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ブクマが増えてる~!
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どなたか存じませんが、ありがとうございます!
その店内を広いか狭いかと問われれば、そこそこ広い、と評するべきか悩む。それほど商品棚に所狭しと並べられたアイテムの数々。宙に吊るされた沢山の薬草。床に積み上げられた書物の数々。そんな店内を自由気ままに動き回る掃除用具達。
定位置であるカウンター前に設置した椅子に座り、何とはなしに眺める。
店主であるユーリは、奥の研究室にこもっている。
これで何日目だったかと指折り数えようとして、止めた。そうすることに意味を見出せなかったから。
初めて見る、研究に本気で打ち込む姿。今までも研究をする姿は見てきたが、それでもその全ては遊び半分で、成果が出ない事を知りながらもやっている、所謂時間潰し。彼にとって研究とはその程度でしかなかったはずだが、今はここが店であることは勿論、寝食すらも忘れてのめり込んでいる。
ミーユの村から帰ってそろそろ一月。最初の一週間で、あっと言う間に毒の中和剤と、枯れた植物を蘇らせる薬と、土を豊かにする薬を造った。そして、それ以来ずっと研究に打ち込んでいる。
泊まり込みにはなっていないが、最早店主は誰かと問われる程店番を続けながら、時折思い出したように意見を求められる日々。
当たり前のように跳び出す専門用語にもそろそろ慣れてきた。何を言っているのかはさっぱり理解できないが、スルーするか、ユーリの思考をへし折らないように意味を尋ねる事はできる程度に。
ふぅ、と溜息を零した彼の脳裏には先日の事件。
結局先だっての青の教団信者による事件は、終わってみれば王国に多大な富をもたらした。
ここ数年、話し合いを重ねていた帝国と王国間の貿易を、王国に一方的に有利な形で契約をもぎ取ったとかなんとか。
カインの話によると、担当した宰相ルルクが満面の笑みで、小躍りでもしそうな程上機嫌で帰ってきた、とのこと。ユーリを使った脅しは思いの外良く効いたようで、帝国側は一切ごねることはなかったそうだ。それを聞いた時、隣国とはいえ、帝国と名乗る国が恐れるとか、何やったんだよ、と心中毒吐いたのも懐かしい記憶。
しかし、一方的に帝国だけが損を被ったわけではないらしい。どうやら青の教団は、帝国でも随分と幅を利かせ、政治に口出しを始めたのだとか。それを煩わしく思いつつも、国民の圧倒的大多数から指示を得ている教団相手に、皇帝も面と向かって対立し辛い。そんな中、教団信者が他国でやらかしてくれた。これ幸いと帝国は青の教団の廃絶をしたらしい。
捕らえた男は、青の教団でも中堅以上の地位を保持していた事が分かっている。各地で信者を増やすための集会を精力的に繰り返していたので、その顔を覚えている者も多い。そんな相手が、帝国から王国へ入れば当然記録が残る。彼が帝国から王国へと入ったことは間違いがない。しかも、この一年、頻繁に帝国と王国の行き来を繰り返していた。それがここ数か月、そう、冬になりミーユの故郷の緑が枯れ始めた頃から、王国に入ったきり、出ていない。最後の入国の際、普段は護衛数人程度でこれといった荷物を持たない男が、荷馬車に大量の荷物を積んでいた。結果、帝国側の国境兵士も、王国側の国境兵士も、記憶していた。ユーリでなくとも、彼の行動が、計画が、いかにずさんだったか分かるというもの。
勿論、彼が帝国から王国へと入国する事になんら問題はなかった。王国は亜人を国民と認めているが、青の教団者だからと言って入国を拒否してきたことはなかった。あくまでも、王国内での宣教を全面的に禁止していただけで。
入国には問題はない。問題は、その後の行動。
帝国出身の、帝国内で活動する青の教団信者。その立ち位置が中堅以上、と帝国でも知られている者。それが王国内、つまり他国で問題を起こした。それが問題なのだ。
内容もまた、問題だった。
王国内で毒の散布。王国に対する侵略行為。そう言われても当然の行い。それが、国王の目の前で行われ、挙句、王国の守護神とも噂される『魔法使い』が一部始終を確認。証明した。更に、ミーユが言っていた『資源の枯渇』もこの男が原因だった。毒の散布後、あの近くで獲れる鉱石の鉱脈を、男が人を雇い、採りつくしていた。そして、採った鉱石は売りさばき、青の教団の資金としていたというから呆れて物が言えない。
全ての事が、帝国が言い訳できない。しかも、帝国でさえ一目以上置く『魔法使い』が怒り狂っている。帝国を地図上から消してやろうか、と言っているのだ。そう言われれば、数年前、あの嵐を、真実己の目で見た帝国中枢部の者達からすれば、けして嘘ではないと分かる。あれを帝国国内で実行されては敵わない、と全面的に王国の出した条件を受け入れた。
王国に有利な条件での貿易協定。そして、被害に遭った村への慰謝料代わりに、長期間の物資支援。全て帝国の国税から賄われる。
ただただ王国にだけ有利な条件を飲んだのであれば、帝国国内から不満が溢れるだろう。そこで、青の教団の出番という訳だ。
帝国は、今回の一件を包み隠さずに、いや、むしろ盛りすぎるくらい盛って、帝国中にふれて回った。そして、青の教団の真の目的は、民を扇動し、戦争を起こす事だったのだ、と言ったのだ。不利不都合な貿易条約の締結は、青の教団の起こした国家間の問題による、戦争への発展を回避するため、と。青の教団が何かを言ってこられないよう、ありとあらゆる根回しをしたうえで。
民衆の掌返しは素早い。元々、捕らえた男のように、教団の教えを魂に刻み込むほどの信者は少数。都合の良い時だけその話を受け入れていた者が大半を占める。あっという間に帝国中の多くの国民が、青の教団を敵視した。皇帝は、教団の追放を取り決めただけで放置したのだが、教団の支部は暴徒と化した民衆に飲み込まれ、瓦解。『敬虔な』信者の多くは、先日まで信者だった者達により、その多くが物言わぬ躯となったとかなんとか。
ほんの一月足らずで、帝国中から青の教団は撤退を余儀なくされたのだ。今は隠れている者以外、ほぼ全く『いない』と言っても過言ではない。そして、改めて帝国と王国の貿易協定の交渉の場がもたれている。
ルルクとて、あのままいけるとは思っていない。当然次の案も策も用意済み。今は、帝国が青の教団を受け入れていた事実をちくちく突いて、王国側が六割以上の利益を得られるよう話を進めているらしい。
絶対零度の冷たい微笑を浮かべ、それはそれは楽しそうに交渉しているであろう宰相閣下の姿を思い浮かべ、思わず遠くを見た。
王国内では、青の教団の入国自体を拒否する法律を新たに打ち立てた。合わせて、現在王国内にいる青の教団の信者も国外追放。王国国民であったとしても、例外はない。行われたことを考えれば当然だろう。今回の一件は、王国国内でも周知されたので、数少ない教団信者以外からは不満は出ない。その数少ない信者も、多くは教団の在り方に疑問を抱き、教団から抜けた。
この大陸で亜人が住まうのはフィンデルン王国を含め、六か国。そのうち二か国から、教団は排除されたという結果。亜人達にとっては大変大きな進歩であり、その結果をもたらしたユーリへの感謝の念は絶えない。
だが、とシンは溜息をついた。
亜人最大の忌諱国家は隣国リリウム王国。国王が青の教団の最高権力者とも噂される程である。そんな隣国と、今は小競り合い程度とはいえ、戦争をしているのがフィンデルン王国。亜人にとって、けして安心できる状況ではない。
しかし、その全てがどうでもいいことなんだろうな、と視線を奥へと向ける。その先には研究室。この一月、ユーリが大半の時間を過ごす場所。初めの頃は何度も呼ばれ、中に入ってはユーリによる、議論という名の一方的な意見の搾取が執り行われた。この頃は大詰めに入ったらしく、ユーリが一人でこもっていることの方が多い。時折、勝手に動く掃除用具達が、いそいそと中へ入っては出てくる。あれは、書面に書き起こした内容が、違うと気付いたり、気に食わなかったときに、丸めて床に放り投げられている証。つまるところ、ユーリが中でちゃんと生きている証でもある。
そんな事をつとつとと考えていたシンの前に、ぬるぅり、と奇妙な動きでユーリが顔を出した。
目の下にはくっきりとした隈。髪は何度もかきむしったのだろう。バサバサに乱れている。頬はこけ、普段より随分と年老いて見えた。
ようやく出てきたか、という思いと、もう少し健康状態を気遣えたか、という思いが同時に脳裏をよぎる。
「生きてるか?」
「生きてるよ」
軽口に、掠れた声が返った。
時折水分を与えてはいたが、そう言えば今日は一度も会話をしていなかったな、と思い出す。昨日の昼、自分とした会話を最後に、以来一度も声を出していなかったのだろうと判断した。
あちらから話しかけてこない限り、こちらからいくら声をかけても反応はない。食事も水分補給も、シンがとりあえず声をかけ、勝手に摂取させている。安定の無意識だ。
「飯、どうする?」
「ありがとう、食べるよ」
返事に頷き、席を立つ。
既に日は傾き、店を閉めても問題はない時間。店の入り口の鍵を閉め、灯りを落とした。代わりに、研究室とは反対側にある、奥の部屋の灯りを点す。
丸テーブルにはパンと食器。お湯の入った不思議なポット。更に奥にある台所には鍋。鍋の中身は黒猫亭のシチュー。かまどの火をつけ、鍋の中身を温める。
「ああ、いい香りだね。最近はソースの匂いしか記憶にないから、余計に美味しそうに感じるよ」
だろうな、と心中呆れる。
この一月間、ユーリは鳥のヒナのように、シンの手から食べさせるサンドウィッチ以外、食べていない。飲み物も、飲んでいることにさえ気づいていなかっただろう。
「どうだ?」
「そうだね。もうすぐ形になるよ。そしたらちょっと試してもらう事になるから、いくらか食材を買い足しといて」
「わかった。何がいい?」
「んー。野菜、かな? 肉でもいいよ。ソースだから」
「わかった」
頷く。
この時期だとゴボウ、ネギ、ニンジン辺りだな、と考え。ここ最近ユーリがあれこれ調べていたソースを思い出し、それらよりも肉がいいな、と改めた。それから、研究ばかりで世情に疎くなりがちなユーリに、カインから伝え聞いた王国と帝国の状況を簡単に伝える。ユーリは殆ど興味なさそうに相槌を返すだけで、これと言った反応はない。
全てがユーリの想定の範囲内で動いている。ただそれだけの事だろう、とシンはひとりでに納得し、この話題を打ち切った。
「それにしてもユーリ」
「ん?」
「お前、嘘ばっかだよな」
「んん?」
スプーンを口に咥え、むぐむぐと咀嚼しながら首を傾げる。流石にシンの話題転換は唐突すぎたようで、全く思い至っていないようだ。
「頭にまであれこれ仕込んだって話だ。いや、体中に仕込んでるってところからだな」
シンの言葉に、ようやく思い至ったユーリは、ああ、と声を上げた。
にんまりとした笑みが浮かぶ。
スプーンを手に取り、ふりふりと軽く振る様子を眺め、首を傾げた。
「あんな嘘、おっさんにはバレてるだろう? 意味なくね? てか、おっさん、なんであの嘘に乗っかったんだ?」
「言ったろ。カイン聖騎士長はアレで頭が良いんだよ」
つまり、あえてカインはユーリの嘘に乗った。ユーリはカインが乗ると分かっていてあの嘘を吐いた。そういう事だ。
先を視るユーリが、意味ありげにつく嘘。その嘘の価値を知るカイン。対して理解できない自分。
その差がひどく途方もないものに思えてくる。
おそらく、この国で彼に最も近いと言えるのはシンだというのに、その実最も遠いところにいる気がしてならない。
「シン。気にする必要はないよ。聖騎士長のアレは野生の勘のようなものだ。真似できるようなものじゃない。生まれついて戦う者だけが持つ、ね。君は戦う者ではない。守る者だ。それでも君だって理解していなくとも、僕を煩わす事はない。それだけで十分さ」
「悪ぃ、何言ってるんだか良く分んねぇ」
「良いんだよ。ただ、君は今のままの君で良いと理解していれば。誰かを羨む必要はない。誰かになる必要もない。君は君という個人で十分なんだ。僕のお眼鏡に叶う程度には、ね」
他国にまでその名を轟かせる伝説の『魔法使い』その彼のお眼鏡に叶う人間が、この世界に何人いるというのか。そう考えれば、とんでもない価値を、己というちっぽけな人間に見出しているのだ、と理解できる。しかし、何故これほどの評価を自分に持つのか。尋ねても返るのは、にんまりとした笑みだけ。
首を傾げるより他ない。
ただ一人で世界の、とは言わないが、国の命運を握るような人間は、世界を探しても一握り。それに比べて自分程度、探せばそこら中に転がっている。まるで路傍の石のごとく。
何が彼の琴線に触れたかわからないまま七年。このまま甘えていてもいいのだろうか、と近頃考える。考えたところで答えは出ないのだが。
二人の関係を示す言葉は数多あり、そのどれもであり、どれでもないまま過ぎた時間。積み上げられた、あるようでない絆。
美味い飯に舌鼓を打ちつつ思い出す。ユーリという存在が、まるで妖精の宿ると言われるあの樹のようだと感じた時の事を。そうだ、この男は『人』の括りには入らない、と至る。人のように考えるから違和感を覚える。物言わぬわけではないが、人に在らざる者。故に人の理の中に当てはめるに能わず。
それは思考の放棄かもしれない。しかし妙に馴染んだ考えに、それが正しいのだろうと己の中で決着をつけた。そして今更、彼に関して思考を巡らせる事の無意味さを知る。その姿を、にんまりとした笑みを浮かべたまま、ずっと見ている存在がいることを忘れたまま――。




