30.衝撃の告白…?
「桐島さんは――」
ふと、気になったことを尋ねてみたくなった。
幸い、他の三人は少し離れた隣の席にいる。
注文したうに丼を頬張りながら、僕は桐島さんに声をかけた。
「はい?」
顔を上げて、可愛らしく首を傾げるのも、相変わらず。
「桐島さんは、どうして小説を書きたいと思ったのですか? あらゆる才能があったとご両親からお聞きしたのですけれど、それらにの道には行かなかったのですね」
「あぁ、そのことですか。どう話したものか、悩みますね」
自分のことだというのに、珍しくも言葉を詰まらせる桐島さん。
口ぶり的には“言葉にしにくい”といった様子だ。
すると、そのまま何かを飲み込む、あるいは仕切り直しといった風に、もう一口だけうに丼を口に含んだ。
目を閉じ、うーん、と唸りながらゆっくりと咀嚼し、やがて喉へと送る。
「整いました」
「謎かけですか?」
「ち、違います…! どう話したものかと整理がついたという意味です…!」
「な、なるほど。それで?」
「はい。私、きっと“普通が嫌い”なんだと思います」
整った、と言っておきながら「きっと」という言い分は如何なものだろう。
それはきっと、整っていないということなのでは?
などと食いつくことは、今は不要なものだ。
それより、普通が嫌いという言葉に、大変興味がそそられる。
「物でもお話でも、私は“創作”というものが好きだったんです。元々あるものを演じる、真似をする、といったことは、楽しくはありますけれど、どうも好みには合わなくて――舞台から、人から、物語から、全て自分の手で作り上げることの出来る“小説”という媒体が、私には一番合っていたのです」
「全てを自分で――」
「えぇ。好まない理由の例えとして、音楽を挙げましょう」
と言って、桐島さんは右手の人差し指を立てた。
「作曲家でない私のような人間は、元ある有名な曲を弾く他ありません。ではどうなるか。他にそれを弾いている人と、比べられることになります」
「それは、プロとかお金を貰うような――」
「ええ、その通り。比較する必要がない人は、比較対象に上がりません」
いや、言う通りだ。
仕事の話をしている以上、それはお金を貰う対象である場合に限る。
つまり、必ず誰かと比較をされることはあるのだ。
しかし――それは、どんな仕事をやっていようと、そうなのではないだろうか。
言ってしまえば作家だって、他人と比較をされなくとも、自身の作品同士で比較をされることは大いにある話だ。
あの作品よりも完成度が低い、質が落ちた、前の方が良かった、なんて、よく聞く。
そんなことを考える、僕の頭の中を覗いたかのように、
「自身の物同士が天秤にかけられるのは、別に構わないのです。それは、自分でもよく分かっていることなのですから。自分で認めることも、卑下することも、それは自分だけで作り上げた物だから、いくらでもして構わないのです」
「それは――ちょっと、傲慢じゃないですかね。元あるもので人と比べて、人より上に立って、そうして認められるものだってある。貴女はそれを別に、否定はしていないんでしょうけれど……」
そう言っている僕の方が、傲慢だ。
何故かは分からないけれど桐島さんの言い分を流し、自身の意見を押し付けているのだから。
下手をすれば、この人よりも質が悪い。
「まぁそれもそうですね。以前にも言った通り、見えてしまったからって、それから逃げたわけですから。中身――底の方は、全然成長していないんですよ。子どものままなんです」
質問が悪かっただろうか。
何か、琴線に触れてしまっただろうか。
桐島さんはずっと、何だか晴れない表情だ。
「すいません、変なことを聞いて……忘れてください」
少し反省だ。
答えてくれたのだって、嫌々だったかも分からないのだから。
しかし桐島さんは、すぐにいつものように笑った。
いつものように、明るい笑みを浮かべた。
何かを押し殺すでもなく、何かを我慢する訳でもなく。
気のせい――の筈はないと思うのだけれど。
「気にしないでください。それより――」
と、話題の方向を変えると、
「葵さんとは、どこまで?」
ん?
「キスはもうなさったのですか?」
んん?
この流れはマズい。
非常に危険だ。
「ま、前も言った通り、抱き着かれただけで――それ以降は、別に何も…」
嘘は言っていない筈なのに。
桐島さんは、そんなことはないでしょうと食いついて来た。
「キスは本当にありませんって…! それに、それ以外のことだって何も…」
「――本当に?」
「疑い深くて且つ残念そうな目はやめて頂きたい。第一、色で分かるでしょう、色で」
「今は透明ですけれど――いえ、やっぱり何か欲しいです…!」
「僕の恋路はご飯のお供ですか…!」
ダメだ、つい乗り突っ込みが。
この人がまさか、ここまで人の何かに興味を示すとは――要注意だ。
と、考えていると。
僕は少し、またも意地悪な返しを思いついてしまった。
ここまで聞かれたんだ。おまけに、答えた。
僕だって、弄る資格は大いにある。
「そういう桐島さんはどうなんですか、恋とか。お付き合いした男性はいるんですか?」
そう聞くと。
特に驚く様子も見せずに、はいと答えた。
なるほど。
――はい?
「お、お付き合いの経験が…!?」
「ええ、学生時代にお一人だけ」
「そ……そうなんですか」
それはつまらない。
つまらなくて、面白い。
こう言っては失礼だけれど、少しマニアックな気がするな、相手の人。
容姿はとても綺麗だ。美しいし、どんな服でも似合う。街を歩けば皆が振り返るのが良い証拠だ。
中身も、僕を弄っていない時はとても優しい。物腰柔らかで、誰とも分け隔てなく接している。
しかし。しかしだ。
真っ白かと思えば若干腹黒かったり、淫猥だ何だと僕には言っておきながら、自身ははしたない姿で部屋を歩いたり――
「失礼なことを考えていますね?」
「イ、イエ、ナニモ…」
「片言です。変人だとか淫猥だとか、そんなことを思っていたのでしょうけれど」
「変人だとは――あっ」
「ふふ。油断は禁物、ですよ。私に勝ちたいのなら、冷静でないと」
「それは鎌をかけたって言うんですよ、失礼な。しかし、“淫猥”なんて言葉、ご自身では定否なさらないんですね」
今更だけれど。
「うーん……そうですね、否定はしません。経験はありませんけれど、人並みには興味もありますよ、人間ですもの」
「そ、そうですか……」
何だか、凄くいけないことを聞いた気がするのだけれど――それも二つも。
気のせいということにしておいた方が良さそうだ。
触らぬ神に何とやら。
刺激しようものなら、益々の弄りで答えてきそうだ。
やがてお腹も満たされると、移動を開始しようと、誰ともなく立ち上がった。
荷物を纏め、名残惜しいうにの香りに振り返りながらも、先を行く。
味、ほとんど分からなかったなぁ。