表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

『シヴァ、カヤックの調子はどうじゃい!?』

 体に風が吹きつける中、無線越しにキングの声が聞こえた。シヴァも喜々とした声で酸素マスクにつけられた無線に叫んだ。

『ああ、軽くて扱いやすい!』

『ガハハハッ!そうじゃろう、そうじゃろう!要望通り、耐久ギリギリまで船体を削ってあるからのう!他のカヤックなんて追いつけもしないじゃろうよ!』

 シヴァの操縦するカヤックの前をキングの乗ったカッターが行く。操縦と言っても、帆を張ったカッターに綱で引っ張られている状態であり、カヤックはエンジンすらつけていない。

 燃料が非常に貴重なこの世界では、前進や後退は帆で風を受けるのが基本だ。戦闘のための船も基本は変わらず、戦闘時のみ推進用のエンジンを使う。

 と言ってもカッターが矢面に戦うのではなく、これはあくまで母船であり、実際に戦闘を行うのはこのカヤックである。空母と戦闘機のような関係だ。

 カヤックはその小さな船体に機銃や小型エンジンを搭載している為、帆を設置できず、また燃料タンクも非常に小さい。そのため、通常はエンジンをつけずにカッターなどの大きな船に丈夫な綱でつなぎ、戦闘の際は綱の届く範囲でエンジンを点火して戦うというのがセオリーだった。

 シヴァは10年前の龍の襲撃で兄を失ってから、その龍を足を犠牲に倒したキングの下でカヤックの操縦手を目指した。防人を志す者も多いが、その中でも実際に戦うカヤック乗りは花形である。

 しかし高い死亡率に加え、長時間同じ姿勢いることへのストレスや、戦闘の際のテクニックなど、一定以上の適性を求められるカヤック乗りになるのは容易ではない。

 シヴァも血を吐くような努力を重ね、16歳の時にようやく見習いとして、そして去年18歳の時に正式にカヤック乗りとして認められた。

 そして今では女でありながら、島で一番の防人まで上り詰めた。鳥のように空を舞う見事な操縦技術によって、神の翼などと称される彼女だったが、シヴァ自身は龍への憎しみから戦っているだけであって、そんな高尚なものでは無いし、また最近どこか自信が無くなってきているように感じていた。

『オイ、シヴァ。お前弾丸の数まで減らしたって本当か?』

『ああ。だって幾ら撃っても当たらなかったら仕方ないだろう?それならもっと機体を軽くして、龍の急所を突けるようにした方がいい』

『そりゃそうだけどよ・・・』

 隣で同じようにカヤックに乗ったラズが、「それができるのはお前だけだよ」とシヴァに呆れたとばかりに両手を上げた。

『ぼぼ、僕はもっと弾丸が無いと不安で不安で・・・』

 ラズのさらに奥でカヤックに乗った防人見習いのレンが情けない声を上げる。彼はシヴァが通ったのと同じようにカヤック乗りを目指している少年だ。

『レン、お前はもう少し自信を持てよ。お前ならすぐにシヴァみたいになれるさ』

『む、無茶言わないでくださいよ!ラズさん!』

『んなこたぁねぇよ。お前はシヴァ以来の天才だと睨んでるぜ。なあ、シヴァ』

『うん。ボクもそう思うよ』

 シヴァが同意すると、レンは「シヴァさんまで・・・」と困ったような声を上げた。

 ――こんなワイワイ言いながら、一日が過ぎて行けばいいのに・・・

 和気あいあいとした無線に耳を傾けながら、心の中で独り言つシヴァだったが、空と雲海の境目に目をやった時、何か背びれのようなものが見えたことに息を呑んだ。

 慌ててそちらに望遠鏡を向けると、太陽の光にキラキラと輝く雲海に、異様なほど大きい背びれがハッキリと見えた。シヴァから見て500メートル程の距離であったが、グングンと近づいてくる。

『左10時方向!龍の背びれが見える!』

 シヴァの声にカッターの船員が慌しく動き始めた。30メートルほどで固定してあった綱を、カヤックが自由に戦えるように緩める。

 彼らが甲板を走っている間、10時方向に目を向けていたキングも無線に怒鳴った。

『間違いない、龍じゃァ!こっちにまっすぐ突っ込んできおるぞ!エンジン付けろ!』

 すぐにレバーを引いてエンジンを点火する。小気味いい振動と共に、カヤックの後端から排気ガスが噴き出した。

 綱が伸びることを確認して、カッターを守る様にその左前にシヴァが、後ろにラズがつき、一人高くレンが待機している。

 そうこうしている間にも雲海から龍が飛び出してきた。

 真っ黒な蛇のような体に、悪魔のような大きな翼、鋭い爪を備えた手脚、そしてあらゆるものを噛み砕く大きな牙。カッターの五倍はありそうな大きさである。

『お前ら油断するなよ!熟れてきた頃が一番危ない。儂より若い奴が死ぬんじゃあないぞ!』

『ああ、行ってくる』

『ここで死ぬわけにはいかねぇぜ!』

 ヒュルルと300メートルはある綱を伸ばしながら龍に迫る。

 シヴァたちに気づいた龍が、しつこい蠅を追い払うかのように長い手を振るってきた。

 少しでも掠れば船など一瞬で破壊されてしまうだろう。もっと小さなカヤックならなおさらである。

 だがそれに恐れることなく、むしろそれを望んでいたかのようにシヴァとラズは手へと突っ込んでいった。これを躱せば龍の懐に飛び込んだ形となり、無防備な状態の龍に一方的に攻撃できるからだ。さらに龍は無闇やたらに体を撃っても鱗で銃弾を弾いてしまうため、目や口内を撃つのが効果的とされている。それを狙うにもこの懐に入った方が確実であった。

 反面タイミングを間違えればお釈迦である。操縦桿を握る手がグローブ越しに掻いた汗で滑り始めた。

 尤も、恐怖に反応する体に反して、シヴァの心も焦ってはいたのだが、それは龍の恐怖によってでは無かった。自分への焦りである。

 ――・・・やっぱりだ

 ――憎しみを強く感じない・・・!

 カヤック乗りを目指していた当初は龍への敵意が剥き出しであり、キングに諫められることも少なくなかった。「敵意は殺意を鈍らせる」。そう怒られたシヴァだったが、その二つがどう違うのかわからず戦い続けてきた。初めて龍を倒した時も兄の形見のゴーグル越し、憎しみをぶつけるようであったが、何故か今はそれをさほど感じられなかった。燃え尽きたような、そんな気持ちで戦っているのである。

 ――・・・ダメだ

 ――今は集中しろっ!

 ギリギリまで龍の爪に近寄ってから機首をグンッと上げて躱す。カヤックの僅か1メートル下を爪が空を裂いた。

 それを見届けてから機首を下げると、目の前には龍の頭がどんと構えていた。そのまま龍の顔へと一直線に飛ぶ。

『?どうしたシヴァ!?早く撃て!』

 シヴァとは逆に下に回避してから龍の背後へと回っていたラズが、すでに撃てる距離にいるのに機銃を撃たないシヴァに叫んだ。

 無線越しに聞こえる声に答えず、シヴァはギリッと歯を噛み締めた。エンジンの出力をグングンと上げ、翼が風を切ってキーンと音を上げた。

 ――まだだ・・・

 ――もっとギリギリまで・・・

 ――そうしたら、あの憎しみを思い出せるかもしれない

 迫るシヴァに、ならば食い殺してやると言わんばかりに龍が大口を開けた。真っ黒の表皮からは異様なほど赤い口内が露わになる。

『シヴァ!?』

『どうしたぁ!?機銃の不調かぁ!?』

『し、シヴァさん!?』

 ラズに加えてキングとレンも――レンに至っては悲鳴に近い――声を上げた。

 もう飲み込まれるというところまで粘ったシヴァだったが、やはり兄を失ったことに対する龍への憎しみは帰ってこなかった。

 ――・・・

 ――クソッ!!

 かぶりを振って操縦桿についた引金を引くと、機首についた機銃がけたたましい音を奏で、弾丸がオレンジの線のように連なって龍の口内奥深くへと伸びて行った。

 同時に思いっきり舵を左にきって、またもスレスレで龍を躱す。

 龍は絶叫しながら口からブシャッと血を吐くと、逃げるシヴァをギョロリと睨みつけて苦し紛れに尾を振るう。

 出力を最大まで上げ、急加速するシヴァ。だがそれよりも早く尾がみるみる内にカヤックに距離を詰める。

 ――クッ!

 ――躱せない!

 追ってくる尾に唇を噛むシヴァだったが、すんでのところラズが割り込んできた。

『馬鹿野郎!撃てるならもっと早くに撃ちやがれっ!』

 ズダダダダ!と反動で小刻みにカヤックが震え、弾丸が満月のように大きな龍の目に吸い込まれていった。パンパンの風船が弾けるように目玉が破裂し、グチャッという生々しい音にシヴァは思わず目を背けた。

『二人ともそのまま離脱せい!』

 キングの声が無線に響き、同時にカッターから赤い光が瞬いた。

 ズゥンという鈍い音と共に、カッターの砲から放たれた砲弾が龍に命中し、断末魔のような叫び声を上げて龍が体勢を崩す。

『歌が聞こえるまでは気を抜くない!そこが一番危険だァ!』

 緩みそうになった気をキングの声に引き締める。

 龍は絶命するときに特徴的な歌のような叫びをあげる。人間の言葉ではないし、そもそもそれが言葉なのかどうかすらも分からないが、透き通るような声で紡がれる摩訶不思議な歌は、龍を狩る防人のみが聞くことのできるものだ。

 エンジンのスロットルを下げて耳を澄ます。龍から微かに、だが耳に響く歌が聞こえてきた。

「♪――――――――――――」

 龍に対してどんな思いがあろうとも、そして龍を倒したことにどれだけ興奮していようとも、それをひとたび聞けば、心に渦巻く感情が雲をかき消すよう晴れ渡る。わが身を脅かす存在だが、どこかその生命が終わりを迎える瞬間に心を動かされずにはいられない、そんな歌だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ