44 貴方はだぁれ?1
ふぉっ!?
またもブクマが……!!
ありがとうございます!
励みになります!!
シンの依頼完了報告に付き合った後、生活に必要な物の補充という名の買い出しを終え、ユーリの店に戻った。荷物を片付け、いつもどおり客の来ない店でダラダラと二人、過ごす。そして日が傾いたころにシン作の夕食を共に食し、シンは帰路につく。
いつもと変わらない。
何の変哲もない時間。
揺り椅子に腰かけ、一人の店内でぼんやりと時間を潰したユーリは、外がすっかり闇に飲み込まれているのを確認すると、立ちあがった。
フードを被り、店を出る。
アンティークゴールドのベルがたてる軽やかな音を聞きながら、扉にしっかりと鍵をかけ、歩き出した。
未だ南の目抜き通りからは賑やかな音が伝わる時間。それでも、彼が目指す場所へ近づくたび、音が消えていく。そんな静かな教会通り。既に扉の閉まった教会を見上げ、気にすることなく庭を突っ切る。居住区に入ると、抜け道を通り、目の前の部屋へと足を踏み込んだ。
暗い室内。何も見えなくとも、慣れたように歩き、椅子に座る。ユーリは特別夜目が利くわけではない。それでもこの部屋で何かにぶつかることはない。それだけこの部屋には物がないから。場所を完璧に把握している。できる。慣れたユーリが、暗いから、と何かに、どこかに、ぶつかるわけがないのだ。
音もなく椅子に座り、時を待つ。やがて扉が開いた。
扉を開けた人物は、夜目の効く目で、闇の中、椅子に座るユーリを見つける。驚きと警戒に動きを止めたが、それがユーリだと気づくと、困ったように眉根を寄せた。部屋の灯りを点し、室内に足を踏み込む。
「やぁ、リーン神父」
「こんばんは、ユーリ」
にんまりと弧を描く口許に、困惑の笑みを向けるリーニャ。
「ユーリ、声をかけてください、と以前も言いましたよね? 貴方は音がなさすぎる。私がうっかり攻撃したらどうするのですか?」
「どうも? 怪我は困るけど、君のその攻撃で死ぬことがないなら構わないよ。そんな事より、君をびっくりさせる方が楽しいしね!」
揶揄う様な軽やかな声音。
リーニャは、一つ溜息を零すと、ユーリの正面の椅子に座った。視線だけで、来訪理由を問う。
「今日、面白い子に会ったよ。チコ、と言ったかな」
一瞬首を傾げたリーニャだが、続いた言葉に眉尻が跳ねた。それだけで、ユーリはリーニャがチコを外に出していないのだと理解する。つまり、チコは自らの意思で教会を出たのだ。おそらく、シンに会うために。
「僕は何度もここに足を運んでいるけど、あの子は初めて見たな」
「え、ええ……申し訳ありません……」
「ああ、気にする必要はないよ。会ったんだから」
そちらの事情は理解したよ、と微笑めば、リーニャは肩を落とす。その表情は冴えない。ユーリの言葉に、チコがやらかした大体の事を想像し、ユーリに迷惑をかけた事への詫び、チコの心の状態に対する嘆き、二つの感情が入り乱れていた。
「あの子もとても面白い子だけど、どうしてあの子じゃなくて、シンだったの?」
かくん、と首を傾げて問うユーリに、リーニャはカッとしたように顔を上げた。
「あの子の状態を理解して、そのような事を問いますか?」
「うん。だって、僕の言った条件に、彼女は符合する。だって、彼女も面白いんだもん。だから、君から理由を聞きたい。どうして、あの子じゃなくて、シンだったの? 僕は、君の考えが知りたい」
真っすぐに向けられる視線。フードに隠れて見えないが、その視線は確かにリーニャを貫いた。その視線を受け、リーニャは居住まいを正すように、ピンと背を伸ばし直す。
頭の中にシンとチコを浮かべる。シンと違い、チコの心は脆い。ユーリの事は、当時すでに信頼していた。それでも、チコを誰かに預けるのは不安だった。それほど、チコの境遇は劣悪。その心の傷は多大。
リーニャは暗殺者だ。それも、王家の闇を担う。その手は血に塗れ、けして美しいものではない。そんな自分だからこそ、こうして子供達を守る職に就いている。この世界は、美しいままで生きていけない。それを知っているから。
己のとった行動で、罪のない人間が苦しむことがあるのを知っている。それでも、それが王家の為に必要なら、何かを考える必要はない。そうして切り捨てた者の償いと言われればそれまでかもしれない。だからこそ、リーニャにとっても、孤児院は救い。互いに救い、救われる関係であれば良い、と思っている。
リーニャが手放すのは、既にリーニャからの救いを必要とせず、己の足で立っていられる者。シンはその代表のような存在だ。だから、ユーリに紹介した。対してチコはどうか。無理だ。彼女は、リーニャの庇護がなくては生きていけない。心に負った傷は深すぎて、癒えてもその傷跡は醜く残る。とても、手放しで誰かに任せることはできない。
そう伝えれば、ユーリは呆れたように笑った。そして、一言、過保護な事だ、と呟いた。
「子は親が思うよりも早く成長する。それに、強い。もしもあの時、君がシンではなく、あの子を僕に預けたのなら、あの子は既に過去を克服していただろう」
有り得ない、と口をつきそうになる言葉を飲み込む。自分達でさえ、何年もかけてようやく攻撃されないだけの関係を築いた。
傾向として、チコは年が近いか、以下の者や、無垢な者とは打ち解けやすいのに気づき、孤児院の裏方を任せた。子供達から順に人に慣れさせ、孤児院の関係者はチコを傷つけない。そう理解させるまでの苦労は言葉にできない。リーニャは年が離れているうえ、男だったせいで、今でも少々よそよそしい。それでも、戸惑うように、時折「お父さん」と呼んでくれるので、悪くない関係を築けているのだ、と理解している。
それなのに。
そんなチコ相手に、十年に満たない時間で、過去を克服できたのに、と豪語する男への苛立ちが募る。
「随分な自信ですね」
「うん。だって、彼女に必要なのは誰も彼女を傷つけない箱庭じゃない。少々強引なくらいの刺激だ。箱庭はダメだよ。アレは絶対に失敗する」
「まるで失敗したことがあるような言い方ですね」
「うん。あるよ」
即座に返った答え。それにリーニャは瞬く。
「ある、んですか?」
「あるよ。昔ね。僕が作った箱庭じゃなくて、本人たちが勝手に造った箱庭。それであの子達が幸せになるのならそれでいいか、と僕は放置した。結果、僕は全てを失った。まぁ得たモノもあったけど」
遠くを見るように視線がそらされた。ユーリの視線はフードに隠され、見えないが、リーニャは自身に纏わりつく視線が消えたことで、ユーリの視線がそれたのだと理解する。
ユーリの脳裏によぎる、懐かしく、美しく、優しく、そして、愛しい日々。自分に向かって微笑む娘達の姿。
心に傷を負った彼女達は、自らの心を慰める箱庭を造った。初めは順調そのもの。箱庭は優しさだけで満たされていたから。当時のユーリは知らなかった。人は、優しさだけでは育たないのだ、ということを。
常に自身を肯定し、尊敬する。優しく、毛布で柔らかく包んで抱き締めるような、そんな日々。それは、少しずつ体を蝕む毒となった。ゆっくりと、ゆっくりと、何かが崩れていく。ずれていく歯車のように。落ちていく砂時計の砂のように。
気づいた時には全ては終わっていた。取り返しのつかないところまで進んでいた。その毒にユーリ自身、蝕まれていたと気づくことなく、全ては儚い夢幻として崩れ去った。
失ったモノの代わりに得たモノは、ユーリにとって必要な物だったのか。あの当時はそれで良いと思ったのだが、今はわからない。わからないが、ユーリは自身の生きてきた軌跡を否定するような生き方はしていないつもりだ。というか、そんな愁傷な性格をしていない。だから、あれはあれで良い経験だったのだろう、と一つ頷く。
「まぁ、人は失敗という経験を経て、成功するものだ。失敗は悪い事じゃない。それよりも君の考えが知れて良かったよ」
ゆったりと立ちあがる。相変わらず衣擦れの音一つ立たない。
「ユーリ……私も貴方に聞きたいことがあります」
「その前に、僕の最後の質問に答えてもらいたいな」
緩やかに上げられた右手。生白いその手が伝える制止に、思わずリーニャは止まった。何故、主でもない相手に威圧されるように制止されたのか、理解できないままユーリを見る。その事実を相手に悟られないよう隠し、視線だけで先を促した。ユーリ相手に、無駄だと理解しつつ。
「あのさ、君の言う王族って、誰? クリストファー国王陛下?」
「私は現在陛下にのみ仕える影です」
王妃はクリストファーが成人前に死んでいる。前国王である父親はクリストファー自身が弑した。微妙な立場なため、妻は勿論、恋人もいない。当然、子がいるわけがない。
答えに、成程、とユーリは頷く。
「じゃぁもう一つ。王族に仕えるんだよね? じゃぁ、王と王族の誰かが争ったらどうするの?」
「ああ、その際は手を出しません。残った王族に仕える為に。王族同士の争いに影を巻き込まない、というのが暗黙のルールです」
「なんだ。ちゃんとしてるんだね」
つまんねー、と唇を尖らせるユーリに、リーニャは苦笑した。いったい何を期待していたのか、と問いたい。どうせ禄でもない事だろうから、問いはしないが。
「僕からの質問は以上。君の質問は?」
「貴方に関して、です」
「僕?」
不思議そうに首を傾げるユーリに、ええ、と頷く。そうすればユーリは、頭を元の位置に戻し、口元にいつものにんまりとした笑みを浮かべた。
「ふふっ。伝説の暗殺者に気にされるなんてね」
だからこそだ、と言いそうになるのを、口を引き結ぶことで耐える。
目の前の男をじっくりと眺めた。
まるで物語の魔法使いのようなローブを身に纏った青年。こうしてローブを身に纏っている時は、口元以外見えない。リーニャでさえ、その身体能力を活かしたところで、顔を覗き見ることは叶わない。それだけでも化け物だと思うのに、ハンターであるシンは勿論、リーニャにも感知させない気配。音。
不自然の塊。
「貴方は、何なのですか? 人間、なのですか?」
「どういう意味?」
にんまりとした笑みを浮かべていた口元が、への字に歪む。それがポーズだと、リーニャが気づいたのはいつだったか。
目の前にいる男は、感情がない。少なくとも、リーニャが知る限り。
楽しそうに笑う。侮蔑の表情を浮かべる。怒りに顔を歪める。様々な姿を見てきた。声を聞いてきた。それでも、真実、本当に彼が感情を見せたことがない。その全てはポーズ。まるで異常なナニカが、普通の人間を演じているよう。そんな違和感が拭えない。
気味が悪い。
それがリーニャのユーリへの評価。
「私は、貴方から、一度も、呼吸音を聞いた事がありません。人間とは、いえ、生物とは、呼吸をしなければ生きていけない。にも拘わらず、貴方からは、一度も呼吸音を聞いたことがない。貴方は、本当に、人間、なのですか?」
ゆっくりと丁寧に問いかける。敢えて一音一音はっきりと。
目の前で、まるで物語の魔法使いのようなローブを着た青年は表情を消した。そして、ゆったりと口元が弧を描く。まるで見せつけるように、緩慢に。
ぐにゃりと歪む口許に、リーニャの背に冷や汗が伝う。
「仮に僕が生物でないとしたら、君はなんだと思う?」
問いかけは、慈悲深く優しい声だった。歪な微笑みとは真逆。あまりの優しい声音に、リーニャは一瞬、自身が何を言われたのか、言ったのが誰なのか、理解できない。
数度まばたき、理解すると、瞬時にその顔が冷たく固まる。
「私は、貴方が錬金術によって生み出されたモノ……ホムンクルスだと想像しています。少なくとも、私が知る限り貴方は人ではない。十年前から、貴方がその姿なままなのも、それが理由では?」
核心に迫るように言葉を口にする。けれども返ったのはつまらなさそうな溜息。
「残念。僕はホムンクルスではない。以前も言ったけど、ホムンクルスは短命だ。人型のホムンクルスならそのサイズに問わず、長くとも一週間しか生きる事が出来ない。君はたった今、自ら僕がホムンクルスである事を否定した事になる」
十年前から、と言ったのだから、と上がる声は、多分に呆れを含んでいる。
「それと、ホムンクルスは一応、あれでも生きている。呼吸もするし、食事もする。老いることは確かにないけれども、ね。ああ、もう一つ、僕がホムンクルスでない証拠があるよ。僕、生殖能力あるんだよ。僕の子供を産んだ人もいる」
「では、何だと言うのですか? 何故、貴方は……!」
言葉は続けることができなかった。ゆったりと近寄ってきたユーリの、意外と荒れた指先が口元に延ばされたから。それは触れることはなかったが、確実に黙らせるために寄せられたもの。
「内緒。いつか答え合わせの日がくる。その日まで、悩むといいよ。わからないということは恐怖だ。答え合わせの日まで、精々僕に畏怖していて、リーニャ」
そっと囁かれた言葉。
フードが落とす、闇よりも深い影で、その表情は窺い知ることはできない。唯一見えるその口元には、いつもと同じ、にんまりとした笑みが浮かんでいた。




