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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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21.飛んで火にいる秋の…

「神前さんのお誘いに乗ってあげます」


 葵から受けた抱擁の興奮冷めやらぬまま迎えた、数日後の夕刻。

 前触れなくパタンと小説を閉じると、桐島さんが笑顔でそんなことを口にした。


「お誘い、とは?」


 わざとそう返すと、桐島さんは僕の方へと寄って来た。息もかかる程の至近距離で穏やかに微笑み、久しぶりに視ましたと一言。

 僕を見ているようで、その本体ではない何処かを視ているような視線。

 よくよく体感した、人の内側を視るときの視線だ。


「不安に焦燥、半信半疑といった感じでしょうか。様々な色が複雑に絡み合っていて、少し分別はつきませんが、私に関係していることでしょう?」


 正解だ。

 以前に一度見破られているから言い訳はしないけれど、しかしまだ準備という準備は出来ていない。

  両親二人とお兄さんへの報せ、及び予定の都合確認、飛行機に船の乗船券手配まで、やることは山積みだけれども、それは桐島さん本人の意向を確認してから準備を進め、また日を空けてから――という予定だったのに。


 それならば別に今からでも遅くはない。さっさと電話をして都合を付ければ良いだけの話だ。

 しかし――


 何なのだろうか、この言いようのない不安は。



 まさか、一番時間を要すだろうと予想していた彼女の説得を飛ばし、加えて彼女の方から乗って来るとは思わなかった。

 嬉しい誤算である筈なのに、自身が奇異の目で見ている対象に関わることへ首を突っ込んでいる僕へ、まるで『これが最後です』とでも言わんばかりの強い視線を浴びせてきている。

 以降、何を言っても動きませんよ。

 そう言われているようで、数日後なんて考えは霧散させられてしまった。


(いや――)


 それでも。

 僕は今ほど、自分が単純馬鹿で良かった思ったことはなかった。

 

――元気のお裾分け――


 今思えば、なんと愛らしく甘美な響きなのだろう。

 普段は大人しく、大人っぽく、凛々しい葵が、まさかあんな大胆なことをするとは。

 

 ただそれだけの事を数日間ずっと大事にしていて、それでまだ分けて貰った元気が残っているような錯覚を覚えている僕は、やはり単純馬鹿だ。

 そして、それだけのことで頑張れそうな気がしていることも。


 ここは強気に、自分を上の立場だと知らしめる。


 そんな気概、今までの僕には欠片もなかったのにな。

 葵には感謝だ。今度また、ファミレスにでも連れて行ってあげよう。


「そうですね。では先ず、これを貴女に渡しておきます」


 いつも持ち歩いている鞄に入れていた、小夜子さんからの封筒を取りだして渡した。


「これは?」


「おおよその予想は付くでしょう? 貴女のお母様からです」


 そう言うと、桐島さんの笑みが少しだけぎこちなくなった。

 それでも構うものかと、僕は話を続ける。


「丁度一週間前のことです。お兄様から受けた依頼の一環で、貴女のご両親にお会いしました。それは、その際にお母様から『渡してくれ』と頼まれたものです」


「……そうですか」


 少しの動揺も、すぐに飲み込んでいつも通りの桐島さんへと戻った。


「では、今は中身を見ないこととします」


 いつでもいいから渡してくれ。なら、読むのもいつだって構わないということだ。

 撥ね退けなかっただけマシだろう。


「構いません。読むことへの強制は頼まれていませんから」


「ありがとうございます。では、次に私はどうすればいいのでしょうか?」


「率直に言うと、お三方――いえ、おばあ様もおられるようですしお四方ですね。ご家族に会っていただきます。言ってみれば、家を出てから初めての里帰りですね」


「お断りします」


 即答、か。

 悪いけれど桐島さん。それも、予想の範疇だった。

 第一声で断られることはどうせ確実なのだろうと、何も対策をしていなかった訳ではない。


「メリットならあります。完璧主義者の貴女が、どうして家を出るなんて衝動的な真似をしたのか、確かめたくはありませんか?」


「――どういうことでしょう?」


 恐ろしく冷たい声。

 この半年間で、一度も聞いたことがない声。


 怖い。ただただ背筋が凍る思いだ。

 これからどんな叱咤が浴びせられるのか想像すると、後に退きたくて仕方がない。

 

 しかし、これは依頼だ。

 僕が個人で受けた依頼だ。

 おまけには過ぎる激励の抱擁までしてもらっておいて、今更「怖いからやめます」なんて馬鹿な真似、していい筈もない。


 額に滲んだ汗を何とか誤魔化そうと、小さく深呼吸をする。

 呼吸を少しだけ落ち着けて、乾いた喉で、震える声で。


「貴女のその眼――それを、ご両親は知っている様子でしたよ。僕が話した訳でなく、向こうの方からそれを口にしました」


 藍子にも、同じようなことがあったでしょう?


 大輔さんの件について、小夜子さんが放った言葉だ。

 桐島さんは答えず、沸々と煮えたぎる何かを隠しきれていない穏やか笑みを浮かべている。


「これが最初で最後を思い、一度だけ行ってみて、何も愛情を感じられない様が見て取れたら、一言も交わさずここに戻ると良いでしょう。それに対して僕は、何も言葉を持たないと約束しましょう」


「――約束、ですか」


「ええ。ただし、条件一つ。僕も一緒に着いて行きます。それで如何でしょう」


「言葉は発さないのに一緒に?」


「ええ。判断は全て貴女自身で。僕はただそれを後ろから眺めているだけ。貴女自身の言葉を、僕は全面的に尊重します」


 どうだ。


 真意は全くの別物だけれど、ものは言いようだ。

 これで乗らないようなら、そも依頼が無茶だったということだ。

 しかし、僕がこの数日間で考えていたその真意と照らし合わせてみると、乗らない筈はない。もし仮に乗らないのであれば、それは自身に後ろめたい思いがあるからだ。


 順序こそあれだけれど、しかしこれを呑むのであれば、時間も今日限りで済ませられるものではないと理解してくれていようものだ。


「…………分かりました」


「良かった。では、後日」


「はい」


 小さくこくりと頷くと、桐島さんは自分の席へと戻っていった。

 そうして深く座り込み、盛大な溜息を零した。


 怒ったか。無理もない。

 こんな強硬策――と目を閉じ身構える僕に、投げられる言葉はなかった。


 恐る恐る開いた目でそちらを見やると、子どものように頬を膨らませて、何やらご立腹なご様子の桐島さんの姿があった。


「まったく、神前さんは意地が悪いです…! 私にばっかり意地悪だ意地悪だと言って、馬鹿の話と一緒ですよ!」


 馬鹿って言った奴が馬鹿だっていうあれか。


「どちらかというと貴女の色が僕を食いつぶしているんですけれど」


「よく言います。期限は今日限り、といった私の圧を理解しておきながら、その道を外す選択肢を一つだけ提示するなんて――それも、私が断れないように。まったくもっていい度胸です」


「それを分かってくださっているというのであれば、やはり僕の見立ては外れていなかったということです。ある意味でお礼を申し上げますよ」


「むむむ……先週からずっと、興奮の色が駄々洩れですけれど。さて、一体何が神前さんを突き動かしたのやら。あの日も、葵さんの所へ行っていたようですけれど」


 にやにやといやらしいな。

 何だか、それもちょっと気に食わない。


「抱きつかれたんですよ。元気のお裾分けだって、可愛らしいことを言いながら」


「むむむむむ……どうして照れないんですか…! どうしておろおろしないんですか…! 面白くありません…!」


「駄々を捏ねないでくださいよ、子どもじゃないんだから。言ったでしょう、何でも良いから一つ、貴女に勝ちたいと」


「別問題ではありませんか――なんて、はぁ」


 怒りつかれたのか、息を吐いて肩を落とした。

 そうして顔を上げると、しかしさっきまでの表情とは打って変わって、強気な笑みを浮かべて


「でも、ごめんなさい。そういうことでしたらやっぱり、私の勝ちですね」


 と放つ。


「そんなこと……未来予知でもしていたんですか?」


「超能力なんて存在しません。悪い人が言うには、そも未来予知というものは、予知した未来に自分が向けていくというものなのですよ」


「では、なぜ自分が勝てると? 貴女が毛嫌うもののことですよ? 貴女が予想など付けられる筈もない」


「まぁ、そうかも知れませんね」


 また訳の分からないことを言う。

 小さく「ふふ」と楽しそうに笑うと、

 

「やっぱり、綺麗な透明色ですね」


 それだけ言って、手に取った小説のページを再び捲り始めた。

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