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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
七章 砂の牙城
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62 近くて遠い



 国民を長く苦しめた戦争。その戦争の元凶とされる錬金術学校関係者。現在明日の処刑を前に、街中がぴりついている。そのため、巡回している騎士隊が増えていた。それが騒ぎの場に迅速に騎士がやってきた理由。


 カインの重々しい声で、戦争の一番の被害者である街の人々を刺激するような騒ぎは控えてほしい、と頼まれれば、ハンター達はあっという間に解散した。そこで騒ぎ続けるような者はハンターにはいない。彼らはゴロツキではない。だからこそ人々に受け入れられている。


 半裸状態で放り出され、一人残ったシン。ユーリもカインと何かを話し、出て行ってしまった。残されたシンは部屋のカギを閉めようとベッドから降りようとしたとき、違和感に気づいた。


 ズボンのポケットに突っ込まれる手。こつり、と何かに当たった。指先にふれるひやりとしたガラスの感触と、その中で揺れる液体の手ごたえ。


 取り出せば、手のひらにすっぽり隠れる小さな瓶。その中で揺れる、小指の爪ほどの量の薄水色の液体。


 疲労からくる眠気は一瞬で飛んだ。驚いて目を見開く。


 エリクサー。


 神の涙とも呼ばれる奇跡の薬。


 八年前、ユーリと契約した際に一度、見た。見間違うはずがない。何せそれは、シンが喉から手が出るほど欲しいものだから。


 欠損だろうが病だろうが、生きてさえいればどんな傷も、病も、体の不調も、全てたちどころに癒すと言う。もしかしたら、死人も甦るかもしれない、そう、真しやかに囁かれる秘薬。


 リリ、と思わず愛しい女の名を呼び、次いで、何故だ、と頭を抱える。


 それはユーリからシンへの違約金代わりに支払われるはずのもの。


 八年前、シンはユーリと契約した。シンの人生を差し出す代わりに、リリの目を治す物を手に入れるのを手伝う。そのときユーリはこれをシンに見せた。そして、これならシンの望みを叶え得る物だ、と言った。買いたい、と言ったシンに、ユーリは目が飛び出し、顎が外れそうになるほどの金額を要求した。それは、奇跡を呼ぶ薬に相応しい値。


 わかっていた。秘薬が、容易く手に入るものではないことぐらい。


 知っていた。一度失ったものが、容易く戻るものではないことぐらい。


 それでも、手を伸ばすのが人というもの。


 錬金術で手に入るもので、それ以外で可能性のあるその全てが、シンの手には届かないものばかり。己の無力に嘆くシンに、ユーリは尋ねた。


 それでも求めるか、と。


 否やはない。シンが求める物はただ一つ。愛しい人に、自らのせいで失ったものを返す手段。そのためにハンターになったのだから。


 ユーリは頷いた。そしてにんまりと笑う。


 気に入ったよ、と囁く声。


 もしも、と続いた。


 もしもユーリがシンとの契約を破棄することになったら、その瞬間シンは大きな伝手を失う。それは、生きている間にリリの目を治すことができなくなる、とほぼ同義。ならば、契約期間中に、ユーリが一方的に契約を破棄することとなった場合、これを君にあげよう、と。


 そう言われたものが、今、手の中にある。


 換算して、桁を数える事さえ億劫になる価値のそれ。その秘薬をぽんと差し出せる人物。それが、ユーリ。魔法使いと呼ばれる男。だから、この薬の出所に疑問はない。それが渡されたという事実が、シンを打ちのめす。


 シンとユーリ。契約で結ばれた二人。二人の関係は、シンが思うよりは強固な絆で結ばれ、周囲の者が思うよりも希薄な付き合い。


 いつだって、真実決定権はユーリにあった。


 だからわかっていた。気づいていた。いつか、終わりが来るであろう、その関係性。


 けれども無意識に思っていた。願っていた。いつまでも続くように、と。


 盲目の女性、リリ。彼女の事は愛しい。とても大切で、シンにとってはどんな宝石よりも価値のある、ただ一人。彼女の目が治るなら、これほど喜ばしい事はない。それでも、それはユーリとの関係性を失って良いものではない。


 ベッドから立ち上がると、剥ぎ取られたシャツに袖を通す。小瓶を片手に部屋を出た。人通りの多いハンター通りを抜け、中央広場を過ぎる。東の教会通りを歩くシンの表情は冴えない。


 全てを受け入れるように、開かれた門。続く道を示すように両脇を彩る花壇。その花壇の前に立つ、一人のシスター。手にはジョウロ。


 リリ、とその名を呼びながら近づく。まだ距離は遠い。シスターはシンの声に気づかず、花壇にジョウロの水を与えている。


 リリ、と再びシンは呼んだ。ゆらゆらと近づいてくる気配。距離が狭まり、掠れた声はシスターに届く。花壇から顔を上げ、近づいてくる気配の方へと顔を向けた。


「シン? どうしたの?」


 盲目の女は、軽く首を傾げる。


 細い体に手が伸びた。


 がらん、と音を立ててリリの手の中からジョウロが落ちた。中に入っていた水が地面へと吸い込まれていく。


 強引に引き寄せられた細い体は、きつく抱きしめられ、ぎしりと音を立てた。突然のことに、ぐと喉からひきつるような声が零れる。しかし、腕は緩まない。震え、縋り付く。


 リリ、リリ、と繰り返される名。


「どうしたの、シン?」


 柔らかく問う。


 まとめて握りこまれた腕が動けば、背に回し優しく撫でられたのに、と残念に思う。けれども何も言わず、静かに佇む。顔が埋められた肩が、ゆっくりと濡れていく感触に、泣いているのだと知る。


 答えは返らない。


 きつく抱きしめる腕。嗚咽はない。ただ、静かに零れ落ちる涙。だからリリはシンが落ちつくのを待つ。


 静かに、静かに。


「リリ」

「ええ、大丈夫よ、シン。いいこ、いいこね」


 緩んだ腕に、自らの腕を引き抜くと、そっとシンの背に回す。落ち着かせるように、緩慢とも取れそうなほどゆっくりとした動作で背を撫でる。それから軽く叩く。赤子をあやすように。


 やがて抱きしめていた手は、だらりと力なく落ちた。それに合わせてリリも、シンの背に回していた腕を解く。そしてそっと手を取った。


「部屋に行きましょう。貴方の好きなお茶を淹れるわ」


 ふわりと微笑む。


 シンの応えはない。俯き、背を丸めている。気配が動かずとも、リリは気にせずシンの手を引いた。


 引かれるままに付いてくるシン。まるで小さな頃のようだ、と懐かしくなる。


 幼い頃のシンは、今と違い少々鈍い子供だった。話しかけてもゆったり喋るせいで、同じ年頃の子供たちは焦れたのだろう。あまりシンとの会話を好む者はいなかった。自由時間は、活発な子達のように外を駆け回ることはない。だからと言って本やままごと、刺繍に興味を示すわけではなかった。日の当たる場所に座り、ぼんやりしていることが多い。植物のように大人しく、大人の中にはうっかり忘れてしまう者もいた。


 だから、毎日リリが手を引いていた。


 食事の時間、勉強の時間、眠る時間、呼びに来る大人が忘れても、リリだけが忘れず、毎日シンの手を引く。


 いつからかシンはリリを、リリだけを待つようになった。大人が手を差し伸べても、いやいやと駄々をこね、頬を膨らませ、リリを待つ。父親代わりの神父でさえ、リリが寝込んでいる時以外は拒否される。


 リリの目が光を失ってからは、手を引くのはシン。引かれるのはリリだった。


 リリがいつもと変わらぬ日々を過ごせるよう引っ張る手。少しずつ大きく、硬く、大人の手になっていく。暖かくて優しい手。


 弟だと思っていた。乳飲み子でやってきたシンの、おしめを換えたことだってある。その相手が異性なのだと、光を失って初めて知った。


 優しさが降り積もり、少しずつ心の中で形を変え、けれどもリリには戸惑う必要がない。己の心と真っ直ぐに向き合い、受け入れた。そして願う。自分のこの、見えなくなった目のせいで子供であることを止め、大人であろうと急いでしまったシンが、その全てを受け入れ、今のリリを真っ直ぐに見てくれることを。


「さぁ、座って。お茶を淹れてくるわ」


 自室は子供たちと一緒の大部屋。だから客間に連れてきた。


 簡素なベッドに座らせ、するりとシンの肩から手へと滑らせた手。その違和感に首を傾げる。シンの手が片方、握りこまれているのに気づく。閉じた拳のせいではっきりとは分からないが、何かを持っているようだ。


「何か持っているの?」


 目には見えない、拳の形だけで首を傾げたリリ。


 シンは己の手に視線を落とした。


 それは、リリの為の薬。


 リリに甘えていた昔の自分が、彼女が呼びに来てくれるのが嬉しくて、言われた場所ではなく、少し離れたところで座り込んだ。きっと優しいリリは探して、見つけたら笑って、いつものように手を差し伸べてくれる。そして、探している時から手を引いてくれる間、彼女は自分の事だけを考えてくれる。その間彼女は自分だけのもの。そんな醜い感情のせいで彼女は光を失った。


 その過ちを正す薬。


 シンはそれを、ズボンのポケットにねじ込んだ。


「なんでもない」


 掠れて零れた声。


 何故そんなことを言ったのかわからない。何故、渡すべきその薬を隠してしまったのか。ただ、考えることもなく咄嗟に体が動いていた。


 盲目のリリにはそれは見えない。動いた気配と音に、シンがどういう動作をしたのかだけはわかったが、聡い彼女は、それは触れてはいけないものなのだろう、と判断し、それ以上聞くことはない。当初の予定どおりお茶を淹れに行く、と立ち去った。


 違う、と、何故、と、零れ落ちる言葉。


 伸ばした手は、誰もいない空間を掴んだだけ。


 シンはベッドに上半身を倒した。


 何故、何故、と繰り返し問う。自分に、ユーリに。その度に涙が零れ、両手で顔を覆う。


 棄てられたのだ、と感じていた。


 ユーリにとって自分はなんだったのだろう。友ではない。けれども知り合いと言うには近しい存在。意外に気難しく、扱いの難しい男。けれども自分を誰よりも傍に置き、目をかけてくれた。


 駆け出しで、まだ体の出来上がっていない頃。宿もろくに取れなかった。勿論、田舎の村からやってきた者と違い、孤児院で寝起きもできただろうシンは、恵まれている方。それでも、孤児院に宿代を入れる事も出来ずにソレはない、と切り捨てた。そんなシンを、宿がないときは泊まればいい、代金は出世払いでね、と無償で泊めてくれた。取り入ろうとする者、足を引っ張ろうとする者が多く、自宅兼作業場の錬成室がある店に、他人を住まわす危険性を知らないわけではない。それなのに。


 良い奴だ、と思った。凄い奴だ、とも。


 一緒に住んでみて知った。彼が錬金術以外に興味がなく、生活さえまともにできない存在だ、と。だからせめて、と甲斐甲斐しく世話を焼いたら、持ちつ持たれつの関係だと思えた。それがユーリの策で、シンの気持ちを軽くするための行為だと知った時の衝撃。


 信服するに十分な存在だった。


 どうして、と思う。


 彼に敵が多いのはとうに知っていた。それでも彼は自分を側に置いた。それなのに、何故今になって。


 ポケットの中に確かにある感触。


 何故、今、自分を棄てるのだ、と怒りよりも悲しみが勝る。


 この国で、誰よりも傍にいた。誰よりも信頼されていると思っていた。


「シン」


 いつの間に戻ったのか、そっとシンの頭を撫でるリリの手。それに縋り付く。


 リリ、と名を呼び、子供のように涙を零す。リリは何も言わない。ただ、空いた手で、そっとシンの体を摩る。


「友達に……」


 無意識に零れた言葉。そうだ、と気づいた。


 自分は誰よりも近しい場所にいた。その存在と友人になりたかったから。時に喧嘩し、時に呆れ、それでも傍にいたのだ、と思い出す。けれどもそれはユーリが望んでいなくて、近寄らせるくせに、最後の一歩を求めない。だから、口にはしなかった。いつか、彼が普通に、自分と友好的になればいい、そう思っていた。


「友達に、なりたかったんだ」


 でも棄てられた。あっさりと。他と同じくらい。


 出会ってから八年経った。その間に一緒に沢山の経験をしてきた。それなのに、その他と同じくらいあっさりと棄てられた事が悲しい。その証拠がポケットの中に存在している。


 辛い、悲しい、けれども怒りはない。何しろユーリが、そういう存在を求めていないのを知っていて、望んだのは自分の方。怒るなんて理不尽なこと、できようはずがない。


 何も知らなくても、断片的な言葉を聞いただけでも、言葉をかけるのは容易い。けれどもそれは無責任な言葉になる。それを知っているリリは、覆いかぶさるようにしてシンを抱きしめた。少しでも悲しみが取り除かれるように、と願いを込めて。そして、それしかできない無力さに心を痛める。大切な人が傷ついている時に、何もできない。何も言えない。それが、これほど辛い事だとは知らなかった。


お友達の数は片手の指があまりまくるトドです。

皆様おはようございます。


他人とお友達になるって難しいと思うのです。

思っているのと違う反応が返ってきて、今、仲良し度がどれくらいなのか、友達と言っていいのか、毎回ドキドキします。

ゲームのように数値が見えればなーなんて馬鹿なことを考えてしまいます。

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