06 呪いの理由
女と交わした二週間の約束はあっさりと訪れた。
店内にはいつもどおりカウンターで微笑むユーリ。その顔はひどく楽しそうに歪んでいた。その右斜め前に置いた来客用の椅子に座るシン。行儀悪く片足たて、カウンターに肘をつき、掌に顎をのせている。
扉の数歩先には、フードを目深に被った女。息を急き、ものすごい形相で睨みつけている。フードから覗く目は血走り、ギラギラと異様に光っていた。
「約束の二週間よ! さぁ、私の病気を治して!」
店内に入るなり、怒鳴りつける女。何様のつもりだ、とシンは顔を歪めるが、ユーリが軽く手で制したので何も言わず、ふいっと顔を背けた。
大人しくしてくれたシンに軽い笑みを向け、女に向き直ると、カウンターに竜の雫を置く。
紺色の小さな布に乗った竜の雫は、まるで竜の鱗のような、涙型に近い五角形が、丸みを帯びたような、そんな型をしていた。薄い水色の、まるで宝石のように、きらりと輝きを放つ固形状で、到底薬とは思えない。
「薬はこれだよ。ただし、この薬は進行を遅らせるもので、治すことはできない」
「何よそれ! 約束が違うじゃない!! アンタがちんたらしていたせいで、こんなことになってるのよ?!」
女がフードを取り払う。
二週間前は顔の半分だった鱗状の皮膚。今は顔も首も鱗の皮膚に覆われている。平凡なはずの女の顔が、異様に醜く見えた。
「僕は、貴女のそれを治すとは一度も約束していないよ」
「っ! でも、アンタ言ったじゃない! この病気に効く薬を造るって!」
「だから造っただろう? その呪いの進行を遅らせる薬を」
そんなの言い訳だ、と怒鳴った女は、ぎくりと動きを止めた。それから何を言っているのかわからない、そう言わんばかりの表情でユーリを見る。
「呪い? 呪いって言ったの?」
「言ったね」
「なんで私が呪いを受けなきゃいけないの?! 意味わからないじゃない!」
「わからないの?」
「当たり前よ!!」
カッとなって怒鳴る女に嘘はない。
全く分かっていない様子に、嘆息する。
「その呪いを受ける直前、君は何かをしたはずだよ」
「はぁ?! 私が何をしたって言うの?!」
「何もしていないというのかい?」
「当たり前でしょう?! フン! どうせこの病気を治せないからって適当な事言ってお金だけ取るつもりなんでしょ?! 冗談じゃない! 迷惑料として、それは寄越しなさい! 何が薬よ! ただのガラス玉なんでしょう?! どうやって飲めってのよ! 私が宝石として売ってあげるわよ! 良かったわね!」
言っていることが随分と滅茶苦茶になっている女に、ユーリは、ほんの少し可哀そうなものを見る目を向ける。
「……これは薬さ。砕いて粉末状にして飲むんだよ。でも、あげることはできないよ。持っていきたいのなら、対価として正当な代金を支払ってもらう」
「ふざけんじゃないわよ、ペテン師!! 私の病気も治せない嘘つきに、どうして私が金を支払わないといけないのよ?!」
怒りのままに怒鳴り散らす女に、シンが堪えかねたように剣呑な光をのせた目で睨みつけた。
ハンターとして、城壁の外で幾度も死線を越えてきたシンからの殺気に、女がびくりと身を跳ねさせる。しかし、気丈にも睨み返してきた。
「何よ! 言う事聞かなきゃ脅すわけ?! 私が女だからって甘く見ないでよ!」
「うるせぇ、黙れ。喚きゃ何とかなると思ってんじゃねぇぞ、クソが」
低い声。
怒りを隠しもしないシンに、女はぐ、と言葉を飲み込み、僅かに後ずさる。それでも逃げ出さないのは見上げた根性だと言えるだろう。
「やれやれ、シン。ダメだよ。君が本気で睨んだら、お嬢さんみたいな子、恐怖に耐えかねて死んでしまうよ」
「……チッ。さっさと終わらせろ」
窘められ、行儀悪く舌打ちするとぷいっとそっぽを向く。それでも怒りをけして隠さない辺り、相当怒り狂っているのが解り、苦笑を禁じ得ない。
喜怒哀楽がはっきりしているのはシンの良いところであり、悪いところでもあるな、と心中で呟きつつ、その怒りが自分の為であるのが解るから、微笑ましく思う。
「お嬢さん。君はその症状が出る前に、何かしなかったかな?」
「何かって何よ……」
話しかけられ、再びユーリを睨む女。
ユーリは楽しそうに微笑んだ。
「そうだね、例えば……ミリアの滝に行かなかったかな?」
「? え、ええ、行ったわ。でもそれが何? 滝に行ったら呪われるの?」
まさか、とユーリは笑う。
滝に行った程度で呪われたら、しょっちゅう採取しに滝へ行っているユーリはとっくに呪い殺されていなければならない。それほど頻繁にあの場所へ行っている自覚があるから、女の言葉は余計におかしかった。
「勿論そんなわけないよ。でもそうだね、そこに行って、君、何かしただろう?」
「だから! 何かって何よ! いちいちもったいぶって厭味ったらしいわね!」
イライラとしたように再び怒鳴りだす。
組んだ腕も、一部皮膚が鱗状になっていた。
随分と呪いが進行している。これは相当あそこの主の怒りを買ったな、と溜息を零した。
本来あそこの自称水神の魚人は温厚で、けして人を呪うような人物ではない。ケガをした人間に薬と食事を与えてくれる、そんな人物だ。それがたった二週間でこれほど進行する強い呪いをかけたのだから、怒りの深さが知れる。
「滝の裏から、何かを持っていかなかったかな?」
「ああ……なんか小汚いガラス玉があったから貰っていったわよ。それがなんだっての?」
「あれは、あそこに住まう水神の宝玉だよ」
「あんなただのガラス玉が宝玉ゥ? その水神ってのも物の価値もわからない馬鹿なのね! だいたい、持っていかれたくないならあんな所に置いとかなきゃいいじゃない! どうぞ持っていってくださいって感じで置いてるのが悪いのよ。その辺に転がってる石を持っていって誰かに怒られる? 怒られないでしょう? 私は何も悪くないわ! 逆恨みもいいところね!」
フンと鼻息荒くまくしたてる女に、呆れと侮蔑の視線が投げつけられる。投げつけたのは当然シンで、ユーリは相変わらず楽しそうに笑っていた。
女の意見は甚だ間違っている。
あの宝玉は、滝の裏に設置した祭壇に、きちんと祀ってあった。その辺の石とは違う。祭壇の前にはきちんと立札が建てられ、それが何のために在る祭壇なのか明記され、触れてはならない、とはっきり書いてあるのだ。それらを無視して取ったのなら、それは十分窃盗と言われても仕方がない。むしろその自覚もなく、自分勝手な事を言う女の方が、どう考えてもおかしい。
これは呪われてもしかたがないな、とユーリはこっそり笑う。
稀に見る自己中心的な思考回路に、一度その頭を開いて覗いてみたい、などと危険な事を考えかけ、止めた。見たところでなんの知識欲も満たされないであろうことがわかるからだ。
「アレは目の前の立札に、持っていくどころか、触れてはいけない、と明記されているよ。理由も添えてね」
「知らないわよ。私は見てないもの」
女はそっぽ向く。
しかし、見ていない、で済まされるものではない。あの立札には王家の家紋が入っている。つまり、王が定めているのだ。数ある法律だって、犯せばたちまち犯罪者となる。それが知らなかったで済まされるわけがない。それなのに堂々とする女には、呆れを通り越し、いっそ感心してしまった。
「とにかく、君は呪われるだけの罪を犯した。反省し、宝玉を元の場所へ返しなよ。それで、誠心誠意水神に謝ることだね。それでも呪いが解けるかは水神の気持ち次第だ」
「嫌よ! 私悪くないもの! あんなガラクタ一つで呪いをかける方が頭おかしいのよ!」
「水神の怒りが解けなければ、やがてこの国の水は澱み、腐ってしまうよ」
「あっそ! じゃぁとっと出てくわ!」
「出ていくってどうするつもりだい?」
「決まってるじゃない。隣の国に逃げるのよ。水が腐ったら生きていけないもの。そんな場所にいつまでもいるわけないじゃない」
鼻で笑う女に、不快感を感じる。
自分がとった行動で起きた事へ、なんの責任も感じていない。清々しいほどに身勝手な女。
ユーリはゆっくりと首を傾げた。
「君のせいなのに、何も思わないの?」
「だから、私は悪くないって言ってるでしょう! あんなガラクタ一個でキレるバカが悪いのよ!」
無責任にイライラと怒鳴り散らす女。
呆れた奴だ、そうシンが嫌悪感を隠しもせずに呟いた。しかし、その声は小さすぎて女には届かない。
シンの意見にはユーリも大いに賛成だ。どういった環境で育てばこのような思考回路を手にするのか、話を聞いてみようかと考え、止めた。こちらもどうせ、ユーリの知識欲の何かを満たすとは思えないからだ。
「……宝玉はどうしたの?」
「あれなら叩き割ってから適当に磨いて宝石だって言って売り払ったわ」
女の言葉に、ユーリは僅かに眉根を寄せた。
もしも彼女が本当にガラス玉だと思っていたら、わざわざ砕く必要はない。というか、そもそもアレの価値が解らないのなら盗る意味がない。そこからいくと、彼女はあの宝玉の意味も、価値も、知っていた。
知っていて盗んだ。
知っていたからあえて形を崩し、違うものとして売った。
そう考えるのが正しいはずだ。
となると、彼女は今、あえて知らないふりをしている。外で待機しているカインに引き渡すためにも、その化けの皮を剥がねばなるまい。
「君はあれを宝石だって言って誰に売ったの? 買い戻したいんだけど」
「何人かの宝石を取り扱う商人に売ったから覚えていないわ」
「へぇ……? 宝石を取り扱う商人に売ったんだ?」
「ええそうよ」
「良い値で売れたかい?」
「ええ、思ったより良い値だったわ!」
そこで初めて、女は機嫌よくにんまりと笑った。
何故ユーリがこんな会話をしているのかを理解しないまま、思い出したのか、己の戦果に笑う女に、アホだな、という感想を抱き、眺めるシン。
シンは知っている。思いのほかユーリの性格が悪いのを。現に、既に女から言質を一つとっている。きっと今から優しく導くのだろう。残酷な現実へと。
「そう。ところで、君、本当に宝石を扱う商人に売ったのかな?」
「ええ」
「宝石を取り扱う商人っていうのは、大商人だ。本当にそんな相手に売ったの?」
「ええ、そうよ!」
「よくそんな相手に伝手があったね? 庶民じゃ絶対に会えない相手だよ。だって彼らは貴族しか相手にしないのだから。錬金術師の僕も、滅多な事じゃ会えないよ」
「関係ないわ! だって、そもそもあれが欲しいって言ってきたのはあっちの方だもの!」
あはは、と響く笑い声。
女は、そんな相手が自分に話しかけてきた時の事でも思い出したのだろう。優越感に満ちた笑みを浮かべている。ユーリのような、この国では一目置かれる錬金術師でさえ、会えない相手に話しかけられ、商売までしたのだ、と誇示したいのだろう。
「へぇ? あの宝石が欲しいって商人の方から言ってきたんだ?」
「ええ、そうよ! 商人からの依頼だったの。滝の裏にある祭壇に飾ってあるものが欲しい。丸ごとだと問題だから、小さく分けてばらけて売って欲しいって言ったから、わざわざ砕いて磨いたのよ! 本当に面倒な依頼だったわ」
「それは大変だったね」
「本当よ! あれが欲しいって言ったのはアイツらなんだから、私が呪われるなんてやっぱり変だわ!」
聞いていたシンは小さく噴き出す。
女はユーリが宝玉の事を宝石、と言っているのに気づいていない。気づかないまま肯定してしまった。しかも、それが『祭壇に飾られている物』と認識していたことまで暴露する。愚かしさに呆れを通り越し、笑いが出てしまっても仕方がないだろう。
「その話、是非詳しく聞かせて欲しいものだな」
ずっしりと重たい重低音。来客を知らせる軽やかなベルの音。
入り口を塞ぐように、窮屈そうに入ってくるカイン。
聖騎士の鎧を身に纏った男の登場に、女は瞠目した。そして直ぐにユーリを睨みつける。
「すまないな、店主。巡回していたところ、何やら怒鳴り声が聞こえたものでな。外で聞いていたのだが、随分な話だったのでつい、入ってしまった」
ユーリと自分は関係ないぞ、とアピールするカイン。
カインは聖騎士で、聖騎士が街中を巡回するのは当然なので、この流れはけして不自然ではない。そして、女はほぼ始終怒鳴り散らしていた。店外まで声が響いていたとしても不思議ではない。
ぎり、と女が歯ぎしりする。
「それで、女。お前は今、『ミリアの滝の裏にある祭壇に飾られた宝石を持ち出し、砕いて売った』と言ったな」
「知らないわ! 何の事!? 私は宝石なんて知らない!」
「いいや、君は『宝石が欲しいと言ったのは商人の方だ』と認めたよ」
しらを切る女に、ユーリが優しく囁く。
女は再びユーリを睨みつけた。
「そんな事言ってないわ! 勝手な事言わないで!」
「いいや、言ったよ。僕は『あの宝石が欲しいって商人の方から言ってきたんだ?』と尋ねた。それに対し、君は『ええ、そうよ』と答えた。そして、その上でこうも言った『商人からの依頼だった。滝の裏にある祭壇に飾ってあるものが欲しい。丸ごとだと問題だから、小さく分けてばらけて売って欲しいって言ったから、わざわざ砕いて磨いた』とね」
え?! と驚きの表情を浮かべる女。しかし、ユーリは止まらない。微笑みを浮かべたまま、話を続ける。
「君は、アレが祭壇に祀られた宝石と知りながら盗んだと証言しているんだよ。しかも、それを依頼した者がいることまで証言している」
「そ、そんな……!」
「祭壇に祀られた物を盗んだら盗賊と言われても仕方がない、なんて、子供でも知っている事を知らない、なんて通用すると思うかい?」
にこりと微笑まれ、女は初めて怒り以外に表情を歪めた。言い逃れができないと判断したのか、聖騎士の前で盗賊、つまり犯罪者だ、とはっきり言われたせいかはわからない。しかし、女は初めて自分の状況を認識し、危険な状態だと理解できたのだろう。
「しかも君は、祭壇に祀られた宝石をわざわざ砕いたんだろう? それで呪われるな、という方が無理だよ。どんなに温厚な神だって、そんな自分勝手な盗賊、呪うに決まっている」
軽く肩を竦めて見せれば、女の全身が震えだす。それが恐怖からくるものなのか、怒りからくるものなのかは、鱗で覆われた変化のない顔色では判断つけることはできない。
「ふむ。では、依頼者の事も含めて、尋問室で色々と話を聞かせてもらうとしようか」
「ふざけんじゃないわよ!! アンタのせいよ!! アンタが全部悪いのよ!!」
カインの言葉に、突然女が怒鳴りだし、カウンター越しに、ユーリに掴みかかろうとした。しかし、それはシンとカインによって無駄に終わる。
伸ばした手は、椅子を蹴って立ち上がったシンに払い落とされ、突き飛ばされた。よろめいたところをカインに後ろから拘束される。
腕を後ろ手に捻り上げたうえで、鱗で覆われた細い首に、カインの鍛え上げられた太い腕ががっちりと回れば、一瞬息が止まり、女はぐぅ、と呻いた。
「カイン聖騎士長。相手は細身の女性ですよ。そんなにしたら死んでしまいます」
「それは困るな。死ぬのなら、せめて依頼者について話してからにしてもらわないとならない」
別に女の生き死には気にしない、という意思が見えるカインの言葉に、苦笑を禁じ得ない。この男は大概にして犯罪者に冷たすぎる、というカインへの感想が胸中を過ぎるが、ふわり、といつもの笑みを浮かべなおした。
「シンもありがとう」
「別に。金づるになんかあったら困るからな」
「素直じゃないねぇ」
「事実なんでな」
にやりと笑うシンに、今一度感謝を伝え、カインへと向き直る。
離せ、と喚き、何とか抜け出そうと暴れる女にうんざりしたような表情を浮かべていた。このままでは連行するのは難しかろう。仕方がないので、商品棚から安眠香という名の、所謂睡眠薬と言える香を取り出し、女の鼻先に突き付けた。本来は火をつけ、香りを部屋に充満させて使うものだが、女以外が眠っては困るので、とりあえず鼻先に香本体を近づける、という強引なやり方で女を眠らせる。
がくりと力の抜けた女を、ユーリが渡した縄で縛り上げ、軽々と担ぎ出ていこうとしたカインは、入り口でつっかえた。
「……前から思っていたのだが、ユーリ。君の店の扉は狭い。もう少し広くならないか?」
「いや、ごめんね。でも、これ、一般的なサイズの扉だから。君が大きすぎるんだよ、カイン聖騎士長」
ぶふふふ、と堪えきれない笑いを零し、横を向くユーリ。
むぅっと眉根を寄せるカインだったが、シンが同じく堪えきれない笑いを零しながら、女をカインの手から奪い、担いで外へと連れ出した為、それ以上何か言う事もなく、店の外へと出ていった。