5.「革命野球vsマニュアル野球」
美濃・ナイトスパイダーズ本拠地、朝靄に包まれたグラウンド。
道三はすでに整然と整備されたベンチの前に立っていた。試合開始までまだ一時間以上あるというのに、彼はそこにいた。
整列した守備シフト。無言でキャッチボールを続ける選手たち。全てが「設計図通り」に運用されている光景。
そこに、信長が現れる。
日輪のような赤いフードに、黒金のユニフォーム。
尾張デビルズの面々を引き連れて、彼はグラウンドに足を踏み入れた。
「久しいな、道三殿。変わらず“ご丁寧”な野球のようで」
信長の声は朗らかだったが、その背後で蝉が一匹、ぴたりと鳴き止んだ。
道三は笑みを見せないまま、ゆっくりと信長の方へ向き直る。
「貴公の“革命”とやら――さぞ、奔放で、計算を裏切る愉快なものであろうな」
「革命は“愉快”ではなく、“必然”ですので」
「ほう、それは楽しみだ」
二人の間に一拍の沈黙。
風がグラウンドをかすめ、赤土の香りをかすかに舞い上げた。
やがて道三が背を向け、ベンチへと戻っていく。
「プレイボールの合図が、貴公の“夢”の始まりであることを祈ろう。あるいは、終わりであるかもしれぬがな」
それに背を向けながら、信長が笑みを深める。
「どちらでも結構。鮮やかにお見せしましょう、革命野球を」
朝露の名残がわずかに光る、美濃のグラウンド。
配置されたベース、均された土、整いすぎた外野芝。
整然としすぎた景観に、信長は無言で帽子のつばを押さえた。
「……整いすぎているな」
その隣で、涼やかな目をした滝川一益が、淡々と応じる。
「人工的です。どの角度から見ても、わざと作られた“勝利のための舞台”。罠の匂いがします」
「道三らしい舞台、ということか」
「ええ。……いかにも“ミスの許されない野球”を仕掛けてくる気配。マニュアル通りの、正確無比な戦術が」
そこへ、グラウンドで軽くノックを受けていた柴田勝家が、鬼気迫る表情で振り向いた。
「よし、あとはバット一本で全部砕くのみ! ぶち壊してやる、美濃の精密機械ごとッ!」
咆哮のような声が響き、思わずノッカーがバットを振る手を止めた。
「わあ……勝家ちゃん、朝からスイッチ入りすぎじゃない?」
背後から、藤吉郎が苦笑交じりに声をかける。
その隣では、スパイクの紐を結び直しながら前田利家がうんざりした顔をしていた。
「昨日の晩からずっとこの調子。早起きして素振り千本、トン汁三杯、もう試合前に体力使い果たしてるわ」
「うーん、それも勝家ちゃんらしさだけどね。でも“全開”のまま初回突っ込んだら、きっとグラウンドごと爆発しちゃうかも」
藤吉郎は唇に指を当て、まるで天気の話をするかのような調子で言った。
「ねえ利家くん、こういうときってやっぱり、ラムネとか配った方がいい?」
「なんで糖分なんだよ」
「力抜くには、甘いものが一番でしょー? 革命ってさ、ギリギリの勝負じゃなくて、スキマから入るもんだし」
利家はため息をついた。
「お前、そうやっておどけてるけど……絶対何か企んでる顔してるよな」
「ふふ、さあね?」
その会話を、少し離れたところで聞いていた丹羽長秀が、黙って一本のボールを拾って信長にトスした。
「練習、再開です」
信長は軽やかにキャッチし、静かに微笑んだ。
「……君の空気は、いつも滑らかだな。すべての歯車が過剰に回っている中で、君だけが静かだ」
長秀はほんの少しだけ目を細めた。
「静かな歯車も、動かなければ意味がありません。信長さまが“動かす”方なら、私は“回す”だけです」
ふっと笑う信長。その顔からは、いかなる焦りも見えない。
再びグラウンドへと向かうナインたち。
だが勝家の動きにはまだぎこちなさが残っていた。
「ちょ、ちょっとボール高いんだけど……! あ、待って、そっち抜ける!」
「ご、ごめんっ! 気合が先走ってるだけだから!」
「“だけ”じゃないから、勝家ちゃん……!」
誰かの叫びに、別の誰かが笑う。
その騒がしさの裏で、信長は空を仰いだ。
「……さあ、劇を始めようか。革命の舞台は、整っている」
スタンドの向こう、鋭い目でこちらを見つめる影――斎藤道三が、微かに口角を上げた。
「まもなく、試合を開始します――」
場内アナウンスが鳴り響くと同時に、尾張ナインたちの表情が切り替わる。
空気は、もう火薬の匂いを帯び始めていた。