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天下布球 〜美少女戦国ベースボーラーズ〜  作者: InnocentBlue


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33/33

32.魔王の覚醒 ―七回、闇を裂く一球

【尾張デビルズvs浅井・朝倉ベースボールクラブ 七回表2-2】


七回表 二死二、三塁打席には九番・小川祐忠。若い眼差しは迷いなく、鋭く信長を射抜いていた。

そのスイングは一振りごとに切れ味を増し、ファウルで粘り続ける。スタンドが手に汗を握るなか、カウントはツーストライク。

――その瞬間。小川は、迷いを断ち切るようにバットを寝かせた。不意を突くバント。白球が転がる音に、球場の空気が爆ぜた。黄金の瞳は一瞬見開かれた。


「……っ!」


衝動のように前へ飛び出す。しかし球足は絶妙。ほんの僅かに届かない。


(ここで……この場面で、あえて――!)


胸中に熱が走る。自分の球を力でねじ伏せるのではなく、リードを突き崩す戦略で点を奪いに来た――その事実が、信長の奥底を揺さぶった。


マスク越しに歯を食いしばる。


(読まれた……!)


信長の球は冴えている。それは疑いようがない。だが、相手は「球質ではなくリードを叩く」と決め打ちしていた。そして、最も意表を突く形で――勝家の手のひらから試合を奪い取ろうとしている。悔恨と怒りと、何よりも「自分が狙われている」確信が胸を焼いた。


________________________________________

三塁ランナーとしてスタートを切る長政の目は、鋭い光に満ちていた。


(そうだ……彼女らでは、俺たちの本気は止められない)


滑り込む。白線を蹴り、指先が土を抉る。

判定――セーフ!歓声が爆発する中、長政は汗まみれの顔を上げ、にやりと笑った。


「これが私たちの野球だ」


ベンチから見つめるお市の唇がわずかに歪む。氷のように冷たい笑み。


(やはり……姉上を導けるのは、あなたではないのです、柴田様)


「その程度のリードで、姉上の球が生きるはずがありません」


静かに呟いた声は、誰にも届かぬはずだった。だが確かに、勝家の背へと突き刺さっていた。

判定はセーフ、スコアは 3―2。浅井・朝倉ベースボールクラブがついに勝ち越し。

マウンド上の信長は汗を拭いもせず、ただ一点を見据えていた。――試合の均衡は、決定的に崩れ去った。


なおも続く浅井・朝倉の猛攻。3―2と勝ち越された直後、信長の胸奥に鈍い痛みが走った。遅れて響く敗北の予感――それをあざ笑うように、センター・真柄直隆のバットが高くしなり、白球は鋭い放物線を描いた。

レフト前。また一本。

 

「……っ!」

 

勝家のミットが悔しげに震え、スコアボードの数字が無慈悲に 4―2 を示す。ベンチの浅井長政は、静かに拳を握りしめていた。

 

「ここだ。ここで崩れろ、織田信長……」

 

お市はつぶやく。

 

「これでおしまいですね」

 

対照的に、信長の目の奥では、別の光が芽生えていた。それは焦燥ではない。怒りでもない。

――静寂。

 

「次、2番――磯野員昌!」

 

勝家がミットを叩き、信長の視線とぶつかった。その瞬間、勝家は言葉を失った。信長の瞳が色を変えていた。濃い闇を湛えた黄金。獣が身じろぎする音が聞こえそうな光。

 

(……来るのか。信長様の、あの状態……!)

 

磯野員昌は、数球のファウルで意地を見せていた。外角へ落ちるボールにも、胸元へ食い込む速球にも、かろうじて食らいつく。

 

「フルカウント!」

 

球場に低いどよめきが広がる。浅井・朝倉のベンチも息を飲み、お市はバットを握るように拳を胸の前で固めていた。だが――信長だけが異質だった。周囲の喧騒が薄皮一枚隔たった向こう側へ遠のいていく。砂塵ひとつ、風の曲がり方ひとつまでが、手のひらに収まるような感覚。

 

魔王モード

 

心音が静かに整い、世界が投球ラインだけの細いトンネルへ収縮していく。勝家が構えたミットの中央――そこだけが、濃く暗い穴のように浮かび上がる。

 

(……壊す。この流れも、空気も、相手の希望も――すべて、我が一球で。)

 

信長がゆっくりと足を上げた。球場全体が、そのわずかな動きに吸い寄せられる。

極限の静寂。極限の集中。

金色の瞳が、ただ一点だけを貫く。――最高の一球が、いま放たれようとしていた。


信長の腕がしなる。ただ速いのではない。ただ鋭いのでもない。世界そのものを切り裂くような軌道。

振りかぶった腕の影が黒い稲妻となり、白球は視界から消えた。スタンドのざわめきが追いつかない。

磯野員昌の瞳が一瞬だけ揺らぎ――そのまま固まる。来ない。見えない。落ちてくる気配すらない。

次の刹那、勝家のミットが爆ぜた。

 

――ドガァンッ!!

 

捕球音というより、衝撃音だった。衝撃に勝家の身体が半歩よろめく。視界が白く弾けるほど、手のひらが震える。

 

「ストーーーーライク!!」

 

審判の声が、森の奥に響く雷鳴のように遅れて届いた。スイングすらできなかった磯野員昌は、しばらくバットを肩に乗せたまま動けない。まるで、自分だけが別の時間軸に置き去りにされたかのように。浅井ベンチに重苦しい沈黙が落ちた。長政の拳が、ゆっくりと震える。

 

「……今のは……なんだ……?」

 

お市は喉を押さえ、息を呑んだ。

 

「あれが……魔王……」

 

マウンド上、信長はミットへ向けて歩み出る。余分な息はひとつもない。風も、音も、敵の気配ですらも、黄金の双眸に絡め取られ、動きを止める。勝家がミットを胸に抱え、呆然とつぶやく。

 

「……これだ……これが、信長様の本気……!」

 

信長は、ただひとこと。

 

「次だ、勝家。ここからは――一球ごとに、奴らを沈める。」

 

その声は低く、冷たく、震えるほどに力強かった。浅井・朝倉の攻撃は、ここで完全に凍りついた。

磯野員昌は、しばらく動けなかった。バットを肩に載せたまま、まるで“自分だけ時間が遅れている”かのような硬直。

 

「……三振!! チェンジ!!」

 

審判の宣告がスタンドへ跳ね返る。だが歓声は遅れた。あまりに異様すぎる一球に、観客の思考が追いつかなかったのだ。マウンド上で勝家が息を呑む。信長は何も言わず、ただ静かに土を踏みしめてベンチへ向かう。その背に、獣の影をまとったような圧が揺れていた。

 

――そして。浅井・朝倉ベースボールクラブのベンチが、一斉にざわめき出した。

 

「あれ……何だ……?」

「球が……見えなかった……」

「いや、違う……消えた……?」

 

長政は噛みしめた奥歯をきしませる。

 

「……ふざけるなよ。たった一球で……空気が、全部……」

 

そのざわつきは、動揺ではなく恐れへ変わりつつあった。誰も口には出さない。

だが全員が同じ言葉を胸に抱いていた。――織田信長が、本気になった。浅井・朝倉ベースボールクラブのベンチを満たすざわめきは、七回表の終わりを告げる合図のようにいつまでも収まらなかった。



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