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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
六章 錬金術師
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52 水底の洞窟にて



 アレグロに連れられ、水中を歩く。正確には、二人の周りをアレグロの力で球状に水がよけ、底を歩いている。底に下りるまでは、顔の周りだけ水をよけ、水中をアレグロが手を引いていた。そして、底につくと、水がよける。衣服についた水も簡単に消え、乾いた状態に戻る。


 こうして水底を歩くのはいつ以来か、と考え、止めた。


 覚えていない、それが事実だから。そして、どうでもいい、という事もまた、事実だから。


 ユーリは無駄な知識の為に己の脳を使わない。自分にとって必要な物以外の為に使用する事で、知識が増えたとしても、その知識が記憶を覗く際の邪魔になることを経験してからは、脳の容量を無駄に使用する事は愚かだ、と考えるようになったからだ。


 所詮人は忘れる生き物である。だからこそ、本当に覚えておきたいことの為だけに脳の容量を使用する。そうして、忘れないよう時折思い出して、それでようやく記憶に留めておけるのだから、なんて面倒な事か、と心中で吐き捨てる。


 先導するアレグロの足が、やがて止まる。ゆっくりと振り返った彼の後ろには、壁に張り付くようにして建てられた、見上げるほどの巨大な門。石造りの重厚なそれは、長い事水中にあったためか、びっしりと藻が生えている。ところどころ、貝が覆ってもいる。


■■(君が)■■■■■■■■■(この場所に来るのは)■■■■(久しいな)

「そうだね。用がなければこんな場所、来たくないからね」


 溜息と共に答えれば、アレグロの魚眼がぐるりと動く。それはまるで、小さく笑うかのような動きだった。


■■■(君でも)■■■■■■■■■(怖い場所があるのか)

「あるよ。沢山ある。僕だって人の子だもの。怖いところだらけさ。竜の巣とか、火山の火口とか、死の危険性がある。素材があるから行くけどさ。でも、ここみたいなところは、自分の無能っぷりを、昔の失敗を、突きつけられるだけだからね。来ないで済むのなら、一生来たくなんかないよ」

■■■■■■■■(君が人間らしいと)■■■■(奇妙だな)


 笑いを含んだ声に揶揄され、ユーリは失礼な、と唇を尖らせた。


 怖いものがある、怖い場所がある、忌むべき記憶がある。それはごく普通の事。その普通を、自分という人間が口にすれば、こうして揶揄うように笑われる。ただ、自分が信じた道を、愛した学問を究めただけ。それ以外はただの人間だというのに、何故超人であるアレグロにさえ、そのように言われねばならないのか、と腹立たしく思う。


 理不尽だ、とぶつくさ呟きつつ、アレグロが門を開くのを待った。


 隠すようにシャツの内側に下げていた紐。その先に結わえ付けられていた金色の鍵。それを扉の鍵穴に差し込む。水のないその空間に、カチリ、と鍵の開く音が聞こえた。


 ただでさえ重い、見上げるほど巨大な石造りの扉。それを、まるでのれんをくぐるかのような軽い調子で開く怪力。ほらみろ、君の方がよっぽど超人じゃないか、とユーリは溜息を零した。


 開いたぞ、と声をかけられ、ありがとう、と返しつつ近寄る。


 門の先は、広い洞窟のような通路。所々に原初の火が灯されたカンテラがかかり、内部を照らしているため、通路に闇はない。


 足元まではっきりと見えるその洞窟を、扉を内側から閉めたアレグロと共に歩いて行く。静寂に包まれた洞窟の中では、アレグロのたてるひたひたという水を含んだ足音と、コツコツという、旅人の好む革靴の音が響き、吸い込まれていく。それがいっそう、静寂を際立たせていた。


 歩く二人の間に言葉はない。意図的に口をつぐむユーリに、アレグロもまた、わざわざ語り掛けない。そうすることが暗黙の了解のように、二人はただただ足を進める。やがて、開けた場所に出た。


 うんざりするほど広いその中央に掘られた穴。入り口からは中は見えない。


 ゆっくりとユーリは中を覗き込み、そして、息を吐いた。


 深く掘られた広い穴は、王都の王城がまるごと収まりそう。その中には、巨大な竜骨。全てのパーツが揃った、完全な模型状。


 ああ、とユーリが溜息を零した。


「何度見ても嫌になるね」

■■■(それで)? ■■■■■(これを見て)■■■■■■(どうするんだ)?」

「いや、骨になっていて安心したよ。これが復活してたら嫌だなって思っただけだから」


 ゆっくりとフードをとる。


 銀色の目に、穴に鎮座する竜骨が映った。


「ここに、僕以外の誰かを連れてきた? もしくは、誰かが訪れた?」


 答えは否。


 当然だろう。この場所は、ユーリから預かって以来、自分以外、誰も訪れていない。アレグロ自身、滅多には寄り付かず、ユーリ以外を案内することはない。


 偶然だろうと辿り着けないよう、この近くの水の流れを操ってある。いくつもの渦に囲ませ、その上で水の流れを操っているのだ。水の魔人であるアレグロ以外、辿り着くことは不可能。理不尽の権化、魔神以外は。


 もしも誰かがこの場所に到達したのなら、アレグロにわかるようにもなっている。それはたとえ、相手が魔神であっても、この場所に何かが到達したのなら、確実にアレグロに伝わる。何より、いかに水流を越えてきたとしても、扉の鍵はアレグロが持っている。扉を鍵ごと破壊でもしない限り、中に入る事はできない。


 二十にも三十にも重ねて守る場所だからこそ、自信をもってユーリの問いに否、と返せる。それに、そう、と一つ頷いたユーリは、静かに竜骨を眺めた。


 古の竜、エンシェントドラゴンの骨。


 竜の巣にいるような、通常のドラゴンより遥かに巨大な体躯。その尾の一振りで、王都の王城など、消し飛ぶだろう。咆哮を上げれば世界が倒壊すると言われ、挙句、炎と毒を吐き出すことができる。伝説の化け物。その、骨。


 ユーリの顔が、不機嫌そうに歪んだ。


「死んだ者は生き返らない。では、誰かが他のを狩った? 誰が? 魔人ならまだしも、魔神の誕生に、誰も気づいていない? そんな事、有り得るのか?」


 己の思考を纏めようと、ぶつぶつと呟く。そんなユーリから漏れ聞こえた言葉に、アレグロが声を上げた。いるじゃないか、一人、と。


 この地に新たな魔神の誕生はない。けれども、以前から一人、ずっといるじゃないか。


 その言葉にユーリがアレグロを振り返る。驚愕を張り付かせて。


「有り得ない! あの人が生きているわけがない!」


 ユーリは一人だけ、魔神を知っている。けれども、その人物が生きているわけがない、と確信している。その人物は、少々ネジが吹き飛んだところがあったが、それでも人として在ろうとしていた。人の理を曲げることを嫌い、人として生きることを望んだ魔神。そんな人物が、今、生きているはずがない。


 けれども、とアレグロは続ける。


■■■■■■■■(魔神はずっといる)■■■■(水を使い)■■■■■■(確認してある)


 バカな、と呟く声に力はない。


 視線は竜骨へと移動する。


 二人の目の前に在るそれは、かつて魔神が狩り殺した。そしてそれを、ユーリが盗んでここに隠した。もう二度と、誰の手にも渡らぬように。彼の魔神はユーリをなじることもなく、産み出す巨大な力が人の世に要らぬものと理解し、二度と手を出さない事を誓った。


「バカな」


 知らず知らず、再び口にしていた。


 振り返ったユーリの顔に浮かぶのは、嘆き。


「アレグロ……僕は、あの人と殺し合うのは嫌だよ。もう二度と、あの人を失う喪失感を味わいたくない」

■■■(知らん)■■■■■■■■(魔神と言ったから)■■■■■(答えたまで)■■■(それが)■■■■■(君の敵だと)■■■■■■■■■(言ったわけではない)


 片手を上げてぴしゃりと跳ねのける。


 それに、そうかと頷きつつも納得していない表情のユーリ。ぐしゃぐしゃと片手で前髪をかき混ぜ、考えるようなそぶりを見せる。そしてそのまま黙り込んだ。時折何かを思うように僅かに口を開き、すぐに真一文字に結ぶ。


 迷いと、疑念。その二つに苦悩するように寄せられた眉根。


 ふと、ユーリが何かに気づいたように瞬いた。まさか、と呟いたきり、再び黙り込む。それからしばらく中空を睨みつけ、やがて、口元がゆるゆると弧を描く。そういうことか、と呟く頃には、銀の目には呆れと、怒りが浮かんでいた。


 アレグロ、と呼ばれ、魚眼をぐるりと動かして応える。


「僕はこの喧嘩、やっぱり買うよ」

■■■(そうか)

「僕をバカにするにも程がある。本人にそのつもりがなかったとしても、これは許せる事じゃない。ちょっと顔見て説教しなくちゃ気が済まなくなったよ」


 険のとれた優しい声だと思った。


 その声音と、にんまりと歪んだつまらなさそうな笑みで、いったいどれほどの者を地獄へと叩き落したのかと考え、止めた。彼に敵対する者がいる限り、彼が邪魔だと思う者がいる限り、その数は増え続けるのだから。


■■■■■■■■(本当に魔神が敵か)?」

「魔神が敵だね。いや、敵じゃないけど敵だよ」

■■■■■■(一戦あるのか)?」

「それは、相手次第だね」


 それがどうしたの、と尋ねるユーリに、アレグロは視線を向ける。


 魚眼の中にユーリが映り込んだ。にんまり笑みのまま、不思議そうに首を傾げている。その姿に、自身の不安を読み取ろうとする気配はない。


 魔神と、目の前の世界の命運さえ片手の中に収めた男が争えば、真実世界が崩壊するかもしれない。世界が崩壊しなくとも、この国は地図上から消える可能性がある。それほどの力がぶつかり合う。その事を、理解しているのだろうかと考え、理解していてなお、気にしていないのだろうと思い至った。


 アレグロが知る限り、ユーリという男は自分本意だ。自分が望むままに、求めるままに、行動を起こす。その結果を笑いながら見つめる。そこに、一切の戸惑いもない。どれだけの犠牲がでようとも、失われようとも、自らの求める結果を得るためならば、眉一つ動かすことなく実行する。他の、知性ある生き物にあるはずの、躊躇はない。だからこそ、理不尽。だからこそ、錬金術師という研究者なのだろう、と知る。


 ふと、知識の魔人を思い出した。


 彼の魔人は人間の老婆の見た目をしている。折れ曲がった腰に、皴だらけの顔。まるであれこそが物語に出てくる魔女だ、と言わんばかりの見た目をした老女。しかし、老人と侮ることなかれ。彼女は魔人に相応しい力を有している。だが、彼女の恐ろしいところはそこではない。研究への異様な執念。不気味なほど憑りつかれている。そう言って過言ではない程。一度研究を始めれば、結果に執着し、周りの事を気遣う事はない。その過程の犠牲も一切気に留めない。結果だけを追い求める。


 理性と倫理観をかなぐり捨てた者が辿り着く境地へと至った者。それがアレグロから見たユーリと知識の魔人。


 研究者というものは碌な者がいないな、と嘆息した。


「怖いかい?」


 不意に問われ、アレグロは素直に是と答えた。


 理不尽同士の争いが怖いわけでも、その結果が怖いわけでもない。怖いのは、人であろうとする化け物が、人を辞めた姿を見る事。しかし今は、表面に出ない己の感情を容易く読む、その洞察眼の方が恐ろしかった。


 わざわざ感情を見せるユーリと違い、自分は一切を隠していた。それにもかかわらず、容易く読む男が恐ろしい。どれほどの数を見続ければ他者の心をこれほど容易く読めるようになるのか。長く生きてきたアレグロにさえ、理解できない。


 相変わらず化け物だな、と自分を棚に上げて考える。


 ふと、アレグロは思い出しようにそう言えば、と尋ねた。


■■■■■■■■■(彼は知っているのか)?」

「シン? いいや、知らないよ。生きているとは思わなかったからね。御伽噺だと答えていた」


 御伽噺、と繰り返し、それから確かに、とアレグロは笑った。そして、その御伽噺にユーリ自身を加えるべきだろう、と軽口叩く。そうすれば、むっとしたように唇を尖らせるユーリ。


「僕はあの人のような化け物ではないよ。天然ものと一緒くたにしないで欲しいところだね」

■■■■■■■(十分化け物だと)■■■■(思うがね)

「君に言われたくないよ、アレグロ。自ら極めて魔人に到達したうえ、己に呪いをかけることで寿命や老いを凌駕するなんてね。君と、マーレファこそ、真に神に到達した化け物だよ」


 僕なんて紛い物さ、と肩を竦めるユーリに、アレグロはふむ、と頷いた。


 知識の魔人、マーレファ。彼女もまた、己に呪いをかけ、寿命を凌駕した。老いて死ぬ、という事実を忘却の呪いで己の肉体から忘れさせた。そうして好きなだけ研究に没頭している。


 あれと同類か、と少々微妙な気持ちになり、遠くを見る。


 確かに彼女の研究結果により、人間が発展したこともある。希少な植物の栽培方法を確立した事も。錬金術を用いない、沢山の方法を産み出し、広く世に知らしめる彼女は、知識の神と祀る場所さえある。結果だけをみれば確かにすごいだろうが、いかんせん過程が酷い。その被害に高確率で遭う水の魔人としては、どうしても受け入れがたい。


 アレはアレで、そのうち世界を滅ぼすんだろうな、という言葉を飲み込み、ただ静かに、そうか、と頷くにとどめた。


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