何故か起きなかった。


初めてのお酒で酔っ払った私はご機嫌だったしリューイは中々好みのイケメンで、言われるがままに彼の家まで着いていきベッドに転がされた。


リューイは優しかった。乱暴にされることもなく、終わったあとには小袋を渡して宿まで送ってくれた。


その中身を見て驚いた。――そこには一週間は暮らせそうな金額が入っていた。



その夜、皆が寝静まった後に震える手で小袋を握りしめながら、頭の奥で声がした。


「これなら生きていける」


「女でいるだけで価値がある」


「何も持たない私でも、当分やっていける」


もちろん、美化するつもりはない。


積極的に男を漁り始めてからは、嫌な相手にも出会った。毛むくじゃらのおっさんに力いっぱいぶたれたこともある。


でも、客を選べば優しい男も沢山いる。抱かれるだけで、それ以上の害はない。


女であることを武器にすれば、自由も、金も、この世界での居場所さえ手に入る。


私は自分を見下している。


けれど同時に、これこそが一番現実的な道だと分かっている。


冒険者になる勇気はない。学問にも才能はない。誰かに守られて生きるのも嫌だ。


みんなはそれぞれ道を見つけた。


私も胸の奥では、とっくに答えを決めていた。


一年、自由時間に少しずつ貯めてきた小さな金袋があるおかげで、多少の余裕がある。


危険は多い。でも、ただ寂しさを埋めたいだけの優しい男だっている。そいつらとならば、少なくとも、飢え死にするよりはマシだ。


私はそれを「仕事」として受け入れることにした。


この世界では他にできることもなく、美穂みたいな奇跡は私には起こらない。なら仕方ないと思えた。




夜、2の刻のころに目が覚めてしまい窓辺に腰掛けて外を眺めた。


地球の時間で言うと今は午前1時ごろだろうか。


地球とは色んな事が違っていて、単位はもちろん一日の長さも違う気がするから、よく分からない。


来たばかりの頃は、夜寝て次起きたら夕方だったりがよくあったが流石にもう慣れた。


この世界のリズムに体が順応していく。


王都の灯りは殆ど消えていて、すっかり静かになった通りを奥まで見渡す。


「私、この街で一人で生きていかなきゃいけないんだ」


そう心の中で呟いた時、もう枯れたと思っていた涙がまた頬を伝う。


誰もいない部屋で、私は一人きりで意識を手放すまで泣いた。

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