第一話「泥棒の天才」
男は潜んでいた。
夜が訪れた真夏の住宅街は、不気味なほど静かだ。目を閉じ、眠っているかのように動かなかった彼は、突然動き出した。素早く走っているのに足音は無く、軽やかに塀を飛び越え、あっという間に目標の敷地内に着地した。
今回の目標は一等地に建つ庭付き一軒家。いわゆる豪邸だった。しかし、豪邸の割にはセキュリティは甘く、格好の獲物となった。
彼は窓の鍵を開け、家の中に侵入する。この仕事を始めて数年が経ち、それなりに数はこなしてきた。この若き泥棒の手際は、ベテランにも劣っていなかった。
彼は腰を低くし、様子を覗う。どうやら、ここはリビングのようだ。家の中は想像以上に広く、奥には立派なキッチン、さらに部屋がいくつかある。
お盆にあたるこの時期、長期間家を留守にする家庭は多い。二日間この家を観察し、留守であることはほぼ確実だった。だが、この仕事は、捕まってしまったら終わり。彼は常々「危険を感じたら即撤退」の信念のもと、慎重に盗みを働く。
素人時代から一度も捕まることなく、今まで続けることが出来たのは、この慎重さともいえるが、彼には他に、「ある特殊な能力」があった。
彼は目を瞑り、集中する。もちろん、超能力者でも予言者でもない。彼は生まれつき、「聴覚」が非常に優れていたのだ。声や足音、服の布擦れの音まで、彼の耳は広範囲の僅かな音も逃さない。つまり、泥棒は天職だった。人や危険が近づこうものなら、事前に耳を通して認識することができた。
家が無人であることを再度確認すると、部屋の一つに入った。そこは和室だった。立派な掛け軸や、高級そうな壷が並んでいた。だが彼はそれらには目もくれなかった。今まで、大きなものは一切盗まなかった。それがどんなに高価だとしても、泥棒から素早さや身軽さを取ってしまったら、どんなに耳が良くても意味がない。だから彼が狙うのは、いつも、現金か小さな装飾品の類だった。
獲物は、すぐに見つかった。タンスの中に大きな金庫が隠してあった。彼は何本か細い器具を取り出し、金庫の鍵を手際よく外す。
中身に期待しながら、彼は金庫の扉に手をかける。
「あなた、何してるの?」
突然聞こえた女性の声に心臓が飛び跳ねる。振り返った視線の先には、少女が立っていた。