6.好物
「ず、随分とぶっちゃけたな、葵……いや、知ってたのは知ってたが」
流石の遥さんも、やや引いてしまっている。
それはそうだ。
件の僕を傍に、実の兄に向ってそれを紹介なんてしたのだから。
葵。今になって口を塞いでも遅いよ。
「い、良いし…! 別に大丈夫だし…! 受験とか早く終わればいいし…!」
「いやそこは真面目にやれよ」
真っ当な突っ込み。
ぶっちゃけられて、嬉しくない訳はないのだが、こちらの胸中も少しは察して欲しいものだ。
僕は今、これまでどうやって声を出していたのか分からないくらいに、言葉が出なくなってしまっている。
フリーズしきっている僕の眼前で遥さんは手を振るが、それにも反応出来ない。
虚を突かれた時に見せる本当のリアクションは、慌てるでも驚くでもなく、こうなのだ。
「――さて。俺は料理の続きを」
逃げるな先輩。
なんて突っ込みも、出来ないままだ。
ようやくと声の代わりに漏れた盛大な溜息を聞くと、葵はやっと僕の存在を思い出して寄って来た。
ごめん、という囁きにさえも、敏感になってしまっている。
葵の吐息に、耳を伝わって全身の怪我逆立つのを感じると、僕は咄嗟に耳を塞いで半歩程退いた。
それだけでも遥さんにとっては弄りの対象になるらしく、耳が弱いのか、などとデリカシーもなく空気も読めない分析が入る。
「弱いしいい匂いするし緊張するしで、もう何が何だか…」
「なんなら料理完成までいちゃついてろ。もう少しかかる」
「そういうこと言ってるんじゃないけぇ…!」
「あ、方言」
葵も、いつの間に素へと戻っているのか。
この兄妹、あらゆる意味で手強い。
「実の兄に向ってあんなカミングアウトしておいて、よくもまぁいつも通りに…」
「何か、吹っ切れた。通潤橋では”尊敬”って言ったけど、やっぱり私はまことが好きなんだもん」
「だから…! ――あぁもう、ちょっとは心の置き場を作ってよ…!」
「はっはー、大変なことになったな」
「誰の所為だ誰の!」
当の本人が笑い飛ばすとは何事か。
「大体! 受験が早く終われとか、今の話とか――高々数ヶ月で僕の気持ちが変わる訳ないってば…!」
躍起になって吠えてみれば。
急に静まり返る室内。
ともすれば、隣の人にも聞こえて良そうな――
「お前、葵よりも恥ずかしいこと言ってるぞ」
「まこと――ちょ、それは流石に、私の方がもたない……」
「え、あっと……」
誰か穴へと埋めてください。
そう祈りかけた刹那、インターホンの音が響く。
代わりに出てくれ、と言われて僕が扉を開けてみるや、立っていたのは配達屋。渡されたのは、瓶と書かれた箱だ。
「高宮遥様宛てのお荷物です。間違いありませんね?」
「あ、はい…」
玄関横に置いてあったハンコを手に、指定箇所へと代わりに押印。
ありがとうございました、と景気の良い言葉から少し遅れて――配達員は、僕の目を見て言った。
「ーーごゆっくり」
バタン。
「はは。おいまこと、さっきの外にまで聞こえてたらしいな」
「わ、笑いごとじゃありませんよ…! もうここに来るの怖くなったじゃないですか…!」
「え、まこと来ないの?」
「いや来るんだけど、仕事もあるし――って、そうじゃなくて」
収拾のつかない狭い室内。
これはもう、あれだ。
本当に、誰か穴へと埋めてくれ。
「とまぁ、そういうことが有りの、だ」
「何まとめようとしてるんですか」
「いやそうじゃねぇって。いいタイミングで料理が丁度できたんだよ」
と言いながら、遥さんは葵に手伝わせながら机へと品々を運んでいく。
最後に僕の手にしている箱を取り上げると、カッターで丁寧に封を開ける。
「そういえば、それって?」
「安物だが――」
取り出し、机の上へと出されたものは、
「いちごだ」
よくよく見れば、箱のサイドにその旨は書かれていた。
あまりの出来事が重なりに重なって、文字を読むという当たり前のことに意識が回っていなかったらしい。
「まことはどうか分からんが、俺たちにとっては、こういう機会でもねぇと買わんからな。まぁ味わってくれ」
「いえ、それは凄く有難いんですけれど――またどうしていちご?」
「それはだな――」
くいと顎で指された向かいには、葵が座っている。
その葵が、いつになく目を輝かせているのだ。
なるほど。葵の好物というわけだ。
「ちなみに、食う姿は色っぽい」
「兄がそれを言いますか」
呆れて肩を落とす。
しかし――食後、あるいは食中にでもそれが見られる訳か。
悪くない。
(――――好物?)
そういえばと思い出す。
遥さん主催と勝手に題したパーティーの食事もの、何を出すか決めあぐねていた。
それは一重に、僕らが葵の好物を知らないからであったが――
(いちごなら、スイーツの幅は広いな。あとで琴葉さんにメッセージを書いておくか)