8. 名門の洗礼
金ヶ崎球場のゲートをくぐった瞬間、尾張デビルズの面々は足を止めた。
「うおっ……ひろ……」
利家が思わず声を漏らす。
見渡す限り、手入れの行き届いた天然芝。データ室と連動したベンチ裏。整然と並ぶサブグラウンドやピッチング練習エリア。
そのどれもが、これまでのどの球場よりも“整って”いた。いや、“整えられて”いた。
「……これが、“一流”の設備……か」
信長の目が細くなる。革命野球の旗手として、彼もまた準備を重んじる者。
だが、それを遥かに上回る“仕組みと分業”が、ここには存在していた。
そのとき、ひときわ大きな声が響いた。
「おっいっちちゃ~ん! 久しぶり~♪」
場内を見渡していた藤吉郎が、どこかに手を振っている。視線の先には、クリップボードを手に、スタッフらしき一団と話す少女の姿。
尾張デビルズ元マネージャー――お市だった。
「精が出ているな。今日はよろしく頼むぞ」
勝家も笑みを浮かべ、軽く右手を上げる。
突然の声に気づいたお市は、はっとしてこちらを向いた。
「おひさしゅうございます! す、すみません、今ちょっとだけ……!」
ぺこりと一礼し、慌てた様子でまたスタッフの元へ戻っていく。
「忙しそうだね~、インターンって言っても……」
藤吉郎が笑う。
「……あれ? 今、選手の……格好じゃなかったか?」
利家の言葉に、藤吉郎も小さく首を傾げた。
その疑念は、まだ確信には至らない――
だが、このあと彼らは“知ることになる”。
金ヶ崎球場に到着した尾張ナインは、あらためて視線を交わす。
内野の芝、ベンチ裏のトレーニング設備、練習を支えるマネジメント陣の多さ……
全てが洗練され、整っていた。あまりの“先進性”に、唾を飲む者もいた。
さらに信長の目を引いたのは、相手チームのメンバー表だった。
「……主力がいない?」
そう、グラウンドに立つ浅井・朝倉軍は、明らかにフルメンバーではなかった。
浅井長政はキャッチャーとしてベンチ入りしているものの、朝倉義景は控え。
主力投手やクリーンナップも温存されており、“あくまで練習試合”という姿勢が滲み出ていた。
「なめられたものだな……」
勝家が低くつぶやいた。いつもより抑え気味の声に、火が灯る。
「そういうことしちゃうと、火傷しちゃうよ〜?」
藤吉郎がにこやかに笑いながら、バットを肩に担ぐ。その瞳だけが獣のように鋭い。
「新戦法を試す絶好の機会です。お返しは、丁寧に」
半兵衛は資料を閉じ、グラウンドを見つめる。そこに一切の遠慮はなかった。
「こっちの“革命”、お見せしようじゃないか」
利家が歯を見せて笑う。熱気を帯びた視線は、既に勝利を射抜いていた。
そして、ベンチの前で静かに腕を組んでいた信長が、短く言い放つ。
「よい。ならば――こちらも本気で試そう。真の“自由”とは何かを、思い知らせてやる」
試合は中盤、尾張がリードで3対2。
だが――
「始めようか」
浅井長政が面倒くさそうにキャッチャーマスクをつけた、その瞬間。
空気が――変わった。
革命、翻弄される
尾張デビルズの攻撃は、狂い始めていた。
相手の守備位置、配球の読み、絶妙なサインプレー――
全てが、完璧すぎた。
「これは……“型”でもなければ、“自由”でもない……」
ベンチで半兵衛が、握ったバットを見つめながらうめく。
「“戦術の成熟”だ……! 個と集団の完全なる融合……!」
五回表、守備のほころびから2点を献上。
六回には連携ミスから致命的な失点を喫する。
焦りの色が、尾張ベンチににじみ始めていた。
そして六回裏――
信長は立ち上がる。
「一点突破だ。狙い撃つぞ、浅井・朝倉ベースボールクラブ……!」
その言葉に、選手たちが目を奮い立たせる。
が、その時だった。
「ピッチャー交代」
スコアボードの横、控えベンチから――
静かに、だが確かにマウンドへ歩むひとりの姿があった。
陽光を受けて揺れる長い三つ編み。
高く結ばれたポニーテールに、赤いリボンがひとすじ。
浅井・朝倉軍の白と緑のユニフォームに袖を通した――お市だった。