80 エピローグ1
常と何ら変わらない姿をした城。けれども、どこか妙な静けさに包まれ、いつもどおりに警備する兵士たちも、奇妙な空気を醸し出していた。同じように、城下町もまた、奇妙な静けさに包まれている。普段なら溢れかえる人々で賑わうメイン通りも、店はしまり、人の闊歩はない。
誰もが小さくとも黒を身に纏う異様な光景。玉座に座るクリストファーもまた、珍しい黒の衣装に身を包んでいた。
玉座に深く腰掛け幾度となく、これで良かったのだろうか、これしかなかった、という自問自答を繰り返し、ただただ溜息を吐いた。
本日は、元宰相ルルクの処刑日。
罪状は、ベルト公爵家ののっとりと身分詐称。
どこから情報が漏れたのか、一年前のあの日、ユーリと決別したあの時知った、ルルクの中にベルト公爵家の血が一切流れておらず、本来の子供と入れ替えられた子供だという事実が公開された。
いや、それは正しい内容ではない。実際は、ルルクの弟であり、ベルト公爵家を継ぐには能力が足りない、とルルクに蹴落とされ、家督を奪われ、放逐された、ショーン・フォン・ベルトが、帝国の後ろ盾をもって帰国。ルルクによって処刑される前にフィンデルン王国を脱出していた使用人がいたのだ。そしてその使用人はあろうことかショーンに保護を求め、ルルクの真実を告げた。ショーンはその使用人が提示した医者の書類を証拠として、ルルクと本物のベルト公爵家長子であったはずの子供の、入れ替えを告発した。
無論、赤子のルルクが知る由もない。
本来ならばその赤子の入れ替えをした者を罰し、ルルクを宰相職から解き、平民として放逐するべきだろう。だがしかし、ルルクは己の力をもって、公爵家の家督を継いだ。そして、抵抗を示した本物のベルト公爵家の血を継ぐショーンの放逐していた。しかも、まるで全てを隠蔽するかのように、使用人の全てを処刑した。
あれは、前公爵夫妻の殺害と、自分を謀っていた者の処分の為だったが、他の者の目には、そうは映らない。
ルルクは、自ら公爵家をのっとった。
もともとルルクはあまりに前公爵夫妻と色が違う。また、さかのぼっても、その色を持つ先祖もいない。
クリストファーと敵対する貴族たちが、これ幸いと騒ぎ出した。
知って王を謀っていたのか、それとも王もまた我々を謀っていたのか。貴族の青き血とはそのように安いものではない、と。
確かに、ルルクも、クリストファーも、あの日までは知らなかった。けれども、すでに知っている。知っていて黙っていた。だがその程度、足を引っ張りたい程度のクズなど、封殺できる。問題は、以前ルルクによって脅され、不本意な条件を結んだ帝国の介入。
魔法使いの名を使って脅したものの、現在クリストファー達は魔法使いと決別していた。もう、その存在はなく、その名は使えない。にもかかわらず、問題の先延ばし状態で放置されていた。それが、今になって重くのしかかる。
ルルクが、始まりの王ユリウスの子から造られたホムンクルスならば、その身に始まりの王の血が流れている、と言えばいいのかもしれない。だが、それを証明する手段もなく、また、それを無理矢理でっち上げの証拠で証明したとして、その場合クリストファーの立場がなくなる。始まりの王の血筋を見つけていながら、玉座を返さなかった、と。そして、それをルルクは望まない。そうなると、沈黙しかできない。
今まで幾度となくルルクによって煮え湯を飲まされてきた者達が、動き出す。
内部が揺れれば、外部もまた、揺れる。
どこから嗅ぎ付けるのか、どこの馬鹿貴族が情報を売っているのか、今が好機と言わんばかりに隣国リリウム王国が攻め込んできた。それも、ルルクの件を挑発材料としながら。勿論、カインが戦場に出て、迅速に事を治めた。
ルルクを巡った騒動はあまりにも広く、大きく、フィンデルン王国を揺るがした。
このままルルクを庇えばルルクと共に共倒れになる。事態の重さに、クリストファーは一つの決断をした。
ルルクを、切り捨てる。
ルルクもまた、それを望んだ。
あまりに広がりすぎた騒動に、ルルクを生かして残す道は、ない。騒ぎの見せしめに、公開処刑をするしかないところまで追いつめられていた。けれども、ここにきて事態が急転する。ルルクを告発したはずのショーンが見事な転身をみせ、クリストファー側へとついた。
確かにルルクの死は免れない。これだけの騒ぎの基となった以上、責任をとらねばならない。だが、処刑は処刑でも、毒杯を推したのだ。
毒杯とは、本来貴族の体面を守るための処刑法。それを行えば、ルルクは貴族として死ぬこととなる。貴族と認められてしまう。
当然、貴族たちは反発した。ただでさえ、ルルクには散々邪魔をされ、幾度となく計画を潰されてきた。邪魔で邪魔で仕方がなかった男が、今、転落しようとしているのに、何故手を緩める必要があるのか。そのまま尊厳も何もかも奪い去ってしまえ、と猛攻する。
ショーンはハイエナのような貴族たちに、うっすらと笑いかけた。
ならば貴方たちは、民を敵に回す気概はお持ちか?
ショーンの問いかけに、貴族たちはぴたりと静止する。彼が何を問いかけたのか理解できず、呆けた顔で見やった。
愚か者たちの間抜けな顔に、ショーンの目から温もりが消えていく。さも、愚物を見るかのような絶対零度の視線は、ルルクと同じものだというのに、いったい何人の人間が気づいたことだろうか。
サルでもわかるように、とショーンは簡単に説明をする。
貴族たちがどれほどクリストファーを嫌い、足を引っ張ろうとしようとも、民意はクリストファーに在る。そして、この国の民は戦う事の出来る民だ。クリストファーが王位を簒奪した時、その尖兵となったのは多くの民。勿論、クリストファーの思想に賛同した兵や騎士もいたが、それでも、多くは民衆だった。男も、女も、老いも、若きも、手に武器をもち、クリストファーと共に戦い、その玉座をクリストファーに掴ませた。
更には、まだ風化するには新しすぎる、錬金術学校への暴動。あれほど国に根付き、権威を誇っていた錬金術学校を、たった一晩で瓦解させたのは、紛れもなく民衆の怒り。
彼らは知った。自分たちの暴力でより上位の者を引きずりおろせるのだと。
彼らは自信を持った。自分たちはけして、無力で、か弱く、押さえつけられるだけの存在ではないのだ、と。
一度成功して、二度目も――しかも二度目は自分達だけの力で――成功した者達は思うだろう。自分達には不満を跳ねのける力がある。自分達を無視するような者達は、同じように排除していけばいい。自分たちは、けして黙って搾取される側ではない。
ルルクは、民側についているクリストファーの参謀。つまり、民の支持を受けた存在。彼がクリストファーと共に民の為にした数々の改革。それによる民衆への還元。遅々としていても、確かにある。
クリストファーに敵対する貴族には、その功績が一切ない。民からの信頼も支持も、ない。その状態で民衆に喧嘩を売るようにルルクを処刑すればどうなるか、考えるまでもない。
民の怒りは大きなうねりをもって、安全な場所でふんぞり返っていただけの貴族程度、容易く飲み込むだろう。
その覚悟がおありか? 問われ、貴族たちは青褪める。
人と言うものは不思議なもので、自分と関係のないところで他人が幾ら死のうが、本当の意味で痛むものはない。それが敵対している者ならば尚更。むしろ、笑って見送る。けれどそんな者でさえ、いや、そんな者だからこそ、自らの命は大切で、自分が死ぬなど受け入れられない。
まるでお行儀の良い子供の様に口を閉ざし、椅子に座る貴族たちに、ショーンは侮蔑の眼差しを向けた。
その程度か、と。
ショーンの熱弁で国内はあっさりと落ち着いた。しかし、それで済まない存在が在る。ショーン自身が連れてきた帝国だ。帝国がわざわざショーンの後ろ盾をしたのは、善意などではない。当然そこから得られる利を求めての事。ルルクが派手に倒れてくれれば、それを以て色々と責める事が出来る。先の貿易協定だけでなく、彼が宰相職に就いてからの数々の交渉で結ばれた条件の変更は勿論、こちらを謀った、と責めながらその他、以前から結ばれている契約をより有利な物へと変更できるだろう。ルルクの後釜にどの貴族が立とうが、誰が外交官として交渉にこようが、帝国に言わせれば所詮烏合。更に、公爵家に恩も売れる。王国の中枢にがっつり食い込める予定だった。それが、恩を与えたはずの者にまさかの仇を返される。
断じて許すまじ。
しかし、食い掛かる帝国の外交官にショーンは怯まない。
そういえば、おたくの国の人間がやらかした毒が、まだ全く癒えていないんですよね。
爽やかで、穏やかな笑みと共に、いつの間に調査したのか、調査資料を差し出す。その中に書かれた被害総額に、ぐ、と詰まる外交官。
精霊の森は、それほどの恵みをもたらす場所だった。正直、ルルクが結んだ貿易協定で、たった一年やそこらでは回収できるものではない。ルルクが提示した賠償金の額が、今後の帝国の事を考え、被害に比べ随分と少なく提示されたことを思いだす。確かに、結んだ協定は王国に一方的に有利な物。けれどもそれを使って帝国内でも色々と有利に事を勧められたのも事実。そして、それをショーンによって指摘されては思わず口ごもる。
あれは互いに利がありましたよね? 何故に一方的にずるいずるいと詰られるのでしょうか? これで手を打つべきでは? 口には出さず、目だけで問いかけるのは、優しさだろうか、それとも警告だろうか。いや、後者に違いない。
薄らと浮かぶ冷ややかなその笑みに、外交官はこっそりと溜息を零した。
ルルク以外は烏合の衆。確かに、今までならその認識で良かっただろう。けれども、今は言えない。おそらく、ルルクが退いた後、その地位に新たにつくのは目の前の男だろう。彼は、ルルクと変わらない。いや、ルルク以上に冷淡。下手な欲をかけば、完膚なきまで叩きに来るおそれがある。場合によっては、それこそ尻の毛までむしりに来る。
ふ、と遠い目で微笑んだ。
ルルクの方が良かったな。余計な事をしちゃったな。そんな苦い思いがよぎる。
協定の再交渉。新たに宰相になるであろう高位貴族との、友好的な関係。その二つで今のところ満足するべきだろう。
そっと、外交官は口を閉ざした。
内外ともに黙らせ、騒ぎの責任をとる必要性、ルルク自身が選んだこと、諸々を納得いくように周知し、ルルクの尊厳が守られていることを強調。多少の不満はあれど、声を上げるほどではないように調整。長く外国にいたというのに、国内のあらゆる分野の情報を持ち、その改善点をいくつか提案までしてくる。その場合のメリットデメリットまできっちりと。
ルルクがその任を解かれると同時に、彼が就くのは必然。
今後何が起きるのかわからず、とにかく自分を守らねばならなくなった貴族たちは、慌てて自領へと逃げ帰った。見つかってはマズイものを処分しに行った、とも言う。
無駄だろうな、という言葉をクリストファーは内心で零す。
これだけ自国の内情に精通している彼が、そんな簡単に彼らを逃がすとは思えない。おそらく、いつでも爆発させることのできる時限爆弾をセットしているに違いない。そう確信した。
諸々が落ち着きを見せたころ、さて、とクリストファーは口元に手を当てる。
突然現れた真なるベルト公爵。彼は敵か味方か。
今ではクリストファーには影がいない。手持ちの駒で探らせることができない以上、今ある内容だけで判断せねばならない。
ルルクの話では、彼は貴族としてはできそこない。どちらかというと、自分に敵対する貴族たちのような存在だったはず。それが、ルルクと変わらぬ才を見せる。自国にいない間、戦争に、圧政に怯える事のない場所でゆっくりと学んできたのだろうか。ゆるりと思考を巡らせる。
自分より下に見ていた相手に出し抜かれ、体当たりをかけても容易く御され、全てを失った。その怒りを糧に多くを学ぶ。ありえない話ではない。ありえない話ではないが、都合が良く、現れるタイミングも良すぎる。それは、ありえるのだろうか。
一頻り考えるも答えは出ない。
だが、一先ずその問題は横に置くことにした。自らのもとを訪れたショーンから提示された案件に、とりあえず彼を受け入れようと決める。
それは、いずれ大きな弱みとなるだろうが、それを鑑みてなお、クリストファーに、否、この国に、大きな益をもたらす。そう、判断したから。クリストファーにとって優先すべきはこの国。民たち。彼等の生活が一日でも早く改善される為なら、多少の悪も厭わない。厭うべきではない。それが王である彼の選んだ道なのだから。
決意し、ゆるりと顔を上げたクリストファーは、驚いたように目を見開く。傍に控えていたカインもまた、驚くように気配を揺らした。一瞬後には剣を抜き放っている姿はさすが、と言ったところか。
すぐに王の笑みを貼り付ける。悠然と、ともすれば傲慢にも見える、上位者の仮面を被った。




