14 ティータイムは友人と2
店にはカインがいる。もし他に誰か来たところで、何か悪さをできるわけがない。安心してユーリがいるのとは反対側の部屋へ、扉を開けて入っていく。
小さなキッチンでケトルに水を入れ、火にくべた。湯が沸くまでの間に棚から茶器と茶葉を取り出す。
質素な瓶に入った茶葉は、孤児院でリリが子供達と一緒に作ったもの。毎月十日に開かれる小さなバザーで売られる。その他にも刺繍入りのハンカチや、レース等が売られていて、売り上げは全て孤児院の経営に回される。売り上げによっては翌日、甘い菓子がもらえるので、子供達も必死だ。
シンはそのバザーで茶葉を買ってはユーリのところに持ってくる。それを知っているユーリは、元々は茶を飲む習慣はなかったのだが、シンが一緒に飲むときに限り、飲むようになった。その他にも、常連の来客の際、シンがこうして茶の準備をする。
それぞれ違う香りと効能の茶葉だが、シンが気分でブレンドして出し、しかもそれがまた香りも良く美味なため、意外と人気があるのだが当の本人は気づいていない。
「おっさんは働きすぎだしな……リラックスと疲労回復かな……冷ましてストローでユーリにも飲ますか?」
ぶつぶつと呟きながらいくつかの茶葉を、手際よくブレンドした。
自分だって十分働きすぎなのだが、そんな事気づくわけもなく、『皆のママン』力を発揮するシン。
ケトルのふたがカタカタと動き出し、湯が沸騰し始めたことを伝えた。それを見て、その湯でティーポットを洗い流し、温める。ブレンドした茶葉をティーポットにセットした。そして、完全にお湯がボコボコと泡立ったところでケトルを火からおろした。少し高い位置からティーポットにそそぐ。紅茶を蒸らしている間にかまどの火を消し、経過時間を確認したのち、ティーカップへとそそいだ。
ふわりと漂う香りにうん、と満足して頷く。
悪くない香りだった。これなら普段自分からは飲まないくせに、意外とうるさいユーリでも文句はないだろうし、王宮勤めで、高級なものになれたカインでも問題なく口をつけるだろう。高いものを悪いとは言わないが、安くても、美味いものは美味いのだという庶民の意地のようなものなのだ。
木彫りの、これまた教会のバザーで買った盆にティーカップをのせ、店の方へと移動する。シンは当然だが、カインもユーリも砂糖を必要としていない。要らないものを準備するような無駄は嫌いだ。そのままティーカップだけをのせて小さなキッチンを出た。
カウンターに盆を置く。
「ム? 三つ?」
「ああ。後でユーリに飲ます分だ」
綺麗な紙で簡易のふたを作り、一つにかぶせる。
ほれ、と差し出されたティーカップを、カインは礼を言って受け取った。
漂う香りにティーカップの中をじっと見つめる。
「どうした? 苦手な匂いだったか?」
「いや。……君の淹れる紅茶はいつもいい香りがするのだが、兵舎で飲めるものにも、市場で売っているものの中にもないんだ。どこで手に入れているんだ?」
「どこでって……教会のバザーのやつだぜ?」
何言ってんだ? と首を傾げながら、自分の分の椅子をカウンターの下から引っ張り出す。
そもそも茶葉は基本的には高級品だ。
庶民が手に入れられるものは、教会のバザー品か、粗悪品、自分で作ったもののいずれかしかありえない。商人から普通に仕入れようとすると、先程シンが取り出したような小さな瓶半分ほどで金貨一枚以上になる。
金貨一枚は銀貨百枚に相当し、銀貨一枚は銅貨十枚に相当する。つまり、金貨は銅貨に換算すると千枚分。メリルのパンが一個銅貨二枚で割高な事を考えれば、その高級さが理解できるだろう。
教会のバザーで売っている茶葉は、それでも銅貨五枚。これは、ハンターで、中堅以上の腕を持ち、ユーリという支払いの良い顧客を持つシンだからこそ、幾つも買えるだけ。
正直、基本的な稼ぎの殆どを寄付に回し、残った分で毎月のバザーの為に貯金しつつ日々を過ごすシンの生活はストイックとしか言いようがない。心配したユーリが、食費だけは何とか支払おうとあれこれ手を回し、つい最近、街にいる時の二人分の食事に限り、ユーリ持ちとなった。
「……いや、しかし、兵舎の紅茶はそのバザーの紅茶のはずだ」
「ああ、そりゃ、俺がそれをその日その日でてきとーにブレンドしてるから、違うように感じるだけだろう?」
「成程。君は紅茶のソムリエだったのか」
「違ぇーよ、アホ。こんなの、庶民の知恵ってやつだ。アンタらお貴族様にとっちゃ高いもんが旨いのは当たり前だろーがな、庶民ってのは基本、銅貨五枚で一週間を食つなぐんだぜ? 安いもんをいかに旨くするかが知恵の出しどころってな」
「一週間が銅貨五枚?! どうやって生活してるんだ?!」
ぎょっと目を見開く。対してシンは、三歳児でも知っているような至極当然のことを口にしたのに、何故カインが驚いているのか理解できずに首を傾げた。
「うん? 何驚いてんだよ。食費は一週間で一人銅貨五枚。これは平均的な庶民の暮らしだぜ? 貧民だと銅貨三枚もかけられりゃ良い方だな。裕福な方になると銀貨一枚だな。俺以上の腕を持つハンターなんかは銀貨一~二枚ってとこだな」
シンの説明に、愕然としていたカインが、そっとティーカップを置いた。
首を傾げるシンに、神妙な顔をしたカイン。
「これは……君たちにとっては、積み上げられた金塊のような価値のものではないか……そうとは知らずに私は……」
「そう思うんなら、旨そうに飲んで、次のバザーまでに大々的に宣伝して、バザーの日にはがっつり買ってやってくれよ。孤児院は、貧民側だぜ」
シンとユーリが寄付している以上、並の生活だが、その辺は黙っておく。そもそも、あの孤児院の殆どは、前王がやっていた戦争の孤児が多いのだから、王家や、欲をかいた貴族達から多額の寄付があったとして、何が問題があるのか。むしろ、今までの少なさを泣いて詫びろ、というのがシンの持論の為、わざわざ教える事はない。
「……そうしよう」
一つ頷くと、再びカップを手にする。しみじみと味わうように口に含む素直なカインに、シンは軽く笑い、同じように口をつけた。
少し渋みはあるが、高級茶葉顔負けの香りと、紅茶本来の甘さで、渋みもアクセントとなっている。
はぁ、と零す溜息に紅茶の香りが混ざり、体の中から心地よい香りが感じられた。紅茶の温かさも程よく、非常に気持ちが落ち着いていく。日々の疲れが癒されるような。これは兵舎で食堂勤務の者が淹れてくれるものではありえない。シンの淹れる紅茶でしか感じたことがないのだが、その理由がまさか、自分の状態に合わせてブレンドを変えているから、等というものだと、人の心に鈍いカインは気づかない。
「旨いな。君の淹れる紅茶は、本当に兵舎のものにも、実家で飲むものにも劣らない。いや、むしろ勝っているな」
「そうか?」
「ああ。何故かはわからないが、君の淹れる紅茶を飲むと、いつも気持ちが落ちつくんだ」
「……そうかい。そりゃぁ良かったな」
ほぅ、と溜息を零すカインの顔は穏やかで、シンは満足げに笑った。
態度悪く椅子に膝をたてて座るシンも、紅茶を口に含む。
しばらく、互いに無言で紅茶を楽しんでいたが、中身が半分ほどに減った頃、不意にカインがシンを見た。視線に気づいたシンがカインへと顔を向ける。視線だけで何だ、と尋ねた。
「聞こうと思っていたんだが、近頃変わったことはあったか?」
「……いや」
突然不機嫌になるシンに、何かあった、と流石のカインも気づく。
「私では役に立たない、か?」
「誰でも役に立たない事だ」
「というと?」
再びシンが黙り込む。
紅茶を飲み干し、がたりと音をたてて立ち上がった。その手には紙で蓋をしたティーカップと、ストロー。
「ユーリに水分、とらせてくるわ」
「ああ」
甲斐甲斐しいシンに、かつて全力で否定された疑惑が首をもたげる。やはり、夫婦なんじゃないか、と。だがどうせ口にしたところでまた全力で否定されるだけだろう。一つ賢くなったカインは黙ってシンの背を見送った。
「おい、ユーリ。水分採れ」
奥の部屋からシンの声が聞こえてくる。
ユーリの声は聞こえない。
しばらくするとシンが空っぽのティーカップと、ストローを手に戻ってきた。
「ユーリはちゃんと飲んだか」
「飲んだ。次のを準備してくる。まだしばらく待てるか?」
「ああ」
カインが頷くのを確認し、ユーリのいる部屋とは反対側の部屋へ消えていくシン。
静寂がその場を支配する。
奥の部屋からはユーリがかき混ぜる釜の、煮えるような音がするだけで、本当にユーリがいるのかもわからない程、その他の音がない。
店内には勝手に動き回る掃除用具。何かを壊すことも、傷つけることもなく、丁寧に掃除して回っている。物の置かれた下さえも、器用に上の物を持ち上げ、掃除する姿を眺め、あれ、便利だな、と独り言ちた。
しかし、カインがそれらを買う事はない。
以前、便利だと思って購入し、兵舎の自室で動かしていたのだが、自室を訪れた者がことごとく悲鳴を上げ、掃除用具の姿をしたモンスターがいる、と騒ぎ立てた。確かに勝手に動く掃除用具は珍しいかもしれないが、それでただの掃除用具をモンスター扱いなど、騎士としてどうなのかと思った。それに、この程度の物を見て慌てふためく精神力で、今後騎士としてやっていけるのか、とか色々と考えたが、モンスターが街中、しかも兵舎にいる、という知らせを受けた騎士たちが総動員で部屋に押し寄せてきて、カインの説明を聞く前に全力で叩き壊してしまった。
落ち着いたところで、アレは自分が買ってきたばかりの錬金術で動く掃除用具だと説明したところ、騒ぎ立てた騎士複数名と、聖騎士長の部屋へ押し入ったばかりか、私物までも破壊してしまったことに責任を感じた部隊長数名が、辞表を提出してしまったので、事態を重く見た国王に、アレを兵舎で使用する事を禁じられてしまった。
掃除用具がカインの部屋で動き出してから、僅か一時間の出来事。
騎士と部隊長は、カインと国王の説得で何とか留まらせることには成功したが、以来、自分の部屋へ来る際に、何かと気を張っていて、申し訳ない事をした、と思う。
カインのようにユーリの魔法の如き錬金術に、普段から触れていない者では、錬金術学校程度の錬金術でさえ、驚くことがあるのだという事をすっかり失念していたばかりに、要らぬ騒ぎを起こしたことを深く反省する。
以来、便利だと思っても買いたい、と思った事はない。
ユーリとシンに事の顛末を話し、大爆笑されたのがせめてもの救いだった。淡々と語るカインに対し二人は、噴き出し、腹を抱えて笑い転げてくれたのだ。その眼に涙さえ浮かべて笑う姿に、何となく安堵した。
しかし、だからと言って、シンの「だからおっさんはポンコツ騎士なんだよ」という言葉には納得できなかったのだが。
あの話のどこの部分に『だから』という接続詞がかかっているのか理解できないし、あのような事態が引き起こされるだろうと、購入の時点でわかっていたのならば止めるべきだったのではないだろうか、と思う。それをしなかった時点で二人も同罪で、となれば、二人も『ポンコツ』なのではないのだろうか、と思うのだが、カインがそれを口にすることはない。どうせ無口で人の心の機微に疎い自分が、二人に口で勝てる気がしないから。
そんなことをつとつとと思い出していると、シンが戻ってきた。
「おう、待たせたか?」
「いや。彼等を見ていたからすぐだった」
掃除用具を指し示せば、シンが笑った。
カウンターに紅茶のポットが置かれる。その隣には花瓶のようなサイズのピッチャーに入った紅茶もあった。
「おっさんはアイツらを人のように言う珍しい奴だよな」
「君だってそうだろう。彼らを『アイツら』と人のように言ってるじゃないか」
おそらく花瓶のようなサイズのピッチャーの方はユーリの分だろうな、とぼんやり考えながらも、答える。そうすれば、シンがもう一度笑った。
空になったティーカップに紅茶を注いで渡してくれる。
「そりゃぁ、俺はここに居る時間が長いからな。愛着もわくよ」
「私としても、ああも働き者な彼らをずっと見てきた」
愛着だってあるさ、と呟き、礼を言って紅茶のそそがれたティーカップを受け取る。
先程とは違う香り。
本当に毎回、気分でブレンドしているのだな、と納得しながら口をつけた。
少し甘みが強い。しかし、砂糖を入れたわけではなく、あくまでも紅茶本来の甘みと、香りによる甘み。
茶葉のブレンドも奥が深いものだ、と一人妙に感心してしまう。それからちらりとシンを観察した。
椅子に座れば膝を立てる。口は悪い。ちょっとやんちゃな青年。それがカインから見たシンだったのだが、最近はその印象も違う。
少々態度も口も悪いが、自分の事より人の事。意外と博識。多才で繊細。子供好きで、優しい。訓練を受け、礼儀作法さえ身に着ければ直ぐにでも騎士になれそうなほどの剣の腕を持っている。
この国では貴族でなければ昇進はないが、それでも騎士ともなれば安定した職業で、正式な試験さえクリアできれば平民でも騎士になることができる。
以前シンの腕を見込んで、騎士になることを勧めてみたが、答えは否。しがらみの多い社会に足を踏み入れるより、今のように自由な生活が性に合っているのだと、にべもなく断られた。確かに騎士社会は貴族社会も混ざり、面倒な決まり事も多数ある。それほどまでに規則でがんじがらめにしなくては、色々といざこざが起こりやすいからだ。叩き上げの実力主義な平民騎士と、選民意識で凝り固まった貴族の坊ちゃん騎士達との隔たりは大きい。仕方のないこととはいえ、シンには理解できないし、窮屈な場所でよくやっているな、くらいにしか思えない場所。なんの魅力もない。そう断言できる。
まぁ仕方がないか、とカインは諦めた。
シンの魅力は自由であることでもあるのだから。
無理に翼をもいで鳥かごに入れられた鳥よりも、気ままに飛んでいる野生の鳥の方が美しいと感じてしまうカインだから、シンを無理に騎士にしようとは思わなかった。




