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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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17.願い

 外装も外装なら、内装も内装。

 内装が汚ければ外装にも表れてくるものだが、それがないということは――という期待通り、しっかりと清掃の行き届いた、落ち着いた雰囲気の屋内だ。

 これをあの人だけで。とんでもない仕事量だ。

 それでどうして、あんなにも涼しい顔をしていられるのだろうか。

 好きでやっているにしても、辛くはあると思うのだけれど。


 そんなことを思いながらちらと後ろを見やると、依然として穏やかな笑みを浮かべていた。

 恐ろしいことである。


 先導するご両親の後に僕、そのまた後ろに楠さんと、見事に息の詰まるサンドイッチ状態で以って廊下を歩いていく。

 応接室としている部屋は最奥。重要な話をしている所を聞かれてしまってはならないから――というのは建前で、その実は一番落ち着く場所であるかららしい。

 これといって隠す理由も見当たらない気がするのは、僕だけだろうか。

 落ち着きたい。落ち着いて話がしたい。結構なことじゃないか。

 

 どうにも、何かこう、違和感のようなものが拭えない。


 頭を捻って歩く僕に、ふと振り返った小夜子さんから声がかけられる。


「そういえば神前さん、先程はお待たせしてしまってすいませんでした」


「え――あぁ、いえ、客ですし。それに、お陰と言ってはアレですけれど、楠さんからお庭を見せて頂きましたから。ご趣味で手入れされているとお聞きしました」


「もう欠かせない生活の一部です。大事な大事な、栄養補給みたいなものでしょうか」


 それ程までの愛情とは。恐れ入る。

 大事で欠かせないなんて、簡単に口にしても、体現していない人だっている。

 本物の愛情だ。


 凄いですね、なんて話している内に、一行は最奥の部屋――応接室へと辿りついた。

 気付くと、すぐ後ろについて歩いていた楠さんの姿がない。


「お茶の準備でもしてくれているみたいですね。私も手伝ってきますから、お二人は部屋の中でお待ちください」


 ちょっと、と止めかける僕の前をひらりと通り過ぎて、小夜子さんはさっさと行ってしまった。


 残されたのは、僕と、大輔さん。

 気まずいなんてレベルの話ではない緊張感が、漂って押し寄せて、重く圧し掛かって来る。


 と、思っていたのも束の間。

 隣でどんな顔をしているものやと思って視線を送ってみた大輔さんは、どこか落ち着かない様子で目が左右上下と動いていた。

 

 もしかして、緊張でもしているのだろうか。


 こんな、如何にもビシッと何でもそつなくこなせてしまいそうな見た目の人が。と、人を見た目で決めつけるのは良くはないけれど、イメージの問題だ。

 お堅そうな人でも、緊張とかするのか、と。


 そう思うと、不思議とこちらの緊張感は少しだけ和らいだ。

 ずっと恐縮しっぱなしというのも、それはそれで居心地が悪かろう。


 恐らくは修二さんから話は行っていることだろうけれど、ここははっきりと、何者であるかも自分から話し明かすべきだ。


「えっと…改めまして、神前真です。藍子さんの働く”記憶堂”にて、アルバイトとして雇われている者です」


 そう言って、もう一度今度はこちらから手を差し出した。

 どうだ?


 ほんの少しの間を置くと、大輔さんはその手を取って応じてくれた。


「桐島大輔だ。藍子の父――と、思って……」


 ……あれ?

 少し、落ち込んでいる?


 心なしか、狼のように凛々しい眉根が、僅かに垂れ下がっているようにも見える。


「あぁいや、すまない。中で待とうか」


「は、はい…!」


 開け放たれる応接室の扉。

 ふわりと漂う木の香り。


 梁を出して吹き抜けた天井は高く、わざと荒っぽいデザインにされたここは、洒落たカフェの内装を思わせる部屋である。

 壁に設けられた小さな舞台には、昔の有名な歌手のレコード。

 実家で見たことのあるものもある。


「ドビュッシーにショパン、リスト――レッド・ツェッペリン!? 随分とまた、バラバラの――」


 言いかけて、やめた。

 勝手に見て変わって、勝手な感想を漏らそうもの、何と言われてしまおうか。


「す、すいません…! 実家にもあったもので懐かしく、つい…」


 慌てて謝るや、大輔さんは「気にしなくていい」と言って、既に降ろしていた腰を浮かし、こちらに歩いて来た。


「ロック類は私のだが、ピアノは小夜子のものだ」


「奥様の?」


「あぁ。まぁ、話す理由もないから詳しくは話さんが…」


「は、はぁ……」


 また、思わせぶりなことを言う人だな。

 

 しかし、ロックにクラシックと言わず、何でも揃っている。

 マイケル・ジャクソンにブルーススプリングスティーン、昭和の歌謡曲や演歌といったもののレコードまで置いてある。

 見れば見る程、興味深い。


 あれやこれやと勝手に目を通す僕に、ふと大輔さんが声を掛けた。


「神前くんは――その、音楽は好きなのか?」


「大好き! と、強く言えたものではありませんが、楽器を習っていたことと両親の音楽好きが相まって、まぁ好きではありますが」


「楽器か。何を?」


「ピアノを――えっと、十二年間ですか、やってました」


 そう言うと、大輔さんの目の色が少し変わったのが分かった。

 僕の言葉にそれ以上返さぬまま、歩いて奥の方へ。

 そして少ししたところでまた振り返り、こっちに来てくれと手招かれた。


 何が待っているのかと身構えつつもそちらに歩き、仕切りのような壁を越えると、


「グランド、ですね……それもスタインウェイ」


「分かるのか…!?」


「え…!? え、えぇ、まぁ……金銭基準だと、日本では一般的なヤマハやカワイの倍額はする、有名なホールに置かれているグランドの大半はこれだと言われている程に有名なものですよね」


 と、話してみたはいいものの。

 どうしてこれがここに、という疑問は常にあった。


 答えは簡単。

 大輔さんが傍らにあったラックから取り出したアルバムにあった。


「ピアノを知る君になら、小夜子のことを話しても大丈夫かもしれないな。これを見てくれ」


「は、はい…」


 カバーから中身を取り出し、適当にページを捲って見せて来た。

 

 写真の中心には、右を向いて小さな黒椅子に座る女性。華やかで大人っぽいデザインのドレスに身を包み、穏やかな表情を浮かべている。

 鍵盤の上に置かれている指先は今にも、静止画たる写真の上であっても、流麗に滑り出してくれそうだ。

 音を楽しむように伏せられた目は、僅かにも開かれることなく空間と向かい合っている。


「ピアニスト、ですか……?」


 僕の問いに、大輔さんは無言で頷いた。

 

 桐島さんによれば、両親は二人ともが大学の先生だと言う話だった筈だけれど、これはその前のことなのだろうか。

 見た目にも、今よりかは少し若い気もする――けれど、今の見た目の方が驚きだ。

 桐島さんもいい大人で、且つその上にまだ兄がいて、そんな二人の母が、あんな現役のモデルのような外見とは、世の不条理もいいところである。


 脱線していく頭の中は、大輔さんの言葉で以って現実へと戻される。


「藍子を身籠った際にきっぱり辞めてしまったのだ。小夜子の場合、世界を飛び回っていたからな。修二一人だけならまだしも、二人を置いて飛ぶことは苦しくなる。私も仕事をしていたからな。音楽はあいつの人生そのものだから離れられず――元々教職を取っていたものだから、国内に留まれる仕事を選んだのだ」


「なるほど。大学は大学でも、音大の先生ということですか」


「そういうことだ」


 息子、そして娘の為に、ピアノを弾き続けられる仕事を降りてまで国内に。

 

――どうして、こんなに良い人たちばっかりなの?――


 葵が僕の家に来た折の言葉を思い出してしまった。


 息子、そして娘のことを第一に考えて残った。

 それがどれ程の決意であったか、僕には分からない。けれど――


 桐島さんが胎内に居た頃の出来事ということは、桐島さんはこのことを知らない筈だ。

 であれば、なんだろう。

 とても、苦しい。


 愛情が届いていなかった。いや、届いていた面もあろうが、ことこの件に関しては、ご両親の方がダメージは大きい筈だ。

 我が子の事を思っての行動が報われない――そう、親の心子知らず、そのものである。

 苦しいな。とんでもなく。

 なまじ両方の話を聞いてしまっただけに、その食い違いが、歯車の噛み合わせの悪さが、どうにも気になって苦しくて、全く無関係である筈の自分の胸までが痛い。


 こんなの、この二人は――一体、どれ程の。


「どうした、神前くん…?」


 大輔さんのその言葉を以って、自分が今どんな状況になっているかを把握した。


 頬の湿潤。視界のぼやけ。

 僅かばかりではあったけれど、目から滴が垂れていたのだ。

 

 僕が苦しかったからではない。

 ご両親、そして自ら桐島さんの元へと出向き、僕に依頼してきたお兄さん、三人のことを思うと、どうしても堪えきれなかったらしい。


 一心に注いできた愛情が届いていなかっただなんて、そんなに悲しい話はない。

 誰に理解されなくとも、ただその相手には伝わっていて欲しいと願うものこそ愛情だ。それが形になっていなかったなんて。


 今なら、桐島さんの上に立つことだって出来そうだ。


「すいません、取り乱してしまい――先に謝っておきますと、ごめんなさい、藍子さんから、あの人が家を出た経緯について聞いてしまい」


「藍子から?」


「はい。部外者の戯言とお流しください――ご両親の胸中を思うと、どうしても、苦しくなってしまって」


「――そうか。それは、すまなかったな」


 大輔さんが謝る話ではないのだけれど。

 僕が勝手に思い、勝手に勝手なことを語っているだけのこと。


 やはり大輔さんも、怖い人なんかでは決してない。

 無口になってしまったのだって、きっと理由はあるのだ。


 静寂が戻って来た部屋で、ふと、また大輔さんが口を開いた。

 ピアノは弾けるか、と。


「どうでしょう、ブランクはありますが――」


 半年以上離れては、ミスタッチ以前に、もはや弾けるかどうかすら怪しい。


「勝手気ままに弾いてくれて構わない。譜面ならすぐに準備出来る」


「あぁいえ、一応は覚えているので……しかし、良いのでしょうか。奥様がプロをやられていた名残を、出会って間もない僕が触れてしまっても」


「構わないさ。君なら、きっと何の問題もない」


 問題?


 少し引っかかる――が、たまにはどこかで弾きたいと思っていたところだ。

 実家では、アップライトに毎日触れていた。大学で誰も使っていない時間帯に、とも思ったこともあったけれど、そんな時間、深夜帯くらいしかないらしいことが分かると、きっぱりと諦めてしまっていた。


 せっかくの好機、それもグランド。

 腕前など気にするなと言うのであれば、弾かない手はないな。


「では、一曲だけ。小学四年程度の戯れとお笑いくださると幸いです」


「小学校……?」


 首を傾げる大輔さんにふっと笑ってみせて、僕はそのまま椅子を引いて腰を降ろした。

 施錠されたままの鍵を開けてもらい、鍵盤蓋をそっと上へと押し上げる。

 僅かに被っている埃も、年数を数えるほどには積もっておらず、楠さんの仕事の丁寧さを窺わせた。

 一度、二度と踏み込んだペダルの踏み心地は良好。人差し指で触れる鍵盤の重さも丁度良い。


――弾ける――


 直感的に、そう思えてしまった。

 まさか、絶対音感云々の話をした桐島さんより先にご両親に、それもこんなにも本格的な物で弾けようとは思わなかった。


 大きな深呼吸一つ。

 三音だけのトリルから始まるセットポジションへ右手、そのすぐ後から続いて連なるポジションに左手の指をそれぞれ添えた。

 そして、もう一度小さく息を吸って吐いて呼吸を整えると、そのトリルに始まって、次々と音を紡いでいく。


 あんな何もない空間にいて、桐島さんには娯楽をどうしているのだろう。

 そんな失礼なことを、ついこの間あの家で考えていたけれど。

 失礼も失礼だったな。

 

 確かに、生活する上で必要な家具以外何もないがらんどうな部屋だったけれど、それが何だという話だ。四月からすぐにあの“記憶堂”と出会ってそこに通い詰めて、暇を持て余すことはなくなった。しかし、僕だってそれがなかったら――

 趣味の幅や種類なんて、人それぞれだ。それこそ人の数ほどにあるものだ。

 あれで満足しているのなら、他人がどうこう口を出す必要はないのだ。


 それでも、桐島さんは『何もないでしょう?』と苦く笑っていた。『おかしいでしょう』と自ら肯定していた。

 あの時、僕はその表情について、本当に嫌なんだな、だから苦笑いするんだろうな、と馬鹿なことを思ってしまった。

 違った。違ったのだ。

 今なら少しは分かる気がする。


 実は、やっぱり少し無理をしているのではないか、と。


 そうでなければ、あんな表情の説明がつかない。

 そうでなければ、あんな言葉を零す理由がない。


 誰でも良かったのかも知れない。そこにたまたま居たのが僕で、たまたま話しやすかったから話したのかも知れない。

 それでも、別にいい。

 きっと桐島さんは心のどこかで、誰かに弱みを見せたかったのだ。

 弱みを見せられる人が、いなかったのだ。

 だから、溜まって溜まって、どうしようもなくなった塊が、あの時のお兄さんへの『心にもない世間話は結構』なんて、普段からは考えられない程にキツイ言葉へと姿を変えてしまった。


 後悔しているのかどうか、それは僕には分からない。

 けれど、やはり血の繋がった親子なのだ。

 ご両親があんな思いをしていて、それをその子どもである桐島さんが、欠片も感じとらずに何とも思わない訳はない。


(そう、信じても良いんですよね、桐島さん)


 問いかけるように、語りかけるように、音を重ねていく。


 選んだ題目もあいまって、それは、桐島さんにはこれまでの経緯を受け入れつつも先へと向かって欲しい、どうか正しい道へと、穏やかな日々へと進んでいって欲しい。

 

 いつしかそんな願いとなって、僕は最後の一音を弾き終えた。


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