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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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25.花言葉は

「随分と早かったですね。まだ一時間しか経ってないですよ」


 僕がそう言うと、桐島さんはそのままこっちへ向かって歩き出した。

 表情は穏やか。特に怒っている様子もなさそう――ではあるのだけれど。


 どこか焦点の合っていない視線に、上気した頬。ふわふわと軽い足取りで、仄かに色っぽさが増したようにも見える桐島さんは、僕のすぐ目の前まで来ると、


「こ、神前さぁん…! すっごく、すっごく緊張しました…!」


 そう言いながら、がばっと大きな振りで僕の肩に手を回し――


 端的に言えば、抱きついてきたのだ。


「ちょ、桐島さ――アルコール臭…!?」


「まぁ、酷いです神前さん…女の子に向かって酒臭いだなんて言っちゃ、めっ、なんですからね?」


 ぐりぐりと指先で背中をなぞられる感覚。

 気持ち悪くはないが、なんだか心地は悪い。


 しかし、これはおかしいな。いや、桐島さんの状態そのものも無論、面妖ではあるのだけれど、この人は確か酒には強かった筈だ。

 ヴェネツィアなんかでお酌をした折、この人は何杯も何杯も飲んでいた。それでも、酔いに潰れることも、ましてこんな可愛らしく絡んでくることもなかった。


 僕が勝手に記憶しているだけなのか?

 いや、それは否だ。確かに喉に送っている以上、耐性が無ければとっくにこうなっている筈だ。


 そうやってぐるぐると瞬間であれこれ考えている内に、閉じてしまっていた扉が再び開かれ、そこから大輔さんと小夜子さんが顔を出した。


「すいません神前さん、藍子には強かったみたいで――まぁ」


「ラブラブじゃないですか的な表情はどうか控えて頂きたく……そんなことよりも、一体何を飲ませたらこの人がここまで…? ちょ、いい加減離れてくださいよ…!」


「むむむぅ…神前さんは、私がお嫌いなんですか?」


「誰もそんなことは。いえ騙されませんよ、いいから離れてくだ――さい…!」


 無理やり剥がしてそのまま手を引いて、ソファに座らせておいた。

 足元はそれで安定した筈なのに、尚もゆらゆらと身体を揺さぶっては「ふふふ」と上機嫌なご様子。

 少し怖い光景だな。


 それで、と僕は話を戻す。

 両親二人に向き直り、事の詳細を要求した。


「お酒が無くなっていまして、修二の為にと買っておいたジュースを割って飲もうと藍子が言い出し……」


「度数の計算を誤ってしまったというわけだ」


 情けない、と付け足す大輔さん。

 昔からそそっかしい癖は治っていないようで、此度も一人で間違えてしまったのだそうだ。


 お酒がなくて割ろうだなんて、嫌な予感しかしないのだけれど。

 と思う僕のそれは見事に的中してしまう。


「まさか……純アルコールを?」


「スピリタスだ」


「同じですよ…!?」


 度数九十六パーセントを誇る、世界一強いお酒ウォッカの一つ。

 もはやただのアルコールなのだけれど、それをジュースに入れて割って手軽なチューハイにして飲むことは世界でもよくあるらしい。

 しかし、言ってみれば百パーセントのアルコール量とジュースの量との単純な計算を、よもやこの人が間違えようものか?

 ともすれば、意図的に――そう、敢えて酔っ払うように自ら量を調整したのではないだろうか。


 そしてその謎の直観も当たっていて。

 ふと目が合った桐島さんは、言いたいことがあるように、先とは違う笑みを浮かべた。


「ふむ……すまないが神前くん、少し藍子をお願いしてもよろしいかな? 一通りの話しも付け、まぁ何とか会話をしてくれるようにはなったが、その様子だと、君の介抱の方が良かろう」


「それは分かりませんが――別に構いません」


「助かる。私は小夜子と少し出て来るから、用向きは楠を呼んでくれ」


「分かりました。お気をつけて」


「ありがとう。また後で、ピアノ聴かせてくださいね?」


 元プロからのそんな誘いには、少し苦く笑って返しておいた。


 二人が部屋を出て扉を閉めると、僕は早くも桐島さんに、先までの時間でどのような会話が成されたのかを尋ねた。

 すると桐島さんは少し渋って、何度か言いにくそうに空気を食べ――少し待つと、やがて小さく話し始めた。


「冷静は冷静ですよ? 酔ってもいますけど、ふふふ」


「演技ではないんですね。それで?」


「えっと……お父さんがですね、全部話してくれて、お母さんも色々と謝ってきて、それに私も謝って――気が付けばお酒?」


 横にゆらゆらと楽しそうに揺れながら、自分で言ったことに自分で疑問符を浮かべる。

 普段の彼女からはまるで想像がつかない、もはや違和感の塊だ。


 誤解解消記念にグラス一杯、と思い立ち酒を探すがなく、では作ろうという話になって、スピリタスを――という運びになったらしい。

 桐島さんが言うには、どうしても恥ずかしくて、情けなくて、それを誤魔化す為に何かに逃げたくて、わざと配分を違えた酒を造り、飲んだのだそうだ。


「ちょっとね、実は苦しかったんです……それを勝手に怒りにして、悪くもないお父さんを責めて……最低です」


「未来の今で仲直り出来ているから、悪くはないんじゃないですか?」


「そうかもですけど……いいえ、やっぱり、申し訳ないことをしました…」


 いつになくしょぼくれた顔を浮かべる。

 そんな表情、貴女には似合わないな。


 無邪気に笑って、穏やかに自由で、そうして僕をいじって楽しんで。

 それくらいの方が、貴女には似合っている。


 真面目で優しい大輔さんに、穏やかでふんわりとしているけれど正しい小夜子さん、厳格な兄に律儀な楠さん。

 随分とバラエティに富んだここでも、きっと本当に自由なことは出来なかったのだろう。

 好きなことをやって、好きに笑って。

 だから、きっと小夜子さんも――。


「庭にある藍、あれだけやけに手が入っている」


「藍…?」


「貴女が贈ったと言っていたものですよ。ただ貴女から貰ったから、という理由だけでは決してなさそうな思いの強さを感じるんです」


「どういうことですか?」


「藍の花言葉ってご存知ですか?」


 桐島さんは首を横に振った。


 藍。イヌタデ。

 その花言葉は“あなた次第”と“美しい装い”だ。


「図らずも貴女は家を出ることになりましたが、それは結果として、貴女が本当の意味で自由に、楽しく、華々しい装いにも似た豊かな人生を送るきっかけにもなった。貴女次第でどうにでもなる、広い世界で」


 なんて。

 勝手な想像だけれど。


 でも、説明がつくならそれでいいじゃないか。

 僕は探偵ではない。ただのアルバイトだ。

 その店主を少しでも明るく出来るのなら、多少の――


「嘘は、ちょっと傷ついちゃいます」


「心遣いと言って欲しいものです。理屈が通っているのなら、貴女も嫌ではないでしょう?」


「そんなこと……言いたくありません…! 神前さんはちょっと意地悪になってきました…!」


「お返しだと、自分の胸に聞いてみることですね」


「むむむ…!」


 酒の力を借りて可愛らしくはなっているが、基本はいつもと変わらないらしい。


 すると、桐島さんは僕に後ろを向いてくれと言って来た。

 またぞろ、目隠しでもされるのだろう。


 そう思っていたのだけれど。


「私、今から神前さんに抱き着きます」


「宣言されると抵抗しちゃいます」


「どうしてですか…!?」


 どうしてと言われても。

 言葉を濁していると、しかし桐島さんは何もしてこない。


 抱き着かない代わりに、一体何をされるのか。

 流石に、逆に怖くもなってくる。


「では――」


 小さく呟いて、


「これで」


 背中に、トンと軽い衝撃があった。


 抱き着かれているのではない、背中に何かが当たっているだけの感覚。


「背中に頭を預けています」


「両手も添えて、ですけれど。どうしたんです?」


「お礼です。きっと、私一人だと踏ん切りが付かなかったと思います。ずっとあの人の所為にして、自分を騙して、死に目に謝る羽目になったかも分かりません」


「たられば、ですけれど。でも、僕が誘うより早く、貴女の方から言い出しましたよね」


「あれは……バレバレで隠しながら頑張っている神前さんを見ていて、つい魔がさして」


 何という。

 あれも弄りの一環だったとは、恐れ入る。


「本当は、抱き着いてお胸の感触でも――」


「馬鹿な配慮はいりません」


「ば、馬鹿って言いました…!?」


 ガバっと僕の背から離れると、今度は背中を叩き出す桐島さん。

 痛くはないけれど、どうして僕が責められているのか。


 正面に向き直って、尚も振り下ろされる小さな拳を受け止める。


「お酒に任せてなんてことを口走っているんですか、お馬鹿な店主さん。僕だから良いもの、他の思春期男子には毒だ」


「ま、また馬鹿って言いました…! 二度も言いました!」


「三度目はいかがでしょうか、お馬鹿な店主さん?」


「もう言ってます…!」


 そう言って、最後に一発振り下ろされる拳。

 受け止めて弱くデコピンをお見舞いしてみると、両手で押さえて頬を膨らませて抗議。

 悪いのは僕ではありませんよ、流石に。


 再び始まる小さな拳の嵐。

 今度は甘んじて受け止めて、自然と止むのを待つ。


 と。


 桐島さんの背後――僕の視線の先、僅かに開かれていた扉が、ゆっくりと音を立てずに閉まっていくのが見えた。


 楠さんではなさそうだ。


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