7.咲かぬホトトギスの球
「――つまり、インターン、ですか?」
お市の瞳が少し揺れた。尾張デビルズの裏方仕事、雑務、スコア記録、選手の健康管理……まだまだ覚えることは山ほどある。自分がここを離れていいのか、不安が胸を占める。
「そうだ。尾張では、今は全員が戦うことで手一杯だ。そなたの業務の教育に時間は割けぬ」
信長は飾らずに言った。革命とは、常に前を向くもの。後ろに手を差し伸べる余裕は、今の彼女にはないのだ。
「だが、私たちの未来には“管理者”が必要だ。情報を捌き、チームを支える者が。お市、お前にしかできぬ役割だ。だからこそ――一流を見てきてくれ」
尾張と対を成すように、秩序立った強さを誇る「浅井・朝倉ベースボールクラブ」。戦国球界屈指の資金力とチーム人数を持ち、彼らの緻密なシステム、洗練されたマネジメントは、まさに大企業のような合理性に貫かれている。お市がそこから学ぶことはきっと多い。
「……わかりました。わたし、行ってきます。チームのため、お姉さまのために」
浅井・朝倉本部は、予想以上に大規模だった。施設は整い、選手は多く、すべてがシステム化されていた。練習メニューは細分化され、ポジションごとに専門のコーチまで存在する。
「一流のチームってすごい…とても合理化されている。」
お市は、連合軍のマネージャー見習いとして、用具管理やスケジューリング、チーム統計などを日々こなしていた。与えられた仕事にミスなく応えるが、その中で目立つこともなく、彼女の存在は徐々に溶け込み、風景の一部になりつつあった。
ある日の午後、風向きが変わる
「……君が噂の“市”だよね?」
グラウンドの片隅、ボール拾いをしていたお市に声をかけたのは、浅井軍の正捕手――浅井長政だった。
「はい。尾張から……インターンに来ております」
少し緊張しながらも答えると、長政は興味深そうに彼女を眺めた。
「へぇ、あの信長の妹って聞いたよ。“革命児の妹”か。じゃあさ……キャッチボールぐらい、できるよね?」
「……えっ?」
「別に本格的なことじゃないよ。僕、ちょっとだけ肩慣らししたくてさ。手伝ってくれない?」
それは、完全に気まぐれの誘いだった。けれど――お市はなぜか、断れなかった。
「……!」
最初の数球で、長政の目の色が変わった。お市の投げる球には力こそないが、コントロールが異様に正確で、握りを変えれば微妙な変化も起こせる。そしてなにより――
「反応、速いな。こっちの変化にも動じない」
浅井長政は試すようにいくつかボールを逸らしたが、すべてお市は機械のように受け止めた。
その様子を、遠巻きに眺めていた者が一人。朝倉義景である。
「……へぇ。革命の血か」
口元に皮肉と興味の混じった笑みを浮かべ、義景はゆっくりと立ち上がった。
「試してみる価値はあるな。お市……だったか。練習、参加してみるか?」
「……わ、わたしはマネージャーで……その、練習だなんて……」
突然の申し出に、お市は戸惑いを隠せなかった。だが、その隣で長政があっさりと告げる。
「じゃあ、僕の専属でいいよ。僕とキャッチボールするだけ。僕、肩慣らし好きだし」
冗談のように始まった“遊び”。しかし、そこから何かが、少しずつ、動き出した――。
革命の“影”、芽吹く
最初のうちは、周囲も軽く見ていた。
「ただの客人」「マネージャー崩れ」「お情けの練習」
だが数日が経つうちに、誰もが「お市の球」に対して奇妙な既視感を覚えるようになる。見た目は柔らかく、しかし芯がある。揺れるように伸びてきて、気づけばストライクゾーンの角を突いている――。
そして何より、彼女の洞察眼が異常だった。
「あの打者、膝を少し外に開きます。たぶん内角が苦手です」
「次は低めに落とした方が……前の打席で狙われてます」
誰に教えられたわけでもない。だが、お市は本能のように、野球を“読んでいた”。
その後の練習試合での出来事だった。アクシデントで控え投手が足りなくなり、急遽「遊びでやっていたお市」を試験的に登板させる案が出た。
結果――三者連続三振。
スタンドが静まり返る中、長政がグラブを掲げた。
「ほらね。僕の目に狂いはなかった。僕のリードに予想以上に答えてくれる。」
静かに、浅井軍の第二のエースが誕生した瞬間だった。
一方、尾張デビルス...
美濃での激闘から、まだ日は浅い。
だが、尾張デビルズに安息の時は訪れなかった。
勝利の翌日から始まったのは、美濃ナイトスパイダーズとの合同練習。奇妙な友情と敬意で結ばれた両軍は、互いの技と意地をぶつけ合いながら、静かに次の戦へと歩を進めていた。
初夏の空の下、グラウンドには白球の音と掛け声が響き渡っている。
ノックを受けているのは――竹中半兵衛。
元・スパイダーズ所属の知将にして、信長の革命野球に転向したばかりの苦労人だ。
「次っ! その程度で音を上げるな、半兵衛ェッ!」
鋭く打ち込まれたゴロ。鋭角に跳ねた球を、半兵衛は体を投げ出して捕る。
「っは、まだ……いけます!」
砂まみれになりながら立ち上がり、まっすぐにノッカーへ叫ぶ。
ノッカーは、かつての上官――稲葉一鉄。目元に皺を寄せ、わずかに笑った。
「どんどん行くぞ。革命児の軍は、口だけではなさそうだな!」
その光景を、帰蝶と利家が並んで見守る。
「……すごいわね、半兵衛。あんな泥まみれになって」
「昔の半兵衛さんを知ってる私からすれば、信じられないわ」
一方、打撃ゲージでは――
勝家が、ナイトスパイダーズの面々と共ににバッティング練習をしていた。
「うおおおっしゃああああああっ!!」
勝家がフルスイングでボールを打ち返す。その音が金属バットに高らかに響く。
打球は高く、外野フェンスに突き刺さった。
「すっげえ……あれが尾張の主砲か……!」
「パワーだけじゃなくて、タイミングも完璧……!」
スパイダーズの選手たちが、自然と拍手を送る。勝家は汗だくのまま、親指を立てて笑った。
そして、グラウンドの隅――
「って、おい藤吉郎!! 何食ってる!?」
「ぎゃあぁぁぁっ、信長様!これはその……栄養補給っス!高度な戦略的おやつっス!」
ユニフォームの袖から飛び出した団子を咥えながら、慌てて逃げ出す藤吉郎。
「言い訳はあとだ!きさま何回目だと思ってんだ!!」
「うわぁぁぁっ、殺されるっす!!」
二人の小競り合いを、三塁側ベンチで見ていた斎藤道三が、肩をすくめて溜め息をつく。
「まったく……ここまで部下に振り回される日が来るとはな」
ただ、どこか口元は緩んでいた。
かくして、合同練習は熱を増しながら続いていた。
革命の剣は、ますます鋭く、しかし――その刃の背には、確かな絆と笑顔が宿り始めていた。
その日の夜、信長はスコアボードの前で腕を組んだ。
「今のチームに足りぬものを知るためにも……相手が必要だ」
織田信長が練習試合の相手として名を挙げたのは――
浅井・朝倉軍ベースボールクラブ。
言わずと知れた、大勢力の連合軍。層の厚さと組織的な采配で知られる「一流の球団」である。
そして何より、そこには今――尾張からインターンとして派遣された、お市がいる。
「彼女が今、見ている世界。触れている強さ。それを我々も、この目で確かめねばならぬ」
浅井・朝倉からの練習試合承諾の通知が来た。
その中にはお市からのメッセージもついていた。
「お姉さまや皆様方にお会いできるのを楽しみにしております。」と…。
試合は、浅井・朝倉軍のホーム――金ヶ崎球場で行われることとなった。