2.依頼内容
「バイオリンを弾きたい?」
休日の大学は、第三多目的室。
岸姉妹のいない今日、呼び出されて遥さんと二人きりなわけだけれど――
開口一番、遥さんがそう言ったのだった。
「ご存知ないかもしれないが、俺は昔バイオリン弾きだったんだけどよ」
桐島さんから聞かされて、実は存じている。
とは言えず、そのまま流れに身を任せてみた。
「ちっと酷めの腱鞘炎になってしまったのを機にやめて、それからはまったく触ってないんだが――と、そういうことだ」
「葵の入学祝に、バイオリンですか」
「ああ」
「でもまた、どうして自分を傷つけるようなことを? 手紙にもありましたけれど、そりゃあ葵も怒りますよ」
「そうなんだが……」
どこか煮え切らない様子の遥さん。
事の重要さを、自身でも理解はしているのだろう。
桐島さんから聞いた話によると、遥さんの腱鞘炎は自身でも言っている通りに酷いもので、下手をすれば大きな後遺症や新しい症状も伴ってしまうものだ。
だから、治すのではなく悪化させない道を選び、今に至る訳だけれど――どうして。
「最低限だが親戚からの仕送りもあって、それを補う為に俺がバイトをしている訳なんだがよ」
「ええ、それは前に聞きましたね」
「塾の講師って、こう言っては何だがかなり儲かるんだ。それなのに、葵は自分でもバイトをしている。今は流石にやってないけどな。言いたいこと、分かるかよな?」
少し考え、
「気を遣って無茶をしている、とか……?」
僕がそう言うと、遥さんは控えめに頷いた。
俺はそう思っている、と。
怪我が原因でバイオリンをやめたのに、以降ずっと葵の為に頑張っている。
それに気を遣って、申し訳ないとでも思って、葵バイトをしていると、遥さんはそう言っているのだ。
遥さんのやりたいこととしては、無理にバイトをしているのではない、現在怪我は何ともない、とその二点を伝える為の、一度限りの演奏会を開きたい。
そういうものだった。
「逝っちまった親の代わりに、俺があいつを守ってやるんだ。助け合いは勿論する。でも、あいつに守られるのは、ダメだ。俺はあいつの親なんだ」
真剣な面持ちそのもの。
俺が一人でもお前を護ってやれると、証明がしたいのだ。
「また難しいことを」
「将来的には、お前に貰ってもらう予定だからな。それまでは、俺があいつの親だ」
何となく、否定はしなかった。
しかし――
「何ともない、というのは、流石に嘘なんじゃないですか? 患部なのかどうかは知りませんが、貴方はたまに、左手をかばうようにして動くことがありますから」
「……無意識、だな。流石の観察力だ」
「実を言うと、薄くではありますけれど、桐島さんから聞いたことがありまして。だから、気になっていたんです」
「なるほどな……悪かったよ、嘘言って。無茶そうだから、こりゃ依頼も――」
「いえ、それは請けましょう」
瞬間、遥さんは「は?」と素っ頓狂な声を上げた。
そこまで意外な発言だったろうか。
「貴方がどれだけ無茶をしようが、僕は関係ありませんから」
「急に辛辣だな、おい」
「だってそうでしょう。僕への依頼は”葵を大学に連れて来ること”です。その後でどうしようが、遥さんの勝手です」
「……憎い言い回しだな」
我ながらそう思う。
桐島さんに感化されてきているのかな。
「依頼は請けます。ですから遥さんは、それまでの短い期間だけでも、緩い方法限定で、手のリハビリでもしておいてください。流石に、ぶっつけ本番では最悪な結果になりかねませんから」
「悪いな」
「そう思っているのなら、少しでも善くなる努力をしてください。葵の嫌そうな顔は、僕も見たくありませんから」
「……分かった。さんきゅ」
遥さんは優しい。そして、とても真面目だ。
分かった。その言葉通りの努力を、惜しみはしないだろうと信頼は出来る。
桐島さんが言っていた、遥さんが放った最期の舞台での言葉。
――大切なものが守れなくなるのは困る――
本当、貴方は漢ですね。
僕と一つしか変わらないのに、凄く立派な人だ。
そうだな。誠二さんの言葉を借りるなら――
貴方の目的を叶える為に、僕も努力を惜しまないと約束しましょう。