20 宰相ルルク1
木造の店。自由に動き回り掃除する掃除用具。無造作のようで、その実特定の法則をもって並べられた危険極まりない爆弾各種。吸い込まれそうな輝きを誇る宝石たち。所狭しと置かれた商品棚の全てに、空き一つなく並べられた商品の数々。
いつもと変わらない店。いつもと同じ席に座ったシンが、カウンターに置いた両腕に自分の頭を乗せ、ぐだぐだと管を巻いている。その脳裏を占めるのは先日のグール騒動の一件。
諸々の事情を知っていそうな、少年の母親がいる家へと急いだ。
南城門近く、細い路地に入った先に立ち並ぶ洞穴のようにみすぼらしい家屋。それらが貧民達の住まい。その中の一つに無遠慮に踏み入る。朽ちかけた木の扉は普通に開いても壊れかねない程老朽化しており、男達が踏み入ったことで、軋んだ悲鳴を上げた。
これが人の暮らす家屋の在り様か、と一瞬顔をしかめるルルク。
フィンデルン王国は三年前まで隣国リリウム王国と戦争の真っ只中だった。それをユーリの造り出したアイテムで、両軍ともに人的ではなく、物的被害を被り、強制的に休戦協定の締結に至る。その後、当時王子だったクリストファー現国王がクーデターを起こし、玉座を簒奪。当然、その後の内政立て直しは並の努力ではままならなかった。だというのに隣国は何を思ったのか、自分達だって先だっての戦争の傷の癒えぬまま昨年、休戦協定を一方的に破棄した。それから小競り合いのような戦が幾度も繰り返されている。
隅々まで目が行き届かない結果があからさまな貧富の差。その現状を目の当たりにし、主と共に改革を続ける宰相として、思うところがないわけではない。それでも今はそれへと思考を向ける場ではない。すぐにいつも通り、無表情を決め込む。
所々床板が腐った廊下を歩き、奥の部屋へと足を踏み込んだ。
「こ、これは……っ!!」
荒れ果てた部屋。木の机も椅子も叩き壊され、廃材のように転がっている。床も、壁も、天井も、赤黒く乾いた何かに汚れていた。ぼろいかまどにくべてあったと思われる鍋は、見る影もなくひしゃげ、その中身は窺い知ることができない。
奥の壁近くには、最早元が何だったか、それさえも解らない塊が散らばっている。よく見れば、赤黒い肉と、黄色みがかった白い塊の何か。
「ここまでぐちゃぐちゃにする必要があったのか、それとも、これをした人間の趣味なのか……君はどう思う?」
突然話を振られたルルクは、顔をしかめた。
顔色一つ変えず、おおよそ、予測のつくモザイク必至な塊を見つめるユーリは、ちらりともルルクを見ない。この中で最も子供のような彼が、この中で最も冷静に、まるでなんて事のないように、淡々と部屋の中を確認していく姿に、だからこの男は油断がならないのだ、と吐き捨てたかった。
肝が据わりすぎている。
子供のような言動をするわりに、恐ろしく肝が据わっている。どのような状況下でも、常に冷静な心を忘れない。ルルクでさえ、カインでさえ、顔をしかめ、平常を失うような場所で、一人冷静さを失わない。そんなモノが、油断ならない人物でなければ、きっとルルクは誰も疑わないお人よしだろう。
「どちらかと言えば、後者でしょうね」
「どうして?」
「隠したいのなら残さなければよい。あえてこのような残し方をしているのです。我々に見せたいのでしょう。己の作品を」
何をわかりきったことを聞いているのだ、と呆れたように視線を向けることでどうにか冷静さを呼び戻す。いつまでもユーリの前で動揺を見せるなど、ルルクにとっては恥でしかない。
冷たい視線を向けるルルクに、ユーリは微笑みを向けた。
「そのとおりだね、宰相殿。さて、ここで疑問が残る。相手は僕に見せたいのか、それとも、君たちに見せたいのか。見せたいとして、何故見せたい? 脅しの為? 僕の性格を知っていれば、これが脅しにならない事はわかる。そうだろう、シン?」
「……ああ。だろうな。お前は人が好きで、嫌いだからな」
シンの言葉にユーリは大きく頷く。
ユーリは人間が好きだ。しかし、それはあくまでも観察対象として。それ以上でも以下でもない。人がどれだけ死のうが、どうやって死のうが関係ない。死んでしまえばそれで関心はなくなる。そういう思考をした人間だ。
そう説明を聞いたルルクは、首を傾げた。では、先程少年が殺された時に怒っていたのはなんだったのだろうかと。確かに、少年の死に対して怒っていた、とは自分も考えていない。ユーリという男がそんな優しい性格をしていないのは知っている。だが何が彼の琴線に触れたのかは知れないが、少年が殺された事に関した『何か』に怒っているのではないのだろうか、と考えていたのだ。そうでなければユーリが死んだ少年に対してとった行動が矛盾となる。
後悔をしていた少年に優しい言葉をかけ、死んだ少年を、その身が汚れることも厭わず、胸に掻き抱くなど、シンの説明するユーリの人物像では有り得ない。
「……それにしても……やはり、錬金釜は料理器具、か」
悩むルルクをよそに、ユーリがひしゃげた鍋を拾い上げた。
「釜? それが?」
「そう。この国だと学校があって、そこが錬金釜を錬成し、販売しているから、多くの者が勘違いしているけど、錬金釜ってのは形状は決まっていない。水が入り、原初の火種にくべることさえできれば、素材はなんだって、どんな形状だってかまわないんだよ」
ユーリの説明に、シンがへぇ、と声を上げた。
「良く知ってんな」
「遠方では未だに色んな形の錬金釜があるからね」
「まるで見てきたようですね」
「見てきたからね」
ルルクの探るような声に、ユーリはさらりと返す。それにぐっと眉根を寄せた。確かに、ユーリはいつからかこの国に住み着いた流れ者。ユーリという名だけを名乗り、どこの生まれで、どういった経緯を経てこの国に住み着いたのか、どうやってその錬金術の知識と腕を得たのか、師は誰なのか、誰も何も知らない。ルルクがどれほど手を尽くしても知りえない。
本名も、年齢も、何もかもが謎。
見た目から男性だという事が解る。そしてそれは、何度か共に旅をさせたカインからの報告で、事実であるということも確認が取れている。しかし、それだけ。カインはクリストファー国王に剣を捧げているが、ユーリとも友人関係にあり、丁度良い情報源だと思ったのに。
まるで不明。
それがカインからあがった報告。
そもそもユーリと共にあるには、必要以上にユーリに踏み込まないことが前提となる。ユーリは無遠慮に己に踏み込む者は、即座に排除する。あの店に絶対に辿り着けないようにしてしまう。こうなってはもう致命的だ。
あの店以外でユーリと会おうとするのは不可能に近い。
不思議な事に、街中でユーリを見かける事はない。どうやって酒場の依頼を受けているのか、日用品や食料をどうしているのか、何故だか全くわからない。今現在はシンが二人分を購入する姿が目撃されるのでまだ納得いく。では、シンと出会う前は?
ユーリがこの国に住み着いたのが『いつ』なのか、誰も知らない。街で長くいる者に尋ねても解らない。気が付いたら『いた』のだから。そう。気が付けばそこに『いた』。当たり前のように根付いていた。どれだけ記録を遡っても不明。最も、前王の時代は戦争に明け暮れ、錬金術学校の教師と癒着し、宮廷は腐敗し、まともに仕事をしていなかったので、その時代の記録にどれほどの信憑性があるのかは不明だ。
沢山の人間に聞き込みを行ったが、誰も知らない。十年前、という者もいれば、五十年前、という者もいる。中には自分の祖父が子供だった時分から、と言った老人もいた。その他には、そんな者、いないでしょう? と逆に不思議そうに首を傾げる者もいた。どの話も全く信憑性はなく、あれほど目の敵にしている錬金術学校の学長でさえ知らなかった。気が付いたら目の上のたん瘤で、目障りな存在になっていた、そういうような話を聞かされた。
面白い事に、ユーリの顔を知っている者も少ない。シンやカインは正確に把握しているようだが、ユーリが依頼を受ける酒場のマスターも、そういえばどんな顔だったか、と首を傾げた。錬金術学校の教師達でさえ、そうだ。憎々しく思っている相手の顔も朧気で、それでよくまぁあれほど憎めるのか、と呆れてしまう。因みに、カインからの報告だと、どこにでもいそうな凡庸な顔、とのことだった。こんな感じ、と連れてきた騎士は、確かに凡庸な顔立ちで、あ、はい、と頷いたのを覚えている。
ユーリの着ているローブは、一般的ではない。購入している店を探し当てたが、確かに自分達が販売したのだが、自分達はあのローブを仕入れた事はないのだ、との答えが返った。一度たりとも仕入れた記録がなく、仕入れた者もなく、けれども店に存在する。すると彼が買いに来る。誰も知らないそのローブを。
不思議な話である。
一度あのローブを引っぺがし、ユーリと言う男を丸裸にしてでも調べてみたい。
何をとっても不思議なのだ。あの、ユーリという謎の錬金術師は。
才能を考えればどうしても取り込みたい。前王へ戦争を打診し、戦場を実験場と呼ぶくそったれな錬金術学校の関係者達と違い、戦争を終わらせたユーリ。その才は並ぶ者がなく、是が非でもルルクが主人と仰ぐクリストファー国王の隣に立つ、王室筆頭錬金術師の地位に就かせたい。けれども、そのうさん臭さから、首輪に手枷足枷猿轡をつけた状態にしておきたい。逆らえば鞭で打って言う事を聞かせられるようにしたい。
才は欲しいが、敬愛する主への危険を囲う気はないのだ。けれども逃がす気もない。いかな方法ならばこの男が己の主のモノとなろうか。
謀略に、どろりと濁った眼でユーリを捕らえる。
これが、この男が、欲しいのだ。
澱んだ欲望を強く願う。
びくんっとユーリが大きく跳ねた。突然その顔に流れるほどの冷や汗が浮き上がる。ぶぶぶ、と音がしそうなほど小刻みに震えている。ぎちぎちと歪な動きで首が回る様は、まるで油を差し忘れたからくり人形。隣でシンが、成程、と頷いている理由がわからない。
「ぼ、僕ぅ、粘着質で、ストーカーで、変わった性癖な子は、ちょっとぉ……」
奇妙な事をもごもごと口の中で転がし、じりじりとルルクから離れていく。
「そもそも男の時点でねぇだろう」
「うん! うん!」
シンの言葉に、がくがくと必死に首を縦に振る。その姿は脅された人間のように必死な様相だった。
「ね? ね!? わかるでしょ!? 危ないでしょ!?」
「ああ。まさか……宰相にマジでやべぇ趣味があるとはな……俺はてっきりお前の言葉を都合よく曲解してくるからだと思ってたわ」
ぼそぼそと二人で額を突き合わせ、口元を隠して小声で語る為、何を言っているのかルルクにはわからない。訝し気に眉根を寄せるだけ。
「アレ自覚ねぇの?」
「ないんだよ」
「マジか?」
「マジマジ。あと、声に出してるのも気づいてないんだよ」
「マジか!?」
「マジマジ」
「マジもんじゃねぇか」
「でもアレ、僕限定なんだよ」
「マジか?」
「マジマジ。国王に聞いたから間違いない。偶にお城でも言ってるって、余計な情報までくれた」
「マジかぁ……」
聞こえていない事を確認しながら、相変わらず口元を手で隠し、ごそごそと二人で話す。ちらりちらりとルルクに向けられる視線は、本当に危険な人物を見る目。あからさまにドン引きした雰囲気を垂れ流しながら、しばらく二人でルルクのヤバさについて話す。
ユーリの震えが収まってようやく、二人は額を離すが、ユーリは立ち位置をシンの、一歩斜め後ろに変えた。
「何かありましたか?」
「ひぇっ!? ななななな、なに、なに、も!」
必死に首を左右に振り、すーはーっと大きく深呼吸を繰り返す。その姿に、そういえばこうやってちょくちょく突然冷や汗をかき、震え、呼吸を乱す男だったな、とルルクは思い出した。それが自分の前限定とは知らず。
どこか悪いのだろうか、と首を傾げる。
体が弱いのかもしれない。確かにカインから、ユーリは一切戦闘に参加せず、シンとカインが揃っている時、荷物は一切持たない。カゴはシンが背負い、テントその他はカインが担ぐ、という報告を受けている。ただ単に効率良く進む最善の手だというだけなのだが。
店の外でユーリに会う事が出来ないのは、病弱なのか虚弱なのか、とにかく、身体の弱い彼が、滅多に家から出ないからかもしれない、と思いつく。それが全くの見当はずれだとは思わずに。
再び乱れた呼吸を何とか整え、次いでふーっと大きく息を零したユーリ。目に、平静の光が戻る。
「大丈夫ですか? ああ、箱がありますね。どうぞ。座ってください」
ルルクとて鬼畜ではない。身体の弱い者をわざわざ立たせっぱなしにする気はない。荒れた室内をぐるりと確認し、端の方に転がる、ゴミと化した木片の中、唯一残った箱を見つけるとわざわざ手にし、ユーリへと手渡した。生憎椅子は壊れていたので、いくら体調が悪いとはいえ、これで我慢してもらいたい。そう思いながら。
「マジで?」
「マジ」
「マジかぁ……」
「マジなんだよ……これが素なんだよ……怖いだろう? こうやってヤバさと甘さを交互に見せつけて、僕を懐柔しようとしてるに違いないんだよ……そして、ちょっと偶にほだされそうで怖い……」
「……気をつけろよ……」
「……うん……」
疲れたように声を上げる二人。ルルクの思いやりは、微塵も伝わっていない。
礼を言って受け取った木の箱に腰掛け、遠い目をしているユーリ。その様子に、ああやはり具合が悪かったのだな、と一人納得するルルク。ユーリの隣で同じように遠い目をするシンは半分くらい視界に入っていない。
冷たいと評判のルルクだが、病人けが人、とかく弱者への思いやりの心は持ち合わせている。彼が冷徹なのは、敬愛する主の為だけ。それ以外には至って普通の感覚を持ち合わせている。殆どの者が見た事も聞いた事もなく、知らないが――。
あー悩ましい……
持っていきたい先はあるのに、書いているとそれもぼやけてくる……




