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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
二章 狼少年
19/85

19 踊るよ踊る、誰が策にて2



 何かが破壊される音。転がったままのユーリには見えないが、シンは見ていた。


 下水より一段高いだけの貧民街の一角が吹き飛び、砂煙が上がる。突然の事にシンとユーリ以外の全ての者が、驚き、ざわめいた。何が起こったのか理解できず、なんだなんだと口々に騒いだり、慌てて腰の剣を抜く。いち早く立ち直ったルルクの怒声で慌てて剣を抜き、隊列を整える程度の騎士達に、シンは早々に見切りをつけた。


 砂煙の奥から異様な声が聞こえてくる。


「ガ、グガ、ガ……ドモ……コ、ドモ……ガ……ア、タシ、ノ、コドモ……ユル、サナ……ウバ、タ……ユ、ルサ、ナイ……ガァアアアアアッ」


 咆哮。


 ずちゃりずちゃりと歪な音をたて、辛うじて人型を保った腐肉の塊のような化け物が姿を現す。


 手あたり次第、目についたものを殴りつける異形に、ひぃ、とあちこちから悲鳴が上がった。折角持ち直した隊列を乱すように後ずさる。


「グールだ!!」

「グールが出たぞ!」

「慌てるな! 敵は一体! 訓練を思い出せ! 総員、武器を構えよ!!」


 部隊を指揮する者が慌てて声を上げた。その声にハッとしたように武器が構えられる。


「良いか! 我々は騎士団! この国を守護する者! あのような化け物一体、容易く屠り、街にこれ以上の被害を出させるな!」


 騎士が散開し、グールを取り囲む。


 グールの腕は自身の腕の二倍ほどの長さまで伸び、鞭のようにしなる。怪力でいて柔軟。その二つが合わさった攻撃の威力は推して知るべし。建物を破壊しながらなお、前列に並んだ騎士を吹き飛ばす。


 貴族の甘ちゃんが、とシンは悪態吐きながら腰の短剣を引き抜いた。


「ユーリ、どうする?」

「僕はこのままでいるよ。僕が起き上がったところで役には立たないからね。はい、これ」


 寝転がったまま袖の中から取り出した小瓶をシンに向かって投げる。破壊の音の中に、微かな空を切る音を正確に聞き分け、目もくれず受け取ったシンは、眼前に持ってきた小瓶に首を傾げた。


「五分だけ、素早さと力があがるよ」

「そりゃ助かる」


 蓋を開け、何の迷いもなく小瓶の中身を煽った。小瓶は投げ捨て、短剣を手に下水道から上がると、腰を抜かした男達を飛び越え、震える剣を構えたまま、指示を待ち続ける残念騎士達の間をすり抜ける。


 咆哮なのか雄叫びなのか、最早まともな人語を繰り出すこともなく吠えるグール目掛けて地を蹴った。


 幾度も飛んでくる腕は、視認できない速度。ハンターとして磨き続けた感覚で感じ取り、ユーリの薬で向上した身体能力を駆使し、紙一重で避ける。二度、三度交わし、最後の一蹴りで一気に懐に潜り込んだ。左手に持った短剣。右手で柄を押さえ、喉元に押し込む。ぐちゅり、と腐肉らしい、やや溶けた肉の、忌々しい感触が短剣越しに伝わるが気にしない。柄までしっかりと押し込み、そのまま右へ九十度回す。それだけで喉の腐肉はぐちゃぐちゃと音をたてて、その身体から剥がれ落ちた。


 むぁ、と厭な臭いが広がる。慣れていない騎士の何名かが呻き、中には兜を投げすて、吐瀉する者もいた。


 その全てを気にかけず、素早く短剣を引き抜き、纏わりつくぬめりと腐肉を振り払ったシンは、ぐるりと踵を返して駆け出した。


「お、おい!?」

「なん……ば、馬鹿な!?」

「何故グールが他にも……!?」


 ルルクの方を振り返ったと思ったら走り出したシンを引き留めようとした騎士達は見た。守るべきルルクの僅か後方、三体のグールを。そして混乱する。そこに居たのは貧民の男三名だったはず。その男達は影も形もなく、代わりに咆哮を上げるグルー達。


 何が起こったのかわからない。男達がどこへいき、グール達がどこからやってきたのかもわからない。ただ一つ、わかることと言えば、宰相ルルクを守らなくてはならないという事。


 シンはルルクを綺麗に無視して通り抜け、先ず右の一体に斬りかかった。いや、斬りかかったのではない。最初の一体目同様、短剣を突き刺した。今度は眉間に。そしてやはり右へ九十度回し、更に短剣から手を離すとその場で片足を軸にして回転蹴りを一撃。


 眉間に刺さった短剣はそのままに、首をあらぬ方向へ曲げたグールは、後方へと大きく吹き飛び、仰向けに倒れたきり動かない。


「そこのお前! 剣を貸せ!」


 獲物を失ったシンが一番近くに居た騎士に声を上げる。もうあの短剣はグールの肉や体液に塗れて使えない。初めからここで捨てるつもりだった。だから声を上げるのに戸惑いもなく、早い。しかし相手は慣れないお坊ちゃん騎士。シンの言葉に、何故彼が獲物を求めているのか理解できないし、自分の武器を誰かに使われたくないという妙なプライドが立ち、拒否を示した。


 シンがユーリからもらった時間は僅か五分。既に二分。後三分。まごついている時間はない。苛立ちから、殴って奪い取ってやろうかと思った時だった。


「使いなさい」


 涼やかな声がして、投げ渡される剣。


 それは、護身用のシンプルな細剣。刺突に特化した細剣で、本来はあまりグールには有効的ではない。だが、今目の前にいる、普通の肉体から腐肉が膨れ上がりつつあるような、異常なグールには、まだ有効的といえる。


 投げ渡したのはルルク。


 この場で護身の武器を手放し、丸腰になる勇気。それは蛮勇とも、気が触れた、ともとれるほど愚かしい行為。それでも、ルルクはなんの躊躇いもなくシンに投げ渡した。


 弧を描き、投げ渡された細剣を見事捕まえたシンは、ありがとよ、と見向きもせずに声をかけ、中央に立つ、こん棒を持ったグールへと駆けだす。正面と左から飛んでくる四本の腕。鞭のようにしなるくせに、叩きつける重さは鉛玉より重いだろう。簡単に石畳の道が壊れていく。


 上がる土煙という視界状態最悪の状況の中、攻撃をかわし、懐へと潜り込むと、眉間に一突き、喉と心臓の辺りに二突きずつ。悪あがきのように伸びた腕に細剣がへし折られるが、そのまま音をたてて倒れた身体、その手からこん棒をひったくり、返すように残った一体へと駆けた。


 こん棒が振り上げられ、そして、全力で振り下ろされる。


「ド、シテ……」

「さぁな。自分の行いをあの世で反省すりゃ、わかんじゃね?」


 微かな呟きに、冷たく返し、こん棒は、グールの頭部を捕らえた。


 ぐちゃり、と歪な音をたててめり込むこん棒。そのまま、綺麗に吹き飛ぶ身体を追いかけ、更に二発、淀みなく振り下ろされた。


 ぐちゃり、ぐちゃりと音をたてるも、のたうつ手足の動きが止まるまで、シンは容赦などしない。外で出会うモンスターの中には死んだふりをして隙を伺う者もいる。ハンター歴の長いシンが、そんな初歩的な見落としをすることはない。完全にその身体が機能を停止したのを確認し、こん棒を片手に、二番目に倒したはずのグールへと近寄った。


 ゆっくりとこん棒が降りあがる。


「ジ、ニタ、ク、ナイッ! グガァアアアアッ!」


 まるで仕掛け人形のように勢いよく跳ね起きたその頭部に、ぐちゃりとめり込むこん棒。そのまま数度。見下ろすシンの目に慈悲はない。ただただ目の前のモンスターを狩る、ハンターのそれ。


 人道的とは到底言えないその所業に、何も出来ずにいた騎士のうち何名かから、酷い、という言葉が漏れ聞こえる。しかし、その非難の声にシンは眉一つ動かさず、それよりも眉尻を大きく跳ねあがらせたのはルルク。


「酷い? 自分達の事でも言っているのですか?」


 冷たい声。


 ひぃ、と情けない声がそこかしこから漏れる。


「本来、これらの始末は貴方達騎士の務め。定期的に行われる城壁外のモンスター退治もあれこれ理由をつけて逃げ回り、街中での不祥事さえ、まともに対応できない。挙句、ハンターとはいえ、本来は守るべき国民である彼一人に全て任せた。しかもその相手が丸腰になったために武器貸与要請をしたにもかかわらず、拒否。丸腰で戦わせる素晴らしい騎士道精神。騎士を名乗るのも恥ずかしい自分達の事を、酷い、と仰ったのですね?」


 よくわかりますとも、と大きく頷きながら、振り返る。


 口元に刻まれた微笑は優雅で、けれどとても冷たく、人は微笑みでも殺せる、そう信じてしまえるほどのもの。


「今日、この場に居た者に関しては、私の方から陛下へと報告をしておきます。貴族としての矜持があるのならば、私が陛下に報告をする前に、自ら剣を返上なさい」


 自ら去るならばそれ以上はしない、とは言ってはいない。けれど、そう臭わせるようにゆっくりと口にする。わらわらと逃げ出すように消える騎士達に、今一度冷たい視線を投げかけ、シンを見た。


「助かりました、ハンター殿」

「いや。こっちも、貸してくれたやつ、壊して悪かったな」


 折れた細剣を拾い上げた。腐肉と体液まみれのそれに、いるか? と問いかけ、いいえ、と首を左右に振られれば、即座にそのまま放り出す。


 カランと音をたてて地に落ちた細剣には目もくれず、下水道を覗き込んだ。


「終わったぞ」

「ああ、ありがとう。できれば手も貸してくれないかな?」

「ほら」


 差し伸べられた手を掴み、上へと上げてもらうユーリ。


「お怪我は大丈夫ですか?」

「いや、流石に頭が揺れたよ。そんな中ドンパチするなんてひどい話だね」

「お元気なようですね。何よりです」


 にっこりと微笑まれ、ねぇ聞いて! と心の中だけで悲鳴を上げるユーリに、シンは苦笑を向けた。成程、と。


 氷の宰相。奔放なユーリとの相性は最悪。どれだけユーリが言葉を操ろうとも、ルルクに響くことはない。ユーリの言など求めていないかのようにさらりと流し、自分にとって都合よく、必要な言葉にだけ耳を傾けるのだろう。


 これは確かに苦手にもなるだろうな、と呆れてしまった。


「そんなことよりも……何故あのネズミは溢れたのですか? それと、あの男達は何故モンスター化したのですか?」

「……下水道に召還石という石が置かれた可能性がある。今すぐ信頼できる誰かに確認させるべきだね。それと、彼らは、というか、南城門近くの貧民達の殆どは、ゾンビパウダーを飲まされたんだと思うよ。このままだたと、街中に沢山のグールが現れるだろうね」


 ふむ、と頷いたルルクは声を上げた。


「聞いてのとおりですよ、カイン聖騎士長! 貴方は下水道の探索をしてください、それと、貴方の部下、聖騎士精鋭隊に南城門近くの貧民達の警戒をさせなさい!」

「かしこまりました」


 物陰から姿を現すカインに、シンがちっと舌打ち一つ。シンとてカインがままならない立場であることを理解している。それでも、どうしても納得がいかないだけ。国民を守る剣となったのなら、こんな時にもっと頑張れよ、と言いたい。


「で、貴方方は重要参考人として、話を聞かせていただけますね?」

「僕より、あの子に聞いたら?」


 ユーリの指が、薄暗い路地を指さした。そちらへと怪訝そうに視線を向けるルルク。その眼が、腰が抜けたのか、へたり込む少年を捕らえた。


「アイツ……なんでここに……」


 見覚えのある少年に、シンが瞬く。その呟きに片眉を僅かに動かしながらも、ルルクは少年へと近寄った。


「少年、貴方は何か知っているのですか?」

「ヒッ!」


 びくりと震える少年の目に、みるみるうちに涙があふれた。


 そりゃ、怖いよなぁ、と独り言ち、頷きつつ、ユーリも近寄る。


「少年。君、これくらいの、赤い石をしらない? そうだなぁ……石っていうより、宝石みたいなやつなんだけど」

「な、なかに、黄色い線で絵が描いてある?」


 視線を合わせたユーリ。知った顔に、逃げるように顔を向けた。


 その反応も最早慣れた。そんな態度でユーリと少年の会話に耳を傾けるルルク。


「そうそう、それ。知ってる?」

「ぼ、僕、お母さんに、言われて、下水道の奥に、捨ててきたよ……」


 それについて聞きたい、そうユーリが口にするよりも早く、金属が風を斬る音がした。そして鈍い音に続いて、飛び散る赤の花びら。禍々しくも美しい命の色。


 薄い少年の身体を後ろから貫いたショートソード。刀身は宙に散った花と同じ色に汚れていて、目を背けることはできない。


 衝撃にユーリ達側へと倒れこむ少年を支え、ショートソードの飛んできた方を見るが、そこには誰もいない。


「おい! 少年!」

「……ぁ……ぁ……ど、して……?」


 口から血を吐き出しながら呆然と呟く少年。腕に抱き、仰向けにした。剣は引き抜かない。それが、唯一少年を永らえさせる方法だから。


「ポーションは!?」


 駆け寄ってきたシンが問うが、ユーリは緩く首を左右に振った。


 ポーション自体は隠し持っている。しかし、それを使っても無意味なのだ。この死に直結した傷は、最早ポーションでは癒しようがない。己の力量も、アイテムの効力も、重々承知しているユーリからの無言の回答に、シンは拳を握り締めた。


「クソッ!」

「ぼ、僕……死、ぬの……?」

「っ、そ、それは……」

「そう。君はここで死ぬ。何か、言い残すことはあるかな、少年?」


 言い淀むシンに対し、ユーリは真っすぐに少年を見つめ、はっきりと言葉にした。それにシンが何を、と睨むが、意に介さない。腕に抱いた少年だけを見つめる。


 少年は、ユーリの言葉にふにゃりとその顔を崩して笑った。


「よか、た……もう、お兄、ちゃ、達……ウソ、つか……くて、いい……んだ……」

「……少年。君は嘘は言っていないよ。君は『お母さんは病気だ』と言った。そうだ。君の母親は病なんだ。少し、厄介な、ね。君は、嘘は言っていないんだ」


 だから安心おし、そう囁き、そっと少年の頭を撫でる。優しく、幾度も。


 意外と荒れたその手は、パサついた少年の髪にひっかかる。それでも少年はその手に安堵したようにゆっくりと目を閉じた。


 良かった、そう微かに聞こえたような気がしたが、少年の唇は僅かに震えただけで音を紡いでいない。腕にかかる重みが変わり、ユーリは少年を貫くショートソードを引き抜く。後方で見ていたシンが、一瞬声を上げかけ、その必要がないのだと悟ると、ぐ、と口を引き結んだ。


 まるで物語の魔法使いのような漆黒のローブは、少年の中から溢れ出す血に塗れてもその様相を変える事はない。一度だけ、少年の身体を胸にきつく抱き寄せ、そっと寝かせた。


「傷心のところ申し訳ありません。その子の母親を知っているのですか?」

「知ってるよ。これから行こうと思うんだけど、君はどうする?」


 やけに冷たい声だった。ちらりと向けられた視線も冷たく、ルルクは珍しい、とまたたく。


 ユーリとだけ名乗るこの青年は、いつもへらへらと笑い、掴みどころのない風体を装っている。感情豊かに喋っているように見せて、その実、限りなく高く分厚い壁の向こうからこちら側の反応をうかがっているような。本心を一切見せていない、そんな信用のならない人物。そう思っていた。それが、こんなにもはっきりと怒りの感情を見せるのか、と驚く。


 何に対しての怒りなのか、そこまでは見せていないが、どうやらこの糸の切れたタコのような青年の心に火が付くだけの何かが存在したことが理解できたルルクは、口元に笑みを乗せ、是、の答えを返した。


二章終了

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