66 リーニャ・グルフェリック
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顔を歪め、考え込むクリストファー。やがて、ゆるゆると首を左右に振った。そして結論を出す。
自分たちは傍観者である。
それがクリストファーの出した結論。それしか、出せなかった。
クリストファーは王だ。仮初とはいえ、この国の王。軽々しくどちらか片方に肩入れすることはできない。しかも、片方はこの国の王と名乗る気がない、と言い切り、片方はその相手を廃そうと動いている。そんな状態で下手に関わって、この国にどんな被害が出るか。想像もつかない。
その判断を聞き、ユーリはにんまりと笑った。
賢明だね。そう言った声は、愉悦を含んでいた。
「そちらが手を出さないなら、僕から君たちに何かすることはない」
君は、最善を選んだよ、と笑う男。
フードが取り払われ、その顔が見えたとしても、どこまでも不気味さが抜けない。いや、むしろ、目が顕になったことで、より不気味さが増した。彼の、ユーリの目は、弧を描く口元に対し、ただただ冷たい。なんの感情ものせていない。
目を隠し、口元が弧を描いているだけなら、その表情のまま喜怒哀楽の感情を感じられた。そしてそれを、ただ享受していれば良かった。けれど、目が見える今、それはできない。感情を受けるはずなのに、その感情がないのだ、と目を見ればわかるから。
体の内側で、何かが冷えていく。
「ところで、君は傍観する、と言ったね」
「あ、ああ」
「なら、一緒に行くかい? 全てを見るために」
銀色の目が、唇とは逆に弧を描く。ゆるりと細まり、煌めく。
毒だ、と反射的に思った。
あの銀は、じわりじわりと体を蝕んでいく毒。既に体内に潜り込み、緩やかに巡っている。逃れる術を、クリストファーは知らない。この国の王として生き、この国の為に傍観を選んだ以上、今、何が起きているのかを知るのは必要なことなのかもしれない。銀色に見つめられ、そう思った。知らずに進む未来もあったはずなのに。
「ああ、そうだな。この国の為だ。それに、その場で王が代わるのやもしれん。俺も行く必要があるだろう。ただし、俺は……我々は一切の手出しをしない」
「勿論だとも。そして、それが正解だ」
大きく頷く頭。さらり、と流れた金糸に、クリストファーは眉根を寄せた。
何故、それに気づくことがなかったのか。確かに、口元しか見えないほど目深に、フードを被っていた。だからといって、その髪が、一度たりとも顕にならなかった違和感。頭を下げる、ただそれだけで流れる金糸が、何故、一度も己の目に飛び込まなかったのか。
言っても詮無いな、と息を吐く。
理不尽と、奇怪と、不思議を、錬金釜に放り込み、混ぜ合わせてできたのが目の前の男だ、と言われても納得できる。それが『魔法使いユーリ』という男だ。『魔法使い』という呼び名は伊達ではない。
「では行こうか」
「どこへ?」
「敵のいる場所さ。そして、この国の始まりの場所だね」
思わず聞き返したクリストファーに、何を当たり前な、と笑うユーリ。そして、誰の返事も聞かず、立て掛けていた木べらを手にすると、それを杖代わりに立ち上がる。
一瞬よろけたユーリの腰を、抱えるようにして庇うシン。ユーリがきちんと己の足で立つと手を離し、肌蹴ていたフードを被せる。
「ありがとう、シン。頼んだよ」
「おう」
短い会話。見える互いの信頼関係。やはり、シンがユーリに毒を盛った、という事実を受け入れられないまま、クリストファーとルルクは顔を見合わせ、僅かに首を傾げた。けれどもそれで何かを口にすることはない。彼らの関係は、常人では理解できない範囲にあるのだ、と自身を納得させるだけ。
当たり前のように歩き出したユーリに続く。クリストファーが動けば、当然カインもついてくる。
一人窮屈そうにする人物を連れ、城の地下へ。ユーリが一度捕らわれた牢の、更に下。重犯罪者用の牢へ。
ユーリは一度も来たことがないはずなのに、迷うことなく歩き、辿り着く姿に、ルルクは眉根を寄せた。この国で知らぬことはない、と豪語した事実があるが、それが本当だと思ったわけではない。にもかかわらず、平然と歩いていく。迷い一つなく。思わず、カインへと視線を寄越した。それに返る答えが否だと知りつつ。当然、ゆるりと左右に振られる頭。初めから期待などしていない。でしょうね、と言わんばかりに一つ、頷いた。
見知らぬ人物が、当たり前のように歩く姿に、けれどもその後ろからついてくるこの国のトップたちの姿に、止めるべきか、声をかけるべきか、決めきれず、困ったように右往左往する兵士たち。それに片手を上げるだけで通常業務をさせるクリストファー。
良い王だ、とユーリは笑う。
そして次いで、これからも是非、国王を頑張ってもらいたい、と。
いつの間にか袖から取り出したランタンを掲げ、迷いなく歩いていく。
重犯罪者用の牢の最奥。一つだけ、扉のない牢。その中に入る。他の牢のように、四方八方を金属で固めていない、ただくりぬいた岩肌だけが露出するその場所。ユーリの指が壁をなぞる。
ランタンの明かりがゆっくりと壁を照らした。
「なんだ? 絵か?」
首を傾げるシン。
ランタンの明かりに照らされて、薄らと壁に浮かび上がる線。よほど目を凝らしてもなお、それが絵だとは思えない。カインにも僅かに線が見える程度で、クリストファーとルルクに至っては、シンの言葉に首を傾げている。そんなものを一瞬で見抜く目をもつ男。それが、ハンターという職業柄だと言われても、常人には理解ができない。
にんまりとした笑みが振り返る。
「流石はシン。よく見えている。そうさ、ここに描いてあるのはこの国の、まぁ、歴史みたいなものだ。僕は認めてないけどね」
ふん、と不快気に鳴らされた鼻。
「始まりは死。炎と再生。誕生と発展。そして、消える薔薇。そのとおりに絵を入れ替えて」
「入れ替えてって……これ、剥がれんのか? あ、とれた」
言われるがまま壁に近寄り、手を伸ばし、あっけないほど容易くとれた岩に、瞬いた。よくよく見れば、それは岩のような加工をされた、人工の壁だとわかる。これほど間近で見ないと、わからないほどの加工。こんな技術を持つ者が現在いるだろうか、と首を傾げてしまう。
「実に巧妙にできているけど、この壁は天然ものじゃない。そう、見えるように作られた人工の壁だ。大工のリリオのご先祖様は、驚くほどの腕を持っていたのさ。見てよこの天然に見える壁に、よく目を凝らしても、殆どただの傷に見えるほど細かく刻まれた絵を。ここまでの技術を手に入れるのに、どれだけの修練が要ったのか……いやぁ、僕も延々と釜をかき混ぜていた昔を思い出すなぁ」
「へー」
ユーリの説明に、シンはさほど興味な下げに声を上げつつ、はがれる部分を、絵に合うように入れ替えていく。
「魔法使い殿にも新人時代があったのか。いや、当然とはいえ、想像もつかないな」
「まぁ、僕はそれなりに才能を持っていたけどね。それでも、昔はただひたすらに素材を集め、錬金釜に放り込んでいたよ。無限とも言えそうな素材の組み合わせ、調合時間。尽きない情熱を持っていたんだよ」
「それが今じゃぁ、性転換の薬を飲んで、スカートはいて、男を押し倒すようになったのか」
へっと吐き捨てられる笑い。
動じないカイン。ぎょっと目を見開くルルク。目を輝かせるクリストファー。三者三様の反応。
クリストファーから何それ詳しく、と言わんばかりの視線を向けられたユーリは、軽く肩を竦めた。
「長い人生、それなりに楽しみを持たないといけないよね」
「お前の楽しみに、俺を巻き込むな」
「君じゃなきゃ誰を巻き込むんだよ」
「……そこの、鉄面皮男」
「嫌だよ。反応が淡泊だし、あの美少女加工済みの僕に向かって、厚化粧呼ばわりするような朴念仁だよ?」
「……少女? お前、鏡見て、自分の年齢考えたら?」
「『美』は認めるんだね?」
首を傾げたシンに、すかさず言葉を拾うユーリ。どこにでもいる、軽口を叩きあう友人同士の姿。
何故、と思わず首を傾げたくなる。
「大したことじゃないよ」
突然、ユーリが振り返る。にんまりした笑み。顔が見えないほど目深に被ったフード。それでも然りと感じる視線。こちらは一言も声を上げていない。ただ成り行きを見守っていただけ。それなのに、ぐるん、と振り返った。まるで心を読んだかのように。
気味が悪い。
背を向けたままでさえ、動向を知り、心情を正確に読み取る。まさに化け物。
「君は影の顔を見たことがあるかい?」
「い、いや。影との会話はいつも声だけだ。だが、その声はいつも同じだ」
だろうね、と頷く。
「影の名前を知ってるかい?」
「ああ。リーニャだ。リーニャ・グルフェリック」
「ああ、僕もそうだと思ってたよ。つい最近まで、ね」
楽しげな声。うんうん、と大きく頷く頭部。実に勿体ぶった様子に、クリストファーもルルクも顔をしかめた。ユーリがそういう男だという事は知っている。それでも、何か重要な会話をしているような気がする今、そうやって神経をわざと逆撫でされると苛ついてしまった。
無言で先を促す。
「リーニャ・グルフェリック。一見一人の男の名のようだが、それは組織の名前だ。『リーニャ・グルフェリック』という組織。だからこそ、あの男は同時刻、違う場所に現れる」
「待て待て待て。そんなことがあり得るのか? そもそも、だとしたら、その組織は普段どこにいる?」
「孤児院さ。あそこの神父は自らを『リーニャ・グルフェリック』と名乗っている。そして、あそこの孤児院出身者の多くが、組織の人間だ。そうだと考えると実につじつまがあう。リーン神父と名乗る男を頭に据え、孤児院出身の、名もなき者達が、子供の時分から洗脳され、訓練され、そして、暗殺者となる。彼のメガネにかなわなかった、シンのようなものは、普通の人間として出て行くから、余計に怪しまれない」
ユーリの言葉に、思わずシンを見た。とくに気にした様子もなく、ユーリに言われたとおりに壁の絵を完成させている。終わったぞ、と声がかかり、ユーリが一番端の絵、ユーリ曰く所の『消える薔薇』の部分に立った。
白い手が、岩肌のような壁に触れ、ゆっくりと右へ動かしていく。少し重いのか、苦しげに零れた声に、シンが代わる。
ずずず、と微かな音を立て、岩壁が、右へと動いた。壁はそのまま横の壁の中へと吸い込まれ、代わりに階段が現れる。そんな仕掛けを知らなかったクリストファーたちが、目を白黒させるが、ユーリとシンは気にしない。シンを先頭に早々に階段を降り始める。
「これは、地獄への入り口ですか?」
「どう思う?」
問いかけに、ユーリが立ち止まり、振り返る。
三日月の口が闇に浮かんでいた。
なんて陳腐で愚かな問いかけをしたものだ、とルルクは自分に笑う。目の前の男の存在こそ、悪夢だというのに、今更地獄だどうのと、馬鹿馬鹿しい。ちらりと主であるクリストファーを見れば、同じように視線が合う。そして一つ、頷いた。
カインを先に行かせ、自らもクリストファーを守るように前に立ち、降りる。
「彼は、大丈夫なんですか? 貴方に毒を盛ったんでしょう?」
「彼は選んだのさ。僕を。そうでしょう、シン?」
「さぁな」
「ふふふ。可愛いねぇ。大好きなお父さんと決別したから大泣きしたくせに」
「うるせぇ」
軽口。
どんなときも変わらない。それでも、ルルクの懸念は消えない。どんな状況になれば、選んだ相手に毒を盛るのか、想像もつかないから。
「僕が言ったのさ。リーニャ……リーン神父はいつか僕を殺そうとする。そして、彼はその時絶対に毒を使うから、そのまま盛ればいい。彼が扱う毒は僕が造れる毒だけ。僕は僕が造れる毒では死なない。そのうえで、どちらに付くか決めればいいってね」
「貴方を選んだ、と貴方が確信できるのはなぜですか?」
「シンはね、君が思うより繊細で、臆病なんだよ。傷つきやすくて可愛いらしいとも言うね」
「……ああ」
それまでずっと黙っていたカインが、ようやく納得した、と言わんばかりに声を上げた。それに嫌そうに舌打ちするシン。今彼の前に回り、その顔を覗き込めば、間違いなく渋面を浮かべているだろう。
わざと足音を立てるような愚かな真似はしないが、あからさまに不機嫌な気配を背中に背負うシンに、ユーリはふふ、と小さく声を零す。それがあまりに優しげで、後ろで聞いていたルルクが、ユーリは実は偽物で、今この瞬間にでもクリストファーに害なそうとしている者なのかもしれない、と本気で心配するほどだった。




