6.鼓動、反撃のストライク
グラウンドには規則正しく引かれたライン、手入れの行き届いた芝生、赤土がまぶしく光っている。空気は張りつめ、息を呑むような緊張が観客席を包んでいた。
「――プレイボール!」
審判の声が響くと同時に、尾張デビルズの初戦が幕を開けた。
先発は、尾張の主将にしてエース・織田信長。
受けるのは、気合全開のキャッチャー・柴田勝家。
だが初回から、その熱が仇となった。
「サインは……2、じゃ、ないのかっ!?」
初球、勝家の構えたミットとまったく違うコースに、信長の速球が突き刺さる。
驚いた勝家が慌ててミットを動かすも、打者はタイミングを外されながらもボテボテの内野安打。
「くっ……! 次こそは……!」
息巻く勝家に、信長は表情を崩さぬまま一言だけ呟く。
「力を抜け、勝家」
「抜いてます! これが私の“全力”ですので!」
噛み合わないまま、なおも投球が続く。
しかし――
「ショート、藤吉郎っ!」
「あいあいさァー!」
抜けそうな当たりを華麗にさばいたのは木下藤吉郎。身軽な動きでダブルプレーに持ち込み、ピンチを断つ。
「助かった……」
勝家は内心で安堵しつつも、なおも気合を抜けないでいた。
続く2回、3回も同様だった。信長と勝家の呼吸は合わず、ワンバウンドや高めの浮き球が目立った。
だが、守備陣はそれを補って余りあるプレーを見せる。
滝川一益の深いセンター返しへの追いつき。丹羽長秀の正確無比な一塁送球。そして藤吉郎の予測と反射による俊敏なカバーリング。
「みんな、すごい……!」
勝家は驚きながらも、次第に自分の動きが浮いていることに気づき始めていた。
そして――試練の4回が訪れる。
「ピッチャー、信長に変化球……あっ、これを打ったァァァ!!」
完全に読まれていた。コースも球種も、道三率いるナイトスパイダーズは徹底的にデータを分析し、狙い打ってきた。
「ぎゃああああっ、センターオーバーッ!!」
一気に走者一掃。あっという間に3点が入り、スコアは0-3。
信長は汗をぬぐい、無言でボールを受け取る。
「くっ……! 今度こそ、決めてやる……!」
勝家は歯を食いしばるが、気合ばかりが空回りする。捕球ミス、投手とのサイン違い、盗塁阻止もままならず――
5回にはさらに2点を追加され、スコアは0-5。
スタンドもざわめき始める。革命野球、ここにきて沈黙。
その裏――尾張のベンチ。
勝家はマスクを外し、膝に手をついて荒い息を吐いていた。
「……っ、すみません……私が、全部……」
「勝家ちゃん」
ゆるい声で話しかけたのは、ピンク髪のツインテール、木下藤吉郎。
「革命ってさ、完璧に決まるものじゃないと思うんだ。むしろ、グラグラしてるとこから始まるんじゃない?」
「えっ……」
「勝家ちゃん、ずっと背負いすぎだよ。僕らもいるんだし、ちょっとはスキマ、開けてよ」
その隣で利家もボソリと呟く。
「姐さん一人で戦ってるつもりですか。下手すりゃ、こっちが置いてかれるっつーの」
「利家……」
そこに、信長が歩み寄ってきた。瞳の奥に燃えるような光を宿して、勝家を見つめる。
「革命とは、“真の自由”を手にすることよ。誰かの型にはまるのではなく、自ら型を創ることだ」
そして、ボールを握らせた。
「お前も“解放”されるべきだ。誰よりも強く、誰よりも真っ直ぐな、お前のままで」
勝家の胸に、何かが届いた。
肩の力が、ほんのわずか抜けた。
「……わかりました。“勝家らしく”いかせていただきます!」
そして6回の表。ナイトスパイダーズの攻撃。
信長と勝家のバッテリーが、初めてリズムを刻み始める。
「サインは……よし。いけます!」
ミットの構えも、スイングに合わせた配球も、呼吸が合っていた。
バッターのバットを、音を立てて弾く球。
フライが上がり、滝川が構える。
「センター、捕ったァ!」
1アウト。
そして――
「三振ッ!!」
歓声が上がる。チームの空気が、確かに変わり始めた。
信長の背中に、光が差し込む。
「……さあ、ここからだ」
尾張デビルズ、反撃の鼓動が始まろうとしていた。
「――6回裏、尾張デビルズの攻撃です!」
場内アナウンスが響くと同時に、信長はゆっくりとヘルメットをかぶり、バットを手に立ち上がった。ベンチでは、汗を拭きながらも、どこかピリリとした緊張感が漂う。
「4点差か…? あの帰蝶というピッチャーから奪い返せるか…」
「にゃひひ、革命ってのは、ありえない“普通”を壊すもんでしょ?」
藤吉郎がにこっと笑い、利家は思わず肩をすくめた。
「ま、信長様が打席に立つってだけで、相手ピッチャーも多少びびるだろ」
その「相手ピッチャー」、斎藤帰蝶は静かにマウンドに立っていた。
白銀のポニーテールが風にそよぎ、その額には汗が一筋。美濃ナイトスパイダーズのエースは、精密無比なコース取りでここまで試合を支配してきた。
だが――。
(なぜ……あの人の投げる球が、こんなにも、熱を帯びて見えるの?)
信長の投球が、彼女の心の何かを揺らしていた。敵であるはずの相手投手が、自らを削りながらも仲間に託し、仲間を信じ、仲間の個性を引き出そうとする姿。その姿が、彼女の中に芽吹いた「違和感」に名前を与えていた。
(私は……“正確なだけ”の野球をしてきた。でも、あの人の球は――)
その刹那、信長がバットを振り抜いた。
鋭いライナーがセンター前に抜ける。ひとつ、塁が埋まる。
「よし、流れが来てるわよ!」
「勝家ちゃん、いっけーっ!」
次打者、柴田勝家。
普段のガチガチさが嘘のように、今はスッと構えが自然だった。
「肩に力、入れすぎてた。信長さまの言葉で、目ぇ覚めたよ!」
狙いすましたストレートを、見事に右中間へ運ぶ。二者連続ヒットでチャンス拡大。
「うおおおおお!!!」
勝家の絶叫に、ベンチから「ひゃああ!」「やったああ!」と、まるで応援団のような歓声が飛ぶ。
そして藤吉郎が打席に入る。
「革命ってさ、思いがけない“ほころび”から始まるんだよ?」
小さくウインクし、緩い変化球をパチンと左前へ運ぶ。走者一掃、2点返上!
「よし! まだいける、まだいけるわよ!」
「でっかい風、吹かすぞー!」
続く利家も俊足を活かしてバントヒット。小さな連携が相手守備陣のタイミングを狂わせる。
スパイダーズの守備陣、どこかに「動揺」の色がにじむ。
マニュアルの想定外――“イレギュラー”が彼女たちのリズムを崩していた。
(どうして、こんなにも自由なんだ……)
マウンドの帰蝶の表情が揺れる。
信長がベンチから声をかける。
「帰蝶。君のストレートは美しい。だが、美しさは“変化”の中にこそあるのだ」
その言葉に、彼女の心臓がドクン、と音を立てた。
(なぜ……敵なのに、こんなにも……)
帰蝶の投球は、一瞬だけ緩む。そこを逃さず、丹羽長秀の技ありの一打。
三塁線を抜けるヒット! 一気に同点!
ベンチが沸騰した。
「よし! 全員集合! ここが正念場よ!一気に押し返す。」
その瞬間、場内が割れるような歓声に包まれた。
――6回裏、尾張がついに同点に追いつく。
帰蝶は唇を噛んでマウンドを降りた。ベンチに戻る途中、信長とすれ違う。
「……あなたの野球に、少しだけ、憧れてしまいそう」
信長は目を細めて言った。
「ならば、共に未来を見よう。勝利のその先にある景色を」
帰蝶は言葉を返さず、背中越しに小さく微笑んだ。
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試合は最終回、9回へ。
ここまで信長の投球は実に計算されたものだった。勝家とのサインミスで混乱していた序盤が嘘のように、今はひとつひとつの球に意思がこもっている。
ベンチでは、勝家が唇を噛んで見つめていた。
「信長さま……さっき言ってた、“革命とは自由を手にすること”って……」
「そう。自由とは、誰かを信じること。そして、己の想いを恐れずに投げ込むことだ」
信長のストレートが、バシィン! とミットに吸い込まれる。
三振!
続く打者も、切れ味鋭い変化球で空振り三振!
スパイダーズ最後の打者――竹中半兵衛が立った。
小柄な体をいっぱいに使い、彼は静かにバットを構えた。
(きっと、僕らも、変わらなくちゃいけないんだ……)
信長の投球、その一球に、未来が託された。
全力ストレート――!
バットが空を切る。
「ストライクスリー! ゲームセットッ!」
場内が歓喜に包まれる。尾張デビルズ、逆転勝利!
信長は帽子を取り、マウンドに静かに一礼した。
ベンチから勝家が駆け寄ってきた。
「信長さま! やった、やりましたよ!」
「勝家。君の魂があってこその勝利だ」
藤吉郎が跳ねるように飛び出し、利家が苦笑しながらタオルを振る。
「おいおい、まだ初戦だぞー?」
だがその声に、ベンチ全員が笑った。
スタンドの上、斎藤帰蝶がふと振り返る。
信長が、そこに視線を送っていた。
「……貴女の“変化”も、楽しみにしていますよ」
帰蝶は頬を赤らめ、少しだけ目をそらした。
「……ばか」
その言葉は誰にも聞こえなかった。
だが、球場全体に“未来”の匂いが、確かに満ちていた。
――尾張デビルズ、革命の二勝目。
八対六。尾張デビルズの勝利だった。
勝ち負けが決したはずなのに、両軍は静かだった。歓声も悔し涙もなく、ただ、互いを見つめていた。
斎藤道三は、マウンドに歩み寄る。
「……革命か。見事だった、織田信長」
その声に、信長は帽子をとって一礼した。
「お褒めにあずかり光栄です、道三殿。しかし……あなたの“マニュアル野球”もまた、完成度と緻密さにおいて、学ぶべきところは多かった」
信長の目は真剣だった。敵を下した後の驕りなど、そこには微塵もなかった。
「私はあなたの野球を、心から尊敬しています。できることなら――これからも学ばせてほしい」
しばしの沈黙ののち、道三は目を細め、口の端をわずかに吊り上げた。
「ふむ……敵に塩を送るような真似を、平然とできるとはな。いや……革命児というより、王の器かもしれんぞ、おぬしは」
その瞬間、スパイダーズの選手たちの表情にも、氷が溶けるように柔らかな色が差した。
帰蝶が一歩、信長に歩み寄る。
「なら、こちらからも申し出ます。もしよければ――これから一緒に、練習しませんか?」
「合同練習……か」
信長はうなずいた。
「もちろん。革命に必要なのは、対話と共闘ですから」
手を差し出した。帰蝶がそれを取ると、場内にようやく、柔らかくも確かな拍手が広がった。
こうして、尾張デビルズと美濃ナイトスパイダーズは、戦いを経て、友軍となった。
手を差し出した。帰蝶がそれを取ると、場内にようやく、柔らかくも確かな拍手が広がった。
そんな中、スパイダーズの列から一人の少女が歩み出る。小柄で繊細な体躯。だが、その瞳には強い決意が宿っていた。
竹中半兵衛だった。
彼女は信長と道三の前で、まっすぐに膝を折り、頭を下げた。
「お願いします……織田信長様。わたしを、あなたのもとで学ばせてください」
場が静まり返る。
信長が驚きの表情を浮かべたのも束の間、道三が口を開いた。
「……半兵衛。おまえ、自分が何を言っているか分かっているのか」
「はい。私は……あなたの教えに導かれ、ここまで来ました。でも……今日の試合で、わたしは知ってしまったんです。革命とは、野球とは、こんなにも自由で、こんなにも――恐ろしくて、眩しいものなのだと」
震える声だったが、誠実だった。
「自分の限界を知るのが、今日でよかった。どうか……この身を、尾張のチームに置かせてください」
しばしの沈黙。
やがて、道三が静かに笑った。
「ふ……なるほどな。そなたは、うちのチームで収まる器ではない。自らの才を持って、戦乱の野球を生き抜く器だ」
そして、道三は信長を見た。
「よいか、信長。こやつを鍛えよ。わしよりも、もっと厳しく、もっと自由に。そなたならできると信じている」
信長は深くうなずき、半兵衛に手を差し伸べた。
「ようこそ。これが、革命の一歩目だ」
半兵衛は涙を拭いながら、その手を握った。
革命とマニュアル。自由と秩序。
相反するものがぶつかり合い、尊敬が芽生え、共に歩む未来が生まれた。
それはきっと、この戦国時代のベースボールにおける、ひとつの「進化」のかたちだったのだろう。
次なる敵を見据えて――彼女たちの物語は、なお続く。