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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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20.抱擁

 星屋でもそうだったけれど、制服を着ている時の葵は、いつもより大人びて見えた。

 伸びている背筋はより一層真っ直ぐ、表情もどこか緊張しているように締まっていて、一つしか変わらない年齢が、下手をすれば逆転しているかのような錯覚さえ覚える。

 髪も長く艶やかなストレートで、やや細められてる目元は色っぽいともとれて――そう、年齢にそぐわない、近寄り難いオーラを纏っているのだ。


 実は、学校の人たちが話しかけないのは、それが理由なのではなかろうか。

 自分たちより大人っぽくて頭もよく、しかし自分からは話し出さない、寡黙な姫。

 裏では、そんな印象に近いあだ名の一つや二つ、付けられていそうなものだ。


 優しくて良い子だし、その実子どもっぽいところもあるのに。


「また目線がいやらしい」


 ふと、傍らで問題を解く葵が呟いた。


「僕のこと、変態か何かだと勘違いしてないかな?」


「違うの?」


 当然のように聞かれても。

 その場合、羨望でもなんでも、そんなやつに告白をして、且つその逆も受け入れてる自分の方が変態になってしまう矢印に気が付かないのだろうか。


「間違ってるね。大いに間違ってる。そこの問題の答えにXは残らない」


「え――あ、ほんとだ」


 指摘に気付いて慌てて修正。

 偉そう言っている僕も、手元に解答がなければ引っかかっていたところだ。

 修正後の過程、答えに不備はない。加えて一瞬で気が付く辺り、意気込んでやってきてみたはいいけれど、葵の成長速度に僕のスペックが追い付いていない。

 着実に、葵は力を付けていっていた。


 家庭教師という立場からすればそれを嬉しいことだけれど、しかし僕は世に言うそれとは全く異なる実力なわけで、言えば自身の無力さを呪っている。

 ここまで来ているなら、いよいよ本格的に僕の存在は意味が危うい。


 いや、そうじゃないな。

 家庭教師に徹すると覚悟を決めたのなら、そんな自分でも浮かれたのだから、葵はきっと確実に――と喜ぶべきだ。


 と、一段落ついて落ち着き、休憩にしようかと居間に出て来た時だ。


「ただいま――っと、そうか。今日はその日だったか」


 扉を勢いよく開けて入って来た遥さんが、僕らの姿を見つけるなりそう言った。


 今日はその日かって、確かに言われてみれば、今日は塾のバイトがあるとは言っていなかったな。

 葵にお願いされ、僕も特に予定がないからと来てみたが、これまでは遥さんがいない日に限った話だったから、無意識の内に慣れてスルーしてしまっていたようだ。


 事態を察すると、僕は遥さんが手に持っている荷物が気になって尋ねた。

 大き目のスーパーの袋二つ、どちらにもぎっしりと物が入っている。


「これか? 頑張りが報われてな。ちょっと奮発ってやつだ」


「ボーナス金的なあれですか?」


「んや、働き分丁度だ」


 さいで。

 それなら奮発せずに、貯金でもしておく方が良いのでは?


「お前も食ってくか?」


 遥さんが尋ねた。


「えっと――いえ、遠慮しておきます。せっかくの兄妹水入らずを邪魔するわけにも」


「そうは言ってもだな。お前だって一人暮らしで、そういいもん食ってないだろ?」


「それはそうなんですけれど、いえ、だからって人様を頼るというのも悪くないですか?」


「まぁ一理あるな。じゃあ葵、どうだ?」


 僕からシフトして、遥さんは僕のすぐ後ろに控えていた葵に尋ねた。

 壁から覗くようにしてひょこっと頭だけ出すと、葵はぶんぶんと首を縦に振った。


「決まりだな」


「……お世話になります」


 渋々、といった感じではあった。




 たらふくご馳走になったすき焼き。

 安物だと言っていた肉も、量を買えばそれなりの値段にはなっていたそうな。

 質的に贅沢を出来ないなら量で勝負と、本当なら僕はいなかった夕餉の席に、三パックは多すぎるでしょ。


 食事を終えると、遥さんと皿洗いを手伝う僕に断って、葵は先にシャワーを浴びに行ってしまった。

 遥さんが洗い、受け取ったそれの水気を僕が拭き取る流れ作業。

 ただ水の流れる音と皿を擦る音、たまに食器を置く音――そして、微かに聞こえるシャワーの音だけが響く。


「いやー、悪いないつも。お前には世話になりっぱなしだ」


「それは言いっこなしですよ、好きでやっていることですから」


「……そうか」


 ただのそれだけ会話を終えると、またやってくる静寂。

 互いに気を遣い合っている様が丸わかりである。


 もうすっかりうちの家族みてーだな。


 作業をしながら、遥さんはそんなことを呟いた。

 この家にいても、もはや何の違和感もないと。


 言われて嫌な感じはしない。寧ろ嬉しいくらいだ。

 少しは何か、認められてきているという証拠である。


 その作業もすぐに終わると、テレビを点け、特に選ぶことなくそのままのチャンネルを視聴しはじめる。

 なんてことはない、ただのトークバラエティー番組だ。

 最近人気の芸人さんを招いて、たまにネタコーナーありのもの。


「葵は――」


 ふと気になった。


「テレビとかって、観ないんですか?」


 僕の一言に隠された意味を、遥さんは適格に察して返す。


「何を観てるか、とは聞かない辺り。答えはイエスだ、全然観ない」


「葵の口からそういった話は聞いたことがないので、もしやと思い――なるほど、やっぱりそうですか」


「年頃の女の子なんて、皆ネットやテレビから情報収集しようものなのにな。あいつは、その電気代すらも勿体ないって言って、両親が向こうに行ってからとうもの、好んで『あれが観たい』だなんて、一言も言ったことがないんだよ」


 さらりと語られる、その理由。

 周りへの負担を第一に考え、自分は極力遠慮遠慮の日々。

 誰に言われるでもなく、何を指示されるでもなく、ただ自分で選んでそうしている。


「あいつは誰よりも優しい。でも、ちったぁ俺のことを頼ってくれてもいいと思うんだけどな――なんてこと、面と向かっちゃ言えないが」


「損な役回りですね」


「んにゃ、そんなことはないぞ。誰が見てなくても、例え葵すら知らなくても、俺の行いで何かが変わっているならそれでいい。何も、損なことなんてない」


「……凄いですね。そんな格好の良いこと、僕も言ってみたい」


「言うだけならタダだろ」


「そこに実績も伴わなきゃただの音ですよ」


 それもそうか、と笑って得心。


 そうしてだらだらと話している内に、葵がシャワーから戻って来た。

 いつも通りのショートパンツスタイルで。


「戻ったか」


「お先ありがと、兄貴。何話してたの?」


「アニサキスがどうのって話を――」


「してませんから」


 謎のボケと突っ込みに、葵は首を傾げて立ち尽くしていた。


 葵も帰って来たというところで、本日の家庭教師業も終わりと、纏めておいた荷物を持って僕は立ち上がった。


「もう帰るの?」


「どっちかって言うと長居した方なんだけどね」


「そっか」


 ほんの僅かにしゅんとする葵に、遥さんがまた茶々を入れる。

 それをさらりと躱して流すと、


「またね」


「うん。どうせまたすぐ来るけどね。おやすみ」


「おやすみ…」


 尻すぼみに小さくなる一言。

 言いようのない儚さを残して、僕は高宮家の扉を開けた。


 外は存外に冷えていて、少し厚めの上着を持ってきておいて正解だったと、ジッパーを首までしっかり上げて口元を(うず)めた。


 ふと通り抜けた風に少し身震いすると、まことー、と背中に葵の声がぶつかってきて立ち止まる。

 そうして、何、と言いながらの振り帰りざま、食い気味に両手を握られた。


「お風呂上りでまだ温かいから……藍子さんの件、元気のお裾分け?」


「だから何でいつも疑問形なのかな。それに、ちゃんと髪乾かさなきゃ風邪ひくよ。あとあんまり分かんない」


「むぅ」


 瞬間、不満そうな表情を浮かべると、


「じゃあこれなら――」


 少しの苛立ちにも似た感情の元、デコピンかビンタの一つでも飛んでくるのではなかろうか。そう心で身構える。

 すると、想像した通りにその手は僕の顔へと伸び――


 え?


 頬の横を通り抜け、背中へ回された。

 優しく温かい、文字通り熱の伝わる抱擁。

 少し遅れて、速くなった葵の呼吸が耳に届いた。


「こ、これならどう? ちょっとは頑張れそう?」


 珍しく言葉の頭を詰まらせる辺り、やはり無茶をしての行動らしい。


「そう聞かれると、まるで僕が意気地のない弱虫のように聞こえるんだけど?」


「うだうだと悩んでたのは確かでしょ?」


 ふふ、と笑うと、葵はすぐにその手を離した。

 一歩、二歩と下がって、今度は優しく微笑む。


「私は合格の電話をするつもりなんだから、まことも、無事仕事を達成した電話してくれると嬉しい」


 まさか。

 女の子にここまで言われてしまうとは。

 意気地がないことはない、なんていう風に言っておいて、その実真逆とは笑える。


 体当たりでも何でもいいから、とにかくもやってみないとことには後悔も何もない。

 たらればなんて、考えるだけ無駄だ。


「葵を見習わなきゃな……分かった、任せて。ばっちり解決して電話してあげるよ」


 流石にこれは――と思いつつも、葵の頭を優しく撫でてみた。

 すると、意外にも少し照れた様子で、


「……うん」


 穏やかに、優しく、温かく。

 慈しむように笑って返して小さく手を振ると、葵はアパートへと戻っていった。


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