因果はめぐる
「絶対嫌です!」
「リチャード。あなたは、このヘイワード王国の王太子なのですよ。婚姻の相手は選ばなければなりません。」
母に噛んで含むように言われる。
「血筋だの。身分だの。そんな物で私を縛らないで頂きたい!」
「あなたは、まだ子供なのよ。」
「いいえ、私はもう15です。学園を卒業し、準成人です。
来年・・と言っても後数ヶ月で成人です。自分の事は自分でわかっています。誰に何と言われようと私は私の選んだ女性を信じます。」
「信じると言っても・・・。」
母親は言葉を呑み込んだ。
はっきりと言うことは憚られたのだ。
リチャードが選んだ女性、リタ・ショームは男爵令嬢だ。
ただ、数年前は平民だった。
平民から貴族となった経緯は寡婦だったリタの母がショーム男爵と再婚したからだ。
ショーム男爵令嬢となったリタはリチャードと同じ王立学園に入学し、持ち前の美貌や話術で周りを魅了した。
周りにはリチャードも含まれる。
学業もソコソコ優秀で、ボランティア活動なども率先して行い、品行方正に見えた。
だから、リタとリチャードが仲を深めるのも放置していた。
この国では自由恋愛が尊ばれている。
愛し、愛された者同士が交際するのが良い。
合う相手を見つける為に、多くの人と交流することが良いとされる風潮があった。
もちろん、王太子であるリチャードの相手はそれなりの相手がいた。
公爵令嬢エリザベスがリチャードの婚約者として選ばれている。
リタが現れる前まではエリザベスとリチャードの仲は良いように見えた。
そのまま二人が仲を深めてくれれば、母と父王のように真に思い合った次代が誕生するのだと思っていた。
その為にはエリザベスには上手に立ち回ってもらいたかった。
リタがいなくとも、エリザベスの恋敵はこの先、何人も現れると思われた。
リチャードは母の目から見ても、魅力的だった。
金髪を長く伸ばし、緩く一つで纏めただけの無頓着な髪型でもその美貌は損なわれる事がない。
母譲りの整った顔立ち、父譲りの体格。
立っているだけで令嬢達に溜息をつかせる魅力を持っていた。
そんなリチャードの妻となるべく、エリザベスには頑張ってもらいたい。
今後、平民出の男爵令嬢一人躱せないようでは未来の国母は務まらない。
そんな考えもあった。
数ヶ月後、結果は出た。
リチャードが、エリザベスを断罪したのだ。
リタ嬢に対する、虐め・誹謗・中傷。
その他。
リタは心に深い傷を負っている。
未来の国母たる女性がそのような狭量な人物とは認められない。
そう非難した。
貴族社会で婚約者に周知の元、辱められたエリザベスは社会的に死んだのも同然だ。
しかし調べてみれば、エリザベスがしたのは婚約者として上位貴族として当然の行動だった。
確かにエリザベスの行動には婚約者のリチャードと仲良くすることへの嫉妬もあったかもしれない。
エリザベスの気持ちを勝手に汲んだ取り巻きに囲まれ糾弾されることもあったようだ。
“身を引け。”
などの手紙を受け取る事も。
それらの事や、貴族令嬢に囲まれて厭味を言われる事が“命の危険を感じる暴力”に値するかどうかは個人の感性によるだろう。
恐らくリタ自身は平気だったのでは無いだろうか。
調べによるとリタは、それらの事を上手く使ってリチャードを始めとする男子の心を掴んだからだ。
それに、リタが平民であった時、平民学校ではリタが虐めをしていたという証言もあったのだ。
幼い頃のリタは気が強く、自分より少しでも秀でている者を見ると攻撃したらしい。
虐められた子の中には、外に出られなくなった者もいた。
平民で外に出て働けないと言うことは生きていけないと言うことだ。そのまま、年の離れた小金持ちの男の元に幼妻として引き取られていったらしい。
経緯を、更に調べると、男爵と結婚しようと話が進んでいたのはリタの母では無く、リタだった。
虐められ、幼妻として何処かへ嫁がされた子の件があって以来、裕福で無い家庭で口減らし的に子供を嫁がせることが流行った。
口利きをする業者が出てきたと言うこともある。
幼妻を娶る是非はともかく、貧しさを脱出するには手っ取り早い方法だったのだろう。
案外需要があったようだ。
そのブームに乗ったのかリタも良い条件の所を探して欲しいと依頼を出し、結果、ショーム男爵と縁づいたらしい。
当初はリタとの結婚だったはずの話が、時が経つにつれ、母親との結婚となり、リタは娘と戸籍には記されていた。
巧妙に隠されていたが、戸籍には改竄された形跡もあった。
つまり、リタは義父であるショーム男爵の妻でもあったはずなのだ。
王宮の手の者が調べると、幾らでもリタの疑惑が湧き上がった。
更には学園での虐めは、リタの方が余程卑劣な行動をしていた事も判明した。
気の弱い令嬢を脅したり、金銭的に困窮している家の子供に手を回してエリザベスを追い詰めさせていたのだ。
エリザベスの名を騙ってリタを虐めているという演技をさせたりもしていた。
全くもって、用意周到。
そんな現実を以て、リチャードを説得したが全くリチャードは聞く耳を持たない。
「リタは私の運命の相手だ。比翼の鳥、連理の枝。昼は太陽のように私を温かく成長を見守り、夜道では私を照らす月の光のようだ。私の人生を照らす消えない光。その光を無くして生きてはいけない。」
などと、何処かの本で読んだような台詞をウットリと恥ずかしげも無く親に言ってきた。
更には
「彼女無しの人生など私には意味が無い。彼女がいなければ私は生きていけない。」
と、まで言い切ったのだ。
熱弁を振るうリチャードに母は失望した気持ちを隠しもしない視線を送った。
「反対されても私は意志を貫きます。」
「貫くことで自分の立場が揺らいだとしてもですか?」
「どういう意味ですか?」
「リタ嬢は色々な経歴があります。既に報告は届いているでしょう?」
「あんなの。リタへの偏向調査ですよ。本当のリタはそんなことしない。不愉快な情報に惑わされてリタを貶めないで下さい。私はリタを信じています。リタと一緒にいればそんな人では無いとわかります。あの人の素晴らしさは私が保証します。」
「それを周囲が信じると?」
「その周りの声こそが問題なのです!無責任な噂や、嫉妬による嫌がらせでリタは弱っています。それでも堪えて学園に通う彼女の真摯な姿!」
また熱弁が始まりそうな気配を母は遮った。
「ですが、色々証拠があがっています。冷静に、周囲の声に耳を傾けるのも上に立つ者としての責務ですよ。リタへの評判は良くない事までは理解しているのでしょう?どうしてそうなったのかまでは考えが及びませんか?恐らく各家でも独自に調査をし同じような調査結果を得ているのでしょう。そんなリタ嬢を伴侶としようとは王太子たる立場や、王になる責務を考えればそんな選択は取れないはずです。」
「責務?またそれですか?もうウンザリです!私は、私の責務を十分な程果たしてきました。生まれた時から王子として見られ、王子としてしか扱われない。私自身が努力したことも、王子だから当然として評価もされない。真にやりたいこと、したいことがあっても危険だからと言って制限される。友人ですらそうです。何もかもが制限された・・・そうだ。私はずっと咎人のようだと思っていました。精神的な拘束。私は私の精神の自由を求める。人間に与えられた当然の権利です。」
「あなたは王太子なのですよ。そのような道理が通る訳がない。」
「私は王子に生まれたかった訳ではありません。」
「リチャード。」
「それでもこの国のためと思い耐えてきました。退屈な公務。窮屈な儀式・・・。只管立ち続け、お辞儀の角度まで決まって・・・何もかもが馬鹿馬鹿しい。リタはそういう事も教えてくれたのです。いかに馬鹿馬鹿しく理不尽な事を私は強いられて来たのか。リタは私に充分耐えたと、頑張ってきたと初めて労ってくれたのです。私が私であると、私個人を認めてくれたのです。」
「・・・・。」
母はリチャードの言う言葉に呆れた。
自分の子供がこんなに浅慮であったとは。
いや、初めての恋に完全に目が曇ってしまっている。
「リチャード。あなたは、リタ嬢を選ぶと言うことは、王太子たる立場を捨てることになるかもしれないのですよ。」
既に、貴族達からは陳情が上がっている。
かなりの数だ。
リタの振る舞いに対する物が大多数だが、それを助長するリチャードへの苦情も含まれる。
それは、徐々にリチャードへの苦情となり、手を打たない王家への苦情も増えてきた。
王家とは言え、貴族に支えられているのだ。
その下の国民に支えられている。
蔑ろにするような事をして無事でいられる訳もない。
どのように舵取りをして、国を運営していくのか。
常に見られ、評価され、足下を狙われている。
過去にも、失政で失脚した貴族や、王はいる。
どの国でもあることだ。
リチャードには、もちろんそのような教育はされている。
優秀な成績を修めてはいた。
だが、それを自分の事として捉えられるか。
その感覚が欠けているのだろう。
宥めるように告げた言葉にリチャードは
「リタの事を認めて貰えないのなら、王太子の資格など要りません。貴族でなくなっても構いません。平民として二人で生き、二人の真実の愛を貫きます。二人でいられれば、もう他に何も要りません。」
と、言い切った。
何と愚かなのだろう。
母は絶句した。
その後も言葉を尽くした。
市井に降りた元王族など、格好の餌食だと。
他国に狙われるかもしれない。
収入もどうやって得るのか。
だが、その言葉を全て聞き入れる前にリチャードは
「話にならない!」
と、言って部屋から出て行ってしまった。
開け放した戸を母は呆然と見ることしか出来なかった。
扉を自分で閉めることすら出来ない、箱入りだ。
平民となって暮らすなど到底無理だろう。
リチャードは走り、走って王宮の奥まで辿りついた。
そこは正妃の住む間だった。
実はリチャードの母は正妃では無い。
側妃だ。
リチャードの母は公爵家の娘で幼い頃からの婚約者であった。
だが、長く小競り合いが続いていた隣国から和平の証として王女が嫁いできて正妃となった。
隣国の王女。
更には、仲の良い婚約者を差し置いて正妃の座に納まったこと。
等などがあり、この国では冷遇されている。
正妃様。
と、口では言われているが、奥宮に籠もるように生活している。
時々、隣国の使者が訪れる時などに儀式に参加する程度で、表に出てこない。
いや、出てこさせられない。
そんな扱いをされていても正妃様は何も言わずただ粛々と生活されている。
子供の頃、何度か王宮内の探索をしたリチャードは当然のように奥宮にも出かけていった。そこで正妃様と会い、時々話を聞いてもらうような関係になっていた。
家族では無い。
だが、王族としての辛さに共感してもらえ、優しい言葉をかけてくれる正妃様にリチャードは心を許していた。
「また、ここまで来たのですか?」
穏やかな優しい声。
「余り、ここには来ないようにとお伝えしたはずですよ。困った人ですね。」
咎めるような事を言いながらも正妃様は自分を拒みはしないとリチャードは解っていた。
「はい。困った王子なんです。私は。」
堂々と言うとクスクスと笑う声がする。
「もう、大人になられるのに。こんな行動は慎まないと・・。」
「いいんです。私は慎みの無い王子なんです。」
「まぁ。」
ついに正妃様は声を上げて笑った。
「また、慎みの無い話を私に聞かせようということかしら。次代であらせられるのに。」
「あぁ、今、お説教から逃げてきた所なのに。また此所でも聞かされるなんて、なんて私は不幸なんだ。」
まるで台詞のような言い回しで、茶化しながらリチャードは自分の思いを吐露した。
リタへの思い。
自分の立場。
自由が無く、全てを強請される事への苦痛を。
「私は傀儡なのです。腕が痛くとも手を上げ続けて、国民に手を振らねばならない。お腹が空いていなくとも、献上物を食べなくてはならない。もうウンザリなのです。いっそこの国から出たいとすら思います。」
「まぁ、そこまで思い詰めていらっしゃるの?」
「そうなんです!」
「でしたら、そこまでお考えなのでしたら、一度、留学などされたら如何です?」
「留学?」
「そこで、外の世界を見て、ご自分で生活できるかを見極めてみるのも良いかもしれませんんわ。」
「いや、そんな事したら、リタがどんな目にあわされるか。」
「ふふっ。ちゃんとお話を聞いてらっしゃいました?留学と言いましたのよ。」
「えぇ、聞いてましたよ。」
正妃は扇で口元を隠した。
だが、目元はしっかりと笑っている。
「はっきりと申し上げるのは憚られますので、想像して下さいませ。留学の際、お一人では行かれないでしょう?どなたか側仕えか、相談役をお連れになる・・・。人選はいかようにも。他国に行けば、国内よりも人の目は少なくなるでしょう?そこで・・・・。」
目配せをされてリチャードはようやく解った。
「あっ。なるほど。そういうことですか。」
「ご希望なら、私の生家にも伝えておきますわ。よくよくお考えになって。」
目配せを受け、リチャードは頷いた。
正妃様の後ろ盾があれば動きやすい。
しかし、本当に良いのだろうか。
そんな気持ちもあった。
だが、自分の宮に戻れば一瞬湧き上がった不安はすぐ消えた。
会う人会う人がリタ嬢への苦情・リチャードへの苦言を訴えてくるのだ。
更には会うのを阻止しようとまでされる。
リタからはこっそりと手紙が届いた。
周りの目が怖い。
脅迫状が来る。
助けて。
どの手紙もリタの切羽詰まった気持ちを伝えてきた。
いや、実際に書かれていることがされているのならば命の危機もあるだろう。
このままではリタが殺されてしまう。
リチャードは胸が押しつぶされそうだった。
ただ自分が王太子だというだけで、好きな相手にこんな思いをさせてしまう。
ただ、自分は好きな人と一緒にいたいだけなのに。
それだけの事が叶わない。
好きな人と愛を育みたい。
それは自然な、当然な権利のはずだった。
市井にあれば誰でも得られるはずの権利が、この国の王子というだけで叶えられない。
王族と言うだけで叶えられない。
正妃はこの国に政略的に嫁がされた。
生母は愛されてはいるかもしれないが側妃としての立場に甘んじるしか無い。
何とも不便な、理不尽な立場だ。
自分はこんなにも私情を殺して国に尽くしてきたというのに。
もう十分ではないだろうか。
自分は、自分のこの手は愛する人を守る為の物だ。
見も知らない人に手を振ったりする物では無い。
思いあまったリチャードは周囲の反対を押し切ってリタを自分の宮に迎え入れた。
自分の馬車を使わせて、リタは王太子の大事な人なのだと知らしめてやった。
当然、反対は激しかった。
上からの指示なのか、メイド達はリチャードの世話はするのに、リタの事は何もしようとしない。
リタの為に衣服を用意しようとするも、業者も来ない。
リチャードのいる宮にまで脅迫状めいた手紙が届くようになった。
ここも無事では無いとリチャードは思い知った。
あんなに、自分の事を大事だと言っていた従僕達ですら、リタの事に関してはリチャードの命令を聞かない。
リタを大事にしないこんな国にはいられない。
リチャードはリタの手を携え、人目につかないよう正妃の宮に赴いた。
そして、自分の気持ちを訴えた。
留学なんて待っていられない。
早急に此所を出たい。
愛する人を守りたい。
隣国へ行きたい。
そう告げた。
正妃は困ったように眉根を寄せると、
「そんなに思われて幸せですわね。では、これを。」
と、言って包みを渡してくれた。
隣国の通行証と、隣国の通貨だった。
「抜け道はご存じですわね。」
囁かれてリチャードは頷いた。
「行こう。」
リチャードはリタの手を取った。
「えっ?今?でも怖い。」
リタは急に及び腰になったようだ。
「大丈夫だ。私がいる。」
「だって、どうやって生活するの?」
「愛があれば何とでもなる。君も常々そう言っていたじゃないか。」
「そうだけど。」
「正妃様が隣国へ話をつけてくれている。」
「でも、そこで生活できるかなんて・・お金だって足らないわよ。」
ボソボソと話す二人に正妃が話しかける。
「心配なのは当然ですわ。それだけでは心許ないですものね。これをお持ちになって。」
差し出したのは身につけていたアクセサリーだ。
イヤリング、ネックスレス、ブレスレット、指輪。
大ぶりな石が、見事な細工で上品に加工されている。
この国の特産品だ。
「ありがとうございます!」
先ほどの心配そうな声とは別にリタが嬉しそうに受け取った。
「時間がありませんわ。」
正妃の言葉に、リチャードは改めてリタの手を取った。
今度はリタもその手を握り返した。
正妃の手配によって変装して二人は笑顔で奥宮から出て行く。
その二人の後ろ姿を見届け、正妃は笑った。
いつもの穏やかな笑みとは違う何処か凄みのある笑みだった。
果たして数日後。
リチャードは王宮に戻ってきた。
捕らえられて。
たった一人で。
隣国との検問所で、正妃が渡してくれた通行証は全く効果の無い物だった。
10年ほど前のものらしい。
偽造通行証だと言われ、取り調べられてしまった。
変装していたのに、自分が王子だと身分を明かす羽目になった。
だが、誰にも信じてもらえない。
正妃の用意した変装がとても巧妙だったからだ。
髪を切り、色を変え、眉も、睫の色も変えた。
それだけでも大分印象が変わった。
普段、王族と関わりの無い、国境で働く彼らには判別はつかないくらいには。
更に、リチャード達は、持っていたものが悪かった。
換金性の悪い金貨ばかり詰まった袋。
正妃からもらったアクセサリー類。
更に、隣国への密通書が忍ばせられていた。
全く身に覚えの無い二人は弁明した。
当然、聞いては貰えなかった。
怪しい平民への順当な尋問が行われた。
先に音を上げたのはリタだった。
何とか楽になりたい一心でリチャードを売った。
リチャードに唆されて、同行しただけだと。
更に、リタは自分の魅力を最大限駆使して、駐屯所の係官達を籠絡していった。
結果、その場でリチャードは処刑される事となった。
リチャードはリタに裏切られた事を知って絶望した。
絶望するリチャードに
“隣国のスパイ疑惑による処刑を行う。”
と係官は告げた。
それだけで、処刑されるという命の軽さにリチャードは憤った。
この国には司法制度がある。
自分には裁判を受ける権利がある。
だが、係官達は鼻で笑った。
この検問所では自分たちこそが法である。
そう言ってリチャードの首に剣を当てた。
どう始末をつけるか。
縛り首か、はたまた斬首か。
そう、笑いながら相談するのをリチャードは震えながら聞いていた。
木で出来た柵の中に見せしめのように閉じ込められ、検問を通る人達からは侮蔑の視線を投げかけられる。
実際に石を投げてきた者もいた。
リチャードは今までこんな扱いを受けたことは無かった。
「下手打ったなぁ。」
柵の横に立つ見張りが独り言のように話しかけてきた。
「お前、良いところのボンボンだろう?」
「何故、そう思う?」
「そのしゃべり方だよ。あと、綺麗な手。手の皮なんて薄っぺらいし、日焼けしてない女みたいな顔。女と言えば、アレに騙されたんだろう?わかってるよ。役者が違うもんなぁ。騙されてコロッといったんだろ。あぁいう自分が一番大事なのはすぐ掌返すからな。解りやすいよ。助けてやるって言ったら、ペラペラ喋るし、股は開くし色々な所がユルユルなんだよな。まっ、開いてくれたら頂くけどさ。お前はまだ味見すらさせてもらってなかったんだろう。気の毒だな。」
絶句するリチャードに見張りは軽く首を振った。
「あの女は先に処刑されたよ。お前の事を王子だって言ったり、あの宝石を正妃様からもらったとか虚言癖が酷すぎた。最後は有益な情報が得られないってコレだ。」
見張りは剣に見立てた手を首に当て引く仕草をした。
「既に・・処刑だと?!!」
「あのなぁ。スパイ容疑のヤツがそんなに簡単に許される訳ないだろ。だけど、お前も、許されることはないんだ。権利がどうとか賢いこと言ってたけど、ここでは、国を守るために怪しい者は全て処罰することになってる。見せしめもあるんだ。中央では裁判とかまだるっこしいことやってる余裕はあるかもしれないけどさ、ここは国境だ。何かがあったらすぐ戦争になる場所なんだ。あっちの国でも同じことをしている。怪しければすぐ処刑する。そういう処罰が下せるって言うのを見せつけないとなめられる。それがここの当たり前なんだ。」
「そんな、乱暴な事が許されるのか。」
「乱暴か・・。戦争になったら、もっと乱暴な事が起きる。」
「だからと言って何しても許される訳ではない。間違えて持ち込む者もいるかもしれないではないか。」
「だからさ。ここでそんな思いをしたくなければ、この前の確認所に寄ればいいんだ。
そこで身分と荷物の確認をして国から証明を受ければ良い。そうすれば、あんな古い通行証も教えてくれただろう。期限切れくらいなら大目に見てもらえる。密通書だって、あからさますぎる。ちゃんと正規の手続きを踏めば、お前が望むように中央に送られて裁判だって受けられただろうになぁ。」
「確認所?」
「まさか知らないって言わないだろう?無関係なヤツの荷物に密輸入物や、密通書を紛れ込ませる事件が続いたから設置された機関だ。この国の住人なら常識だろう?」
「そんな・・。それは。」
リチャードも知識としては知っていた。
他国へ赴いた事もある。
だが、一度としてそんな手続きはしたことはなかった。
そういう立場ではなかったからだ。
「確認所を通ってない事で、検問所での目は更に厳しくなる。お前は確認所を使わない愚かな人間という広告塔として数日このまま晒されて、それから処刑となるだろう。悪く思うなよ。恨むなら不勉強な自分を恨めよ。」
その言葉にリチャードは打ちのめされた。
誰よりも勉強していたはずだった。
だが、全ては机上の論理だったのだ。
そして、翌日。
リチャードはさらし者にも処刑もされなかった。
中央からリチャード捜索のお触れが回ったのだ。
即刻、面通しが行われ、リチャードは王太子として身分を証明してもらい王宮へ戻ることができた。
だが、リチャードの逃亡。
更には隣国と通じていた疑惑は知れ渡っていた。
噂をかき消そうとして、消すことはできず、結局、廃嫡され、幽閉されることとなった。
リチャードは学び理解していたのだが、理解しきれていなかった。
20年前まで隣国と戦争状態であったこと。
今も火種は燻っていること。
特に、国境辺りでは常に戦時に備えていること。
を。
また知らなかった事もあった。
ヘイワード国が辛勝した結果、人質のように王女が正妃として嫁いできたこと。
正妃とはなるが白い結婚であり、子は生さず、政治には口出し手出しをしないこと。
等が約束されていたこと。
正妃が身につけていたアクセサリ類は元々、王女であった頃の正妃の所領の鉱山の物だった。
国境近くのその所領は王女が嫁ぐ際に貢ぎ物、いや、賠償金代わりにヘイワード国の物となっていた。
その所領で取れた鉱山、その所領で加工されたアクセサリ類は高く取引され、ヘイワード国を富ませた。
ヘイワード王国を彩った。
各貴族が身につける、元は自分の所領のアクセサリ類。
それを、どのように正妃が思っていたのか。
その本音をリチャードは幽閉先で知ることが出来た。
いや、知らされた。
愚かな王太子に母は悔いるように告げた。
今回の顛末は正妃の謀に気づけなかった自分たちの落ち度だったと。
正妃はリタだけでは無く、他にも数人の女性をリチャードに嗾けていた気配があった。
ただ、気配というだけで全く証拠は残っていない。
リチャードに沢山の出会いを用意したかったとの言い逃れが許される程の証拠しか得られなかった。
母は更に告げた。
正妃が自害したと。
本来、リチャードの逃亡を助けたこと、古い通行証を渡し、密書を荷物の中に忍ばせたことで正妃を取り調べるはずだった。
だが、当初王宮はリチャードの逃亡と正妃の繋がりを把握していなかった。
元々正妃は、奥宮でひっそりと暮らしていた。
何年も、何年も。
自分では何もできない、無害な人間だと、周囲に示してきた。
段々、この国では王妃を蔑ろにしていった。
ここ数年では、王妃の元で働く人は、極少人数になっていた。
定期的に掃除をこなす人と、食堂に食事を運び込むだけの人だけしか出入りしていない。
王妃の居住区域には人がいない時間の方が多かった、
だからリチャードが出入りしていても、気づかれなかったのだ。
王宮の調査が正妃の元に伸びた時、正妃は毒を呷り死亡していた。
誰もいない部屋の中、ベッドに横たわる正妃はすっかり冷たくなっていた。
何も喋らない、喋れない正妃は部屋に遺書を残していた。
王太子殿下が、真実の愛を貫くための逃避行の手段として私に協力を求めた。
この国との友好を考えれば断るべきであるが、私は無力で、言われるままに全てを差し出した。二国の友好の為に嫁いで来た自分が二国に争いの種を芽吹かせる手伝いをしてしまった。
本来の役目を果たせなかった責務を感じ、命を持って償う。
要約すればそれだけの内容だった。
だが、貴族独特の言い回し、奥に含まれた意味に側妃は、そして王は戦慄した。
“真実の愛は、国をも脅かす。”
そう正妃が笑う姿が目に浮かぶようだった。
元々、正妃には国に思う婚約者がいた。
だが先の戦争で死亡した。
更に、賠償金代わりに、この国に嫁ぐ羽目になった。
婚約者と共に過ごすはずだった所領を携えて。
お飾りの妻、名ばかり正妃となる為にこの国に来た時、正妃はリチャードと同じ年の15才だった。
美しくはあったが、御飾りであることがわかっている。
更に恨まれている隣国出身の正妃。
冷遇され、そのまま20年もの月日が経った。
その間、正妃は、盟約通り、形ばかりの正妃の役をこなした。
何も言わず、何も行わず。
ただ、正妃という名前のサンドバッグを務めた。
こうなることが解っていたため、当初、講和を結ぶ際に、お飾りの妻と言う立場に隣国は難色を示した。
戦争の責を王女に負わせず、せめて妻として遇して欲しいと。
だが、ヘイワード国の王太子、今の王は、
「責務を果たすことが王族に連なる者の役目だ。それに、子でも生したら新たな争いの火種になりかねない。」
と、譲らなかった。
隣国の王女との子が出来れば政争の元になりかねないという懸念もあった。
しかし、それよりも本来なら愛する婚約者の物である正妃の座を譲ってやる。
名を譲るのだから実は譲れない。
と、いう気持ちもあった。
両国譲らないかと思われたが、王女がその話を呑んだ。
どこからか話を聞いたらしい王女みずから議場へ現れ、頭を垂れて言ったのだ。
ヘイワード国の使者や王太子の仰る通りだと。
「王女と生まれた以上、私も自分の役割は解っております。私のこの身一つで、講和が成るのであれば喜んで身を捧げましょう。」
そう殊勝に王女自らが引いたことにより講和はトントン拍子に進んだ。
ただ単にヘイワード国はそれ以上の要求を通すことが難しくなった。
本来、もっと多くの賠償金や、有益な物を引き出せただろうに、負い目を突かれて出来なくなってしまったのだ。
それ程に、王女、現正妃のその時の佇まいは儚げだった。
それ以上に両国の友好に身を捧げたいという真摯な思いが人の心を打ったのだった。
だが、ヘイワード国の国民はそれで納得できる物ではない。
戦勝国として、より多くの賠償金、そして、何かを手に入れたかった。
それ程に戦争の傷跡は人の心を深く傷つけていた。
議場で、隣国に譲歩した事を国民に気取られないよう情報は統制された。
隣国から正妃を娶ると言う事はそれ程取り沙汰されず、輿入れはひっそりと行われた。
それを隠すように、側妃の輿入れは国を挙げて盛大に行われた。
国民は側妃こそが正妃だと思う程だった。
更に王と側妃の恋愛は持て囃さた。
歌劇で、小説で、人形劇で。
様々な形で二人の恋愛は美化され、形を変えて人々に広められた。
ヘイワード国の、愛を尊ぶと言う風潮はそこから生まれた。
仲の良い王と側妃。
愛を一心に受ける王太子。
その教育を受けた王太子が恋愛に溺れるのは自然の流れだろう。
親のしたことを踏襲したとも言える。
それを止めようとする、王と側妃を正妃はどのように思っていたのだろうか。
あざ笑っていたのだろうか。
今となってはわからない。
ただ、王である自分の立場を、国益を考えず、恋愛を至上とした実践者であるはずの側妃と王は、子供の恋愛には協力しなかった。
国益の為に嫁いできた正妃だけが手助けした。
その事実だけが残った。
何をどうしたのか、事の顛末は国中に知らされた。
何処からか新聞に情報が漏れたのだ。
正妃を御飾りの妃として迎える事から全て詳らかにされた王と側妃の人気は地に落ちた。
更に、正妃を自死に追い込んだとして隣国から猛抗議がきた。
正妃への冷遇が明らかになり、身柄と共に所領を返すようにとの訴えをヘイワード国は何とか躱そうとした。
だが、国中が知っているのだ。
この所、正妃への同情が高まり所領を返すべきだという意見すら上がっている。
王は頭を抱えた。
この問題をどのように処理して良いのか全く解決策が浮かばない。
脳裏には、あの時儚げな雰囲気を漂わせ、「役目を果たします。」と、告げた正妃の姿が浮かぶ。
続けて浮かぶのは、ベッドの上で冷たくなった姿だ。
その顔には笑顔が浮かんでいた。
正妃として、隣国の王女としての責務を果たしきった穏やかな笑みが。
その笑みが今も問いかけているのだ。
あなたは、如何ですか?
と。
自分の役目を果たせましたか?
と。