猫の話
ネルは人型の使い魔である。主人であるライラが命じれば三回回ってワンと鳴くし、どんな恥ずかしいことも痛ましいことも道から外れたことだってライラが一言命じればネルは従う。
お利口な犬のように従順で聞き分けの良いネルは忠犬と言っても差し支えないくらいライラに忠実であるが、彼の見た目はどちらかというと猫に近い。真雪の如き白く艶のある髪に、青空を写しとる海の色、健康的な細身の体にしなやかな四肢。彼の中身は犬であったが、見た目だけならそういったカラーリングのお上品な猫のような印象を人に抱かせた。
「ネルの見た目は猫に似ているよね。昔、大きな街でみたことがあるよ」とライラが言ったのは遥か昔、ほぼ三百年前のことであるがネルはきちんと記憶していた。猫に似ている。そのときネルは「そうなのでしょうか」と答えた。ネルには共感のしようが無かったからだ。印象というものは人のそれまでの価値観やその他もろもろに依拠するものである。だからいまいちピンと来なかった。そして、今も。
「この猫、可愛いね。ネルとお揃いの色してるしネルに似てる」
確かに色は似ているかもしれないが、それだけだと思った。逆にそれしか共通項がないと思った。いつもは己の頭を撫でているその手が、猫を撫でている。頭、顎、耳のあたり、背中。通り過ぎるだけだった公園内でわざわざ足を止めて、しゃがみ込んで、わしわしと撫でている。猫は己のことながら我関せず、といったふうにライラに好きにさせていた。貫禄のある猫だった。
「どこかお金持ちのお家から脱走したのかな。リボンがついてる」
「そうかもしれません」
しゃがみこんでいるライラとは対照的にネルは直立不動である。猫を見下ろすための体勢だ。後ろで手を組み、より威圧的に、相手へ体を大きく見せられるように。しかしネルの必死の威嚇も我関せずと猫は知らんぷりを決め込んでいる。ライラ以外にあまり乱されることのないネルの表情筋がほんの砂粒数個分くらい動いた。
「行きましょうマイマスター」
いつまで経ってもその場から動かずライラは猫を撫でている。今日は特にすることもない日で、ほとんど隠居生活をしている身の彼女に時間は沢山あった。
「うん、もう少し」
「お好きなのですか」
「……うん? ああ、うん。猫は好きだよ」
「へぇ」
抑揚なく返事をするネルを見上げてライラはほんのり口角を上げた。
「ネルのことをヒト型にするか、ネコ型にするか迷ったくらいには好き」
ネルはライラの言葉に特に表情を変えなかったが、彼女のすぐ近くまで寄り彼女を見下ろした。青色の瞳はなんの感情ものぞかせない。そして彼はライラをひょいと抱え上げた。全く突然の行動にライラはバランスを崩さないようネルの首へと腕を回すしかできなかった。横抱きは存外、抱えられる方も気を使うのだ。
「猫は、掃除をしません」
スタスタと歩きながらネルはそんなことを言う。
「猫は、美味しいご飯を作りません」
淡々と、ただそこにある事実をネルはライラへ言い聞かせるように言う。
「猫よりも、僕の方が可愛いです」
つんと澄ました顔でネルは前を向いている。本人は真面目に言っているのだから笑ってはいけない、とライラは思ったがどうにも制御が効かなかった。
「ネルはとても可愛いね。撫でてあげよう」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。けどそろそろ降ろしてくれないかなあ」
「命令でしょうか」
「そうではないけど」
「なら、このままで」
「目立ってるよ」
「問題があるのですか?」
「無いけどさぁ」
その日のネルはいかに自身が猫より優れているか、ということを訥々とライラに語った。ライラは「猫には猫の良さが、ネルにはネルの良さがある」と諭したが、よほど負けたくなかったらしいネルは無表情ながらもどこかむっとした雰囲気でライラの主張を突っぱねた。結局、それから数日間ネルはことあるごとに猫と張り合ったため、猫の話は二人の間で半ば禁句となったのだった。




