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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
七章 砂の牙城
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67 死と現実の狭間で



 下るにつれ、僅かな光も届かなくなっていく。ランタンで照らされた以上は見えない階段。本当に地獄の入り口かもしれない、とルルクは馬鹿な事を思った。


 先を降りるシンは慎重に足を進め、その後ろをついていくだけのユーリは、身の丈ほどの木べらを手に、音もなく滑るように降りていく。その後ろに続くカインは、ご立派な鎧を身にまとっているとは思えないほど静かだ。縦にも横にも幅があるため、一瞬カーテンだろうか、と思い違いをしそうなほどのマントは、優雅に膨らみ、階段を下るのを邪魔すことはない。


 器用な奴らだ、という感想は何とか飲み込み、壁に手をつきながら、降りる。時折、後ろをついてくるクリストファーを振り返るのを忘れない。


 どこまでも降りていくような錯覚を覚えた頃、ようやく階段は終わりを告げた。


 ふり仰げばすぐに闇に飲み込まれる階段。正面に顔を戻せばランタンの僅かな明かり。その奥は階段と同じく闇に飲み込まれていた。


 行くも帰るも闇の向こう。生きて日の下へ帰れるのだろうか、と一抹の不安がよぎる。


「よぉ、ユーリ」

「ん?」

「生きて帰れないかもって言ったよな」


 まるでルルクの不安を読んだかのように、上がった声。その声の主を、思わず直視した。ユーリのひとつ前を歩くシン。振り返ることはなく、真っ直ぐ前だけを向いているので、その表情は窺い知れない。


 まるで世間話をするかのように、常と何ら変わりない調子で紡がれる言葉。その不穏な言葉に、嫌な予感がよぎる。


「んじゃさ、生きて帰ったら、俺、アイツに結婚を申し込もうと思うってのはアリだと思うか?」


 突然の話題。


 何それ、詳しく、と目を輝かせる、意外と下世話で、王族としての結婚さえできずに、そちらの方面に鬱憤をためているクリストファー。それを咳払いと名を呼ぶことで諌めるルルク。


 返すユーリの声は多分に呆れを含んでいた。


「ないね」

「なんでだよ。そういう目標があった方が、頑張れるんじゃねーの?」

「現実的に考えて、シン? そんな面白い話題があったとして、僕が全力で邪魔しないわけ、ないだろう?」


 実に真面目くさった声で、実にクズな発言を平然と漏らす男。そもそも、と言葉をつづけた。


「僕、彼女はシンに似合わないと思うんだ。シンに似合うのはチコちゃんみたいなタイプだよ」

「チコぉ? なんでだよ?」

「だって、あの子可哀そうなんだもん。ああいう薄幸で、手のかかるタイプはシンじゃなきゃ無理だと思うよ」

「嫌だよ。ありゃ妹としかみれねぇ」

「本当に? 彼女が、今まさに暗殺者として洗脳されている途中で、そのせいで、記憶が混濁して、君たちの愛情がきちんと届かないから、あんな状態を長く続けてるとしても?」

「は……?」


 シンの足が止まり、振り返る。


 ランタンの光に照らされた、にんまりとした笑みは、常と変らない。けれど、シンは知っている。その言葉に嘘がないのを。その顔が、嘘を吐く時とは違う、ということを。


 右手で顔半分を覆い、そのまま前髪をかきあげ、くしゃくしゃとかき混ぜる。


 色々と思うところがあるが、口を引き結び、背を向けた。無言で歩き出すその背に、ユーリもまた、何か声をかけることなく続く。


 二人が黙ってしまえば、後ろから続く者達が声をかけることはない。同じように黙って歩き出す。


 しばらく進むと、曲がり角。不意にシンが足を止めた。片手を上げ、止まるように指示を出す。ユーリがランタンの火を消そうとするが、それをシンが止める。


「無駄だ。どうやら、待っていたみたいだぜ」


 ほれ、と指差された先。少し開けた場所が見える。壁に松明がかけられ、明るい。そこに立つ、一人の女。


 長い銀髪を高く結い上げ、魅惑的なカーブを描く体。その大事な箇所だけを隠す、きわどい衣装。四肢に絡みつく金の装飾。目元を覆う、布。南の貧民街でユーリたちと敵対した女。


 腰に下げた装飾ベルトにぶら下がる短剣に、既に手がかかっている。


 ゆったりと弧を描く赤い唇が、開かれた。


「出ていらっしゃい、ネズミちゃん」


 甘く、誘うように紡がれる言葉。ちらりとユーリに視線を向ければ、一つ頷かれる。それに頷き返し、シンは無言で短剣を引き抜いた。


 飛び出しざまに、隠し持っていたナイフを投げつける。


 シンは騎士ではない。ハンターだ。ハンターの戦いに、名乗り合いや礼儀など不要。敵か味方か、ただそれだけ。そして、敵ならば問答無用で屠るのみ。投げられたナイフを、女が引き抜いた短剣で払うその隙に、駆け寄り、己の短剣を振るう。けれども、それは容易くはじかれた。


 女の両手に握られた、二本の短剣。


 左手で握った短剣でナイフを振り払い、右手の短剣でシンの短剣を躱す。女ながら、シンの短剣を片手で受け止めるその力は、細身の女とは思えない。


「情熱的なアピールね。そんなに私と遊びたかった?」

「生憎、好きな女がいるんで他は遠慮してるんだよ」


 艶やかに誘う声に、あからさまに顔をしかめて答える。


 短剣を切り結ぶ。


 一撃、二撃、その度に響く鉄同士がぶつかり合う音。走る火花。シンは一つ舌打ちをした。


 遊んでやがる。


 女と得物を合わせてわかった力量の差。それは、中堅ハンターと言われるシンでは及ばないほど。ユーリがあれほど死を予言した理由を、嫌と言うほど理解する。シンは、尖兵として現れた程度の、この女にさえ、及ばない。これより先に進めば、当然、より強い者がいる可能性が高い。その時、自分はユーリを守れるだろうか、と不安がよぎる。


 シンは、既に女の先に進むつもりでいた。そのために女を切り崩す方法を考える。


 相手を良く見るんだ、ユーリの言葉が脳裏をよぎった。


 良く知らない相手の事を知るために、相手を良く見る。呼吸を読めるほど、じっくりと。指先の動き一つで、続く相手の行動を読めるほど。そうして見続けることで、相手の思考まで読めるようになる。そうすれば後は、先回りして、罠にはめるだけ。


 冷静さを失っている者、自分の優位を信じて疑わない者、注意力がそがれている時が狙い目。そのために相手を馬鹿にしろ。そのために相手に己を弱者と思わせろ。


 さて、とシンは眉根を寄せた。女はからかうように、シンの短剣を捌き、力量に合わせるように突き出してくる。完全にシンを弱者として遊んでいる。証拠に、時折混ぜられるわざとらしいほど強い一撃。捌ききれず、シンの体に擦り傷がついていく。


 シンなど、その程度。


 弱く見せる必要はない。何しろ初めから相手より弱いのだから。


 弧を描く赤い唇に、まるで踊るように優雅な短剣捌き。後ろで見ているだけの者には、剣舞を見せられているような錯覚に陥るだろう。それほど、女の短剣の扱いは美しかった。けれども、それに魅せられるような男は、今この場にいない。


「ねぇ、シン。僕飽きちゃった」

「悪ぃな。すぐ終わらせるわ」


 つまらなさ気に唇尖らせ、文句を零すユーリ。シンは笑う。そして、ポシェットの中から小さな袋を取り出した。女に向かって投げつける。女の短剣が一閃し、袋の中身が零れた。


 白い粉が広がる。


 小麦粉による雑な目くらましの間に、今度はポシェットの中から癇癪玉を五個、取り出す。何の迷いもなく、ポシェットの側面についている側薬でこすり、火をつけると女に向かって投げつけた。


 癇癪玉の小さな爆発。とはいえ、あくまでも、ユーリ作の爆弾の中では、という程度。その中へ、更に突っ込んでいくシン。予想外の攻撃に、吹き飛ばされる女の腕を掴み、身体を引き寄せると、その胸に短剣を突き立てた。


 女の口から溢れだす赤。


 驚きの表情で固まっている。


「し、ん……?」


 女が呟き、自由になる方の手で、シンに触れた。確かめるように、頬を撫でる。


 その動きに、声音に、シンが目を見開く。


「リリ……?」


 腕の中の女を見た。


 嘘だ、と心が悲鳴を上げる。自分が、愛しい女を見間違うわけがない。声を、聞き間違うわけがない。先程まで戦っていた女は、間違いなく別人だった。でも、今腕の中にいるのは……。


 乱れた目隠しが落ちる。その顔が、顕になった。


「リリ!!」


 悲鳴のように名を呼ぶ。けれども、頬を撫でた女の手は、力なく落ちて行った。膝から力が抜け、崩れ落ちるようにつくシン。その背に近寄るユーリ。かつり、と杖代わりの木べらが音をたてた。


 知っていたのか、と掠れた声で問う。それに、ユーリはうん、と一言返した。それっきり二人は口を開かない。


 ユーリは知っていた。その女の正体を。アレグロと共に行った遺跡。失われた技術を使用できる場所。そこで造ったホムンクルスの器。それは、リリだった。もともと彼女からは血の香りがしていた。本能的なもので、嗅覚で感じ取ったわけではない。それでも、ユーリは己の勘の正確性を知っている。だから、ずっと思っていた。彼女は、シンに相応しくない、と。


 ユーリが見た限り、リリという女は、ただの女だった。普通の、盲目の女。けれども、それだけではない。どこかに違和感を覚えていた。それは、彼女の手にあるタコ。確かに彼女の手は働き者の手だ。硬く、荒れている。だけれども、それだけではない。短剣を使う者にみられる剣ダコがあった。


 血の匂いに剣ダコ。


 ユーリは彼女の事を、リーニャ・グルフェリックという暗殺者が後継として育てている暗殺者だ、と認識した。そしてそれがほぼ間違いないのだろう、と思ったのは、チコとの会話。


 チコは言った。


 神父様は何かが変だ、と。ここを出て行ったあとも此処にやってくる人の中にも、変な人がいる。何か、会話が暗号のような違和感を感じる。そして、極めつけはリリ。優しいお姉ちゃんが、神父様と会話した後、ふらりと消えることがある。不審に思い一度だけ、戻ってきた彼女の部屋に忍び込んだとき、血まみれの布に包まれた、奇妙な形をした短剣を見た。


 その話を聞き、ユーリは考えを改めた。リーニャ・グルフェリックは、人の名ではない。おそらく組織の名が、リーニャ・グルフェリックだ、と。そして、孤児院は暗殺者を育てる場でもあるかもしれない、と気づいた。


 確信に変わったのは、あの後もう一度チコと出会ったとき。昼と夜の彼女の様子に、洗脳に失敗した者だと理解した。


 強すぎる心の傷のせいで、うまく洗脳できなかった。中途半端に色々なものが混ざり合い、夜の事を覚えていられなくなった少女。洗脳の際に、命を奪う行為に嫌悪を抱かぬよう、トラウマを刺激し、あのようなクズはいない方が国の為、とでも教え込んだのか。そのせいで却って傷が悪化し、孤児院関係者以外の全ての人間に攻撃するようになった可能性。それらに思い当り、更には自分に対する見解があまりにつまらなく、ユーリはリーニャ……リーン神父を見限った。


 ユーリは自身をクズだと認識している。けれども、自分以外のクズを見ると、叩き潰したくなる。


 彼から奪ったシン。リーン神父にとって、シンが失われようと痛手にはならない。それは理解していたが、シンからもたらされた情報が彼に届くかどうか、そちらが重要。届かなければ僥倖。彼が真実を理解した時、どうなるか。この国を愛し、この国の為に、この国の真なる王に仕えよ、と洗脳された男。彼が、どうなるか。


 ユーリがリーン神父に対して望んだのはそれだけ。けれども、シンには別な事を望んでいた。


「だから言ったじゃないか。死ぬかもしれないから先に良い思いさせようかと思っただけだって」


 なんて事のないように吐き捨てられる言葉。


 シンは、ユーリを見上げる。その目に、涙はない。怒りも。ただ、無があった。


「それに、その子は君に相応しくない、とも言ったよ。残念だけどね。その子の洗脳は完璧だった。顔つき、声まで変わるほど、別人になっていた。そして、おそらくその別人になった子は、君のものにはならない。別な人間のものだっただろうね」

「……そうか……」


 どういう事なのか理解してなお、シンはリリを離さない。


「あとさ、君が、彼女の事をちゃんと見てたんなら、僕は君に教えただろう。けど、君は彼女を見ていなかった。だってそうだろう? 顔つきが変わろうと、ちゃんと見てたなら、君がわからないわけがないんだよ。あの僕を一瞬でわかったように、ね。だからその程度の想いでしかないなら、棄てた方がいい」


 シンは答えない。けれども、そっとリリを寝かせた。口元を汚す血を拭き取り、じっと見つめる。


「ユーリ……お前は、俺が必要か?」

「君が、僕をきちんと見る事ができるのなら、必要だね」


 俯いたまま問うシンに、ユーリはにんまりとした笑みを向けた。


「君が僕を見る事が出来るのなら、君が僕を憎もうが、嫌おうが、敵対しようが、僕は君を必要とするよ」

「そうか、なら、一度死んでくれよ」


 リリの体から抜き取った短剣を手に立ち上がり、振り返りざまにユーリに突き立てる。その目は、怒りを宿し、真っ直ぐにユーリを見ていた。


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