5.好き
人間なんていうものは、往々にして自分勝手な節のある生き物だ。
自分の欲の為に行動する。
他人の得の為に損をする。
良くも悪くも勝手に選択をして、そこに認められるか認められないか、結果論として周りの評価がくっついて来るものなのである。
誰かから認められないと存在出来ないのが、人間の生き方なのだ。
――と、引用したのは、桐島さんの処女作である『二十一』の冒頭文。
ふと思い出して、頭の中で何度か噛んでみたのだけれど。
学生時代に新人賞に応募して、それが当たって、晴れて作家になった桐島さん。普通の人ではないとずっと思っていたけれど、今思ってもやはり普通の人ではない。
学生の頃からこんなことを考えていたなんて。
「変わってるのに変わってないし、よく分からない人だなぁ、相変わらず」
ふと呟いたのは、本日の業務はないぞと言われ、記憶堂から帰って来た自室。
滅多に車も通らないここの通りは、静まり返っていた。
昼寝でも。
そう考えていた矢先、不意にスマホが着信の音楽を鳴らした。
表示されていた名前は葵。
そういえば、こうして電話がかかって来るのは久しぶりだ。
「もしもし? どうしたの?」
『あ、えっと――うん。ちょっと、用事が』
「だろうね。でなけりゃ電話はない。何?」
『夕飯。久しぶりに、どうかなって』
それは嬉しい誘いだった。
ここのところ、僕ではなく葵本人が忙しそうにしていたものだから、そういった機会にはあまり恵まれていなかったのだ。
僕は当然、二つ返事でオーケーした。
それを受けた当の葵は、喜び、跳びはねたか何かをしたようで、どこかに足の小指をぶつけて悶えていた。
大丈夫かと問うと、大丈夫だ、とか細い声で返って来た。
まぁ、明らかな骨折や血さえ出ていなければ問題はないだろうけれど。
「ご飯って、今晩?」
『う、うん。えっと、私の家で』
「手料理か。それは嬉し――」
『えっと、ごめん…! 作るのは、兄貴だから…』
――ジーザス。
そうして招かれた訳なのだけれど。
本当に、遥さんが包丁を使っている。
それも、かなりの手際だ。
「驚きました。何のケミカル実験室かと」
「言ったろ、何でも出来るスーパー人間だって」
初耳です。
しかし――なるほど。
これは琴葉さんが惚れるのも、やはりと頷けるな。
「それはそうと、突っ立ってないで座れよ。葵、茶出してやってくれ」
無言で頷き、とててと歩いていく葵。
何だか少し生き生きとして見える。
いや、それもその筈だ。
土曜日たる今日、遥さんはいつもならバイトに行っている時間なのだから。
「祝日ってんで、今日は休みなんだ。だから、久しぶりにこうして俺が作ってるわけだ」
「なるほど。だから、葵も嬉しそうに見えるんだ」
「……そんなに? 私、嬉しそうに見える?」
「というか、楽しそうかな」
オフの時、いつもは猫のように丸まってのろりと動く葵だけれど、今日は少し俊敏というか、足取りが軽いように思える。
「ちょ、ちょっとだけだよ。でも、やっぱり兄貴は家族だから。一緒に居る方が、楽しい」
少し俯きがちに。
良いことではないですか、遥さん。
微笑ましいそんな空間にも、空気を読んでか読み間違えてか、遥さんはお道化て「聞いたかまこと!」と。
「俺と一緒が良いってよ、葵のやつ。んだよ、やっぱりブラコン抜けてねぇじゃんかよー、可愛いやつめ!」
どっちが。
「い、一緒ってそういう意味じゃないから…! 自惚れ禁止…! 兄貴は料理に集中して!」
「はいはいっと。まぁ何だ、そういう意味じゃあ、葵はまことと一緒がいいもんな」
その一言に、場が凍り付いた。
僕としても、また葵としても、何となく嫌に引っかかるフレーズだったからだ。
どうしてこの人は――やはり後者。この人は、要所要所で空気を読めない人だ。
「も…………」
小さく、葵の口から音が零れた。
残る二人の視線が集まると、首を大きく振って一言。
「も、もう兄貴公認でいいし…!」
深呼吸。
「私は、まことのことが好き――!」
――ジーザス。
空気の読めないレベルは、どうやら兄妹でそう差はないらしかった。
そこに一人残された僕の心も、少しは考えて欲しい。