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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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19.相談、見納め

 おはようございます。

 

 小夜子さんの明るい声が響くリビング。

 諸々と重要なことを聞いた翌日の朝、朝食ですと呼び出された僕を迎えた声だった。

 大輔さんの方は、休日にも関わらず遠方で大事な話があるとかで、早々に家を出ていってしまったらしい。

 挨拶も出来ずにすまない。そんな書き置きがあった。

 僕の方が気を遣う方だと言うのに。


 昨晩の夕食は小夜子さんの手作りだったのだけれど、朝食は楠さんの軽食。

 惜しいだなんて思っていない。ブルスケッタが美味しかっただとか、パスタの茹で加減が丁度良かったとか、そんなことは思っていないとも。


 さて切り替えて整理すべきは、昨晩必死になって得た礼文島に関する情報だ。

 

 先ずはアクセス。

 第一ルート。飛行機で札幌まで飛び、そこから陸路で稚内へ。そこから更にフェリーで二時間弱かけて礼文へと辿りつく道程。

 第二ルート。飛行機で直接稚内まで行ける便に乗り、そこからフェリーで――といった道程。

 時短をするなら確実に選ぶのは後者だ。取り立てて煩わしいこともないので、修二さんにはそちらを紹介しておこう。


 次にグルメ。

 探していたウニに加え、昆布、ほっけといった海の幸が食べられるらしいが。

 恐らく“楽しい家族旅行”とはいかなくなるだろうから、これは一応としておこう。


 花情報なるものも調べられたが、これも不要そうだ。


 澄海岬への道程も確認出来た。

 戦果は上々だろう。


 ――と、言えればいいのだけれど。


 一番の問題は、桐島さん自身だ。

 真実を伝えでもしなければ、梃子(てこ)でも動かなそうな予感がある。

 最終的に誰かの力を借りるにしても、僕ではその最終まで持っていくことは容易ではなさそうだ。

 それにあの“眼”がある限り、嘘を吐かないで桐島さんを連れ出すに足る理由が必要不可欠。つまりは、何にせよ彼女には、僕が家族と接点があったこと、そこで得た何かを確実に一つは明かすこと、それが最低条件となる。


 それで動いてくれる保証もないけれど、そんなリスキーなこと、僕に出来るのだろうか。正直、自身はない。

 今更ながら、依頼を放棄したくなってきた。


 昨夜の熱意はどこへやら。すっかり、弱気になってしまっている。


 朝食を摂り終えると、午後からは家庭教師に行かなければならないので、早めに帰ることとした。

 

 申し訳程度に皿洗いを手伝って荷物を纏めると、僕はすぐに玄関へ向かった。

 楠さんに礼を言って扉を開けると、後ろから小夜子さんが声をかけて僕の注意を引いた。


「何でしょう?」


 小夜子さんが手にしていたのは、可愛らしくも落ち着いたデザインの封筒。

 いつでもいいから藍子に渡してくれと言って、半ば押し付けるようにして僕に渡してきた。

 決して中身は読まないでくださいね。

 念を押すように言われてしまうと、逆に気になってしまうのが人間の心理であって。


「分かりました」


 少々の葛藤を終えると、僕はそれをそっとバッグに仕舞った。


 もはや庭の規模を越えて庭園然としている玄関先を歩く。

 遠目に見えた藍の花は心なしか、昨日よりも元気よく咲いているように見えてしまった。


 何だかそれがいやに頭にこびりついて、もう一度振り返って礼を言った。


「このお手紙はちゃんと藍子さんに届けますから。ありがとうございました」


 小夜子さんへの気遣い。

 違う。


 ただの、僕自身の弱さの確認だ。


 最近では、少しは強くなれた気でいたのだけれど。

 今までの生涯で行ったこともない告白に、その相手との食事、家庭教師。

 大学生だということも相まって、大人になったつもりだった。


 しかし、どれも今思えば、ただ与えられただけのものだ。

 僕は葵に告白をしたのも、その随分と前に葵から受けたことへの保留を解消しただけで、食事も初めは葵からの呼び出しで、それに慣れていただけ。家庭教師も、頼まれて頼まれて、やっとなし崩し的に――と言った有様だ。


 過程はどうあれ、と言われようとも、僕にはその過程こそが大事なのだ。

 しかしそう考えると、これから僕の意思で頑張って桐島さんを――と考えることすら、そも修二さんから持ち掛けられた話ありきだ。

 僕はまだ、選択というものをしていない。


「ふぅん。そんなこと考えてたんだ」


「うん。我ながらネガティブな発想だとは思うけれど、どうにもそれが拭いきれない。まだまだ弱いんだよ」


「大体そういうものじゃないの? 自分が選択していくものの原点って、絶対に誰かが敷いたものの上なんだよ」


「元の元をたどればそうなるのは分かる。でも、それだけじゃああの人の――それにあの二人の心には触れられない」


「“あの二人”って?」


「それは――え…?」


 何ともなしに話していたけれど、違和感だけが強く胸を打った。

 葵の家近くの公園にて、葵を待つ時間を潰すために頭の中で整理をしていただけだった筈が、気が付けば傍らにちょこんと座る葵が言葉を返し、それに対して僕も返し――と、会話が成り立ってしまっていたのだ。


 つまり。


「……声、出てた?」


「思いっきり」


 葵は強く頷いた。


 何という事だ。これ以上に恥ずかしいことはない。

 ただの独り言なら笑って誤魔化して、気持ち悪いだの怖いだのと言われる程度で済ませられるのに、こと今の話題に関しては、あの日葵には言えないと告げたばかりの内容だ。


 馬鹿なのか、僕は。

 軽率にも程があるぞ。


「えっと――聞かなかったことにしてくれないかな?」


「生憎と生放送」


 同じ文句で返されようとは。

 もう後には引けない程に、気力が削られてしまった。


 とりあえず何か話だそうとする僕を制して「でもね」と置いて、


「お礼じゃないけど……可能なことなら、力になりたい」


 そんな優しい言葉をかけてきた。

 自分が今一番大切な時期に、他人を気遣うなんて。

 それを平然とやってのける女の子だと分かっているから、葵にだけは言わなかったのに。

 やっぱりまだ、弱いんだ。


「――言えない」


「何で?」


「せっかく頑張ってる葵の枷にはなりたくない。下手をすれば収束できないかも、なんて弱音を漏らしたくなる程、難しいし長くなる話だ。葵は優しいからね、きっと、そのことばかり考えさせちゃう」


「悪いことなの?」


「いいことではないだろうね。葵が今何を優先すべきか考えたら、それは確実だ」


 誰かを頼ったって良いのだろう。

 でも、やっぱり僕は葵だけは頼ってはいけない。


 頼って重荷になって、それで結果大学に行けませんでしたじゃ笑えない。

 

 何より、今ではもう、僕が葵には受かって欲しいと思っている。


「私の言ったことは私で守るよ」


 ふと、葵が小さく言った。

 呟くように、独り言のように。


「皆へのお礼は、合格の電話。それは、他人の手を借りようとも、結局は私が頑張らないと意味がない。だから、頑張る」


「それは…」


「道程も結果も、私自身の責任。なら、それを確実に出来る範囲で、他のことも好き勝手にやるよ」


「それじゃあ無茶苦茶じゃない?」


「そうかな? まことは受験生の時、息抜きとかってしてた?」


「え…? まぁ、そりゃあ。寝る前に本を読んだり、音楽を聴いたり――」


 思い出して口にしている内に、分かってしまった。


 その時間すら、普通なら受験生は勉強に充てる必要がある。

 しかし、その時間を大切にしてモチベーションが上がることも事実。

 必要な人だっている。

 

 ならその時間を、他のことに充てても――と、葵はそう言いたいのだろう。

 息抜きと称したお手伝いなら、と


「駄目、かな?」


 無意識に可愛げな上目遣いで言ってくるけれど、しかし――


 優柔不断なのも僕の悪い癖だ。それも分かっている。

 うだうだとはっきりしないところが、自分でも大嫌いだ。


 あぁ、くそ。

 どうして何も成長していない。


 こんな時くらい、こき使った分は勉強見てやる、くらい言わないでどうする。


「ま、まこと…!?」


 強く頭を掻く様が、狂ったようにでも見えたのか。

 いや、お陰で冷静にはなれた。


「葵!」


「ひゃ、ひゃい…!?」


「……声、裏返ってる」


「だ、だって急に豹変するから……それで、何?」


 呼吸を落ち着かせると、葵は僕の目を見てくれた。

 弱っちい奴だと切り捨てられなかっただけマシ、か。


 その分、これから頑張れば良いだけの事。


 でも、やっぱり保険はかけておく。


「とりあえず、話だけ聞いてくれる?」


 葵がそれを受けた時点で、考えさせてしまうことも分かっていたのに。




「なるほど…」


 僕が話し終えるまで、葵は頷きながら静かに聞いていた。

 そうしてしばらく頭の中で何かを纏めると、


「固い!」


 と一言。

 曰く、考え方が凝り固まっているのだそうだ。


 難しく考えすぎて、大事なことが視えていない――いや、見失っていると葵は言う。


「考えることが悪いとは言わないよ。ちゃんと色々と思うのは、まことの良いところだと思うから」


「う、うん」


 でも、と葵は強めに出た。


「まことは、藍子さんにどうなって欲しいの?」


「どうって、そりゃ――前のようになって欲しいに決まってるよ」


「でしょ?」


「うん」


 そして、沈黙。


「え、終わり…!?」


「アドバイスをする余地もないってこと。友達のいない私でもそう思うくらいの話。いいじゃん、気持ちだけで動いてみれば」


「気持ち……」


「うん。通潤橋で私が言ったこと、覚えてる?」


 それは半年前。

 随分と時間が経ってしまって忘れていたが、完全に覚えていない訳ではない。

 ちゃんと、思い起こせば蘇ってきた。


――まことは、私の心に触れてくれた――


 それを自覚していなかった僕に、葵は「当たり前なんだよね」と返した。

 無自覚の内に、葵の心に触れていたのだ。


 それは、あの時の僕が、ただ葵の助けになってやりたいと思っていたから。

 雨が降るから戻れと言う桐島さんを押し退け、結果的に辿り着いたそこで、冷静じゃなかった僕は糾弾されて――


 そうだ。

 僕はあの時、気持ちだけで動いていた。

 頭で考えずに動き、それが正しくもあり間違ってもいたから止められて、諭された。

 でも、それで葵から礼を言われた。

 気持ちで動いたから、気持ちに触れられたのだ。


 その際、葵にも言われたのにな。

 弱気になって、それをどうにか修正しようと考えてしまったことが問題だった。


 葵の助けになろうと決めた時、僕はその先のことを考えてはいなかったではないか。

 まずは目的の場所に行く、辿り着いたら探す、見つからないから見つかるまで探し続ける。


 一手先すら想像せずに、とにかくも行動していた。


「それだけ、だね…」


「そ。それだけのことだよ。大丈夫、藍子さん優しいもん。気持ちでぶつかれば、気持ちで答えてくれる筈だよ」


「だと良い――いや、その筈だ」


「その意気」


 まさか、年下の、それも女の子に気付かされようとは。

 情けなさが極まっているな。

 下手をすれば、地元にいた時よりも弱くなってないか、僕。


 それに、たったこれだけのことだった。

 何をうじうじと悩んでいたのか、


「葵」


「ん?」


 ふと見やった葵は、既に話を終えたつもりなようで、いつの間にか取り出していた肉まんを頬張っていた。

 まったく、自由な子だ。

 自由で、奔放で、純粋で。

 だからすらりと、人の為に――なんて言えるんだろうな。


 この無邪気さに救われるのは何度目だろう。


「やっぱり僕、葵のことが好きなようだ」


 瞬間、咀嚼が止まった。

 しかし、その頬が、耳が染まることはなかった。


 直ぐに口内に残っているものを飲み込むと「やっぱりって何よ」と、むすっとした声で言い放つ。


「私の受験が終わるまでに心変わりしてたら、ちょっと怒るかも」


 それだけ言うとぷいっとそっぽを向いて、また肉まんに没頭し始めた。

 葵はどんどん強くなっていっているらしい。


 葵が途中喉に詰まらせながらも食べ終えると、僕の馬鹿に付き合わせた分の時間も取り戻す為、早急に移動を開始した。

 葵が隣にくっついて歩いている様子を見てようやく、休日にも関わらず制服でいることを把握した。


「そういえば、わざわざ待ち合わせて且つ制服なんて、珍しいね。休日なのに登校?」


「ううん、忘れ物」


「学校、開いてるんだ」


「誰もいないだろうなって電話したら、たまたまいたみたいだから鍵開けて貰った。服装は、一応でも制服じゃないと入れて貰えないらしいから」


「そうなんだ」


 ふぅん、と眺める僕に、葵がやや冷た目に「何?」と尋ねる。


「じろじろ見てたつもりはないんだけどね。射殺すような目はやめてくれない?」


「ちょっと目線が気になって――って、あぁ、そういうこと。私が制服でいるのって、四月のあの時以来だもんね」


 星屋に呼び出され、奢らされたあの時だ。


「下心なくね。そろそろそれも着なくなる時期が来るっていうのに、逆に新鮮で」


「見納めはまだかもしれないけど」


 それは見てもいいということでしょうか。なんて馬鹿な返しはしなかった。


 しかし改めて見ると、珍しい制服だな。茶色のブレザーにチェックのスカートなんて。

 見たことはあるけれど、そう多いものではない。


 普段からボーイッシュというか大人っぽい格好を好む葵には、お嬢様然として落ち着いた茶色がよく似合っている。

 同じ大学に行ければそれは嬉しいことだけれど、同時にせっかくの制服姿が見られなくなると思うと、それはまた惜しいことなような、勿体無いような。


「そう残念がらないでよ」


「桐島さんじゃないんだから心を読まないで」


 たまに近しい側面を見せてくるから少し怖い。


「合格発表の掲示を見に行くの、どうせ制服なんだし」


「それ、関係ある?」


「一緒に行ってくれないの?」


 葵は当然のように言った。

 喜んでいいのやらどうやら。


 遥さんも当然着いて行くのだろうけれど、それと同列に考えられているということは――やはり素直に喜んでいいのか。


「……行くよ」


「じゃあ良いじゃん、写真撮るんだし。残るよ?」


「受かることは確定なんだね」


「落ちるつもりがないだけ」


 強く言い切る葵の瞳は、それを十二分に可能だと思わせてくれる程に燃えていた。


 遅ればせながら忘れ物の入ったバッグを受け取って持ち、葵の家を目指して歩く。

 相談に乗って貰ってしまった礼だ、これからは一層、家庭教師の仕事に励まないとな。


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