何も知らない
翌朝、再びドアを叩く音に目を覚ます。
――・・・また誰かに起こされた
――もう少し寝かせてくれてもいいじゃないか・・・
そんなことを心の中で愚痴りながらぼんやりと天井を眺めていたが、突如ハッとして体を起こす。
「クウ・・・!」
彼女が昨日の朝、一時的とはいえいなくなったことを思いだして、慌てて階段を駆け上がる。誰が尋ねてきたかなど今はどうでもいいことだ。飛び込むようにしてベッドを覗き込むが、そこに彼女の姿は無かった。奇妙なことに毛布も無い。
――しまった!
――またどこかに!?
飛び降りるようにして階段を降りようとしたが、ふとベッドのそばのカーテンが風にはためいていることに気づいた。
――閉めたはずだぞ・・・
――まさかあそこからどこかに!?
ベランダに出入りできる窓に走ると、ベランダで毛布を羽織ったクウが朝焼けの空を物静かに見つめていた。気配に気づいたのか、シヴァに顔を向けるクウ。彼女のその顔はシヴァのもとが自分の居場所だと、受け入れるかのような表情を浮かべていた。
「・・・そこは冷える。中に入ろう」
怒るわけでも、過度に親身になるわけでもなく、シヴァは自分から距離を詰め過ぎないように、その場からそっと手を差し出した。少しでもクウにとってここを安心できる場にしようと思って。
また少しだけ成長したその体で、クウはニコッと笑うとシヴァの手を取って家の中に入って来た。よく見ると昨日着せたシヴァの服はもうパツパツである。大きめに作られていたワンピースは成長に合わせて作られていたのだろうか。
そんなクウの頭をそっと撫でていると、「は、入りますよ?」という声と共に戸を開ける音がした。自信なさげな声音から判断してきっとレンだろう。
二階から降りると、律儀に玄関で待っていたレンがシヴァを見て緊張した顔をほころばせた。
「ああ、シヴァさんいるじゃないですか」
「レン、今日はちゃんと起きていたさ」
少し偉そうに胸を張るシヴァに、「イヤイヤ、どう見ても寝てましたよね?」と突っ込みながらレンは続けた。
「キングさんとラズさんから言われたんですが、今日の、というか今日から哨戒はしばらく出なくていいそうです」
「出なくていいって、そしたら」
「僕が戦います。じ、自信はないですが、いつまでも上からシヴァさんたちを眺めているわけにもいきませんし・・・」
少し自信なさげに、だがはっきりとレンが言った。見習いということで、ようやくカヤックに乗ることまでは認められたが、まだ実際に自分がカヤックを乗りこなして戦闘を行ったことは無い。
シヴァは少し心配な気持ちになったが、しかしそれで彼を止めても、それは失礼な話である。レンも見習いとはいえ防人の一人だ。
となればやることは一つだ。シヴァは頭につけた兄の形見のゴーグルを外すと、レンに押し付けた。
「こ、コレ・・・う、受け取れないですよ!シヴァさんが肌身離さず持ち歩いているものなんて・・・!」
「返しに来いよ」
ニッと白い歯を見せて笑うと、反論の隙を与えず「行った行った」とレンの背を押した。
彼は逡巡した様子であったが、「ありがとうございます!必ず返しに!」と頭を下げてタタタと走って去って行った。
彼の背を見送ってから、シヴァは背後に佇んだクウに目を向けた。欠伸をかみ殺しながら、器用にお腹を鳴らす。
「さっ、朝ごはんにするか」
◇ ◇ ◇ ◇
適当な朝食を済ませた後、シヴァは10歳ほどにまで成長したクウを連れて、少し離れた畑の方へ出向いてみることにした。メリーが管理している畑で、良かったら遊びに来てと声をかけられていた。クウももう遠慮することなくシヴァの手を握ってついてきた。
「あらお早う、シヴァと・・・」
「クウだ。昨日名前を教えてくれた」
メリーはクウが来てくれるかどうか気になっていたようだったが、シヴァとともに訪れてくれたことに嬉しそうだった。クウも少しは慣れたのか、昨日程警戒はせず屈託のない笑みを浮かべている。
「イモの収穫を手伝ってくれたら嬉しいわ。この畝とこっちの畝ね」
メリーの指示のもと軍手とイモを入れる籠を手に、シナシナに枯れた茎が一定間隔で植わっている畝をクウとともに掘り起こす。
シャベルで掘るとイモを傷つけてしまうため手で柔らかい土を掘り起こすのだが、意外と奥の方まで根が伸びており、まさに根気のいる作業である。こぶし大のイモをボロボロと掘り出していると、すぐに籠がいっぱいになってしまった。
クウもしばらくは熱心にイモを掘っていたが、取って籠に入れてまた取って籠に入れて・・・という単純作業に飽きてしまったようだった。
「クウ、コグル、ルー」
道に生えた大きな樹の下を指さして駆けだすクウに、シヴァもその背に声を上げた。
「ん?あの辺で遊ぶのか?あまり離れるなよ!」
防人として生計を立てているシヴァにとって、普段する機会の無い畑仕事が新鮮で、蝶を追いかけ始めたクウに時折目をやりながらも、一心不乱に掘り出していた。勿論イモを掘るのが楽しいというのもあるのだが、カヤックに乗っていてはできない、黙々と作業しながら考え事に没頭できることが良かった。
――何故生きているのか、何故龍と戦うのか
――そもそもなんで龍はボクらを襲うのだろう
――龍とは一体何だ?神がボクらに与えた乗り越えるべき試練なのか?
――・・・ボクは何も知らないんだな
――知らないまま、ここまで一つの感情を頼りに生きて、そして戦い続けてきた・・・
気づくと畝のイモを掘り終え、日も南の方向にずいぶん高く上がっていた。
額に掻いた汗を拭っていると、クウとなにやら楽し気に会話――と言ってもクウに対してメリーは首を傾げていることが多かったが――していたメリーが駆け寄ってきた。
「ねぇ、シヴァ!良かったらお昼ここで食べない?クウちゃんと三人で」
メリーとクウはだいぶ仲良くなったようで、クウもメリーの後ろから「パー」とパンを求める声を上げる。
「いいのか?あまり邪魔になるのも・・・」
「いいのよ!私、サンドウィッチか何か作ってくるわ」
スキップ混じりに町の方へと帰ってゆくメリーを見送って、シヴァも泥を払うと花を眺めるクウに寄って行った。
「綺麗な花だな」
「ダーウダウク!」
何やら嬉しそうである。普段見ることの無い、田園の風景と平和な少女の微笑みに、シヴァは心の中で何か満たされるものがあった。
――・・・そうか
――防人の中にはこうした光景を守るために戦っている人もいるんだろう
――ボクは何かのためじゃない。ただ憎しみで戦っていた・・・
――ボクも、ボク自身が生きる、戦う理由を見つけないといけないんだ
不思議とそう思っても、いつもは湧きあがる焦りが生まれてこなかった。自分の現状を受け入れ、目的をはっきりさせたからかもしれない。
――こんなボクにも、探す時間をくれた人たちがいる
――今は、それを見つけよう
ラズの「お前の抜けた穴はハナクソで埋めておいてやる」という言葉を思い出して、フフッと笑いながら、クウの横に屈みこんだ。