15 陰に隠れた悪意1
シンの淹れた紅茶を堪能していたカインの耳に、シンの言葉が滑り込んでくる。カインに対して語り掛ける、というよりも、最早独り言に近い、ぽつ、ぽつ、と零れ落ちる言葉。喜怒哀楽がはっきりしていて、自分のように鈍い者にもわかるようにか、わりと思ったことを口にするシンにしては珍しい話し方。音の少ないユーリの店だから聞こえたくらいで、もしも街中で会話したのなら、その殆どを聞き取ることはできなかっただろう。
内容は一人の少年の話。
親に虐げられ、満足に服も食事も与えられず、嘘を塗り固めて自己を守る少年。
子供が好きなシンらしく、どうにかしたいという思いを、ぽつ、ぽつ、と単語に近い言葉で語る。
カインはシンの言葉が終わるのを待ち、ゆっくりと口を開いた。
「……確かに、私では役に立たない話だ。こう言っては何だが、ここでは子は親の『所有物』だ。例え虐待していたのだとしても、躾だと言われてしまえば我々は一切手を出せない。子供が窃盗等の罪を犯した現場を押さえたとしても、罪は子供にだけ与えられ、親には何もない。親が子供へ指示をしたという明確な証拠がない限り……君が、その耳で聞いた、というのは証拠にはならない。私や騎士の誰かがその現場を見聞きしていない限りは、な」
「わかってる……わかってるさ」
苦しそうに絞り出された声に、青年の優しさを知る。
口は悪いし、態度も少々難があるが、バザーの日、孤児院で見かけるシンは、いつだって子供たちに囲まれ、楽しそうにしている。本当に子供が好きなのだとわかる場面を多々見てきた。
共にある時、常に優しく子供達を見守っている。シンが街中を歩けば、子供たちが嬉しそうに駆け寄ってくる。そんな青年だからこそ、件の少年に心砕くのだろうと理解できても、カインは立場上それに共感できない。してはならない。騎士という立場上、法を犯すものを取り締まるのが務め。心に持った天秤をできうる限り水平に保っていなければならないのだから。いくら馴染みのシンが語ったとしても、入れ込んでいたとしても、自分がその感情に飲まれ、流されるわけにはいかない。
シンもカインの立場を理解している。何か恭順してもらおうと思っていたわけではない。ただ、友人に心のモヤモヤを聞いてほしかっただけ。
カウンターに肘をついた手に乗った頭を、不意に大きな手が撫でた。
「君の、その他人の為に一生懸命になれるところはとても素晴らしく、非常に好感が持てるところだと思うよ」
「……おっさんに好感もってもらってもなぁ……」
つい最近聞いた言葉だな、と思い、赤くなる頬を隠すように、ふいっとそっぽ向くが、耳まで赤いので隠せていない。
拗ねたような言葉に、二十を超えたような相手にする行動ではなかったか、と一瞬手を離しかけたカインだったが、朱に染まった耳に気づくと、そのままわしわしと無言で撫で続ける。
「何面白いことやってんの?」
ずるぅりと奇妙な動きで隣の部屋から顔を出す汗だくのユーリ。カウンターを挟んでいい年をした男が、同じくいい年をした男の頭を撫でているという不思議な状態に、半眼で呆れたような表情を浮かべている。
「ユーリ。調合終わったのか?」
汗の帯を床に連ねながら移動するユーリに、シンが花瓶のようなサイズのピッチャーに直接ストローを添えて差し出す。それを、ストローだけを受け取り、シンに持たせたまま飲み始めるユーリ。
「ああー生き返るー。もー喉も身体もからっからだよー」
「そうかい」
ふへーと気の抜けた声を上げるユーリに、思わず笑ってしまう。
「それで? カイン聖騎士長、どうしたの?」
「ああ……アイテムの補充と、問題が起きていないかの確認だ」
「アイテムは俺がやっといた。あとで帳簿確認しておいてくれ」
「おお! 流石はシン! 僕の嫁!」
パッと明るい笑みを浮かべ、ストローを持ったまま両手を広げ、抱き着こうとするユーリを、ピッチャーを持ったまま軽やかに避けるシン。
「近寄んな、汗臭ぇ」
顔をしかめ、睨みつけるシンに、酷い、と口を尖らせるユーリ。そのいつもと変わらない様子に、ふ、と小さくカインが笑った。笑ったと言ってもほんの僅か口角が上がっただけで、よく見なければわからない程度。ただ空気の動いた音に、ユーリもシンも敏感にカインの方を見た。
二組四つの目が不思議そうに見るその姿がまたカインの笑いを誘う。
ほんの僅か、目じりを優しく緩ませ、ゆるりと首を左右に振った。
「君たちは、本当に二人揃うと丁度良いんだな」
カインが見る限り、ユーリはシンがいなくては調合ばかりで、客が来ても顔を見せず、シンはどんなに気持ちが荒れていても、ユーリがいればいつも通り。その事になんの違和感も覚えていない。それどころか、その事実に気づいていない。息をするように当たり前であるかのよう。
二人の関係に、自分にそれほどの者がいるだろうかと考え、思い当たらず、あえて言うならば二人だった。そうか、これが友人関係というものか、と一人納得し、深く頷く。
「君達は二人でいれば楽しそうだな」
「何言ってんだよ。おっさん。俺、今楽しそうだったか? 汗臭い男に抱き着かれそうになってただろう?」
よく見ろよ、と口をへの字に曲げるシンに、やはり楽しそうだと思う。自分と話していた時はあれほど苦しそうだったというのに。ユーリが現れただけでこれだけ明るい表情になるのだから。
その変化に気づいていないシンに、そもそも調合中でシンの状態を知らなったユーリに、カインはそれらに気づくようになった自分も成長しているのだろう、と心中で自画自賛しておく。
「それで、ユーリ。何か変わったことはないか?」
「ああーうん。そうだねー……明日、ネズミの駆除に行かないといけないんだよ」
「ネズミの駆除?」
それは錬金術師の仕事なのか、と本人的には思わずぐっと眉根を寄せる、が殆ど変化はない。そんなカインに、カインの疑問ももっともだ、とユーリも大きく頷いた。
「害獣の駆除ってさぁ、錬金術師の仕事じゃないよね? なのに酒場に上がってたんだよねー。それも、国からの」
「国から?」
ますます不可解そうな声を上げるカインに、シンもぐっと大きく眉根を寄せた。
「国からだね。内容は南側城門近くの下水道に住み着いたネズミの駆除。このネズミが子供も食い物にする悪食だってんで、早めの駆除を依頼されている。しかも、僕を指名して、だ」
「子供を食い物にする? まぁ、獣だし、共食いって事もあるのか?」
それにしては変だな、と首を傾げるシンとカインに、ユーリは大きく首を左右に振った。
「違う違う。共食いじゃない。人間の子供を生きたまま食べるんだと」
「はぁ?! 何だその話?! ヤバいじゃねぇか!」
「それは本当なのか? 私は何の報告も受けていないぞ?」
ストローをふりふりと振りながら説明するユーリに、詰め寄る二人。
ほんと、ほんと、と頷くと、ユーリはシンの手の中のピッチャーにストローをさす。失われた水分を求めてごくごくと飲めば、ピッチャーの中身はあっという間に半分以下になった。
「ふぅー。潤う潤う。やれやれ。やっぱり錬金術師は一人暮らししちゃいけないね。調合始めると死亡フラグが立つ」
げふっとわざとらしく息を吐き、ストローを抜いてカウンターに放り出す。カウンターに染み出す紅茶も、勝手に動く掃除用具がすぐに綺麗にするから誰も気にしない。
ユーリは、カウンター下に積まれた本の上に無造作に置かれていた、羊皮紙の紙を持ち上げた。それは酒場で時折見られる依頼書。高位者から持ち込まれた依頼である証。内容はユーリの言うとおり、害獣駆除。害獣はネズミであり、場所は南側の城門近く。おそらく下水道が住処だろうとのこと。実際に被害者が出ているので早急にこなしてほしい、となっていた。
依頼書の最後には、国からの依頼であることを明記され、宰相の直筆のサインと蝋印が押されている。
依頼書を覗き込んだシンが、マジか、と呟く。
この内容なら、街で噂なり混乱なり起きていないとおかしい。しかし、何も知らなかった。街で暮らすハンターならばそう言った噂には耳ざといはずなのに。カインも全く知らなかったようで、既に犠牲者がいる、という事に、困惑を隠せていない。
「被害者は城壁近くの貧民の子供。子供の叫び声に気づいて母親が駆け付けた時には、夥しいネズミが群がっていた。母親は果敢にもそのネズミをかき分け、我が子を救い出したが時すでに遅く、子供は食い散らかされていた。母親もかじられたが、異変に気付いた他の貧民たちが松明を手にやってきたため、ネズミ共は四散して逃走。辛うじて助かったようだよ」
これは実際に僕が本人たちに直接確認した事、と付け加えられた説明に、シンは言葉をなくし、カインは、そんな問題が自分の下まで上がってきていない不可解さに、困惑よりも怒りの色を濃くした。
「母親の傷は……残念だけど、僕のポーションでも全快は無理だね。痕が残る。それくらいの傷だった。今は包帯でぐるぐる巻きになっているけど、早く依頼を出さないと、あの環境じゃ傷口から菌が入って、病になるだろうね」
「薬は渡さなかったのか?」
「僕は慈善事業者じゃない。無料で商品を渡すことはできない。そして、僕のポーションは金貨一枚。貧民じゃ逆立ちしたって、その身を奴隷として差し出したって、払えない。それが現実だよ、カイン聖騎士長。君が親に虐待される子供を助けられないように、僕もその女性を助けることはできない。一度してしまえば、なし崩しになってしまう」
「……そう、だな」
「そして、君が何かすることも許されない。この件は混乱を防ぐため、宰相自ら緘口令を敷いたらしいからね。君は動けないよ、聖騎士長」
ユーリの言葉にカインは、ぐぅ、と唸る。
いかに聖騎士長、国王の剣となっても、己という個人の存在はちっぽけで、無力であることがこうして突き付けられる。握りしめた拳がぎちりと音をたて、血が滲んだ。その拳に添えられる手。驚きにびくりと身を震わせるが、触れた相手がシンの為、それ以上は何もない。
それはカインからシンへの信頼の証。もしも他の誰かだったら、触れる前に気づき、払いのけていたかもしれない。シンのように自分が信頼した相手だったからこそ、触れるまで気づけなかったし、触れてからも反応しなかった。それは騎士としては良くない傾向で、人としては良い傾向なのかもしれない。そんなことを考える。
そんなカインを知ってか知らないでか、シンは握りこまれた拳を開かせ、爪が食い込み、血が滲んだ掌を、腰に回したポシェット型のベルトから、自前の応急セットを取り出し、手当てした。消毒液をしみこませた小さな綿で傷口を拭い、その上から包帯を巻く。慣れた手付きをぼんやりと眺めていると、シンが真剣な表情を向けた。
「間違えるな。アンタのこの手は怒りや苦悩を握りこむためのものじゃない。アンタが貫きたい信念の為、剣を握り、救うべきものに差し出すためのものだ」
それ以外に使うな、それ以外で傷つけるな。そう念を押され、思わず瞠目した。
シンは、カインの掲げた信念を知り、それを見下すことなく、肯定している。剣を捧げた現国王でさえ、カインの信念は美しくはあるが不可能で、もう少し肩の力を抜け、と言われたというのに。
一度口を引き結び、真っすぐにユーリを見た。
「私が、何かできることはあるか?」
「この件に関してはないかな」
「では、どの件ならばあるのだ?」
「この件の裏の事で手を借りたいな」
「裏?」
にんまりと笑うユーリに、シンもカインも首を傾げる。
「この件、おそらくネズミはモンスターなんだよね。モルテトーボ。通称『死を運ぶネズミ』」
「モルテトーボ!? そんなものが街中に出現しては、この王国は滅ぶぞ!?」
ぎょっと目を見開くシン。
モルテトーボ。『死を運ぶネズミ』と呼ばれる彼らは、異常な食欲と繁殖力を誇り、僅か数週間で何百万体という個体数になる。彼等は存在する場所の土以外の全てを食らいつくし、草の根さえ残さない。全てを食らいつくしながら大群で移動する、非常に厄介な存在。逃げるか、殲滅するかの二択しかなく、どちらを選んだとしても高確率で死の危険性が付き纏う。
彼らには獲物が生きていようが死んでいようが、腐っていようが関係ない。本当に何でも食べる。彼等の歩いた後は何も残らないことからついた呼び名が、『死を運ぶネズミ』
「モルテトーボだろうけど、普通とは違うと思うんだよね」
「どういうことだ?」
「僕が調べた限り、子供が食われたのが八月三十日。依頼が来たのが九月二十五日。二十五日もの間が空いたら、この国はとっくに滅んでいるレベルで繁殖しているはず。でもどうやら数は増えてないんだよね」
ユーリがカイン聖騎士長に盗賊を引き渡したのが八月二十七日。
ユーリはシンを連れ、その日の夜にミリアの滝に行った。ミリアの滝は往復二十日。ユーリ達が街に帰ってきたのが九月十七日。
依頼がきたのが九月二十五日。
依頼として出すために調べたのだとしても、二十五日、およそ一月もの時間はかからない。対象がネズミで、子供を食べたという事実がある以上、モルテトーボの可能性が極めて高い。そんな中、時間をかけるのは普通ならば有り得ない事なのだ。しかも、本来はハンター達への依頼と騎士達への依頼、両方が同時に出され、双方の総戦力を以て早期解決を目指すはず。
錬金術師であるユーリを指名する事もおかしければ、まるでユーリが外から戻ってくるのを待っていたかのように酒場に出されることも奇妙な話。
「おそらく、これの本当の依頼者は知っていたんだろうね。これは繁殖しないモルテトーボだ、と。新種なのか、造られたのか……僕の見解だと造られた、んだろうねぇ。逃げたのか逃がしたのかは知らないけれど、今回の件、きっとあのネズミは僕が造ったって話になるだろう」
「ああ? お前の家のどこにあんなのが居たんだよ」
「僕の家にいつもいる生き物はシンだけだよ。僕に生き物を飼育する事が出来ないのは君たちならわかるでしょう?」
半眼で睨むユーリ。
一度調合を始めてしまえば、いや、調合を始めなくても、ユーリは普段からまともな生活をしていない。掃除は勝手に動く掃除用具がこなしてくれるが、それ以外は何もできない。食事も洗濯も風呂さえも。
食事は調合で長期間飲食しない事もあるので、一週間に一度、酒場に依頼を見に行く時だけで良い。洗濯はしない。新しい服を買い、汚れた服は捨てる。風呂も酒場の依頼を受けに行った帰りに気が向けば。そんな生活をしていた。見かねたシンがあれこれ口を出し、面倒を見る今だからこそ、こうしてまともに生活しているのだけ。
ふ、と遠い目をして笑うシン。
「ねぇな。お前に飼育は無理だ。まずお前がお前自身の飼育からちゃんとしねぇとな」
「大丈夫。僕にはシンがいる」
非常にいい笑顔で宣言するユーリの頭を、とりあえず軽く叩いて黙らせる。
カインもシンほどではないが、ユーリが一人で生活するには危うい事を知っているので、真面目な顔して頷いていた。




