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第9話 彼女と一緒に(下)

 ――それからしばらく、萩尾さんは泣き通しだった。


 胸元を両手でしっかり掴まれているせいで自由もなく、さりとて萩尾さんの背を擦ってあやす勇気もなく、俺は手持ち無沙汰でじっとせざるをえなかった。

 萩尾さんが泣きやんだのはたぶん十分くらい経ってからだろう。その間、幸運にも病院のバスは通りがからなかった。


 だから次のバスまでに体裁を整えて乗り込めばよかったんだけど――。


「ねえ萩尾さん、やっぱり荷物は俺が持つよ。てか重そうだし」

「ダメだって。天音くん病み上がりだし、これって私のせいだから!」


 俺に先導するかたちで夜道を往く萩尾さんは、俺の荷物を持っていた。

 若干肩を怒らせて見えるのは、たぶんさっきの気まずさがあるからだろう。


 俺が追従しつつ困っていると、萩尾さんが肩で息をし始めた。


「ホラ、やっぱり疲れてきてるし、あんまり無理しない方が」

「はあはあ……天音くんは心配しないでいいから! 私、ちゃんと運ぶしっ!」

「そんな意固地にならないでさ。あ、いいところにベンチあるよ。ちょっと休もうよ」


 都合三度ほどそう言うと、さすがの萩尾さんも提案に従ってくれた。


 ベンチの下に荷物を降ろす際、萩尾さんと目が合った。

 と思った次の瞬間、萩尾さんの顔が茹でだこのように一瞬で真っ赤になる。


「うあーっ!! やめて! 今私、天音くんの顔直視できないからぁーっ!!」

「あの、そんな大袈裟なリアクション取らなくてもいいんじゃない?」


 あまりのオーバーリアクションに俺が言うと、萩尾さんは両手で目元を抑え、ベンチに座ったまま足を思い切りバタつかせた。


「いや! 無理だから! 目合っただけでさっきの思い出しちゃうから! あー恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい恥ずい……」


 どうやら、萩尾さんはかなりの重症らしかった。

 今のうちにコーヒーでも買ってくるとしようか。


 近くのコンビニでコーヒーを二本購入し、戻って片方を手渡す。


「あっ、ありがとう天音くん……ごめんね、こういうの私がしなくちゃいけないのに」

「いいよ全然。荷物を運んでもらえてとても助かったから。それより、目の方は大丈夫?」


 実のところ、さっきあまりに萩尾さんが泣きすぎて目元が腫れたせいで、俺たちはバスに乗るのを諦めたのだ。

 化粧やらなんやらで誤魔化せるラインはとうに超えていたらしく、下手すると俺が院長の娘を泣かせた罪でしょっ引かれる可能性があったとかどうとか……。


 そんな危機を水際で回避した俺たちは、徒歩で家まで帰ろうとしていた。


「目は、まだちょっと腫れぼったいかな? 明日くらいまでかかりそう……」

「だよね。そう思って氷買ってきた。これで目元冷やして」

「ありがとう天音くん! あー生き返るぅー……」


 上を向き、目元にパック氷を当てる萩尾さん。

 その豪快な姿を見て、俺はふふっと少し笑ってしまった。


「今の、なにかおかしかった?」

「あっ、ごめん。なんだか今日の萩尾さん、俺の思ってたイメージと違くて、つい」


 もう一度笑ってしまうと、さすがに萩尾さんも気分を害したらしい。


「もー、私のキャラと違ってるのは把握してますよー。けど、さっきの今で平常心とか無理だから……結局、私のひとり相撲だったってことで、いいんだよね?」


 少し心配げな口調で言う萩尾さんに、俺は――。


「うん、俺はもう自殺したいだなんて思ってないから」

「そっか、そうだよね……」


 萩尾さんの口調が、安心したものに戻る。

 缶コーヒーのプルタブを開けると、二人とも一口ずつ飲んで、一息。


「……春だねえ」


 道路を挟んで向かい側には、桜が植わっていた。


 満開には遠く、さりとて蕾のまま咲いていないわけでもない桜は、俺に暖かな春の到来を予感させる。


 まったりしている俺をどう思ったのか、萩尾さんが調子を合わせてきた。


「うん、春だ。でもこれからもっと暖かくなって、もっと桜もキレイに咲くよ。そしたら、お花見とかいいかもね」

「あ、いいなそれ。夜桜とかキレイそう。そういや病院にもたくさん桜の木が植わってたね」

「あそこ高台で寒いし、まだまだ一分咲きですらなかったけどね。でも満開になると本当にキレイなんだよ。昔、パパとママと一緒によく病院でお花見したもの」


 えへへ、とはにかみ笑いをして、萩尾さんは両手でコーヒーをもう一口。


「なんか、フツーだね。拍子抜けっていうか。ずっとこわがってたことがなくなって、なんか調子狂っちゃうっていうか……」


 足をプラプラさせて、夜空を見上げる萩尾さんは、そこでなにかを思いついたらしい。


「あっ、そうだ。ねえ天音くん、君の方からも私になにか訊いときたいことないかな? ホラ、さっきは私の方から一方的に言いたいこと言っちゃったし、その償いってわけでもないんだけどさ」


 萩尾さんの言葉は、話題に困っての提案みたいな軽い印象を受けた。


 うーん、と俺は唸る。というのも、気になることはあったからだ。

 あの日に生まれた謎は、まだ完全には氷解していない。


「……天音、くん?」


 押し黙ったままの俺の異変に気づいたのか、萩尾さんが名前を呼んできた。

 不安にさせてる。声音からもわかる。だから俺は正直なところを話した。


「ねえ萩尾さん、それ、どんなことでもいいの?」

「うおっ!? 切り込んでくるねー……いいよ、どんなことでも。なんなら前に聞き損ねた私のスリーサイズとかでも」


 それはあまりに甘美な誘惑、魔性の質問だった……。


 だけどこの場面で聞くことじゃない。俺は死ぬ気で(思えばよく死ぬ気になってるな……)その誘惑に打ち勝ち、真面目なトーンを作る。


「あの夜のことで萩尾さんに質問があるんだけど、いいかな? もし思い出すのがつらかったり、苦しかったりするなら全然断ってくれて構わないんだけど」


 ハッと萩尾さんが息を飲む音がする。

 逡巡したようだけど、結局萩尾さんはコクリと深く頷いた。


「いいよ。覚悟とかできてるし。どんなことでも訊いて」


 両手でコーヒーの缶を強く握り、注射を待つ飼い犬のように緊張する萩尾さん。


 そんな彼女に――俺は、今までずっと答えが出なかった問いをぶつけた。


「あの夜――俺が校舎から飛び降りて、萩尾さんの自殺を止めようとしたあの夜、俺は萩尾さんに必ず死ねる別の自殺場所を勧めたあとで意識を失った。そして、瀕死に陥った俺を見て、萩尾さんが救急車を呼んでくれた。そうだよね?」

「……う……うん……」


 念押しすると、曖昧ながらも頷きが返ってくる。

 矛盾を孕んだ、肯定。


 指摘すべく、俺は再び語り出す。


「俺、ずっと引っかかってたんだ。俺と萩尾さんは同類だ。だからこそ気になってた。これっておかしいんじゃないかって」

「お……おかしいってなにが?」


 動揺し始めた萩尾さんだけど、今さらここで手綱は緩めない。

 意を決して、俺はその残酷な問いをぶつけることにした。


「直球で訊くね? 萩尾さん、どうして救急車が来るまでに死ななかったの?」


 俺の助けなら既に呼んだ。必ず死ねるポイントならわかっていた。救急車の到着までにはタイムラグがあった――だとしたなら、もし俺ならどう行動する?


 長い入院生活、俺はそう何度か自問してみたことがある。

 結果はいつも同じだった。俺は死ぬ。屋上から飛び降りる。これが解答だ。


 心に巣食う絶望が校舎の屋上まで萩尾さんを連れてきた以上、それが解消されない限り飛び降りは止まらない。

 俺に同情してくれて、萩尾さんが助けを呼んでくれたのはわかる。けどそれと彼女自身の問題とはまったく別の話であるはずだ。


 萩尾さんは大切なものを失った。俺はそれを知ってる。

 たやすく埋まるようなものじゃないってことも、知っている。


 本当に残酷な問いかけだと思う。萩尾さんは俺のために動いてくれた。救急車を呼んで命を救って、目覚めたあとは足しげくお見舞いに来てくれて、リハビリまで献身的に手伝ってくれた。


 そんな恩人を追い込むような質問をしていいはずがない。


 だけど、俺も怖かった。もし理由があって、萩尾さんが死を先延ばしにしているだけだとしたら、俺に対する罪悪感で今もまだ生きているだけだとしたら――俺もこの大事な人のことを失ってしまうんじゃないかって、そう思っていたんだ。


 こんな質問をして、きっと萩尾さんは傷ついているだろう。彼女の顔を見ずともわかる。それは古傷を掘り起こす行為だ。

 でも俺には発言者としての責任があった。萩尾さんがどんな顔をしていようと、たとえまた涙を流していようと、俺は彼女とちゃんと向き合わなくちゃならない。


「――答えてほしいな、萩尾さん」


 俺は首を捻り、萩尾さんの横顔を目に入れた。

 かあっと、茹でだこなんかよりも、よっぽど真っ赤になっていた。


「…………」


 絶句した。

 なんていうか、思っていたのと違った。


 だって俺は今萩尾さんを追い込むようなことを言ったばかりで、それは萩尾さんを傷つける行為で、だとしたらもっと暗くて沈んだ表情を浮かべているのが自然で、まさかこんな顔色をしてるなんてそんなわけがなくて――。


 半ば混乱をきたしていると、萩尾さんもこっちを見た。

 そして、こんなことを言った。


「……あのね天音くん、私、質問にはちゃんと答えるよ。だけどその前にひとつだけ約束してほしいんだ」

「約束って、どんな?」

「引かないって。私がなに言っても絶対に引かないって、そう約束して」


 萩尾さんの顔色はさらに赤く、瞳は星々の光を反射して潤んでいる。

 意図はわからない。けど、天に吐いた唾を今さら飲み込むことなんてできない。


「わかった。約束するよ」

「ありがと。あとごめん、もう一個お願いがあるんだけど……いい?」

「うん」

「ちょっとだけ、心の準備させてほしいんだ」


 頷くと、萩尾さんは深く深呼吸した。それから両手で自分の頬を叩き、いったん腰を折ると、覚悟を新たにしようとしているらしかった。


「ああ~、まさかこんな日に言うことになるなんて。ちょっと早すぎだよー。私目とかこんなだし、化粧とかも剥がれちゃってるし、もう最悪なんですけど……」


 よくわからない小声の独り言のあと、萩尾さんはもう一度俺に向き直った。

 一旦瞼を閉じ、開き、それは俺を一直線に見つめている。


「はいっ、というわけで私の心の準備は終了しました。天音くん、それじゃあ君の質問にちゃんと答えるから、心して聞いてね」


 ああ、とうとう始まる。

 俺は生唾を飲み込み、同時に頷きを返す。


 そうして萩尾さんは口を開き――。


「あの日私が死ななかったのは、うれしかったからだよ」


 そんな、俺の予測もつかない返答を送って寄越したのだった。


 ……いや、てかマジでこれは予測してなかった。完っ全に予測不能。うれしいってなにが? って、そればかり思った。


 で、そんな俺の反応は萩尾さんにとっては大いに不服だったらしい。

 唇をぷくっと尖らし、俺の態度に異議を申し立てる。


「あー、ホラ、引かないって約束したのに、やっぱ引いちゃったじゃん」

「いや、ごめん。ちょっと意表を突かれちゃって……」

「意表ってなにさ? 天音くん、私がどんなこと言ってたら満足だったわけ?」

「いや、それは……」


 語尾を濁し、思わずしどろもどろになる俺。

 そんな俺の様子を見て、萩尾さんはニコっと笑う。そして――。


「ごめんごめん、別に怒ってないよ。こんなこといきなり言われても、天音くんたぶん意味不明だろうしね。でも……うれしかったのは本当。あの日ね、君が私のもとに来てくれて、本当にうれしかった」


 そう言って、萩尾さんはあの日のことを俺に語ってくれる。


「ボロボロで、身体が痛くてたまらないのに、私を救おうとしてくれてうれしかった。こっちに歩み寄ってくれて、フェンスを乗り越えてくれて、私の側に立ってくれてうれしかった。私の心の中の見えない壁、越えてくれた……」


 だからね、だから――。


「私、天音くんが好き。好きに、なったの」


 萩尾さんは、俺の目をまっすぐに見つめて告白した。


「だから怖かったの。君が死んじゃうことが。私の命なんかよりもずっと。あの日、言ったよね? 人を好きになるのはすごくパワーを使うことだって。私、死ぬためのパワー、全部君に持ってかれちゃったんだよ? だから死ななかったの。君の命を、どうしたって救いたかった。そっちのが何億倍も大事だった」


 感極まった萩尾さんの頬を、また涙が濡らしてゆく。


「アハハ、私今日泣いてばっかだ。泣き虫毛虫。カッコ悪~」

「萩尾さん、俺……」


 言いかけて詰まる。その隙を、萩尾さんが先に口を開いて――。


「天音くんと、ずっと一緒にいたいな。いろんなことして遊んで、いろんなところに行って、それで一緒にいろんなものを見たい。私、君の隣にいたい。生きて、君のことを見ていたい。もしも君がよければ、だけど……」


 萩尾さんが、じっと俺を見ている。

 それは、本当に愛しいものに注ぐ眼差しだった。


 これまで多くの女の子がそんな目で俺のことを見てくれた。だけど、そのあとで手ひどく裏切ってしまった。

 俺の心を傷つけて、俺に絶望を植えつけて、自分で死を選ぶほどに追い詰めてしまったんだ。


 女の子のことで、これ以上傷つきたくなかった。

 だから、本当なら萩尾さんの告白だって断るべきなんだ――だけど。


 今、俺の心の奥には温かなものもある。

 それはきっと、萩尾さんとの間に育んだたしかな信頼感。


 萩尾さんは俺の命の恩人で、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、ずっと傍で見守ってくれていた大事な女の子だ。そんな女の子が俺のことを好きだって言ってくれてるのに、彼女の心に俺はなにも応えずにいていいんだろうか?


 いや、いいはずがないと思う。

 それは理屈じゃなくて、俺の心が知っている。


 心の奥で、ずっと眠らせていた古傷が痛んでいる。それは兆しだった。


 たぶん俺の心はもう一度、女の子のことを好きになろうとしている。

 萩尾もとかさんのことを、好きになろうとしているんだ。


 だったら――ちゃんと答えを出すべきだ!


 俺が顔を上げると、萩尾さんが不安そうな顔でこちらを見ている。


 出すべきもう答えは決まっている。その答えがどんなにかダサくて、カッコ悪かろうとも、勇気を持って俺はそれを伝えよう。


 俺は息を吸い込み、集中すると、万感の思いとともにこう言った。


「ええーっと……寝取られたり、しないなら……」


 案の定、ぐんにょりと変な顔をする萩尾さん。

 だけどすぐにニコニコと満面の笑顔を浮かべて、彼女は俺にこう言ってくれる。


「だったら、甲斐性見せてよねっ! 卓己くんっ!!」


 ……ああ、俺はこの女の子を一生大切にしようと、そう心に決めた。

一週間+α日にわたりお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

これまで経験したことのないほど多くの方に読んでいただき、ちょっと緊張の日々でした。


もしよろしければ、全体としての評価、感想などもつけていただければ、今後の励みとさせていただきます。


星の数ほどもあるなろう小説界の中で、また会えますことを願って。




嗚呼…これでやっとサガフロリマスターができる…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一気読みしました。一話でゾンビものだと思ったのにまさかの致命傷で済んだ生存者というのは面白かったです。 [一言] NTR108式はいつ頃公開されますか?
[一言] この先の未来で萩尾さんも寝取られる気しかしないなぁ
[気になる点] 非常に良い物語だと思うのですが…… 某国民的アニメネタがくどくて物語に没入できなかったです。
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