72 共同生活
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見事な体術は持っていなので、でんぐり返しで喜びを表現します!
二人の子供と一人の老人の生活は、思ったよりもこれといった何かがあるわけでもなく、ただ淡々と、順調に過ぎて行った。
一応男は子供の両親を埋葬後に問うた。他国に親戚がいれば事情をしたため、そこまで送るし、何だったら他の国の孤児院に届ける事も可能だがどうするか、と。子供はほんの数秒だけ考え、すぐに男に向かって頭を下げる。どうかここに居させてください。
少女は幼いながらも知っていた。子供だけで生きていくむずかしさを。国から国を渡り歩く。物心ついたときにはそんな生活をしていた少女は、両親の親族について何も知らない。子供だけで生きていくか、孤児院の二択。その先を考え、即座に男の下を選んだ。
会ったばかりの男を信頼していようがいまいが選ぶ、という事に、男は僅かばかり少女へと失望を覚えるが、いや、しかし、と思いとどまる。男は、子供――それも女――が親の庇護なしに生きる辛さを知っている。孤児院がマシかと問われれば、否、と答えざるを得ないことも。
わずかな可能性に賭けたくなる気持ちもわからないでもない。しかし、それをこの一瞬で判断する回転の良さ。
男は、少女に対する評価を大きく上げた。
少女に使っていない一室を与え、素材として集めていた毛皮を積み上げて布団代わりにさせる。服は男の使っていない服を与えた。余った部分は折り曲げたり、紐で結ったりと自分で工夫して着る。
問題は食事。
男は一人なら、保存食を食べ、薬湯を飲む。それだけで十分な栄養が賄えるうえ、満腹感も得られる。だが、少女にも、少女の妹だという赤子にも、酷な味だったようだ。少女はけして言葉にしなかったが、一口食べた瞬間に凍り付き、それでもひきつった笑顔を浮かべて薬湯を口にする。冷や汗を垂らしながら、全身を小刻みに震わせ始めたとき、とりあえず子供にこれは止めよう、と誓った。ついでに言えば、同時に赤子に薬湯を試しに飲ませたところ、化け物も裸足で逃げ出すのではないだろうかという勢いで泣きだし、収拾がつかなくなった、というのもある。
仕方なしに男は素材集めのついでに食料を集めた。獣を狩り、樹に生った果物を落とし、野生の野菜や薬草を摘む。そして持ち帰り、少女に獣の裁き方、果物の剥き方、料理の作り方を教えた。
少女の覚えは早い。男が驚くほどに。あっという間に覚え、男の手を離れた。洗濯も掃除も手がかからない。なんだったら男の分までこなす。
はて、子供とはかくも手のかからないものだっただろうか、と男は首を傾げた。男の覚えている子供とは、よく泣き、よく騒ぎ、よく面倒事を持ち運ぶ、そんな生き物。それとも、自分が人との関わりを絶つように研究に没頭する間に世界情勢が変わり、子供の性格が変わったのだろうかと首を傾げる。
男は、もう何十年も一人で暮らしていた。子供どころか、誰かと共に暮らすのは、キャラバン生活以来だな、と笑ってしまうほどに。
男の脳裏に、色鮮やかな日々がよみがえる。姉御肌の母。その母を中心に、世界中を渡り歩くキャラバン隊。全員が家族として助け合っていた。一人は皆の為に、皆は一人の為に。息をするように当たり前に。
そこで過ごした日々。
あの頃が一番楽しかったな、と男は思う。そしてそこまで思い、ふ、と笑った。年を取ったな、と。
こんこん、と扉が二度叩かれる。それに、壁に掛けられた時計を見、ああもうこんな時間かと気づく。一度研究を始めれば寝食忘れて没頭する日々を過ごしていたせいで、すっかり忘れていた規則正しい生活。子供たちとの生活で思い出した。
ゆっくりと椅子から立ち上がる。扉を開け、ひょっこりと顔をのぞかせた銀髪の少女に、ああ、月日が経つのはあっという間だな、と笑いが零れた。
「おとーさま、ご飯だよー」
「ああ、ありがとう」
少女と出会ったころよりも深くなった皺に笑みを刻み、近寄ってきた少女の頭を撫でる。
「アリアは?」
「お姉様は食堂にいるのよ。準備してるの。だからマリアがお父様を呼びにきたのよ」
ふふん、と顎を上げ、得意げに笑う少女の頭を撫でる。褒めて、と言わんばかりの表情に軽く笑い、偉いな、と褒める。そうすれば照れたように、けれどもとても嬉しそうに満面の、子供らしい笑みを浮かべるのを知っているから。
案の定綻んだ少女の顔に、大輪の花を思い浮かべる。その瞬間、男の脳裏にひらめく何か。男は即座に机に戻ると、今脳裏に浮かんだものを紙に書き綴る。研究に戻ってしまった男に、呼びに来た少女が頬を膨らませ、何事か喚いているが、既に男の耳に届かない。喚き声が泣き声に変わっても。やがて、いつまでたってもこない二人を呼びに来た、少女から大人の女性へと変わりそうな少女がやってきて、二人の様子に呆れたように溜息零すその時まで。
三人の生活は、唯一の大人が多少残念なせいで、時折こじれつつも、ゆるゆると、恙無く過ぎてゆく。
少女は大人の女性に、赤子は子供と大人の狭間へと。
ゆるゆると季節は過ぎ、採取は男一人から、男と少女二人に、そして、男と二人の少女の三人に変わる頃、男の研究室には二人の姿が当たり前のようにあった。
姉は何も言わず、ただただ男の手伝いをし、妹は次から次へと思いついた事を試していく。時に爆発させ、時に男をも驚かせるほどの発想で新しいアイテムを生み出す。少女は、男と同じ天才だった。
昨今なかった新しい発想に、男は歓喜し、より多くのアイテムを生み出した。
人知れず、天才たちが宴を催す。
男は天才だったが、既にその体は老い、人である以上死から逃れられることはない。迫りくるその時に、己の欲望を満たす時間が足りないことを知っている。だからこそ、歓喜した。新しい天才の存在に。己の後を継げる存在に。だからこそ、気づかなかった。本物の天才に。
常に控え、傍らで見守っているだけの少女。けして錬金術に手を出さず、あくまでも男の手足の代わりに動くだけ。妹のように自らの考えを試すことはしない。そんな少女が、自分をも凌ぐ天才だと、男は気づけなかった。何を思い、何を考え、手助けをしているのか、ただ、助けられた恩に、ただ、生活の基盤を与えた恩に、報いたい、そう思っているだけなのだと、信じて疑わない。
そうやって気づかぬまま過ごし続けた日々。気が付けば妹の方が自分を実験台にするのが常になっており、いつの間にか二十代の頃の姿に戻っていた。とはいえ、戻ったのは姿形だけ。男は己の命がそう長くないことを知っている。子供たちに伝えるべきか否か、そんな事を考えるようになった頃、ふと気づいた。
二人の異常性に。
今まで興味がなく、気づいていなかった。いや、見ていなかった。そのことに気づいた。
採取に行った先、現れた獣を狩った。そのことに、男とてこれといって罪悪感を覚えたりはしない。
けれども、二人は違う。
ガラス玉のような目に死体を写し、手を伸ばす。血を抜き、皮をはぐ。慣れた手つきなのはずっとさせていたから。だから、余計に気づかなかった。
二人は、死を、命を、理解していない。
妹の方は仕方がないのかもしれない。物心ついた時から姉に従い、当たり前のように食料として獣を捌いていた。そして男もこれと言って教えてはいない。姉が教えていなければ、理解していないのも当然。その事実に、今まで気づかなかったのだという事実に、驚く。
ちらりと姉の方へと目を向けた。
すっかりと大人の女性へと育った姉。出会いは炎の中だった。死と炎の中で出会った少女が、どちらも恐れないことに疑問を持つべきだったことに、男は今初めて気づく。そして同時に、このまま教えないのも良いかもしれない、と思った。なぜなら、男に残された時間はそう長くはないから。今日明日ではないだろうが、もって数年といったところか。死を知らないのならば、自分がいなくなってもこの家がある限り二人は生きていける。それだけの事を教えた。
男は悩む。だがそうも言っていられないことが起きた。
姉の方が、魔神の力を発現させたのだ。
危険な竜の巣への採取。初めての場所に興奮した妹の方が、眠っているドラゴンを起こしてしまった。激怒し、襲ってきたドラゴン。男が二人を逃がすよりも早く、姉の方が動く。
一瞬だった。
男の真横を抜けた突風。立っていられないほどの衝撃に、男は膝と両手をつく。そして顔を上げた時には、それはあった。
首から血を流し、倒れ伏すドラゴン。その前に立つ、血まみれの女。
あまりの事に、男は理解ができなかった。ただ、流れ出すドラゴンの血を勿体ない、と思い、血まみれの女の姿に、あの服を洗うのは大変そうだ、とか、髪が血まみれのままだと切って捨てないといけなくなる。折角綺麗な髪なのに、とかどうでも良い事が脳裏を過ぎた。
ドラゴンをも容易く屠る力。魔神の力を前に、男は頭を抱える。
もしも、と考えてしまった。
もしもこの死を、命を理解しない彼女が、自分の死後、人と関わってしまったら? 理解せぬまま、人を殺めてしまえば? そう考え、ゾッとした。
彼女が殺したドラゴンは、綺麗に解体し、素材としてありがたく持ち帰りはしたものの、男は悩む。このままで良いわけがない。本来なら保護者として教えなければならなかったことを、今更ながらに教えようと決意した。
「アリア、少しいいか?」
「はい、ユリウス様」
呼びかければ、妹とは違い、夜空に浮かぶ月のように、静かな微笑みが応える。その微笑みに、随分と大人になったのだ、と気づく。男の中ではまだ、赤子を抱いた少女のような気でいた彼女が、一人の女性に育っていた。そのことに、軽くめまいを覚える。
彼女たちが男の下に来て既に十年の月日が流れていたのだ、とその時初めて認識した。それだけの時間が過ぎれば、自身はますます老い、死の淵へと至り、あの時少女だった彼女が、大人になるだけの時間があったのだ、と知る。そしてその間に、生きるために必要な最低限を教えても、人として最低限理解していなければならないことを、教えていなかった自身に呆れる。
「君は私が死んだらどうする?」
「死ぬ? ユリウス様が?」
きょとん、とまるであどけない少女のように首を傾げる彼女に、男は答えを待つ。しばらく口元に手を当て、考えていた女は、困ったように眉根を寄せた。それから、ぽつりと口にする。
「困ります……ユリウス様がいないと、私……どうしたらいいのかわかりません」
「わからない?」
戸惑うような声に、今度は男の方が眉根を寄せる。
突然迷子の子供のように、不安そうな、頼りなさげな表情を浮かべた女に、そしてその女の零した不明な言葉に、男は困惑した。女が言いたいことがわからずに、ただ首を傾げる。
「あの日ユリウス様が私に道を指し示しました。だから、私は生きています。あの日から、ユリウス様が私の生きる意味で、全てです。ユリウス様が、生きていないと……私、私……また、失って……」
「もういい。わかったアリア。すまなかった」
震える体を抱きしめる。
彼女が、あの日から止まっているのに気付かなかった。それは男の落ち度。あの日あの場所に置き去りにした少女が、今ここで泣いている。それに気づいた男は彼女を抱きしめる。強く、強く。自分の持てる力全てで。女が苦しげに呻いても、その手を解かない。
男は知る。女が命について理解していることを。その上で、要不要を極端なまでに切り捨てていたことを。そんな母親代わりの姉の姿を見ていたから、妹が命について理解していないことを。
結局、全ては男の傲慢で怠惰な姿勢が悪いのだ、と理解したからこそ、男はかけようとした言葉が喉の奥に張り付き、口に出せなくなった。代わりに、今度こそ彼女を正しく導かなくてはならない。そう、強く思い、そっと腕を離した。
男に残された時間は少ない。その少ない時間でどれだけのことができるのだろうか、と一瞬考え、ゆるりと首を振る。そして、久方ぶりに自らの意思を以て口角を持ち上げた。錬金術師として名を上げ、煩わされるようになってから忘れていた笑みを。
それは、口角を上げただけの不格好なもの。それでも、男に浮かべられる精一杯のものだった。




