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第8話 彼女と一緒に(上)

 酒池肉林(?)の宴は、数時間にわたって続いた。


 あとで聞いたところによると、俺の退院を祝ってくれた病院のスタッフさんたちは、その日オフの人たちがメインだったそうだ。


 彼らは簡易キッチンを広げて勝手に肉を切りだすゴッドハンドを見て、さすがに病院玄関の真ん前でバーベキューはマズくねと判断したのか、多勢に無勢でゴッドハンドを拘束すると、駐車場の隅っこまで資材ともども移動するのを手伝ってくれた。


 ――そして、昼に始まった宴は夕暮れ近くまで続いた。


 お酒も供され、大勢の病院スタッフさんたちが出来上がっていた。

 特にハイペースだったのがこれまたゴッドハンドである。


 どういう理屈か、父さんと意気投合したゴッドハンドは同じペースで酒を煽り続け、当然のように胃の中身を周囲にリバースした。


 ああ、父さん、お酒にべらぼうに強いのに……。


「あらあら、ゴッドハンドさん眠ってしまったみたいね」

「敵として、いや友として、なんら不足のない相手だった……」


 そう言って、殊勝な顔でフッと笑む父さん。

 どうでもいいけど、息子の退院祝いの席でガチの酒バトルやめてくれる……。


 だがそんな息子の心は伝わらない。代わりにニッと笑って父が言う。


「息子よ! 悪いが父と母はゴッドハンドを家まで送ってゆく。息子は、病院の送迎バスを使って帰ってくれ」

「運転は私がするわよ~。華ちゃんも一緒に帰ろっか」

「お兄! もか姉! バイバーイ!!」


 そんなこんなで主賓を置いて家族は去っていった。なんだったんだ……。


 病院スタッフさんたちと一緒にバーベキューの片づけを終えると、周囲にほんのりと差し始めていた影は、かなり濃くなっていた。

 他の人たちも撤収を始めた頃、俺の傍に誰かが近づいてきた。じっと目を凝らすと、萩尾さんだった。


「萩尾さん、そっちは終わり? 病院のスタッフさんたちは?」

「飲んでない人の車に相乗りして帰るって」

「そっか、ならよかった」

「あ、天音くんこそ……そろそろ帰るの?」


 闇夜でもわかるくらい頬に朱の差した萩尾さんが、チラチラとこちらを気にしながらそんなことを言う。


 えーっと、未成年だし飲んでないよな、たぶん……。


「一応そのつもり。まさかこんな帰宅になるとは思わなかったけど」

「ごめんね、後藤先生、あんな子どもっぽいことする人だなんて知らなかった」

「父さんも母さんも楽しそうだったし、まあいいんじゃない」


 俺が迷惑をかけた人たちが楽しんでくれるなら、それに越したことはないと思う。

 萩尾さんは、何故だか手をもじもじさせて、気まずそうに言った。


「あの、実は私も親からバスで帰ってくるよう言われてるんだ。だからね……もし、もしよければ、一緒に帰らない?」

「へ……うん、もちろんだよ」

「あ、ありがと」


 少し照れたように感謝の意を述べる萩尾さん。

 なんで喜んでるのかわからないけど、萩尾さんが喜んでくれるなら俺もうれしい。


「それじゃあバス停まで歩こうか」

「うん」


 そんな返事を受けて、俺たちは連れ立ってバス停へと歩いた。



 暦の上は春とはいえ、夜気はまだ冷たい。

 日が落ちて気温は下がり、厚着している俺すら少々肌寒くなってきた。


 今ベンチで隣に座っている萩尾さんはそれ以上だろう。

 さっきから少し、足の辺りが寒そうに見える。


「冷えてきたねー。まあ、夜だし仕方ないか」

「まさかこんな時間まで宴会すると思わなかったからね……萩尾さん、随分と薄着みたいだけど大丈夫?」


 昼間は記録的な暖かさだった。

 そのせいか、萩尾さんはワンピースの上にライダースを羽織っただけの恰好だ。


 萩尾さんは自分の肩を抱いて、ちょっとブルブルするジェスチャー。


「アハハ、気合い入れすぎたかも。夏、先取りしちゃったかな?」

「ちょっと待ってて。俺着込んでるし、寒かったら上着貸すから……萩尾さん?」


 上着を脱いで差し出そうとすると、萩尾さんは暗い雰囲気を纏っていた。


「天音くんはさ……やさしいよね」

「萩尾さん? どうしたの?」


 反射的に問い返すと、萩尾さんは俯いたまま、自分の太腿の辺りに語りかけるように言った。


「だから私、いつも不安になるよ……少し真面目な話、していいかな?」


 ジジ、とLED化されていないバス停の電灯が鳴る。

 周囲は夜。バスを待っているのは俺たち二人だけだ。


 ――俺は深く頷いた。


「ありがとう。やっぱり天音くんって、やさしい」

「そうかな、そんなことないと思うよ」

「そんなことあるある。だって天音くん、私のこと救いに来てくれたでしょ?」


 笑顔でそう言ってくれる萩尾さん。

 だけど、すぐに寂しそうな表情になって。


「ねえ天音くん……私ね、実は天音くんにウソ吐いてたことがあるんだ……」

「ウソ?」


 コクンと頷くと、萩尾さんは言いづらそうに、けれど絶対に言わなければならないことを告げるように、言った。


「それはね……先生とのこと。あの夜、屋上で私言ったよね。あの人は私との間に見えない壁を作ってたって。それを飛び越えてくれなかったって。けどね、それって本当じゃなかったんだ。私は彼に、私を押しつけた……」


 教師と生徒との恋愛はご法度だ。

 たとえ好き同士であっても、結ばれてはならない。


 感情よりも重要で優先すべきものがある。

 互いの立場がそれを邪魔をする。


 だから破綻は……最初から目に見えていた。


 互いに焦がれれば焦がれるほど、好きになれば好きになるほど、その関係性は脆く、危ういものになる。

 どちらかが自分の立場を手放すか、あるいは明確に変化するまで、その危険は消え去ることがない。


「……私たち、ホントは上手くいきかけてたんだ」


 萩尾さんの告白は――あるいは告解は、続く。


「私から告白して、彼が受け入れてくれた。好き同士だってたしかめ合った。彼も私のことが好きだったって言ってくれた。私、天にも昇る気持ちだった。だって好き同士が結ばれるなんて、まるで絵空事みたいじゃない? この広い世界の中で、たった二人の男女が最初から互いのことを想い合ってたんだよ。それってきっと、最高に素敵なことだって思った。けど……」


 けど。


「だからきっと、舞い上がった。この恋は運命だって、そう信じたかったから。私は強欲になった。彼のすべてがほしかった。彼のすべてになりたかった。だから私……私、は……」

「萩尾さん、言いづらいことなら、無理しなくても……」


 萩尾さんの声は震え、言葉も途切れ途切れだ。もしも気持ちの整理がつかずに無理をしているなら、それは俺が今聞いていい話じゃない。


 だけど萩尾さんは、そんな俺の言葉を制して――。


「ごめんね? アハハ、ダメだね私。また天音くんに気をつかわせちゃってる……」

「そんなことないよ。けど、どうか無理だけはしないで。俺、萩尾さんの話ならいつだって聞くし。踏ん切りがつかないなら、また別の日にだって……」


 萩尾さんはゆっくりと、左右に首を振って先に答えを出した。


「ありがとう。でも、これは私の責任だから。お願いだから、全部聞いて?」

「……萩尾さん……」


 萩尾さんはまるで、真新しい自分の傷を晒すように、言った。


「私は、証がほしかった」


 過去のあやまちを述懐するように、言った。


「言葉じゃなくて、やさしさでもなくて、傷ついてでも証がほしかった。私はこの人のもので、この人は私のものだっていう証が。だから彼にそれを求めた。ルールを破ってしまった。彼は私のことを真剣に考えてくれていたのに、そのために距離をとってくれていたのに、その努力を台無しにしてしまった。だから幻滅された。彼は私の前から……去っていった」


 ポーチからハンカチを取り出すと、萩尾さんは自分の目元を拭って、それでも話を続けようとする。


「全部、私のわがまま。私は嫌な女で、ズルい女だったんだ」


 萩尾さんは、何度も、何度もハンカチで目元を拭う。

 慰めの言葉を言いたかった。けど、それは俺の中から出てこない。


 ――無言のまま見守るしかない俺に、萩尾さんの懺悔が続く。


「私は、天音くんにも私を押しつけた」


 あの夜に思いを馳せて、萩尾さんは言葉のナイフで自分を傷つける。


「大怪我を負ってるのに私を救おうとしてくれた君に、私を押しつけた。痛みと苦しみに満ちた時間を終えて、やっと眠りかけた君をこの世界に引き戻した。この人を死なせたくないって、ただそれだけ理由で、私は天音くんのことを生かしてしまった……」


 きゅっ、と膝の上で両の拳を握って、萩尾さんは自責の言葉を紡ぐ。


「目覚めたあと、ずっと君がこわかった。君が私のことどう思ってるのかわからなかったから。初めて車椅子で病院内を散歩したとき、階段の手摺りを持つ天音くんがこわかった。そのまま病院の屋上に上がって、また飛び降りちゃうんじゃないかって、そう思ったから――」


 拭っても拭っても溢れてくる涙が、止め処なく頬を伝い落ちてゆく。

 それに抗うことすらやめて、萩尾さんは俺に言った。


「ねえ天音くん、いつも天音くんが私に向けてくれる笑顔と言葉は本当なの? それとも私を思いやってのやさしい嘘なの?」


 俺の目をまっすぐに見つめて、萩尾さんは涙を流しながら――。


「……もしそれが嘘でも、死なないで、ほしい」


 ずっと胸の奥に抱えていた思いを、俺に向かって吐き出す。


「私のこと恨んでくれても、もう二度と会ってくれなくてもいい、だからお願い、どうか死なないで……死なないで、ください……」


 決壊した涙のダムが、我慢しきれなくなった嗚咽と入り混じった。

 萩尾さんは両手で顔を覆い、俺のすぐ傍で泣き続けている。


「…………」


 俺は無言で、それを見ている。


 目の前に泣いている同年代の女の子がいる。

 この状況は間違っていると思う。


 ……なのに言葉が出てこない。


 俺はなにを言うべきなんだろう。

 どう声をかけるべきなんだろう。

 

 萩尾さんがこんな想いを抱えているなんて知らなかった。毎日お見舞いに来てくれて、俺のことを励ましてくれて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた萩尾さんが俺をおそれていたなんて、知らなかった。


 だから、わからなくなる。どう振る舞うのが正解なのか、心の中の長男に訊ねてみたって、なにも返ってこなかった。


 いや、違う。俺たちのことに長男は関係ない。

 そうじゃなくて俺はどうしたい? 天音卓己なら――。


 自分自身の言葉で伝えよう――そう決めたとき、自然と口が動きだした。


「ねえ萩尾さん、歩行訓練のこと覚えてる?」


 開いた両掌に顔を埋めていた萩尾さんが、顔を上げた。

 鼻を啜りながらも頷いてくれたのを確認して、俺は話を続ける。


「俺、あのときはビックリしたよ。水野さんがお休みで、リハビリテーションセンターにいったら萩尾さんがいてさ。俺の歩行訓練手伝うって……アレ、あとで調べたけどやっぱりムチャな訓練だった。普通、てんで歩けない人に無理矢理歩かせるとかそうそうしないみたいだよ。やっぱり危ないしね」


 けどね――と俺は一息挟んで、続ける。


「俺にとっては、薬だった。だって萩尾さんに応援してもらえて嬉しかったし。俺もがんばろうって思った。でも怖かった。だって前に萩尾さんがいるんだもの。巻き込みたくないって一念で足を前に出したんだ。けど……お蔭で歩き通せた」


 そう、あの日俺は初めて平行棒を踏破した。

 自分の足で、補助を使わず、萩尾さんのもとまで歩ききったんだ。


「だから改めてお礼を言うね? 萩尾さん、あのときはどうもありがとう」

「……天音くん、でも私、お礼を言われることなんて」


 してない、という否定の言葉に先んじて俺は言った。


「二度と歩くことなんてできないって思ってた俺に、歩くことを諦めさせないでくれて、本当にありがとう」

「――へ?」


 涙に濡れた萩尾さんの表情が、驚きの色に染まる。


 それでいい。だって、萩尾さんに泣き顔なんて似合わないんだから。


「ごめん、俺もウソ吐いてた。リハビリは順調で足の方だけ遅れてるって言ったけど、本当はだいぶ状態が怪しかった。歩行訓練の成果いかんでは、一生杖を突いて歩かないといけなくなるところだったんだ」

「そ、そんな! なんでそんな重要なこと……」

「だって、君に心配かけたくなかったから」

「――――!!」


 萩尾さんは、ハンカチを握ったまま、両手で口元を塞ぐいつものリアクション。

 なにか言おうとして、でも言えずに口元をモゴモゴさせている。


 だから代わりに、俺の方から語りかけるとしよう。


「病院で目覚めたとき、最初は戸惑った。また苦しみに満ちた世界を生きなきゃいけないのかって思ったよ。けどそれは視野が狭かったんだ。苦しみは人生の一部だけど、ほんの一部でしかない。それに、病院の人たちだって俺を生かすために最大限の努力をしてくれた。だから俺もそれに応えたいと思った」


 ベンチから星空を見上げたあと、俺は萩尾さんに笑顔を向ける。


「それにね、すぐ傍に萩尾さんがいてくれた。いつも俺の傍で励ましてくれて、慰めてくれて、認めてくれる萩尾さんがいた。だから俺はもっともっとがんばれた。今こうして歩けるようになったのは、みんな萩尾さんのお蔭なんだ」


 目を丸く見開いて驚いている萩尾さん。

 ああ、なんだか、いつかの夜を思い出す――。


「わ、私のお蔭って! そんなの違うよ! だって天音くんは私のせいで死ねなくて――!!」

「それこそ違うよ。俺は今、君が助けてくれたから生きていられるんだ」


 それは本音で、心の底からの言葉だった。

 どうすれば信じてもらえるのだろう? 答えはきっと、過去にある。


「ねえ萩尾さん、あの夜のこと思い出してほしいな。死のうとしてた君に俺が声をかけた夜、いろんなことを話したよね。君は俺に自分のつらい話をして、俺は君に自分のつらい話をした。そうして、心の距離をちょっとずつ縮めた。あのとき縮まった心の距離は、もうそんなに離れてしまったのかな?」


 ――あの夜、俺たちはお互いの傷を晒し合った。


 ひょっとしたら芽生えたのは信頼感じゃなくて同情心だったかもしれない。

 けれどお互いにわかり合えたのは本当だ。


 もしそうでなければ俺は萩尾さんの自殺を止められなかったし、萩尾さんに俺の主張を信じてもらえなかった。

 萩尾さんはあの場所から飛んで、きっと苦しむ派目になったはずだ。


 俺の問いかけを、萩尾さんも真剣に考えてくれたんだろう。

 熟考ののち、首を振って答えた。


「……そんなこと、ない。私、天音くんのこと信じるよ」

「そっか、うれしいな。だったらさ、これから俺が言うことも信じてくれる?」


 俺が萩尾さんを見つめると、静かに、しかし深く萩尾さんが頷いた。

 俺は手を胸に当て、彼女の瞳をまっすぐに見つめて、決然と想いを伝える。


「俺、もう死なない。二度と自殺なんてしない。だから萩尾さんもどうか気に病まないで。俺、君がしてくれたことに感謝してる」


 そして――最後にもっとも大事なこと。


「萩尾さん、俺の命を救ってくれて本当にありがとう」

「――天音くんっ!」


 大声で名前を呼ばれた、そう思った次の瞬間――。

 萩尾さんが俺の胸元に顔を埋め、大泣きに泣き始めたのだった。

今日一日ずっと執筆していたのですが、8話がさらに長くなってしまいまたしても分割せざるを得ませんでした。9話「彼女と一緒に(下)」は完成すれば今日中、でなければ後日に投稿いたします。作者の力量不足です。すみません…

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