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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
二章 狼少年
12/85

12 それぞれの想い2



 男は、ふぅ、と溜息を零した。


 礼拝堂で言葉を交わす二人をそっと眺めていた視線を外し、その場を立ち去る。


 ハンターとして、気配に敏感なシンでさえ、男の気配に気づくことはなかった。それほど、気配の薄い男。


 甘酸っぱい二人の雰囲気に、若いな、と呟くその顔には穏やかな微笑みさえ浮かんでいる。


 さほど長くない廊下は、月明かりを取り込み、完全に闇に沈むことはない。そんな廊下を歩き、突き当たりの部屋へと入った。


「お待たせして申し訳ない」


 部屋に残しておいた来客に、頭を下げる。


 まるで物語の魔法使いのような真っ黒いローブを身に纏った青年は、軽く手を上げた。


「構わないよ。それで? 曲者はいたのかな?」

「いいえ。春を感じるだけでした」

「成程。今は暦上秋だけどね。……若いって事はいいことだよ」

「ふむ。貴方にとって今は秋ではなく冬ですかな?」


 首を傾げながら部屋を横切り、この部屋を出ていくまで座っていた椅子に腰かけた。向かい合った青年が酷いな、と唇を尖らせる。


「ユーリ。貴方の春はまだ先ですか?」

「残念ながら僕はそう若くない。愛だ恋だと夢見る時期は随分過去に通り過ぎてしまったんだよ」

「それは残念ですね。いつか貴方の子も抱いてみたかったのですが……」


 本当に残念そうに眉根を寄せ、ふぅ、と溜息をつく男に、ユーリは苦笑し、肩を竦めた。それ以上、ユーリからこの話題について何か言う事はない。部屋の中へと視線を馳せる。


 狭い部屋だ。扉の対面に窓がある。自分達は扉から入り、窓の方を見て右側に設置された小さな丸テーブルと、丸椅子に向かい合って座っている。扉から窓を見て左手側位は一人用の粗末なベッドと小さな、本当に小さな三段のタンスがぽつりとあるだけ。それ以外、何もない。


 壁も床も古く、所々痛みはあるが、それでも不潔という事はなく、この部屋の持ち主である男が、いかに綺麗に、大切に使っているのかがわかる。


「君は、本当に変わった生き方をしているね」

「そうでしょうか?」

「そうだとも」


 首を傾げる男に、肯定の意味で大きく頷きながらユーリは、ゆったりと広がる袖の中に手を差し込み、中を探る。


「人に言えない王の剣という立場ながら、こうして子供の命を守る。奪うのが仕事なのに、守ることを仕事にする、その矛盾は見ていて飽きないね」

「奪うのが仕事だからこそ、守り、慈しみたいのですよ」


 男は笑った。


 それに、それもそうか、と頷き、ようやく目当ての物を探り当てる。


 袖の中に隠したそれは、小さなガラス瓶。中には無色透明の液体が入っている。


「はい、依頼の品だよ。……取り扱いには十分気を付けてね。これは無味無臭で、触れただけで麻痺して、苦しみに痙攣したのち、昏倒して、そのまま帰らぬ人になる毒だ。何に使うかは知らないし、聞かないけど、使い方だけは本当に注意して」


 念を押すユーリに、男は首を傾げる。


「私を誰だとお思いですか?」

「……。表の顔はこの教会のリーン神父。そして裏の顔は、王家の暗部を担う伝説の暗殺者、リーニャ・グルフェリック」

「毒の扱いなら、貴方より長けていると自負しておりますが?」


 ニヤリ、と笑う顔を眺め、そうだね、と肩を竦める。


 リーニャ・グルフェリック。彼は変わった人間だ。本名も年齢も、何もかもが不明。その姿を見、経緯をどれほど調べても、リーニャの存在とリーンの存在は全くかけ離れ、同時刻に違う場所に平然と存在する。そのくせ、当人も自分達が同一人物と認め、証拠さえ提示してくる。知るほどに謎の深まる人物で、ユーリの好奇心を刺激する数少ない人物だ。


 けして自らあの店に足を運ぶことはなく――辿り着くためのアイテムを渡しているのにもかかわらず、だ――用向きがある時は鳥に知らせさせる。それも飼育し、訓練した鳥ではなく、野生の鳥。どうやって操っているのかは全くの不明で、謎すぎて笑えてしまうくらいだ。


 元は灰銀だったが長い月日でくすみ、色褪せたのだろうと解る、灰色の髪は短く整えられ、きっちりと神父服を着こみ、通りの方から教会を覗き込めば、いつだって、壮年の、少し皴が目立つようになった顔に、穏やかな笑顔を浮かべ、この教会で育てている子供達を、実に愛おしそうに眺めている。それなのに、ユーリに頼む薬は常に凶悪な毒薬ばかり。


 彼の職業を知るユーリは、何のために、という野暮な事は問わない。問う価値さえない。そして、どこで、何に使用されようとも、ユーリは一切関知しない。それが二人の間に取り決められた暗黙のルール。


 リーニャが小瓶を受け取り、代わりに小さな、紙でできた箱を机に置いた。


「お約束の、霧の結晶です」


 箱のふたが退けられ、中が見える。


 箱の中に詰められた布を取り除けば、三センチメートルほどの、まるで雪の結晶のような形をした、宝石が二つ。それを手に取り、じっくりと見分したユーリはにんまりと笑った。


「素晴らしい! 実に完璧な結晶だよ! それが二つだなんて、流石はリーニャ!」


 霧の結晶は、非常に発見率の低い、貴重な素材。


 街から南下して片道七日の場所にある『常霧の森』と呼ばれる、常に霧に覆われた深い森。この王国内だと、そこでしか手に入らない。


 常霧の森は常に濃い霧に覆われ、並のハンターでは満足に探索さえできない。基本的な身体能力が常人程度のユーリでは、探索不可能だろう。


 森を徘徊する森狼と呼ばれる、通常の狼より二回りほど大きな狼と、森蜘蛛と呼ばれる、一メートル以上もの巨大な蜘蛛。更にはキラービーがおり、どれも霧の中、突然の不意打ちを得意としている。


 どれも大した強さではない。並のハンターなら倒せる程度の者ばかりだが、戦闘場所が常霧の森限定で、彼らは竜の如き強さを発揮する。こちらからは殆ど存在を視認できない。攻撃されるその瞬間、それほど近くに来た時に限り、その姿が見えるのに、相手からはこちらが丸見えなど、恐怖でしかないだろう。


 そんな森を単騎で探索し、挙句、目的の物を複数個持ち帰る。それも、超貴重と言われるものを。そんな人間この王国中探したって、目の前で微笑む穏やかな神父然とした男以外、ユーリは知らない。


「いえいえ。偶々幸運の女神が味方してくれたのです。それと、よろしければ、この教会内で私を呼ぶときは、どうぞリーンと呼んでいただけますか?」

「ああ、悪かったね、リーン神父」

「いえいえ。かまいませんとも」


 にこにことした顔を眺め、本当に食えないおっさんだ、と呟き、同時に、可愛くない、と思わず口をへの字にしてしまった。そうすれば、素直なユーリに、目の前の人物は苦笑を浮かべる。


「私は貴方と違い、老いさらばえた存在。可愛いわけないでしょうに。それに、毒ばかりを食らい、既に骨と皮ばかりのこの身が、食べられるとでも?」

「それでも、十年前よりは見れる姿になったじゃないか」


 そうでしょうか、と首を傾げるリーニャに、そうだよ、と大きく頷くユーリ。


 ユーリの記憶のリーニャは、ぱっと見では神父服に隠れ、わかりにくかったが、あばらは浮き、触れればべこりと神父服が凹むほど痩せていた。顔色は常に悪く、常人ならばとうに死んでいたに違いない。


 あの頃の彼が食べていたのは、微量とはいえ毒を含み、普通ならば捨てられる草の根や、獣の臓物。毒に対する訓練をしていた彼でなければ食べられないような、粗悪なものばかり。


 何故それほどまでして子供に尽くすのか、と尋ねた時、彼は笑って言った。自分は奪うものであり、その償いとして与える者でなくてはならないのだ、と。その理屈は、ユーリには理解が出来なかったが、それでも、それを信念として掲げ、貫こうとする彼の姿は称賛に価した。そして、信ずるに足るものだと判断した。


 だから持ち掛けた。


 この教会に、十分な資金を渡す代わりに、孤児院の中から将来、自分の役に立ちそうな者がいたら、出会わさせてほしい、と。


 リーニャは自分ではなく、他の人間を所望するユーリに、自らが親代わりになり、育てる子供達を差し出すことを躊躇い、一応自分ではどうかと打診してみた。しかし、答えは否だった。だが、子供を差し出すことへ躊躇するリーニャに、ユーリは笑ったのだ。もし、将来的にそう望めそうな子供がいなければ、それはそれで構わない、と。


 リーニャが死ねばこの約束自体無効にして構わないし、支援した金を返す必要もない、と。さらに、あくまでもリーニャに求めるのは出会いだけで、その子供が自分になびかなければ、それはそれでかまわない、と。


 あまりに上手い話に、裏を疑うが、何のことはない。ただユーリがリーニャの在り方を気に入っただけ。ならばやはり自分で良いではないかと思ったのだが、ユーリは否を繰り返す。曰く、王の剣であるリーニャでは、僕の剣たりえない、と。


 既に王家という名の主人を得ているリーニャ。確かに自分ではダメなのだと、その言葉ではっきりと認識した。と同時に、ユーリという人物を面白いとも思った。


 見た目は普通の青年(・・)だが、不思議なほど落ち着いている。まるで自分よりも年上のような気さえしてくる。その上、人との繋がり、在り方に、妙に関心が高く、また、敬意を持っているように見受けられた。


 職業柄、いきなり相手を信じたりはしない。それでも、信じてみようと思えるような人物だった。


 意を決し、取引に応じた。それ以来の付き合い。


 ユーリは沢山の金を、寄付という名目で、不自然でないよう小分けにして授けた。その金がどこから出たのか、リーニャは知らない。知らないし、永遠に知る必要がないと思っている。ただ、ユーリからの約束は果たされた。リーニャがするべきことは、今度は己が約束を果たす番。かといって、ユーリが自分の眼鏡に叶わぬ人物ならば、子供達の主人にする気はない。


 リーニャは自分の技術を駆使し、物々交換で交流をはかった。ユーリの望む素材を採りに行く代わり、暗殺者としての仕事道具の依頼をする。そうして三年近くかけ、ユーリの人となりに、信頼できる、いや、この人物なら、自分が育て子供を預けるに足る。そう判断したリーニャは、ユーリとシンが出会うべく、導いた。


 ユーリとシンの出会いは、偶然の出来事だった、とシンは思っているが、違う。リーニャが仕組んだものだった。


 子供のころから見ていたシン。彼の性格なら、何と言えば何と考え、どうすればどう動くのか、考えるまでもなく手に取るように判る。言葉巧みに孤児院からの依頼を酒場へと持っていかせ、ユーリと出会うように仕組んだ。


 果たしてシンは簡単にユーリと出会った。そして、ユーリが望むまま、友人となり、今では入り浸るほどの信頼関係を築いている。約束は果たされ、ユーリはシンを受け入れた。


「あの子は貴方のお役に立っていますか?」

「そりゃ勿論。彼はそこにいるだけで僕の役に立ってくれているよ」

「そうですか、それは良かった」


 自慢の子だ。役に立たないわけがない。そう言いたげな顔に、苦笑してしまう。


 この親バカが、と心中で呟き、ゆったりと立ち上がった。


 長いローブは衣擦れの音一つ立たない。それにリーニャは器用にも片方の眉尻だけを上げる。


 自分も仕事上非常に気配が薄く、物音をたてない。そう訓練してきたし、実際それが身についている。そんなリーニャをしても、ユーリの周りに音を感じない。足音は勿論、こうして椅子から立ち上がるような際にさえ、衣擦れの音一つ立たないのは異様だと思うが、考えることを放棄した。


 この男相手に常識的な何かを考えるだけ無駄だろう、と。


 少なくとも、王家の暗部を担うリーニャでさえ見たことのない錬金術の腕、技術を持ち、その情報を何一つ漏らすことはない。自分でさえ探ることのできない相手だ。最早この男に常識を当てはめること自体が間違っているのだろう。


 軽く肩を竦め、いつも通りの笑みを浮かべた。


「帰られるのですか?」

「うん。今日来たお客さんに、三日後に薬を渡すって約束したからね」

「薬?」


 にたり、と歪な笑みがユーリの顔に浮かぶ。


「おかーさんが病気なんだって」

「それは……大変ですね」


 あ、これはろくな事にならないな、とシンではないが、十年ユーリと付き合ってきたリーニャは、そう思う。しかし、それでも何かを言う事はない。ただ曖昧に言葉を濁した。


 大変なんだよ、とユーリは唇を尖らせた。


「南の城門近くにネズミが巣食ってるし、その駆除もしないといけないんだよ。僕、錬金術師なのにさ、何でも屋じゃないんだよ?」

「それはそれは……教会でもそういった依頼は受けておりますが、私が駆除する予定のネズミでしょうか?」

「知らないよ。ただ、そのネズミは、子供を食い物にするほど悪食だって話しか聞かされてないんだ」


 ユーリの言葉にリーニャが首を傾げる。自分の元へ来た依頼内容にそのような事は書かれていなかった。


 教会は、害虫・害獣の駆除や、戦争の名残で、未だに宿も仕事もない王都内難民達への炊き出し、王都内の清掃、と多岐に渡っての作業を受けている。勿論、それ以外にもリーニャ個人が受けている依頼もあるにはあるのだが、一貫して同じことは、依頼書に書かれた内容は国王が手の物を使って調べたものになり、必要な事は全て書かれているはず。その内容に誤りや、足りないものがあってはならない。それは、国王の手の者が調査能力に欠けているという証明になってしまうから。


 どうやら自分の依頼内容とは違うようだ、と判断し、首を傾げる。


「近頃、害獣が頻発しているのでしょうか?」

「戦争の傷も落ち着きをみせだしたし、食料増えたからからかな?」

「どうでしょう? しかし、困りますね。ネズミは疫病の基になる」


 ネズミは病原菌の塊。


 あらゆるものを無駄にかじり、食い散らかし、そして病を蔓延させる。見かけたら殺さないとならない。汚く、醜い存在。


 ああ嫌だ、と思わず二人が顔をしかめるのも仕方がない事だろう。


「何か、それだけを根絶やしにできるような薬はないのですか?」

「錬金術は魔法じゃないんだよ? そんな都合良い薬があるわけないじゃないか」


 呆れたような半眼を向けるユーリに、リーニャは苦笑してしまった。この青年限定で、魔法のようなものなのに、何を言っているのか、と。だがしかし、ユーリから見れば、全ての事が理解のできる現象なのかもしれない、と気づき、ゆるりと首を振る。


 ただ一人の青年に、あれこれ望むべきではない。


 目の前に立つ青年は、錬金術をたしなむ青年。だが錬金術は万能ではない。ただの学問で、この国の多くの者が学び、その限界と、無限の可能性に、日夜努力をしている。ただそれだけの学問。その腕前がこの国一で、誰も到達できない高みに、錬金術学園の腐ったボンクラ共に嫉妬される程なのを除けば、ユーリはどこにでもいる錬金術師の青年。


 全てを頼るべきではない。


 だから、リーニャはいつもの別れの挨拶を口にして、立ち去るユーリを見送った。


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