27 秋の日に君と話そう1
カウンターに頭を預けたまま、ぐだぐだとしているシンの頭にそっと触れる白い手。それが誰のものか知っているシンは大人しくしている。白い手は癖のある銀髪を優しく幾度か撫で、ゆっくりと離れた。
「どうしたの、シン」
「いやー今日で城から帰って三日だろう? なぁんもなくてつまんねぇなって」
折角あれこれ気を張ってたのに、と唇を尖らせれば、く、と小さな笑い声が聞こえた。
「そうだね。でも何もないなら何もないで良いだろう?」
「そうだけどさぁ。……網は?」
「何もないよ」
「なぁ、やっぱり網、壊れてんじゃね?」
「かもしれないし、違うかもしれないね」
顔を上げ、揺り椅子にゆったりと腰かけたユーリを見る。ユーリは目を伏せ、口元に優しげに見える笑みを刻んでいた。
揺り椅子がゆっくりと揺れるのを目で追いながら首を傾げる。中々に面倒な事態だというのに、とても嬉しそうに見えた。ただ、その嬉しそう、が純粋なものではなく、邪悪な何かに見えるのは、多分気のせいではない。
まだ怒ってたのか、と苦笑する。そしてふと、思い出した。体を起こし、ユーリを見る。
「そういや、あの母親に、何の薬を用意したんだ?」
「痩身薬だよ」
さらりと返った言葉に、思わず首を傾げる。二、三度口の中で転がし、盛大に眉根を寄せた。腕を組み、もう二、三度口の中で転がし、ユーリを見る。
「は? 病気だったんじゃねぇのか、あの母親?」
「ん? 肥満は立派な病気だよ」
満面の笑みが返った。
「肥満って病気じゃねぇだろ?」
「何言ってんの、シン! 肥満は万病の基となる病! しかも維持はできても絶対に完治できない難病!」
ユーリの掌でくるくると回る小瓶。小さな瓶の中で琥珀色の液体が揺れている。ことりとカウンターに置かれたそれを眺めるシンに、いかに肥満が恐ろしいかを力説るするユーリ。
肥満が引き起こす様々な健康障害。病。そして、肥満による美の喪失に女性がどれほど苦悩しているのか。甘いもの、美味しいものは総じて肥満のもととなる。故に女性がどれほどの涙を呑んでそういった物を切り捨てているのかに至るまで、滾々と力説するユーリに、シンは首を傾げた。
正直シンは大食漢だが太ったことがない。太るような生活をしていないので仕方のない事なのだが。だから食べて太る、ということが今一つ理解できない。女性がどれほどの量を食べているとかも気にした事がなかった。ちらりとよぎるシスター服の女性の姿。彼女はもともと小食なので参考にもならないな、とますます首を傾げた。
シンの知っている女性と言えばハンター仲間の誰かか、リリくらい。ユーリの話す一般的な女性、と言われてもピンとこない。
「にしても、お前、女に詳しいな」
「お? 何? 気になる? 僕の女性遍歴!」
ふわっさぁーと前髪を片手で払い、たなびかせる姿に、シンは真顔で片手を上げ、首を左右に振った。
「いや。他人事に興味ねぇなぁ」
「即答!? もっと僕に興味持とう!?」
驚いたように大仰な身振り手振りでシンを誘うが、シンは冷たい白けた視線を向けるばかり。
冷たい、と唇を尖らせる姿はいつもと変りなく、シンは呆れたように溜息を零した。こうやっていると先日の件が夢か幻だったのかと思えてくる。しかし、そんな事あるわけがない。何しろシンは予備とは言え、使い慣れた武器を一つ失っているのだから。武器はけして安いものではない。バザー前に痛い出費だった、と溜息を何度零した事やら。
カウンターに顎を乗せ、唇を尖らせ、酷い酷い、とぶつぶつ呟くユーリを見、ふと首を傾げた。
「お前、本当に好きな女とかいたのか?」
「え? 何、急に? やっぱり気になった!?」
がばりと起き上がり、満面の笑みを浮かべたユーリに、シンはゆっくりと首を左右に振った。
「ああ、いや、ただ、お前が惚れたんだったら、相手は困ったんじゃねぇかなって思ってな」
「何それ、どうゆこと? なんか酷い言われよう!?」
言われた言葉に半眼になり、再び唇を尖らせる。そんなユーリに、シンは腕を組み、うーんと唸った。
ユーリは存外気に入った者を甘やかす。甘やかすばかりではないのだが、それでも結構な甘やかしだとシンは思う。自分に対するユーリを見ているから、余計にそう思うのかもしれない。
本来護衛でしかないシンに、何かとつけては『お手伝い』をさせて、護衛料以外の賃金を与えるのも、本当は必要のない『お手伝い』だと知っている。食事をシンに作らせるのだって、シンがちゃんと三食食べているのを確認するためだということも知っている。それを自分が自堕落だから、と理由付けをして、シンが気にしないようにしているのだということも。洗濯だって、ユーリのついでにシンの分もしてよい事になっている。錬金術で作られた洗剤は意外と高いので、シンとしてはありがたい。ちょっとした、ユーリの自堕落さや、めんどくさがりを理由としたことの全てはシンの為で、知っていて知らないふりをしている。
自分に対しては勿論、他にもカインのようにこの店に来ることを許された者達へ、ユーリが最大限気を回しているのをずっと見てきた。
たかが護衛程度でしかない自分達にだって甘いのに、好きな女相手だったら激甘になるのではないのだろうかと思って何がおかしいのか。それをそのまま伝えれば、ユーリは困ったように揺り椅子に背を預け、目を閉じた。
「どうだろうねぇ」
やはり困ったような声。けれども、その声はどこか昔を懐かしむように優しい。
「あの人は、どうだったんだろうねぇ」
続いた言葉に、ああやはり、とシンは納得した。
ユーリはあまり自分の事を自らは語らない。こちらから見極めて、踏み込んでよい領分に質問したときのみ、答える。だから、シンが知るユーリなど、本当にごく一部だけ。見てきた分と、僅かに答えてもらった分のみ。それでも、その僅かな部分だけで、ユーリは自分にとっては『良い奴』なので、それなりに想い合う相手がいたとしても何らおかしくないと思っている。
ただ、とシンは首を傾げた。
ユーリは今『どうだったのだろうか』と言った。それは過去を示す物言いで、今は違うのだという事。ユーリの想い人は過去の人なのか、と考え、しかし、それを聞くのはやはり踏み込みすぎだろうかと、僅かに身構える。
「いたよ。僕にも好きな女性。一時だけ、想い合っていたと思ったんだけど……違ったのかも知れないね。僕は正真正銘あの人を愛していたし、あの人も僕を愛してくれていたのだと思ってたけど、僕はあの人ではないからあの人の気持ちはわからない。最終的にあの人は僕を錬金術の材料と見なしたからね。それから会っていないよ」
ずっと昔の話だから忘れてた、と微笑むユーリの顔があまりに穏やかで、けれども口にされた内容は不穏で、シンは首を傾げるしかない。あまりいい思い出とは言えなさそうなのに、ユーリは幸せそうだ。そう、揺り椅子に座る姿が、人生を謳歌した老人の、満足げな姿のようだと思えるほどに。
少し、もう少しだけ突っ込んだ話を聞きたいという欲求が産まれるが、止めた。おそらくそれは失礼だろうと思ったから。代わりに言葉をすり替える。イイ女だったのか、と。そうすればユーリは目を開き、蕩けるような微笑みを浮かべ、肯首する。
「とても素晴らしいヒトだったよ。それはそれは豪華な金髪でね、けれども微笑みは清楚な花のようだった。何よりも素晴らしいのは、溢れんばかりの錬金術への情熱と愛。その知識はかつての僕を凌駕していた。彼女はぼくにとって最愛の錬金術で、最低の禁忌そのものだったよ」
「なんだ、やっぱりアンタ錬金術好きなんじゃないか」
呆れたような声に、少し戸惑うようにまばたいたシンは、苦笑を浮かべる。
「そうだね。確かに僕は錬金術に飽きている。つまらないとも思っている。けれども、愛してはいる。僕はどれほど錬金術に飽きようとも、愛する事は止めないだろうね」
「その女もか?」
「どうだろう? そうかもしれない。彼女は僕にとって愛すべき錬金術で、禁忌の錬金術だ。愛しているし、この手で殺したいほどには嫌悪している」
困ったものだよ、と笑う顔は、珍しく本当に困っていて、言っていることに嘘がないのだと知れる。
難儀な奴だな、と正直な感想を漏らし、それにユーリが同意を示したところで、アンティークゴールドのベルが軽やかな音をたてた。来客を示すそれに、二人が顔を上げ、入り口を見る。窮屈そうに入ってくるその姿に、思わず笑ってしまった。
女が放っておかなさそうな涼やかな顔をした大男が、普通のサイズのドアを、窮屈そうにくぐる姿はすっかり見慣れ、笑いさえ零れるのだから不思議なものかもしれない。
「やぁ、カイン聖騎士長。何かあったのかな?」
揺り椅子に座ったまま、席を勧めるでも、来店を歓迎するでもなく声をかけるユーリに呆れつつ、シンは立ちあがる。壁際に放置された丸椅子を己の隣に置き、茶の準備に奥へと消えた。
シンの準備してくれた椅子に腰かけたカイン。ユーリに向かって首を傾げる。
「ユーリ。宰相に何か言ったか?」
「へ?」
「何も言っていないなら良いんだが……宰相が、私の顔を見るたびに『貴方が剣を捧げたのはクリストファー国王陛下ですか?』と問うのだ。そもそも私の聖騎士長就任式の際に、剣を陛下に届ける役を担ったのは彼のはずなのだが……」
僅か、本当に僅か、よく見てもわかりにくいほど微かに眉根を寄せたカインに、思わず噴き出すユーリ。
「成程。宰相は僕の言葉をそうとったのか。それは、申し訳ない事をしたね、カイン聖騎士長。僕が宰相に『王の周りに気をつけろ』と言ったせいだと思うよ。城の中に悪い子が入り込んでいるのはわかってるんだけど、それが誰なのかまではわからなくてね。そう言ったんだけど、まさか宰相が君を疑うほど追い詰められているとは思わなかったんだ」
「悪い子……先日のタルポットのような、か?」
戻ってきたシンから水出しのコーヒーを受け取りつつ、問う。それに大きく頷くユーリに、そうか、と呟き、口元に手を当てた。
「ああいうのが他にもいるのか」
「いるね。それで? 彼の件で今日は来たんじゃないの?」
「そうだ。拷問もしてみたが、彼は何も知らなかった。金をもらい、牢の中の者を殺していただけだったようだ。金を渡す者は常に黒いローブで全身を覆っていて、男か女かさえもわからないように声も細工をしていたようだ。それと、昨日彼の行方が消えた」
「消えた?」
「ああ。見張りの立っていた牢から姿が消えた」
詳しく、と促すユーリに、カインは事の次第を告げる。
タルポットの入った牢はユーリが入った牢とは別で、重要な者や、危険性の高い者が入る牢だったらしい。一つの牢の前に、見張りが二人。鉄格子ではなく、鉄製の扉。外からかけられる鍵の数は六。中は岩をくりぬいた空間に、穴を掘って逃げられないように溶かした鉄が流し込まれ、四方の壁は勿論、床も天井も鉄で覆われている。鉄製の扉に一か所だけある窓が空気穴代わり。足元には子供も通り抜けられない程の小さな扉があり、そこから食事が差し込まれるのだとか。
当時の牢番は規定どおり、十分おきに中の様子を交互に確認。食事の時間直前までタルポットは確実にいた、と証言している。しかし、夕食を差し込む前に中を確認したところ、誰もいなくなっていた。扉の死角になっている場所に隠れている可能性を考慮し、一旦はそのまま夕食を差し込み、二人で中を確認し続けたが、食事に手を付けられることはなかった。交代にやってきた二名のうち一名にカインたちへの報告をしてもらい、厳重な警戒体制の下、扉を開いたが中はもぬけの殻だった。
「というわけで、監視についていた牢番二名を拘束。二人が示し合わせて証言している可能性があるので、君に自白剤か何かを作ってもらえないかと思ってね」
「んー。あるっちゃあるけど……自白剤でも何も出ないかもしれないよ」
「というと?」
「もしかしたら、認識を阻害するアイテムが使われた可能性があるからね」
「認識を、阻害?」
「そう。正しい認識をできないようにする、とも言う。例えば、扉が開いても、開いていないように認識してしまう、とか。タルポットを逃がした人物が外からやってきて、その際にそのアイテムを使っていたらどうしようもない。牢番二人は自白剤を飲んでも証言を変えることはないだろうね」
「厄介だな」
「厄介なんだよ。敵に手練れの錬金術師がいる以上、錬金術師以外にはどうしようもないだろうね」
「手練れ?」
「最低でも錬金術学校の教頭以上のようだよ」
さらりと返ってくる言葉に、カインは顔をしかめた。
カインは騎士だ。錬金術にはさほど明るくはない。精々一般的な回復薬や爆薬程度の知識と、ユーリの店で購入した事があるものしか理解がない。本来、そういった物について調べるのは王室錬金術師の役目だからだ。不在の王室錬金術師という重みがここにきて、ようやく理解できた。
ちらりと目の前の錬金術師を見る。
稀代の錬金術師。その才は比類なきもの。けれどもけして誰の手も取らない孤高の存在。彼に城の事に手を貸してほしいと泣きつくのは簡単だろうが、それは城に仕える者としてけしてしてはならない。それが城勤めの矜持。己の領分で起こったことならば、己たちで解決するべき。
「自白剤をとりあえずもらえるか? それで君の言う結果が出たなら、王にそう進言する」
「賢明な判断だね」
にんまりと笑う口元に、思わず微かに口元が緩む。
おそらく、この青年は、正式に出された依頼ならば受けるのだろう、と理解ができるから。そして、依頼された内容分だけの仕事をきっちりとこなしつつ、その結果の功績はカインたちに惜しげもなく譲るのだろう。
カインがここですべきことは終わった。二人に別れの挨拶をするとさっと立ち上がり、出ていく。カランカランと鳴る美しいベルの音に、コーヒを飲みそこなったことを思い出した。折角シンが淹れてくれたコーヒ。きっとおいしかったのだろう。そろそろ風が冷たい日が混ざるようになった今日この頃だが、あのひんやりとしたコーヒーは悪くない。次はもっとゆっくりこの場を訪れたいな、と独り言ち、その場を後にした。




