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天下布球 〜美少女戦国ベースボーラーズ〜  作者: InnocentBlue


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27.呼応する覚醒

ワンアウト一塁。ベンチの気まずさも、もうどこにも残っていない。

ただ緊張の糸だけがグラウンドを覆う。お市がマウンドで静かに構えた瞬間、周囲のざわめきは遠のき、風すら止まったようだった。打席に入る信長は、前の回の成政の空振り三振など、なかったことのような無表情。


唇はわずかに結ばれ、目だけが鋭く光る。お市と視線がぶつかる。妹、いや、いまは敵投手。その瞳には、燃えるような研ぎ澄まされた光。互いに一歩も譲らぬ気迫が、白線の間に満ちる。

初球――

お市の腕が鞭のようにしなり、刃のような伸び。唸るような速球が胸元をかすめる。信長は微動だにせず見送る。ボール。観客席のざわめきが一段低くなり、誰もが次の一球を待つ。信長はバットを止め、あるいはギリギリで合わせてファウルに逃れる。だが当たった白球は、お市の球威に押し返されるように、前へは飛ばず、三塁側ベンチの上にかすかに落ちる。振り遅れた金属音が、観客席に乾いた余韻を残す。 四球目以降も、信長は粘った。


だが――その粘りの裏で、自分の中の何かが静かに騒ぎ出すのを感じていた。お市の投球が織りなす緊迫感に、胸の奥が呼応する。

比叡山で、己の内に潜む力の輪郭をかすかに掴みかけたあの瞬間――その感覚が、いま確かに蘇っている。呼吸の間隔が変わる。視界が研ぎ澄まされ、音の輪郭が鮮明になる。覚醒したお市の投球は、己の中の深淵をも揺り起こしていた。

そして十球目。

お市の体がふっとしなり、鋭く切れるスライダーが外角低めに沈む。信長のバットが空を切り、わずかに重心が前へ崩れた。


「ストライーク、バッターアウト!」


球審の声が、鈍い鐘のように響く。信長はバットを下げ、深く息を吐いた。胸の奥に渦巻く感覚――確かに覚えがある。けれど、それが何なのか、言葉にはできない。ただ、比叡山で味わったあの一瞬の高みに、指先が触れかけているような……そんな奇妙なざわめき。理由もなく心拍が速まり、背筋の奥を冷たいものが駆け抜ける。


 ――これは……何だ?


マウンドに立つお市の投球、その一球一球が、私の奥底に眠る何かを叩き起こしている……そんな感覚。

答えのない問いが、静かに胸に沈んでいった。


五回裏、信長が三振で二死一塁。そこでベンチがざわついた。スコアボードに「代打 佐久間信盛」の文字。


「はーいっ♪ 信盛ちゃん、いっきまーす☆」


栗色の髪をリボンで結んだ小悪魔スマイルが、スパイクの音を小気味よく響かせながらベンチを飛び出す。左手で軽く観客席に手を振り、右手には自分サイズに馴染んだバット。まるでグラウンド全体をステージに変えてしまったかのような、堂々たる登場だった。打席に立った信盛は、スッと足元を均し、お市と目を合わせてニヤリ。


(ふふ、こっち見た……)


だが、最初の球――ミットに吸い込まれる音が異様に重く響く。バットを握る手に、わずかに汗がにじむ。


(……っ、何これ……想像以上……これ、私でも打てないかも……)


その一瞬の戸惑いを隠すように、腰を落として見送り。ストライク。二球目、低めの変化球を見極め、ボール。


「……ほんとにいい球、投げるねぇ」


軽口を叩きつつも、心の奥では球威の凄さを計算に組み込み始めていた。三球目、内角速球――詰まりかけるもファウル。四球目は外角いっぱい、ぎりぎりでカット。五球目も外角、腰を引きつつちょこんと当て、ネット裏へ逃がす。六球目、低めを見極めボール。カウントはフル。

七球目、お市の渾身のストレートを溜めて見送り――審判の手が横に広がる。四球。

一塁へ歩く信盛を、二塁ランナーの藤吉郎がふっと笑って見た。


「……さすがは信盛ちゃん。やっぱ、やるねぇ」


信盛は肩をすくめ、ウインクを一つ返す。

一番・滝川――無表情のまま、白いバットを握り直す。青黒の髪を留めたヘアピンがわずかに光り、頬をかすめる風に汗が冷やされる。視線の先、お市のフォームを食い入るように見つめるその目は、氷のように澄んでいる。


「……勝利。それだけを追いかけてるだけだ」


低く吐き出した声に、熱は見えない。しかし、胸の奥には静かな炎が確かに灯っていた。


(ツーアウト一、二塁……ここで繋げば、流れが変わる)

(お市の球……伸びとキレが同居してる。速球は内側で詰まらされやすい)


思考は冷徹に研ぎ澄まされ、全身は相手の呼吸すら感じ取る準備をしていた。初球、ストレート――一瞬の反応で捉え、一塁線ファウルへ。金属バットの甲高い音がベンチまで突き抜ける。


(悪くない。タイミングは合う……だが詰まる)


二球目、低めの変化球をすくい上げるが、角度がつきすぎ三塁側へファウル。ファウルラインの白が、視界の端で何度も点滅する。三球目は外れてボール。ほんのわずかに肩を上下させ、呼吸を整える。

四球目――外角速球、ギリギリでカット。


(外角攻め……球筋を見切れるかどうかが勝負)


五球目、全身をしならせて打ち返す。打球は一・二塁間へ抜けるかと思われたが、わずかに切れてファウル。


(球威で押し込まれている……でも、押されながらも前へ飛ばす)


スパイクの裏には土がびっしりと貼りつき、握るグリップに汗が滲む。六球目、高めストレート。


(これが決め球……絶対に外せない)


押し込まれながらも、最後まで振り抜く。打球はセンター前かと思われた――だが、二塁手が土煙を上げて飛び込み、グラブの先で掴み取った。スリーアウト。ランナー二人、帰れずチェンジ。

滝川はベースを踏み越え、無言でバットを置く。顔色ひとつ変えずベンチへ戻るが、胸の奥で熱が暴れた。


(……届かなかった)


泥と汗で重くなったスパイクの感触が、悔しさをより鮮明にする。だが、その感情を氷の中に押し込み、ただ視線を前に向けた。


「……チャンスを生かしきれず、大変申し訳ありません。」


打席を終えた滝川一益が、静かに、しかし深く頭を下げた。その所作は、氷のように冷静な彼女からは想像もつかないほど真摯で、尾張ベンチに一瞬ざわめきが走る。


(……あの一益が、謝った……?)


普段は一言の弁明すらせず己の結果で示す彼女が、全員に向かって謝罪している――その光景に誰もが息を呑んだ。


「……ははっ……うん、大丈夫大丈夫、次はきっと繋がるって♪」


藤吉郎が、まるで世間話でもするかのような軽い声色でフォローする。滝川はわずかに頷き、無言のままベンチの隅に腰を下ろした。


一方、ベンチへ戻る途中の信盛は、ふくれっ面のままヘルメットを抱えている。


「えーっ? 私の今回の出番って、これだけ~? もう終わりぃ?」


その声に、隣でスパイクの紐を締めていた蜂須賀小六が、焦ったようにツッコむ。


「アホか!今、滝川はんが一生に一回レベルの謝罪しとるんやで!? 空気読まな!」


信盛は不満そうに肩をすくめつつも、小六の言葉にほんの少しだけ笑みを返した。

一方、A&Aベースボールクラブのベンチ。朝倉義景は腕を組み、視線を鋭くした。


「……お市の球、見極められ始めてないか?」


キャッチャー長政は笑みを浮かべ、「いえ、いい球きてますよ」と返す。だが心の奥では、その違和感が消えない。打者たちの目が、少しずつお市に慣れつつある――そんな予感が胸にひっかかっていた。

そして六回表、浅井・朝倉の攻撃が始まる。

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