ダナガさんのリンジン
みんなのどこにでもありそうな日常系ホラーです
4話目は、ダナガさんのお話
25番
(隣にひとが来たんだ)
ダナガさんは、マンションの3Fを自室に向かって歩いていた。
駅前のスーパーで根菜が安かったので、今日はカレーにする予定だ。……先に、肉じゃがにしてからカレーにしようか?
そんなことを考えていて、ずっと空き部屋だった隣の305号室のドアに『商売繁盛』という文字とデフォルメされた柴犬の絵が描かれたマグネットが貼られている。
(うちと、おんなじだ)
その辺の百均で、ちょっと面白いかなって思って買ったものだ。
最近は引越ししても、近所の人にあいさつすることは殆どなくなった。かつては、両隣と上下の家に挨拶に行ったと言うけれど、そんな億劫だし何のためにするのか意味が分からない。
マンション内でも何度か見かける人がいれば、初めて見るという人もいる。
それだけのことだ。
その日の夕飯は、カレーにした。
何度もリメイクするのも手間だし、カレーは好きな方だからごはんやうどんやトーストやドリアにすれば充分に楽しめる。
炊きたての白米にカレーをかけて、最近お気に入りのクリームチーズを添えた。
翌日の帰り、305号室からほのかにカレーの香りが漂っている。
やっぱり同じスーパー使うと、こうなりがちだ と、思わず笑ってしまう。
うちも今日はまたカレーだ。
その日は朝から雨だった。普段は折り畳み傘で何とかしのぐけれど、ざぁざぁぶりでは仕方ない。
うんと前に隣駅のホームセンターで買った長傘を出した。水色の生地に、持ち手が透明で先がちょっと丸くなっているのが気に入っている。
マンションの敷地に入る前に、めいっぱい傘を降ったつもりだけど滴がぽたぽた垂れたまま廊下を歩く。
本当はいけないんだろうけど、廊下に置いておこうか。
こんな状態で玄関に入れたら、べしゃべしゃになってしまう。
と、305号室の窓に取り付けられたアルミの面格子に傘がぶら下がっているのが見えた。
それは、いい。
ここはあまり子供がいないし、他人のちょっとしたルール違反ならお互いに見て見ぬふりという雰囲気があって、よその家でもよく傘とか仮置きのゴミとか自転車とか置いてあることもある。
だが、その傘は。
水色の生地に、先が丸い透明の持ち手で……おもわずダナガさんは自分の持っている傘を確認してしまった。
同じ大きさ、同じ長さ、同じ色……同じ傘に見える。
──偶然、だろう。
たまたま、同じマンションの同じ日に同じフロアで同じ傘が2本あるというだけだ。
このマンションは横長で、正面玄関のあるロビー棟にエレベーターがあり、そこから1号室から順番に部屋が並んでおり、3室ごとに階段がある。
だが、駅からの道はロビー棟の反対側にあるのでダナガさんはじめ住民は10号室あたりの階段を使うことが多い。
本当は305号室の前を通らないようにした方が気にならないんだろうけど。
また別の日、散歩がてら夕飯の買い出しに行き、ベランダ側から帰って来た。
(そういえば、洗濯物しまったっけ)
ふと見上げる。
黄色いTシャツに緑のチェックのシャツに褪めた色のデニムに白いシャツ……。
ゆっくりと視線を動かす。
隣の部屋のベランダにも、まったく同じものが干してある。
黄色いTシャツに緑のチェックのシャツに褪めた色のデニムに白いシャツ……。
(どうして……)
こんな偶然なんて、あるのだろうか?
同じ生活圏で暮らしている場合、手持ちの服がかぶることは、もしかしたらあるかもしれない。
それでも、同じタイミングで洗濯をすることなんて……起こりえるだろうか?
また別の日、外出する気分にならなくてモバイルでタイ料理の注文をした。パッタイと海老春巻きが食べたかったのだ。
30分ほど待ったところで、通知があったのでワクワクしながらドアを開けた。
と、隣の玄関先が目に入ってしまった。
ダナガさんの家の前に置いてあるのと、ほぼほぼ同じものに見える。
(そんな筈はない)
なんとも言えない落ち着かない気分になって、気付けば305号室に置かれた袋の前に立っていた。
こわごわと屈みこんで、そっと袋に付いたレシートを見るとお気に入りのタイ料理店の名前と「パッタイ」「海老春巻き」という項目が並んでいる。
また別の日。
ゴミ収集日の朝。
生ごみを持って出かけようと鍵を開けたところで、束ねた雑誌があるのを思い出した。
ああいうのも早めに出しておかないと、どんどん溜まってしまうものだ。
取りに戻って、ふたたびドアを開けたところで305号室の前に、ひとつの塊があるのが目に入った。
よくある市販のゴミ用の袋ではなくて、ちょっと前に家具や日用品を総合的に扱うNITMOBIで毛布を買った時の袋だ。白く不透明な袋ではあるが、濃い色のものは透けて見えることもある。
……ダナガさんの出そうとした袋と、同じだ。
この地域は分別が大雑把なので、いろんなものを遠慮なく詰めており、今日は下の方に入れた古い茶色い洗面器とか上の方のトイレ掃除用スプレーの赤とかが、なんとなく見えた。
どうしてか、ダナガさんが仮置きしたものとまったく同じように。
また別の日。
出かける時に、鍵を抜き忘れてしまった。
駅に着いて、改札を通った瞬間に「あれ?」と思い出して慌てて戻った。
幸いなことに鍵穴に、ちょっとマニアックな人気のヘルメットをかぶった猫のキーホルダーが付いた鍵が刺さったままだった。
ホッとしながら、ふと隣家に目をやるとそこにも……。
ダナガさんはすっかり参ってしまった。
まだ、姿も見たことのない名前すら知らない305号室の隣人は、どういうつもりなんだろうか。
思い余って何度も会いに行ってみようかともした。
しかし、立ち上がりかけてから、何て言うべきなのか……しかも、初めて話す相手とどう話していいのか分からなくて、またソファに座り込む を繰り返した。
何かの被害を受けたわけではない。
真似しないでください?……何を?
気になるので引っ越してください?……どうして?
何かされたんですか?……何も
自意識過剰じゃないんですか?……そうかもしれません
外に出るのが怖くなってしまった。
ダナガさんはひたすら家の中で過ごし、ほんとにのっぴきならなくなった時だけ真夜中に深くフードを被って24時間営業の店に出かけて食料と日用品を買い込んだ。
そうして、どのくらいすぎた頃か。
ダナガさんは、また買い出しのために外に出た。
今日は、しばらく隣家を意識しないで過ごせたおかげかちょっと前向きな気分になってもいて、季節のアイスでも買おうか?ちょっと料理でもしようか……とあれこれ籠に入れる時も楽しくしていた。
大きな袋を抱えて部屋の前に帰りつく。
と。
ちょうど305号室のドアが閉まる瞬間だった。
視界の端に、大きな買い物袋が見えたような気がした。
──こんな時間に?
──あんな大量の買い物を?
──自分と同じ日に?
──同じ時間に?
そんなばかな
「もうやめて!!!!」
思わず叫んだダナガさんの耳に届いたのは、まったく同じ声だった。
このマンションには、ひそかに囁かれる噂があった。
「知ってる?
ここのマンション
ナニカがいるんだって
たまに声が聞こえたり
気配だけ感じることがあるんだって」
「特に305号室」
「303号室と305号室の間って
階段しかないのにね」
「幻の304号室があるって
言われてるんだよ」
「道理で引越しが多い」
「隣人は選べないからね」