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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第4章 一人だけの演奏会
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8.ばか

「色々と吹っ切れてしまったわ。まこと君、私は貴方をちゃんと応援する。甲斐性を見せなかったりチキンになったり焼き鳥になったりしたら、許さないから」


「開口一番きついですね。それに急だ」


「小一時間程前にも言ったでしょう、応援すると。私はただ、誰かの為に頑張れる貴方が好きだったの。だから、それをまた見せてくれるのなら文句はないわ」


「――言われなくても」


「良い返事ね。じゃあ早速、作戦会議的なものの続きと行きましょう」


 切り替えの速さは流石の一言だ。

 それに、たった今フラれたも同然な相手である僕に、そんな言葉――優しいのは、貴女の方だ。


 それから更に一時間と少し、みっちりと当日に向けての計画を練った。

 スイーツだけでなく料理、部屋の飾りつけ、プレゼントに――どうやって、遥さんの演奏会へとつなげ、持っていくか。

 目下構えている一番の課題はそこだった。

 葵に悟られぬよう、また怒らせぬよう、どうするのが最善の策か。


 今日の話し合いの中では、それについての良い案は出なかった。






 この時期の夕暮れ時、外はもう随分と寒くなってきていた。

 いつだったかと同じように、琴葉さん、そして乙葉さんと帰路についている。


 前回は、確か桐島さんの様子を見ていてくれ、と頼まれたんだったっけな。

 礼文島へと向かう手前、今思えばまたややこしい頼み事だった。

 ただでさえ表情や言葉から真意を読み取りにくい桐島さんを、それも様子を窺ってくれだなんて、無茶にも程がある。

 結果として、全て片付いた事後の報告と相成ったわけだが。


 今日も今日とて、二人はコンビニへと立ち寄った。

 これといって目ぼしいものの無かった僕は、また一人、外で冷たい空気に当たりながら、遥さんのことを考えて二人の帰りを待っている。


「眉間に皺寄り過ぎよ。マラ子君」


「――まさか貴女の口から下ネタが飛び出す日が来ようとは。失礼にも程が――むぐっ」


 そのいつだったかと同じように、口に突っ込まれるのは食べかけの肉まん。

 あの時は、新品の、それも琴葉さんからの差し入れだった。


「あまり好みの味では無かったから、貴方にあげるわ」


「…ありがとうございます」


 そう言ってしれっと取り出すのはカレーマン。

 はなから二つ食べる予定だっとは驚きだ。


 しばらく、二人で熱がりながら肉まんを頬張るだけの時間が流れた。

 吹き抜ける冷たい風に身を震わせ、聞こえてくるのはタイヤとクラクションの音ばかり。

 どうにもここだけ世界を切り取られたような心地になって、僕は咄嗟に「あの」と声を掛けた。


「肉まん、ありがとうございます。美味しいです」


「それは肉まん? それとも私の唾液かしら?」


「どんな性癖ですか。ちょっとぶっちゃけすぎじゃありませんか?」


「私は元々こういう人よ。ちょっとエッチなものだって読むし見るわ」


 その情報は正直いらなかった。


 しかし。

 思えば、こっちに越してきてからというもの、僕は何かと女性に縁がある。

 記憶堂の店主桐島さん、そこに依頼でやって来て――いやその前に公園で猫云々の絡みがあって、今思いを寄せている葵、遥さん繋がりで知り合って、今もこうして隣で話している乙葉さんに、まだ帰ってこない琴葉さん。

 ヴェネツィアではリルとも会って、帰ってきてからは小夜子さんとピアノの話をして。


 いや、男性にも縁はあるか。

 入学式で助けてくれて、僕を信頼してくれていて、その上で僕に依頼を持って来た遥さん。この人には、僕の方がいくらも恩を返せていない。

 星屋のマスターに、僕に直接頼み込んできた桐島さんの兄、お堅いお人好しの父に楠さん。

 その中心にいる桐島さんをさりげなく見守っていた、近所の谷村さん。


 存外と、とても濃い日常を送っているものだ。

 

「貴方今、何を思っているのかしら?」


 ふと、少し僕を見上げがちに乙葉さんが尋ねて来た。

 先のような冗談を纏っていない澄んだ瞳に、僕はつい心臓が速くなる。

 よくよく考えれば、この人も相当の美人だ。


「縁ってあるなぁ、と。こっちに来てから、僕は新しくも穏やかで、楽しい出会いばかりだ」


「そこに私は含まれているのかしら?」


「当然です。葵の胸を揉もうとしてみたり、無邪気かと思えば繊細で女の子らしかったり。乙葉さんって、僕の中ではある意味で濃い人ですよ」


「――それは何だか、素直に喜べないわね」


「そういうものですよ。他人の評価なんて、往々にして本人にはあまり嬉しくないものです」


「自分で言う?」


「特別であることに変わりはありません」


 と、乙葉さんは僅かに目を開いて固まった。

 そうして薄く、とても薄くではあるが仄かに口元を綻ばせて、


「ばか」


 それだけ小さく呟いた。





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