22 この狭い世界の中で1
静けさの戻った室内。ルルクは詰めていた息をゆるゆると吐きだした。ゆっくりと二人を振り返り、ぎくりと動きを止める。
ルルクの目には二人の人物が映っていた。それは当然だ。何しろ、シンとユーリの方を振り返ったのだから。その二人が目に映らなければ、逆に困る。不安を覚える。いや、畏怖する。にもかかわらず、恐怖に動きを止めた。
ユーリだ。
フードを被り、口許しか見えないユーリ。その顔が、酷くつまらなさそうに思えたのだ。なんの感情もこもらない目で、どこでもないどこかを見ている気がする。事実、ユーリの顔が向いている方に何も存在しない。
何を見ているのか、何を考えているのか、全くもって理解できない姿に、畏怖した。今の今まで起きていた事さえ、彼の心に何一つ残っていないことが理解できて。
「ユーリ、何かありましたか?」
極力常を心掛けて声をかけた。声は震えも掠れもせず、及第点だろうと考える。
ゆるり、とめぐるユーリの首。
「いや……何でもないよ」
「そうですか。で、ユーリ? カラミ・スティアの踊り子、とは何でしょう? 貴方は何を知っているのですか?」
確認事項を問う。
常ならばへらへらと笑い、煙に巻くように適当な単語を並べ、謎を深めようとするユーリ。今回ばかりはそうやって逃がすわけにはいかない。何やら面倒な事が起きていて、それがこの国にとって、敬愛する主にとって、良い事か悪い事かはっきりと断じる事が出来ない以上、大切な情報源を逃すわけにいかない。そう意気込んだルルクだが、ユーリは謎めいた笑みを一瞬浮かべ、ルルクに対しては口を開かない。
「さて……帰ろうか、シン」
「ユーリ!」
シンを伴い、立ち去ろうとするユーリの腕を掴むルルク。しかし、その手はすぐに振り払われた。ユーリではなく、シンにより。
「触るな」
「な……え……?」
獣のように鋭い目に睨まれ、驚く。
シンはガラが悪い。直ぐに相手を威圧するように殺意を乗せて睨みつける。ただし、それは敵対する者に対してだけ。それはカインからの報告で知っている情報だった。実際、今日シンが睨みつけたのはグールになった男達と、先程の女だけ。何故、自分が睨まれたのか理解できず、困惑する。
「いやん、シンったらぁん。他所の男が僕に触れるのが我慢ならないんだねぇん」
両手を合わせて頬に当て、くねりくねりと身をくねらすユーリ。わざとらしい裏声に、シンがどこまでも嫌そうに顔をしかめた。動揺のあまり一瞬、そうなのか、と真面目に受け取りかけたルルクも、呆れた表情を浮かべる。それでもユーリはくねくねと身を捩るのを止めない。
「悪いな。コイツの袖の中は色んなアイテムが入っていて危険なんだ」
「え……?」
「ちょっと掴んだだけでアイテムが破裂し、厄介な毒霧が発生したり、爆発が起きる可能性がある」
シンの言葉にルルクは、そう言えば先程も試験管を袖口から取り出していたな、と思い出す。というか、ユーリは普段から殆ど荷物を持たない。だというのに気が付けば色んなアイテムを取り出していた。あれは袖口から取り出していたのか、と納得と共に、首を傾げざるを得ない。あの袖口は異空間か何かに繋がっているのだろうかと不信感を覚える。それほど、あれこれと手品のように次から次へとアイテムを取り出すのを見てきたから。
「あーシン! ダメだよー。僕の秘密のポケットの存在、簡単に教えちゃー」
「宰相ならいいだろうが」
「ダメダメ。それ以上はシンだけが知ってれば良いんだからね? もう教えちゃダメだよ」
「わかったわかった」
肩の辺りを両手でつかみ、がくがくと揺らすユーリを、鬱陶しそうに反対側の手で追いやるシン。
二人の会話に、あの異空間には異空間足る秘密があるようだ、とそっと心のメモにしたためた。情報は武器だ。例え何の役に立ちそうもない些細なもの、不確かなものであってもしっかりと記憶に留めておく。いつか予期せぬ場所で突然刃となり、相手に突き立てる事が出来るから。それがルルクが官吏として培ってきた経験則。
目の前できゃっきゃっとじゃれる青年二人に、この場所が凄惨な死体の転がる荒れ果てた部屋でなければ、年相応だな、と微笑ましく思った。しかし、こんな場所で常と変わらぬ異常性に畏怖する。
「さて、僕たちは帰るよ。帰って、色々と対策を練らなくちゃね」
「ま……っ」
静止の声が届くより早く、じゃぁねー、と軽い声をかけ、そそくさとあばら家を出ていくユーリ。それに影のように付き従うシン。
洞穴のように薄暗く、光のない室内から出てきた二人は、一瞬目を細めた。
高い空に燦燦と輝く太陽は、多少は傾いたとはいえ、未だ白く、目に痛いほどの輝きを放っていた。それは暗闇に慣れた目には少々毒で、思わず顔をしかめたまま二人揃って空を見上げてしまう。
「うぁ……眩し……」
「しゃぁねぇな。昼だし」
「昼! そうだ、昼だよ! ご飯は?」
「よく食う気になれんな、お前」
饐えた臭いの下水道から、腐肉のグールに、凄惨な殺人現場。そんな濃い時間を過ごし、よくもまぁ食欲を前面に出してきた、と呆れるシンに、ユーリは肩を竦めて見せる。
「どんな時でも食べることと寝ることさえできれば、大概の事は乗り越えられるもんだよ」
「そりゃぁそんだけ図太い神経もてりゃ、な。てか、何が僕の秘密ポケットだ。嘘ばっか言いやがって」
「それを言うなら、先に嘘をついたのはシンじゃないか」
軽く額を小突かれるも、ユーリは気にしたふうもなく笑う。
「まるで僕の袖の中が危険地帯みたいに」
「知られて困るんだろう?」
「勿論。ありがとう、シン。助かったよ。ああ、それにしても暑い。早く店に帰ろう」
フードの左右を手で掴み、軽く揺らして空気を取り込む。その姿に笑った。じゃぁ被るなよ、と。しかし、ユーリは口をとがらせる。
「色々と障りがあるんだよ。宰相の前で素顔を見せるのはヤダ。動きづらくなるだろう」
「ポンコツに見せてる時点で問題ないのか?」
「ないね。聖騎士長はあれで頭が良い」
「だな」
含みを持った言葉に、くつり、とシンは笑う。ポンコツだし、多方面で身動き取れずに役立たずだが、あれでいてカインは頭が良く、役に立つ。それを知っているからこそ、時折苛立ちを感じずにはいられないのだが。
カインは完全な味方ではない。けれども敵ではない。おそらく、だが。
さぁ行こう、と声をかけるユーリに従い、シンも歩き出す。目的地はユーリの店。
腹減った、とぶちぶち零すユーリを視界に入れず、ぼんやりと考える。さて、あの家には何があったかな、と。その考えはすぐに一つの結論に至った。長期保存向きの根野菜と、干し肉のスープで十分。それに僅かばかりの豆類を入れれば汁も野菜もメインも一度にとれる。本来ならば街の外でキャンプする時に食べるものだが、簡単でハズレもない。
根野菜と豆類は長期保存向きの為、いつだってストックがある。確かこの前キッチンで紅茶を淹れた時も見かけたはず、と自分の記憶をたどり、一人頷いた。それから、他人の家の台所事情を把握している自分に呆れる。どこの女房だ、と。
いつから自分はユーリの女房の座に収まったのかと呆れ、そして、だからあれほどユーリに冗談めかして嫁に、嫁に、と言われるんだ、と頭を振った。これでは自ら進んで嫁になろうとしているみたいではないか、と思い至り、そんな事を考えつく自分の痛々しい思考に辟易する。
「ねーシン。今日のご飯何ー?」
「キャンプでよく食う野菜スープ」
「流石はシン。僕んちの台所事情を良く分かってる。買い物しないで帰るなら、それしか作れないよ。流石は」
「やめろ。聞きたくねぇ」
いつもどおり「流石は僕の嫁」と続けようとするユーリを、片手を上げて止める。
先回りして言葉に被せるようにして強引に止めるシンをしばらく眺め、ユーリはにんまりとした笑みを口元に浮かべ、わかった、と頷いた。
ユーリはよく人を見ている。本当に嫌がっているけれども茶化して良い時、本当に嫌がっているから茶化してはいけない時、それらを相手の様子で即座に判断する。そして、その時々に合わせて動く。
普段なら気にならない掛け合いも、今は心へのダメージがあった。できれば、いや、絶対に、聞きたくない。そのシンの態度に、ユーリは即座に話題を変えた。
「それにしても、宰相ってさ、どこの出身だと思う?」
「ん? 王国じゃないのか?」
「違うでしょ。だって、彼、茶斑の髪に灰色の目だよ。公爵なんて貴族位についているのに生粋のフィンデルン王国人の色を一切持ってないってさ、不気味じゃない?」
「確かに」
隣国リリウム王国人は、茶髪、赤茶の目。フィンデルン王国人ならば灰銀の髪、菫色の目。そのどちらでもない宰相の色。茶斑の髪に灰色の目。そんな色、流れ行くハンター達の中にも、旅商人の中にも見たことがない。
ルルクは宰相に就くために公爵家に養子に入ったわけではない。もともとベルト公爵家の人間。生まれも育ちもこの王国の、貴族位の中で最高位である公爵家の人間だ。公爵家の人間ならば、生粋か、若しくは、友好国の王族や公爵家の姫が嫁いでくることもあるかもしれない。しかし、永らく隣国と戦争をしていたこの国に娘を出す国はなかった。遡ればあったのかもしれないので、隔世遺伝と言われればそれまでかもしれないが、ルルクの親はフィンデルン王国人同士。ルルクの色が産まれてくるはずがない。
「変な話だな」
「そうでしょう? 彼は、誰、なんだろうね?」
くすり、と零された笑いに、シンは僅かに視線を寄越すが、フードに阻まれその顔は見えない。
「本物、なのかな?」
「偽物の可能性は?」
「んー……フィフティーフィフティー」
ふむ、と頷く。どうやら、思ったよりユーリには手がないらしい、と判断した。
茶化すように話しているが、とても困っているようにシンには見えた。情報が少ない。少ないのに惑わすように転がされた情報。考えあぐねるようにあれにこれにと思考を飛ばしては纏まらず、放り出している。
「網は?」
「触れてない」
「なぁ、その網、信用できるのか?」
「それもフィフティーフィフティー。どうもさ、誰かの掌の上にいるような感覚が抜けないんだよ」
何をやってもその掌から抜けられない、と頭を振るユーリに、シンは呻いた。
七年、ずっとユーリを見てきた。その底知れない叡智に慄いたことは幾度とある。全てを見透かすような言動の数々に、人間はこの男の手の上以外の居場所はないのではないのだろうか、等と馬鹿げた事も考えた。そのユーリが、誰かの掌の上のようだと苦悩している。そんな事、ありえるのだろか。
「はぁ……面倒だなぁ……面倒だよ……まぁいいや。とにかくご飯ご飯。腹が減っては何とやら。それから僕の用事に付き合う?」
「何しにドコ行くんだ?」
「悪い子に御仕置に。ちょっと、どうしても許せなくてね」
途端に上げられた顔。そして、にんまりと浮かぶ笑み。
あ、これは碌な事にならないな、とシンは遠くへと視線を向けた。そして、そんな笑みを向けられた相手に、ご愁傷様、と嗤い、一つ頷く。
「一緒に行くさ。お前がハメ外し過ぎないよう見てなくちゃなんねぇだろ?」
「ははは。怖い怖い。最強の御目付役が付いてくるなら、生かしておいてあげないとね。死体を騎士に突き出すわけにはいかない、か」
珍しい、とシンはまたたく。そして、余程腹を立てていたのか、と驚いた。
ユーリは冷たい。それはわかっていた。彼の言動で誰かが死んだとしても、それを歯牙にも留めない程度には自分本意。それでも過去、自ら手を下す、と口にした事はない。彼はいつだって他人任せな結果を求める。他人の心を操り、自らの欲する結果を得る。自分の手は汚さない、そういった手法を使っていた。だからこそ、性格が悪い、と称しているのだから。そのユーリが、自分が付いてこねば自ら手を下していたものを、と暗に示している。
そう言えば、とシンは思い出す。下水道でグールパウダーなる錬金術の禁忌について語るユーリの姿を。空を睨みつけ、吐き捨てるように、けれどもできる限り己の感情を乗せないように。淡々と語っていた。そして最後にシンに尋ねた。錬金術を嫌いになったか、と。そうか、と理解する。シンが見る限り、彼は錬金術が好きだ。愛している。だから、錬金術の禁忌に触れた、錬金術を冒涜せし者に、とても腹を立てているのだ。つまりこの後向かうのは禁忌に手を出したと思われる相手。それしか想像つかない。
「ああ……もしかしたら俺、ちょっと席を外すこともあるかもしれねぇな」
「ん?」
「だってさ、私刑は厳禁。見張り、いるだろう?」
ちらりと視線を向け、片側の口角のみを上げて笑えば、シンの意図に気づいたいのだろう。ユーリが微笑んだ。慈悲深く。
「そうだねぇ……見張り、お願いね、シン」
「ああ」
我ながら甘い、と己に呆れる。
わざわざ、怒り狂うユーリの為に時間を与える等。ご愁傷様、など、相手に対し心の片隅にさえ思っていない。普段から悪意の塊のような事を平然とこなすユーリだ。一人きりの時間をとても友好的に使うのだろう。自分にはけして想像はつかないが。まぁその程度でユーリが納得できるのなら、それでいっか、と勝手に納得する。見も知らない人間の安否より、目の前の胡散臭い男の心の安寧の方が重要なのだから、自分も大概ユーリに染まってんな、と苦笑した。




