25.妖精の一撃
前田利家の打球がバックスクリーンを叩いた直後。
2塁ベース上で拳を握る彼の背後から、次なる刺客がバットを携えて歩み出る。
松永久秀。
キャッチャーマスクを外し、ヘルメットにかぶり直した彼女は、
静かにバッターボックスへと入る。
そのちょこんとした小さい身体が、バットを大きく見せる
どこか浮世離れしたその空気―
「……さて。妖精さんの本気、見せちゃおうかのぅ♡」
自称・妖精。だが、その正体は“野球仙人”。
年齢不詳・実力未知。尾張の中でも、信長・勝家以外は誰も彼女の底を知らない。
さらに謎を知るは、浅井長政である。
ピッチャーお市がマウンドで腕を回しているマウンドで、
キャッチャーの浅井長政が駆け寄り、浅井長政がじっと久秀を見つめていた。
「……気をつけろ、お市。彼女は――打つぞ」
「? そうですか…噂ほどにはみえませんけどね。」
「そういう人なんだ。見た目では全く判断できない。とにかく慎重に行く。」
長政の声は真剣だった。
だが、お市の表情は変わらない。
「わかりました。でも、私は私の投球をするだけです」
お市、静かにセットポジションへ。
初球、内角低めへのストレート。しかし、久秀は動かない。
打席の中で悠然と立ち、ただ目で追うのみ。
「ふむ……良い球じゃな」
カウント、ストライク。
二球目――
外角への変化球。切れ味鋭く沈む。
これにも手を出さない。
「ふふ、なかなか。わし好みのクセ球じゃ……」
お市の眉がわずかに動く。
(何、この人……)
スタンドの騒めきが静まり返る。
――そして、三球目。
お市、インハイへ気味のストレート。勝負球。
ほんの一瞬の“打たれない”という慢心があった。
次の瞬間――
カキィィィィィィィンッ!!!
乾いた金属音が、夜空を裂いた。
打球はグングン伸び、ライトスタンドへ一直線。
そのままフェンスを超えて、ホームラン!!
場内が、一拍の沈黙の後に大爆発。
2ランホームラン――尾張、ついに同点!!
久秀は一塁を回りながら、ふと空を見上げてつぶやいた。
その口元には、悪戯な笑み。
二塁上の利家が呆気にとられたように笑う。
「マジかよ、久秀さん……難なく当てやがった……!」
三塁を回った久秀は、軽くステップを踏みながら、
ホームベースを踏むと、指で軽くハートマークを作って、ベンチに向けて掲げる。
「同点か……」
そして信長が、静かに拳を握る。
「……あのチビ、意味が分からない……」
光秀がベンチで肩で息をしながらつぶやく。
スコア、2対2。
ついに、尾張デビルズが並び立った。
――そして試合は、なおも続く。
尾張ベンチが歓声に沸き返る中――マウンド上のお市は、わずかに眉根を寄せた。
(……何だったの、今の打球)
投げたボールは決して悪くなかった。
コースも球威も、完璧だったはず。
それを、まるで“見えていた”かのように運ばれた。
だが――あの小さな背丈の“野球妖精”、松永久秀に、あまりにもあっさりとスタンドに運ばれた。
(ああいう人ってことね……。見えてる。私の球が)
お市は一度、小さく息を吐くと、呼吸を整える。動揺を封じ、次の打者に集中する。
胸の奥の動揺をかき消すように。
次打者――竹中半兵衛。
小柄で繊細なシルエットに、鋭く研がれた眼差し。
黙ってバットを握る姿に、どこか知性の光が滲む。
「さっきの本塁打で、たしかにリズムは乱れた……だが、戻ってきている。彼女は強い」
打席に立った半兵衛は、すでに分析を始めていた。
(セットポジションに入る際の肘の角度。重心のかけ方。前足の踏み込み。
この数球で、パターンは三つに絞れる)
お市がセットに入る。
――一球目。
外角低め、ズバッとストライク。
(……速い。けれど見切れる)
――二球目。
落ちる変化球。半兵衛、スイング――空振り。
「なるほど……緩急の差もある。練られている」
冷静な思考を巡らせながらも、バットを構え直す。
(これは“見せ球”の使い方。誘いに乗るわけにはいかない)
――三球目。
高めの速球、半兵衛はカットで逃がす。ファウル。
――四球目。
低めのボール球。見送ってボール。
――五球目。
インローを辛うじてカット。しぶとく粘る。
ベンチの信長は、腕を組んだまま、そのやり取りをじっと見つめていた。
六球目――
渾身のストレート、内角高め――!竹中半兵衛、踏み込む!
鋭いスイング――だが、
空振り――三振!!
「くっ……!」
お市は静かに拳を握る。
汗をひと筋、額から伝わせながらも、口元には自信の色が浮かんでいた。
「ふっ……。頭で分かっていても、打てないこともあるのよ」
ベンチへ戻る半兵衛は、悔しさを噛みしめながらも、薄く微笑む。
「……やはり、“データ通り”にはいかない」
彼女の中にある分析アルゴリズムが、静かに再構築を始める。
次の機会には、必ず――
理知の剣は、まだ鞘に納まったわけではない。
尾張デビルズのベンチに、ひときわ強い風が吹いたような気配が走る。
スコアは2対2。同点。
回は5回表に入り、試合は後半戦へ――
そのタイミングで、尾張ベンチが一つの決断を下していた。
「ここからは……我が役目だ」
静かに、しかし圧倒的な存在感とともに立ち上がる金髪ポニーテールの少女。
その手には、紅のグローブ。
明智光秀は無言で頷くと、スムーズに信長へボールを託す。
まるで、元からこの交代が運命であったかのように。
「……借りは、返す」
信長がマウンドへと歩み出ると、その一歩ごとに空気が変わる。
観客席がざわめき、相手ベンチの表情が引き締まる。
、
藤吉郎が「始まるよ、うちの革命エース!」と歓声を上げた。
浅井・朝倉ベンチでは、朝倉義景が静かに目を細める。
「来たか……織田信長」
その背中に、火が灯っている。
鬼神のごとく燃え立つ、異彩のエース。
織田信長――ここに、マウンドに立つ。
勝負はここからが本番だ。




