01 錬金術の店
王都一の目抜き通り。その南にあるハンスの酒場横から一本路地裏に入り、長くうねる道を道なりに進むと不意に開けた場所にでる。その場にそびえる木は、妖精が宿ると言われ、昔から伐ることを忌諱されていた。その木を中心に、十メートル四方の僅かに開けた広場を右に曲がり、更に細い道へ。そこから真っすぐ進んだ先にある一軒の店。そこは錬金術師の店。
不思議な事に、その店には特定の人物しか辿り着くことはできず、一説には、店の主人に客として認められたもののみが複数回訪れることを許されているのだという。もしもその場所に辿り着きたいのなら、本当に主人の助けが必要となり、純粋な心で願わなくては、けしてたどり着けない。普通に聞いただけの道を歩いてきても、けして辿り着けないその店は、いつしか『魔法の店』と呼ばれていた。
そこに住まうは薬と名がつけば、劇薬から爆薬までなんでも取り扱う錬金術師の青年。この王国では珍しい存在ではないのに、彼の存在は国王でさえ一目置いていた。
塵一つない綺麗な店内。勝手に動き回る掃除用具。壁に掛けられた棚に並べられた瓶は常に磨かれ、中の液体がきらりと光る。吊るされた薬草達は、たった今採ってきた、そういわれても納得するほど瑞々しい。
無造作のようで、その実特定の法則をもって並べられた危険極まりない爆弾各種。吸い込まれそうな輝き誇る宝石たち。所狭しと置かれた商品棚の全てに、空き一つなく並べられた商品の数々。その商品が尽きるのを、長くこの場に通うものでさえ、見たことはない。
店舗の奥、扉のない区切りの向こうには大きな錬金釜。原初の火と呼ばれる、燃料もなく延々と燃え続ける謎の火により、中の液体は常にゆるく沸き立っている。
カウンターに足を投げ出し、大きな揺り椅子にだらしなく身を持たれかける青年こそ、この店の主人。ユーリ、としか名乗らず、それが本名なのか、偽名なのか、誰も知らない。いつもどこかつまらなさそうな表情を浮かべ、ぼんやりと中空を眺めたり、本を読んでいたりする。
この主人が魔法使いだ、と言われてもおそらく、殆どの人間が納得するだろう。そんな、まるで絵本の中に登場してきそうな黒いローブを身に纏い、いつだって不思議な薬を与える謎の人物。年を取っているのかも謎で、いつからここにいるのか、誰も正確な事を知らない。気が付いたら、いた。
「本当に魔法が使えないのか?」
気が付いた時には、言い慣れたその言葉を口にしていた。
特にそのことに気にせず、シンは慣れたように来客用の椅子に腰かける。
返ってきたのはいつもどおり、気の抜けたようなふは、という笑い声。
「僕は魔法は使えないよ。使えるのは錬金術だけだ。そもそも魔法なんてこの世にあるわけがない」
これもいつもの答え。
ここにシンが通うようになって幾年月。繰り返された会話。
じゃぁこれはなんだ、と店内で勝手気ままに動き回り、清掃をする掃除用具達を見る。しかし、ユーリはゆるく首を左右に振った。
「それは錬金術で仮初の命を与えられたものだ。一定時間経過するとパタッと動きを止める。そうだね、大体一月くらいだよ。この程度の錬金術なら、この国の錬金術師養成学校を首席で卒業した錬金術師なら、朝食用のスクランブルエッグでも作っている間の片手間にできるよ」
この国では錬金術師は珍しくない。何故なら錬金術師を育成する学校があるから。
錬金術は人々の生活を潤す素晴らしい技術であり、国自体がその存在を重宝し、育成機関へと莫大な資金を費やしている。そんな事、この国では周知の事実。錬金術師になればこの国で職に困ることはない。しかし、残念かな。育成機関を卒業できる者は実に少ない。ここ五年間に卒業できた人数はたったの十人。錬金術というのはそれほど難関の職業だった。
「アンタは主席様なのか?」
まさか、と彼は笑った。
ユーリがその存在を知られた時、彼はもう錬金術師だった。その腕は実に素晴らしく、酒場に上がってくる依頼のことごとくを片っ端から解決し、あっと言う間にその存在を知らしめた。しかし、誰も彼の以前の経歴を知る者はいない。
「僕は独学で錬金術を学んだ。ちょっと本を読んで、ちょっとあの釜で錬金術を試しただけさ」
嘘だ、と思わず言いたくもなったが、それを否定するほどの何かを、シンは持たない。だからいつも、口をへの字に曲げて見せるだけだ。
そんな簡単に極められる物だったら、育成機関を卒業する者があれほど少ないわけがない。己の限界に嘆き、幾人もの生徒が錬金術師への道をあきらめているのだから。
「難しい事じゃないんだ。この世の全てを理解する必要がないように、錬金術の全てを理解する必要はない。必要なのは素直ささ。できる、ということを難しく考える必要なんかないんだよ。ただ素直に受け止めればいい。それだけで錬金術は応えてくれる」
「悪ぃ。意味わかんねぇ」
素直に口にすれば、ふふ、と小さく笑いが返った。
普段はつまらなさそうな彼だが、こうしてシンと常と変わらぬ同じ会話をしているときは、やたらと楽しそうに笑う。それが何となく、愉しかった。だから、毎日飽きもせずに同じ事を話しているのかもしれない。そんなことをちらりと考える。
不意に、店の扉が開き、来客を知らせるベルがカランカランと軽やかに音を奏でた。あれは、ユーリが一番好きな音なんだ、と言っていたな、と思い出し、客ではなく、扉の上に取り付けられたベルを眺める。
少しくすんだアンティークゴールドのベル。普通なら重いであろうそれが、驚くほど軽いというのを知ったのはいつだったか、ぼんやりと思考を巡らせ、そうだ、彼と仲良くなり、この店に毎日のように入りびたるようになった二月後だったな、と思い出す。それからようやく来客を見た。
女だ。
フードを被り、マントを身に纏ったその人物は、とても性別などわかりようはずもなかったが、シンは直感的にその人物が女だと思った。
「いらっしゃい。錬金術師の店へようこそ」
「ここが、魔法の店??」
きょときょとと辺りを見渡すその人物は、やや困惑したように声を上げた。
そりゃそうだろうよ、とシンは顔には出さず、思った。この店は普通の薬屋ではない。けれども、巷で噂されているような、何か得体のしれない『魔法』等とはかけ離れてはいないだろうが、思っていたより地味な店なのだから、初めて訪れた者は大体こうして困惑する。しかし、次の瞬間、ひとりでに勝手に動き回る掃除用具達に驚き、ある者は悲鳴を上げ、ある者は目を輝かせ、錬金術を魔法と勘違いするのだ。
案の定、客も動き回る掃除用具達を見、小さく息をのんだ。
「勝手に動いている! 本当に魔法の店なのね?!」
「魔法ではなく、錬金術だよ」
いつものようにつまらなさそうに、淡々と答えるユーリに、可哀そうに、と苦笑を浮かべる。
彼は錬金術を魔法と呼ばれる事を嫌ったりはしない。ただ、魔法と断定される事が嫌いなだけで。
シンとの毎日のやり取りを嫌わないのは、シンが錬金術を理解していながら、あえてそのように話しているのを知っているからだ。何故わざわざそんなことをしているのか、突っ込んできたりはしないが、時折あの会話の、シンの声の調子等で何を考えているのか読み取ろうとしている。だからこそ、毎日あの会話を続けているのだ。いつかユーリが自分へと辿り着くことを期待して。
それがユーリの楽しみだと知っているし、自分にとっても楽しみだと理解している。それだけの時間、一緒に過ごしてきたと豪語できるのだから。
だからだろうか。初めての人間への対応が少々冷たいところがあるのは。
「ここに来れば助かると聞いたわ!」
「僕はただの錬金術師だよ。できることは、錬金術で作ったアイテムと、薬と名のつくものを扱う事だけ。それで? 貴方は何がご入用なのかな?」
「私の病気を治して!」
フードが払われ、現れたその顔に、ユーリもシンも特に反応はない。
客はやはり女だった。
さらさらの金髪は、肩口で綺麗に切りそろえられている。顔の左半分の肌が鱗状になっている以外、これといって特筆すべきことはない。そういう平凡な顔立ちの、年の頃十七、八の女。
うろこ状になった肌は、色も変色している。白っぽい普通の肌とは違い、水色で、やや硬質そうな雰囲気だ。
ふむ、とユーリは一つ零すと、立ち上がり、カウンター裏にある本棚に並べられた本の背表紙を指でたどる。
「その症状はいつから?」
「一月ほど前からよ」
「症状は進んでいるのかな?」
「ええ。初めは目の下に一枚だけだったけど、今では顔の左半分まで広がったわ」
成程成程、とユーリは頷く。その口角が僅かに上がっているのに気づいたシンだが、特に何かを言う事はしない。自分には関係ないとばかりに、くぁ、とあくびを一つ。
「その症状に効く薬は、今はないよ。これから調合をする。そうだね……材料を取りに行かないといけないから、二週間後にまたおいで」
一つの本を取りだしながらユーリは笑った。
突然の宣言に、女は困惑したように、え、と言葉を詰まらせる。あの、と思わず声をかけたが、何を言えばいいのかわからず、そのまままごまごとその場に立ち尽くす女に、ユーリは再び、二週間後にまたおいで、と声をかけた。そうすれば女は、それ以上何も言わず、フードを深くかぶり、出ていった。
カランカランと軽やかな音がし、女が出ていくと、ユーリが手にしていた本をばさりとカウンターに投げ出す。
「治らないのか、あれ」
「治そうと思えば治せるけどね……それじゃぁつまらない」
ふふふ、と零れる笑いに、ああそうかい、と思わず口をへの字にしてしまう。そして、どうしてこう、こいつは面倒な奴なんだろう、と無駄な事を考えた。
ユーリの細い指がパラパラと本をめくる。その指が、とあるページで止まった。特に興味はないが、わざわざ見せるためにカウンターに本を置いたのだと理解しているシンも、そのページを覗き込む。
『竜の雫』と書かれたそのページに載った、内容に首を傾げる。
「足りねぇのはなんだ?」
「カリオン水とミントの葉、それから、湖蛍の雫だね」
「ほぼ全部じゃねぇか。ま、じゃぁカリオン湖か。片道一日ありゃつくな。ミントの葉も湖蛍も今の時期ならすぐ手に入る。なんで二週間後なんだ? そんなに調合に時間がかかるのか、これ?」
まさか、とユーリは笑った。
「二週間後なら、もっと症状が進んでいるからさ」
「アンタどうしたいんだ?」
「うん、どうしたいんだろうね?」
かくっと傾げられた首に、ああそういやこういう奴だわ、と呆れ、まぁいいさ、と肩を竦めた。
「で、シン。護衛を頼めるかな?」
「あん? カリオン湖なら一人で行けんだろ?」
「いやだよ。僕は錬金術師だよ? もしもモンスターが出たらどうするの? 戦えないよ」
「あそこにゃスライムしか出ねーだろが。スライムくらい一人で倒せよ」
「無理だって。僕が戦うと、爆薬や劇薬が火を噴くよ?」
「アホか! お前の爆弾や毒は効きすぎんだよ! このフィンデルン王国を死の荒野にでも変える気か?!」
「じゃぁそうならないように護衛をするしかないよね?」
にっこりと微笑まれ、がっくりと肩を落とす。
どうやら護衛の依頼は断れないようだと悟り、一度前髪をくしゃりとかきあげ、そのままガシガシと頭をかいた。
「ああ、もう! わかったよ! 護衛すりゃいいんだろ!」
「そうそう。流石はシン。僕の相棒だね」
「誰がいつアンタの相棒になった」
「君が僕と出会ったときにそう決まったんだよ」
「拒否権は?」
「ないね。君さぁ、もういい加減観念して、ここに住んじゃいなよ」
「嫌だね。こき使われるのが目に見えてる」
べ、と舌を出す。
今でさえあれやこれやと、お願いという名目で顎で使われているのだ。ここに住み、四六時中一緒に居たらどれほど『お願い』と言われるのか、考えただけでも寒気がする。ぶるり、と思わず身を震わすシンに、ユーリはえぇーと不満げに唇を尖らせるが、この誘いにだけは、何があっても頷かない。
いつだってユーリの方が諦めて肩を竦める。
「まぁいいさ。それじゃぁ準備するから少し待ってね」
そういうと、薄い紫色の液体が入った瓶をカウンターの下から取り出す。それをポン、と店の床に放り投げれば、当然、瓶が割れ、ガラスが飛び散った。液体の代わりに薄紫色の気体が立ち込める。
これは人避けの香と呼ばれる錬金術の薬で、この香が立ち込めている間は、この店に誰かが訪れることはない。効果は一瓶で一週間。だから、ユーリはすぐにもう一瓶、投げ捨てた。これで二週間分の香が立ち込める。
割れたガラスは勝手に動く掃除用具達があっという間に片付けた。
「さて、これでよし、と。後は適当に傷薬と、採取用の道具だね」
錬金釜の置かれた作業部屋から、大きな背負いカゴを持ってくる。これには常に多彩な採取道具が入っており、いつもユーリの半分ほどもあるこのカゴいっぱいまで採取を手伝わされる。
「さぁ、準備はできた。行こうか、シン」
「へいへい」
腰に差した短剣をちらりと確認し、押し付けられた傷薬をベルト状のポシェットに押し込んで椅子から立ち上がる。
カリオン湖ならシンは歩いて片道一日もかからない程度。今日は引きこもりのユーリがいるから少しゆっくりと行く予定だが、それでも一日あれば辿り着く。採取も多く見積もって二日とかからないだろう。ならば大仰なテント等は必要ない。ほぼ身一つで十分。精々カゴを背負ったユーリをスライムから守るくらい。これで護衛料が最低賃金として銀貨十枚が約束されているのだからぼろいもんだ、とシン笑った。
この錬金術師の青年は、異様に高火力の爆弾か、使ったら最後、そこは人も魔物も住めないだろう場所になってしまうような毒薬ばかり使いたがる。本当は彼がもっと使い勝手の良い爆弾や毒薬を持っているのを知っているが、野暮なことは口にしない。実はさみしがりの彼が、一人で出かけるのを嫌い、自分を雇っているのを知っているから。
やれやれ、甘いことだ、と自分に呆れながら、店の外へと出た。