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防人

  ◇ ◇  ◇ ◇ 


 美しいブロンドの髪をなびかせながら、まだ10歳ほどの少女が石畳の上を駆ける。

 唸り声のような咆哮が通りに木霊し、左右に並び立つ家屋が崩れて振りかかってきた。

 息も絶え絶えになりながらそれらを躱し、火の粉が降り注ぐ通りから逃げようと懸命に足を動かす。

 ふと目の前で道が終わっていることに気づいた。

 何かで塞がれているとか、工事で大きな穴が開いているとか、そういうことではない。まるで世界の端っこのようにそこから先に地面がなく、どこまでも雲の海が広がっている。

「うわっ!」

 慌てて足を止める。すんでのところで何とか止まることが出来た。

 衝撃で足元の小石がコロッと雲の海に落ちて行った。一歩間違えれば、自分もこうなっていたかもしれない。

「シヴァ!」

 あわや死ぬところだったと尻餅をついていると、後ろから声をかけられた。兄の声だ。

「お兄ちゃん!」

「バッカヤロー!はぐれやがって!」

 怒った声とは裏腹に、飛行用の特徴的なゴーグルを額につけた兄が少女をヒシッと抱きしめた。

 ――ああ、兄の匂いだ・・・

 兄と合流してようやく冷静になった少女が周りを見渡すと、家々が至る所で燃え上がり、倒壊していた。住民たちがあちらこちらへと走り、地下道へと我先に逃げていく。

「俺らも行くぞ!」

「うん!」

 壕の入り口に目をやり、少女の手を取ろうとする兄。その手を少女も掴もうとした瞬間、視界から兄の姿が消えた。屈んだわけでもなく、かき消すように姿が消えてしまったのだ。

「・・・あれ?お兄ちゃん・・・?」

 辺りを見渡しても兄の姿はなく、代わりに少女の右手から兄のいた方へ、先ほどは無かった巨大な木が倒れていた。

 ――木?

 ――なんでこんなところに?

 真っ黒な木にペタッと手を置いて、それが木ではないことに気づいた。木の皮とはかけ離れた、ツルツルとした鱗のような表面をしたそれは、奥で何かがドクドクと脈打っている。

 そして何よりも、慌てて放した少女の手に、べっとりの真っ赤な液体がついていた。

 ――・・・血?

 地面にも同じように血の跡がついているのが見える。それは兄のいたところから、地面の端へと続き、雲海で途切れていた。

「――――――えっ・・・?」

 ――ウソだよね・・・

 ――だって、兄ちゃんはさっきまで・・・

 兄のつけていたゴーグルだけが寂しく落ちている地面の端まで駆け寄り、下を見下ろす。

 「どこかに兄がいるかもしれない」。そんな淡い希望を抱いた少女の心を打ち砕くかのように、そこには明かりの一つもない、どこまでも暗い闇が広がっていた。

「お、おに・・・い・・・ちゃん」

 瞬きもせず、目を見開き、ぽかんと口を開ける。状況が読み込めないと呆けた顔の少女に、空からポタリ、またポタリと何かが垂れてきた。

 最初は雨かと思った。

 だがぬるりと粘るその液体に、雨ではないことに気づいた。

 恐る恐る空を見上げた。

 まず巨大な白い丸が目に入った。グリンと動き、真ん中に黒い裂け目のようなモノが入ったそれは、ガラスのようにキラキラと光っており、周りの真っ赤な炎を反射していた。

 次に見えたのは、大きな洞穴だった。夜の闇に負けないくらい暗い、奥の見えぬその穴は、異様なことに壁が真っ赤なようだった。そして入り口には、氷柱のような巨大な円錐が上下にズラリとついている。

 少年に垂れてきた粘液は、その円錐から滴っていた。

 ――・・・?

 ――・・・龍・・・?

 ようやくそれがなんなのか分かった瞬間、洞穴、いや龍の口が大きく開き、少女を吹き飛ばす程の咆哮をした。

「あ・・・あぁ・・・」

 脚が震えて立ち上がることが出来ない。

 じりじりと後退る少女に、龍はいったんその頭をグイッと引いてから、思いっきり突き出してきた。

 ――いや!

 ――死にたくないっ!

「お兄ちゃ・・・た、助け・・・!」


「・・イ・・・オイ・・・シヴァ!」

 誰かに体を揺り起こされて目を覚ます。

 まだ寝ぼけ眼の少女――シヴァがそのサファイアのような目を擦ると、目の前で体格のいい青年がタバコを咥えてあきれ顔をしているのが見えた。

「ラズ・・・」

「ったく、いつまで寝てるんだよ」

 オールバックの蒼髪の青年――ラズはそう言って、ムスッとした顔のシヴァをベッドから立たせると手荒く洗面所へと押し込んだ。

「幼馴染の妹とはいえ、朝の面倒まで見る義理はねぇぞ」

「・・・すまない」

「馬鹿正直に謝られたら、俺が悪者みたいじゃねぇか」

 ドアの向こうでラズが困った顔をしているのも思い浮かべながら、バシャバシャと顔を洗う。

 じっとりと掻いた嫌な汗が滲んだ肌に、冷たい水が心地よかった。

「・・・お前だいぶうなされてたけど、またアイツの、ジーンの夢見てたのか?」

 口にしようか迷ったように、躊躇いがちにラズが言うと、シヴァも排水溝へと流れていく水を見つめながらポツリと答えた。

「・・・見る夢はこれだけ。せめて、兄が死ぬ前に目が覚めてくれれば・・・」

「あれからもう、十年か・・・」

 シヴァは兄――ジーンを10年前に失っている。龍の襲撃で、だ。

 手早く薄手のタンクトップとタイツを着ると、乱雑に籠に入れられていた作業服のようなつなぎを手に取る。モコモコと防寒性の高いそれ――飛行服を身に着け、長いブロンドの髪を結いながら洗面所を出ると、ラズが壁にかけてあった古いゴーグルを投げてきた。兄がいつも着けていたゴーグルだ。

 玄関の側に置いてあったバッグを手に取ると、ラズがタバコの煙を燻らせながら「レディーファースト」と戸を開けた。

 脚を外に踏み出した途端、差し込んだ眩い光に目が眩んだ。朝はこれだから嫌いなんだと太陽を睨みつけながら、左右にレンガ造りの古い家が並ぶ通りを、ラズとともに南の波止場へと進む。といっても東西に細長い島なので、少し歩けばすぐに着いてしまうのだが。

 シヴァたちの住むここはきさらぎの島と呼ばれている。ただ、島と言っても海に囲まれているわけでは無い。

 島を囲んでいるのは海のようにどこまでも広がる雲海だ。地上からどのくらいの高さかは見当もつかないが、島は空に浮いているのだ。

 科学者は磁場や重力がどうのこうのと言っていたが、難しいことはシヴァにはよく分からない。ただ確実なのは、人間たちはこのきさらぎの島のように、雲海の上に点在する島で暮らしているということだ。

 どういう理屈か、空に浮かんだこの島々は大空に12個存在し、全部で10万人ほどの人々が生活している。一番大きなしわすの島では4万人もの人が暮らしているらしい。

 それに対して1000人ほどが住む小さなきさらぎの島は、船と呼ばれる飛行船の波止場がある南を中心に町が広がり、少し離れた島の外縁部には風力発電機が置かれ、畑や家畜が飼育されている牧歌的な島である。

 シヴァと今は亡き兄のジーンは、孤児としてこの島で育った。身寄りがなく、捨てられたも同然の二人だったが、島の人々が協力し合って世話をしてくれた。だからシヴァはこの島のことが好きだった。

 程なく老若男女、様々な活気のある声が響く波止場についた。島々を巡る交易船が着いたところらしく、木製のどんぐりのような形をした船から荷物が降ろされていた。

 それを横目に、片隅にある大きなドックへと足を向ける。てっぺんで梅の花と龍があしらわれた旗が風にヒラヒラとはためいていた。

「オウ、寝坊助エース様と若大将が来たな!」

 ドックに入ると、白い大きな鳥のような一人乗りの船――カヤックを修理していた、左足が義足の大柄な老人が豪快に笑って二人を出迎えた。

 ドックの中には同じようなカヤックが数隻並べられており、それの二倍ほどの楕円形の船体に折り畳み式のマストのついた10人乗りのカッターが二隻中央に鎮座していた。

 一見すると船会社のようであるが、これはすべて砲や機関銃で武装された戦闘船である。

 戦う相手は、龍だ。

 雲海に突如としては現れては、交易船や島を襲い、人間を喰らう龍。

 10年前に島が龍の襲撃に遭った際、ジーンもその犠牲になった。

 その正体がなんなのか、どうして人間を襲うのかは全く分かっていないが、それを撃退しなければ人類が滅びることは明々白々だった。

 島々では『防人(さきもり)』と呼ばれる戦士たちがその脅威に立ち上がり、エンジンのついた船を乗りこなして龍を倒してきた。勿論無傷で倒せるわけでは無い。龍の前に多くの防人が雲海へ沈められてきた。

 だがそれでも島を守るために防人たちは戦い続けた。

 シヴァもラズも、そして目の前の老人――キングも、みな龍からきさらぎの島を守るために戦う、防人である。

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