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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
五章 ダモクレスの剣
44/85

43 チコ

あわわ!

ブクマと評価がついている!!

ありがとうございます!

ありがとうございます!

嬉しいです!

頑張ります!



「シン!」


 たらふく食べて、メニュー表の写しをこっそり入手したシンとユーリ。揃って店を出た途端、呼び止められた。


 自分を呼び止めた声に、シンは明らかに『しまった』という表情を浮かべ、そちらを振り向く。シンの陰からにゅっと首を出したユーリは、首を傾げた。


 身長は百五十数センチと少々小柄。シスター服に覆われたその身体に、女性と認識できる場所は少ない。猫のような釣り目はアメジスト色。灰銀というより最早灰色の髪は、肩のあたりで短く切りそろえられている。


 可愛らしい、と言えるその顔に浮かぶ怒りの形相。シスター服という、明らかにシン関係者のような姿。けれどもユーリの記憶にはいない。


 ユーリは「誰?」とシンに小さく問う。しかし、シンが答えようと視線を外した途端、再びシンの名をきつい調子で呼ばれた。シンが他へ気を向けたことが許せない、そう言わんばかりのタイミングと声。


 ははん? とユーリは口許に歪んだ笑みを浮かべる。いつもの、シンに熱を上げた女性の一人だろう、と意地の悪い笑みを浮かべ、視線を送るが、シンは眉間にしわを寄せたまま、ゆるく首を左右に振った。


「シン! いつまでふらふらしているの!? 『外』の人間と付き合うなってあれほど言ったのに!! 『外』の人間なんて、どうせ裏切るし、シンを傷つけるだけなんだから!! そいつだって、シンを傷つけるに違いないよ!!」

「チコ、止めろ」

「止めない!! 他人は嘘を吐くし、平気で裏切る! 傷つけることになんのためらいもないんだから! 家族以外、信じるのも、近づくのも、止めたほうがいいの!」


 嫌悪感を滲ませた視線が、ユーリに向けられる。


 あからさまな憎悪は、シンが好きだから、とかそう言った類のものではない。純粋に、ユーリを自らの敵と認識したもの。己に害為す敵だ、と。


 ふむ、と小さく声を零し、ユーリはチコ、と呼ばれた女性を観察する。


 チコの敵意はユーリだけでなく、シン以外の、この場にいる全員に向けられていた。騒ぎに、ただ成り行きを見ていただけのものにさえ向けられる敵意。彼女曰くところの『家族』以外すべてに向けているのだろう、と容易く想像つく。


 嘘を吐く、裏切る、傷つける。飛び出した言葉の数々。おそらくそれは過去、彼女が受けたのか、育つ過程で呪いのように繰り返され、刷り込まされたのか。


 まぁ前者だろう、とユーリは即座に判断する。彼女があの孤児院で育ったのなら、その刷り込みは有り得ない。孤児院に関わる前に第三者からの刷り込みをされていたのなら、シンも敵認定されていないと話が合わない。結論として、彼女自身が今までそう言った経験を繰り返し、心を病んだ状態である、と考える方が筋が通る。


 ユーリが観察している間も、チコの暴言は止まらない。他人を力いっぱい拒絶する暴言は、鋭いナイフのように飛び続けていた。何度かゆっくりとシンが名を呼び、窘めるが、その効果はない。


 まるで先日までのミーユのようだ、とユーリは苦笑した。


 シンは甘い。内に入れたものを優しく包み込む。まるで母親が子供に与える無条件の愛情のような、そんな温かくて優しい包み方。それは、時に人を愚かにする。優しいだけでは人は育たない。敬愛する親代わりである神父は、シンのように優しく包み込みつつも、時にしっかりと厳しく叱っていたはずなのに。


 どんなに素晴らしい人間が、素晴らしい子育てをしたからと、全てが子供に引き継がれるわけではない。その見本のようだな、とユーリは心中で呟く。


 聞くに堪えない暴言が飛び出し始めたところで、自分が話そうか、とシンを見た。


 もともとシンは女性の扱いが苦手だ。いや、大体はつつがなくこなせる。だが、我儘を貫く女性への対応が苦手なのだ。口で言っても聞かないから、と同性のように軽く拳で語り合うわけにはいかない、という謎の信念――ユーリにとっては謎の信念だが、この世界では常識である――を持っているせいかもしれない。


 シンは首を左右に振り、必要ないことを示す。ユーリが出た場合、手は出さないが口で滅多打ちにして、心を折る可能性が大だからかもしれない。女の子大好き、と言うユーリだが、相手が女性だから、と手は抜かない。やはり孤児院の関係者でユーリの被害に遭わせたくない、ユーリの悪評をたてたくない、など、シンにも思うところがあるのだろう。


 一度断られたなら、ユーリは動かない。ただにんまりと笑って、成り行きを見守った。


 ユーリの方を向いたまま、目を閉じ、頭痛を堪えるように額に手を当てていたシンが、ゆっくりとチコの方へと体ごと顔を向ける。そして、ス、と目を開いた。瞬間、チコの言葉が途絶える。


 冷たい。


 底冷えする視線が向けられていた。


 それは、シンが敵に対して向ける視線。親愛の情どころか、僅かな情さえ見つけることのできない、そんな視線。


 心臓が鷲掴みにされたかのような感覚。自然と吐く息が浅くなり、身体が震える。


「チコ、それ以上こいつを、俺の友人をけなすなら、俺は、お前を、家族とは認めない」

「っ」


 ゆっくりと、はっきりと、静かに告げられた言葉。


 深い海の底のように静かでいながら、煮えたぎるマグマのような灼熱を宿すその声に、ただの少女でしかないチコは呼吸を忘れた。目を見開き、シンをただただ見つめる。やがて、シンの言った言葉が脳に伝わると、衝撃にぶるり、と一度身を震わせた。


 青ざめ、シンが自分を見限る等と思っていなかった。そう言わんばかりの表情を浮かべる。何故なら、シンはいつだって最後には「仕方がない」と溜息を零しつつも、自分の側へと戻ってきていたから。家族より、他人――この場合は友人――をとるなど、考えたこともなかった。


 シンが今までそうしなかったのは、チコの為を思ってだった。悲惨な経歴を経て、神父に保護された少女。当初は神父の事も、孤児院の者達の事も信じていなかった。それでもここ一、二年、シンや神父をはじめとする孤児院の者達の努力が実り、ようやく孤児院の関係者は家族で、家族は何があっても自分を傷つけない。守ってくれる。そんな存在なんだと理解してくれた。その結果、家族へ異常な執着を持ち、家族以外は相変わらず烈火のごとく嫌悪を持つ歪んだ性格になったのだが。


 傷ついた心を癒すために、優しく包み込んで、全てを許してきたことが間違いだった、とシンは反省する。神父はけしてそんな事はなかったが、自分は完全に甘やかしてきていた。ミーユの件でユーリから説教されたことを思い出す。そして、努めて冷たい声を出した。


「不愉快だ」

「っ! どうして!? 私はシンの為に言ってるのに!」

「友人が、こんな公衆の面前で口にするのも苛立たしい言葉で罵られて、それが俺の為だと? チコ、もう一度言うぞ。不愉快だ」


 繰り返された言葉に、ぐ、と一度言葉に詰まるが、それでもチコはシンを睨みつけた。その眼に浮かぶ雫に、シンの心が揺らぐが、僅かも見せず、ただただ冷たく見つめ返す。


「っ知らない!! 私はちゃんと警告したんだから!!」


 無言の攻防の末、耐えかねたのはチコ。震える泣き声を張り上げ、くるりとシンに背を向けた。そしてそのまま脱兎のごとく走り去る。


 その姿が人ごみに紛れて消えると、シンは詰めていた息を吐きだし、ユーリを振り返った。


「悪かったな」

「彼女は誰? 会ったことないと思うんだけど」

「あいつは……俺がユーリと会う少し前くらいに孤児院に入った。今は成人して孤児院の手伝いをしているが、ちょっと特殊でな……裏方をしてもらってたんだ」


 困ったように眉尻が落ちる。


「その……孤児院にきた当初は、神父(親父)の事も、俺達の事も信用してなくて、暴れるわ、その果てに舌を噛み切ろうとするわ、どうにか俺達を殺そうとするわ、とにかく酷かった。数年かけてようやく俺達には慣れてくれたんだが、まぁ、他の人間に対してはまだ慣れなくて……」

「ふーん? そうだなぁー。物心つくかつかないかで両親は重税と戦争で死亡。引き取ってくれる親戚はなし。道端で死にかけているのを誰かに拾われ、生活環境が最悪な中、言葉と物理の暴力の中に生きてきて、何度も理不尽に殺されかかった。死にかかっているところを運よく神父が発見。自称保護者からもぎとってきた、なんてどう?」

「やめろ。そうやって他人(ひと)の情報丸裸にするの」


 そうだったら笑えるな、と言おうとしたユーリは、げんなりしたように顔をしかめたシンに、にんまりとした笑みを深めた。


「どこの物語の主人公?」

「現実だ、バカ」


 不謹慎な言葉を吐き出すユーリに、シンがますます顔をしかめる。それでユーリが態度を変えることなどない、と知っていて。


「あはは。でも本当に物語でも書けそうだね」

「書くなよ」

「勿論だとも。僕にそんなくだらないことをしている時間はないからね」


 睨みつけるシンに、ユーリは感情のこもらない笑い声を上げた。それだけでもう、ユーリには大した興味もない事なのだと知れる。ならば何故、この話をこれほど引っ張るのか、と恨みがましい視線を向けてしまうシンに、ユーリは簡単に答えを与えた。


「君が、僕の説教を心に刻んでいたのが嬉しくてねぇ」


 だから、ほんのちょっとだけ気を利かせたのさ、と笑うユーリ。首を傾げるシンに、ユーリの指が周囲を示した。


 それを追うように視線を巡らせ、成程、と即座に理解する。


 先程まで嫌悪感を滲ませ、チコを睨んでいた周囲の人間の多くが、二人の会話を聞いていた。そして、チコの境遇に同情をしているようだ。


 盗み聞き、と言うにはユーリは声量を一切変えていない。その声は、チコの暴言がもたらした静寂の為、耳の良いハンターの集うこの場所で聞き取れない者はいない。その事を理解していて、あえてチコの境遇を丸裸にしたのだ、と気づく。孤児院へなのか、シンへなのか、その憎悪が向かないよう仕向けた。


 ち、と小さく舌打ちする。甘いのはお前も同じだ、と思うが、口にするのは止めた。代わりに小さく溜息を零す。そしてそのついでのように口を開いた。


「ああいうのって、どうしたらいいんだろうな」

「うーん。アレばっかりは本人の意識次第だからねぇ。長い長い時間をかけるか、本人の記憶を上回るほど衝撃的な事が起こらない限り、無理だよ」


 軽く竦められた肩。以前聞いた神父と同じ意見に、やっぱりか、とシンは肩を落とす。チコが消えていった人ごみの方へと視線を向けた。


 ざわめく街並み。移ろう人ごみ。視界に映る彼らは、消えていったチコのように、直ぐにシンの視界から消えていく。けれどもけして誰もいなくなることはない。ころころと変わっていく顔。その一人一人が違う性格をしているのを、シンは知っている。


 ハンターという職業上、そんな人物たち相手に商売をしている以上、けして優しいだけではない。けれども彼らは無意味に暴力を振るう事はない。肉体的にも、精神的にも。それを、シンは知っている。


「早くアイツも知ってくれるといいんだけどな……」

「『外』に出なきゃ時間はかかる。けれども、彼女自身が『ああ』じゃ『外』には出せないよねぇ」

「それなんだよなぁ」


 正にユーリの言う通りだった。


 あの性格のせいで、チコは孤児院の外部者とは関わらない場所でのみ、働いている。神父としてもチコを隔離するかのような行為は苦渋の決断だった。しかし、教会への参拝者にまで噛みつくので、どうしようもない。


 教会は基本、寄付で成り立っている。その多くはユーリからの寄付だが、それでも他の者からの寄付はあり、それらは殆ど孤児院へと還元されている。それらがなくなれば困るのはチコとその家族だというのに、彼女はそれを理解していない。できない。そして、彼女は隔離された。


 現状を神父が憂いていることを、シンは知っている。だからといって、チコを外に出すわけにはいかない。今日だって、何故外にいたのかはわからないが、あの状態だった。


 頭の痛い話だ、とシンは本日何度目かの溜息を零す。


 身体だけが大人になり、心が幼い頃のまま、置いてけぼりになったチコ。その心を取り戻す方法が分からぬまま過ぎた日々。だからといって現状、何かできる事はない。彼女が頑なに拒むのだから。


 近くて遠い場所にいるチコに、ままならないものだ、と思ってしまうのも仕方のない事だろう。


 ぼんやりとそんなことを考えていたシンは、ユーリがにんまり笑みを消し、何事かを考えているかのように中空を眺めていたのに、気づく事はなかった。



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