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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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16.確認する愛情

 怖い。

 とてつもなく、ただただ怖い。


 まさか、これだけの代豪邸に住んでいようとは露とも思わなかった。

 

 普通の一戸建てかマンションか、その辺りを想像していたのだけれど。

 小さくとも、庭園付きの日本家屋とは……。

 

 お兄さんの呼び出し通り、僕は街はずれの少し田舎――桐島さんの実家へとやってきていた。

 桐島さん本人としてはもうあそこが住処なようで、ここには居ない。

 話では、出ていったきり一度も里帰りをしていないのだとか。

 

 正直、分からなくもない。誤解とは言え、恨みを募らせている相手の所に、わざわざ自分から出向いてやる必要はないから。

 しかし、それだともうずっと一方通行な怒りを向けるだけで、何かが変わる訳では――桐島さん的には認められなかったから出て来たといったニュアンスだから、何が話を聞かないことには何も良い方向には進んでいかない。

 ただそれだけを望んでいるのであれば、話はまた変わってくるけれど。

 少なくとも、ひたすらに恨み続けているだけというのも居心地がいいものではないだろう。

 現状で望むにしろ望まないにしろ、未来でそれを良しと思えるとは、あの人でも考えられない。

 

 なんて考え、ただのお節介だと分かってはいるのだけれど。

 なまじ本音を知ってしまっている僕としては、どうにも拭えない複雑さだ。


「ようこそお越しくださいました。貴方が神前真さんですね?」

 

 インターホンを押して待っていた僕の前方、庭の方から、見知らぬ初老の男性がやって来て言った。

 年の頃は、見た目には星屋のマスターと同じくらいか。


 桐島さんも良い大人なのだろうから、きっとこの人が桐島さんの――


「執事の(くすのき)と申します」


 なんだ、執事さんか。

 桐島さんのお父様では――


「執事…!?」


 見た目だけでなく、そんな人を雇ってもいようとは。

 恐るべし、桐島家。


 すると、どこかで聞いたことのある名台詞「冗談です」が聞こえて来た。

 それを口にしたのは、たった今、自身を楠と名乗った執事さん改め謎の男性だった。

 

「冗談…?」


「えぇ。お手伝いさん、と言えばよろしいでしょうか。お忙しい身である大輔(だいすけ)様と小夜子(さよこ)様に変わり、向子(ひさこ)様の身の回りのお世話、家事全般を任されている者です」


「えっと……すいません、どちら様の名前でしょう…?」


 指摘するとハッとして、すいませんと言ってぺこりと小さく頭を下げると、一つずつ追って説明していく。


 一番に出て来た大輔というのは桐島さんの父のもので、その次に出て来た小夜子というのが母の名前なのだと楠さんが言う。そして三つ目の向子とは大輔さんのお母様、つまり桐島さんの祖母にあたる人の名前で、すっかり寝たきりになってしまったその向子さんの世話と諸々の家事、その二つが楠さんの主な仕事なのだそうだ。

 話しだけ聞く分には、なかなかにハードな内容である。

 これだけのお屋敷、一通り清掃だけでも時間はかかろうところを、更に介護職まで担っているとは。

 

「時間通りに伺っていただいたところで大変申し訳ないのですが、お二人がまだお買い物から戻られてなくてですね、少々お待ちいただく形になるのですが。本日の話し合いでお使いいただく応接室、あるいはお庭や適当な所で時間を潰していただいて構わないと、大輔様から言伝があるのですが、いかがいたしましょう?」


 見た目通りの丁寧口調。

 しかし、柔らかい表情のおかげでお堅くはない。


「その二つ以外で適当って言うと、出歩きにくくはありますよね……お庭、随分と綺麗に手入れがされているようですが、あれも楠さんが?」


 視界の先、奥に屋敷を称える周囲一帯、色とりどりの花々が、通路以外の空間を所狭しと立ち並んでいる。

 よく見れば背の高いもの、ひっそりと小さく咲いているもの、彩りのバランスも考えて整然と植えられているようである。

 見た目には美しく、またここまで届く香りも心地良い。


 複雑でも嫌ではない香りに癒され少し夢み心地な僕に、楠さんは首を横に振ってそれを否定した。


「こちらのお庭は全て、小夜子様のご趣味でございます」


「お母様の?」


「ええ。この屋敷はですね、向子様のご主人が亡くなられた折に、訳あって大輔様が譲り受けたものなのですが、その当時のお庭は、それはそれは荒れたものでして。(わたくし)を雇う以前から一人で手入れを進め、気が付けば花を愛でるのが好きになってしまっていたらしく、お仕事の傍ら、唯一癒される瞬間なのだとよく楽しそうに語っておられます」


「整地の延長で好きに、ですか。純粋な方なのですね」


「それはもう。よろしければ、少し案内いたしましょうか」

 

 そう言って片手で庭の方を指し、促さんとする楠さん。

 さりげない誘導は、どこか桐島さんを思い出させた。

 それに敏感になっているのも、他でもない桐島さんの所為――否、お陰なのだけれど。


 時間があり、他人の家とあっては特にやることも思いつかないので、僕は楠さんの誘いに乗って、庭へと足を踏み入れた。

 短い間隔で綺麗に並んだ石畳が歩きやすい。背の低い両脇の柵も、丁度邪魔にはなっていない。

 よく考えられているなぁ。

 整地の延長もなのだけれど、ただそれだけではなく、どうやらマメな人らしい。


「こちら、端にあります背の高いものから順に、金木犀、銀木犀、菊に秋桜(こすもす)となっておりまして、奥様が今一番力を入れてお世話をしているものですね」


「どれも季節ものですね。それも、今の季節――秋の花ばかりだ」


 そう呟くと、ほほうと楠さんがいかにもな声を上げた。

 

「お花、詳しいのですか?」


「詳しいって程では。祖父母が植物好きでして」


「左様で。では、こちらのお花は?」


 そう言って更に進み、辿り着いたのはひと際特別な空間。

 たったの一種類だけが、大事そうに育てられている。


 外見はイヌタデ。

 およそ八十センチ程の背丈に、愛らしい鈴のような花をつけた先端部分は穏やかに垂れ下がっていて、竹がつけるような披針形(ひしんけい)の葉は綺麗に天を仰いでいる。

 細く、しかし長く、しっかりと伸びる花。

 

 花弁の色をそのまま名前にした、


「藍――ですね」


 僕の言葉に、ご明察と目を伏せる楠さん。

 育てるのはそう難しくはないけれど、日当たりが良い場所が良いので、いくら広い庭があろうと、こうも一面に様々な背丈の花があれば、育ちにくいこともある。

 

 確実な場所が確保され、且つ下地の土も水はけが良さそうな質。

 これだけ、特に丁寧に手入れが成されている様子が窺える。


「ご明察、です。よくご存知でしたね」


「花としてはそう珍しいものではありませんから。地元ではよく見かけました。綺麗な花ですから、名前くらいは調べたくなりまして」


「綺麗、ですか」


 ふと、悪戯な笑みを浮かべる楠さん。

 まるで、楽し気に僕を弄る時の――そう、桐島さんのように。


 その人の顔を浮かべてしまっていたことを読んでか図らずか、楠さんは、藍に対し綺麗と言ったところだけ抜き取ると、なるほどなるほどと一人で頷いていた。


「何だか失礼なことを考えていますね」


「肯定系とは。嫌だなぁ、それだとお嬢様に対し言っているように聞こえますよ、とか思っていませんとも」


 敢えて言うものではありませんよ。

 初めて来た他人のお屋敷で、初めて出会った人の前で、僕は盛大な溜息を零してしまった。


 しかし、藍の花を大切に育てている、か。

 これはもう、そういうことで間違いなさそうだ。

 あの状況に至る経緯としては、桐島さんの勘違い、そして修二さんの言っていたことが正しく、それをただ言えない――言葉に出来ていないだけのことである。

 

 桐島さんがここをいつ離れたのかは知らないけれど、今日こうして藍が綺麗な花を咲かせているということは、一度たりとも世話を怠ってはいないという、母の愛情が窺える。

 それだけでも、ただ口下手というだけではないのだろうと、あくまで予想ではあるけれど、つくものだ。


「違う、ですか」


「ええ。私の目から見て、大輔様、小夜子様、あとはもう既に会っておられます修二様は、頭の中で考えてしまう癖があります。頭の中で、あれは違う、あれは駄目だと選択肢を切り捨て、残ったものを口にする。一見するとそれは、他の方々には伝わり辛いものですが、身内ではそれで通じ合っていたのです。しかし、お嬢様は――」


「口にして論理的に組み立てて、その場で結論へと導きたがる」


 割って入ってそう言うと、楠さんは「えぇ、困ったことに」と目を伏せた。


「血のつながった実の家族ですから、大半は身振りだけでも伝わろうものです。しかし、あの時限りは違った――」


 思いを違えるその日まで、桐島さんは親に牙を剥いたことは無かったのだそうだ。

 温厚で優しく、よく気が付いて頼りになる、言えばよくできた子ども。そんな仏のような人が、その日限りは強く出たものだったから、口下手と脳内完結の性分、且つその勢いに気圧され、完全に言葉を失ってしまった。

 加えて、沈黙を作ってしまうと、表情だけ見れば少し強面な父である為、それを”否定”だと捉えてしまい、思いを違えたと勘違いしてしまったのだ。


 楠さんが話すのを、僕は頭の中でその状況を思い描きながら聞いていた。

 すると、一つだけ気になる点があった。


「僕は以前、修二さんに誘われて、二人きりで話したことがありました。その折、修二さんは自身の目つきの悪さを『親譲り』だと語っていました。今の楠さんの話を受けて考えるに、おそらくそれは父親似。では、お母様――小夜子さんって、どんな方なのでしょう?」


「それは――」


 言いかけ、僕の背後の方に目をやって止めた。

 小さく首を傾げると、楠さんは「もう間もなく、分かりますよ」と呟いた。


 言っていることの意味を確認せんと振り返ると、門の外に一台の車が止まってるのが見えた。

 目を凝らして観察していると、後部座席には誰か一人乗っているらしいことが分かる。

 すると、運転席から一人、お堅いスーツを身に纏った男性が降り、後部の扉を開けに行った。開かれたそこから、すらりと綺麗な肢体を称えた女性が、優雅に降りて立ち上がる。


 後部、そして自分が出て来た運転席の扉を閉めた男性は、その女性に並んでこちらへと歩いて来る。

 シルエットは次第に、はっきりと顔が分かるようになっていき、ついぞ僕の前まで来るとと、


「神前真くんだね?」


 男性の方がそう言って、手を差し出してきた。

 慌ててその手を取りながら挨拶を交わして名乗ると、すぐに離して姿勢を正した。


 修二さん似の目つきに、僕より一回りは大きな背丈。有無を言わせぬ眼光はなかなかに鋭い。

 この人が、恐らくは大輔さん――桐島さんの、お父さん。

 なら、隣にいるこの人が――


「初めまして、神前さん。藍子の姉、小百合(さゆり)と申します」


 ふわりと、鈴を転がしたように可愛らしい声音。

 肌も綺麗で若々しく、髪も艶やか。小顔ではあるが、女性にしては少し高めの背丈で、皺やそういったものは見当たらない。


 桐島さんめ。兄しか紹介しなかったではないか。


 大輔さんと同じく差し出された手を取ると、しっとり、柔らかい肌触りがした。

 なるほど、確かに桐島さんより少し上くらいの年齢か。


「よろしくお願いいたします、小夜子(・・・)様」

 

 わざと強調してそう言ってみると、慌てて、恥ずかしそうに両手で顔を隠し、楠さんに助けを求めた。


「ば、ばれてしまっているわ、楠さん…! 私、お肌には自信がありましたのに……」


 問われた楠さんは、溜息交じりに答えた。


「ですから、私は反対をいたしたのです。敢えて言わなかった私も私ですが、小夜子様、やはりその証拠をお外しにはならなかったのですね」


「証拠……?」


 恐る恐る指の隙間から覗いて楠さんの様子を伺うと、楠さんは顔を隠している手――左手の薬指を指さしていた。


「改めまして、神前真と申します。すいません、意地の悪い挨拶になってしまい――藍子さんの影響でしょうか」


「まぁ、随分と肝の据わった若者ですね。大学生でしたか?」


 にこにこと楽しそうに話す人だ。

 僕の情報は、おそらく修二さんからだろう。


「大学一年です。春から越してきたばかりで」


「あらあら。では、お酒はまだ飲めないのですね? それは困りました……どうしましょう、大輔さん?」


 隣で仁王立つ大輔さんにバトンパス。

 見ているだけでも気圧されそうだったから、敢えて小夜子さんとの会話を長めにしていたのだけれど……さて、何と出る。


「まぁ、何だ。楠、アルコールものじゃないやつは残ってはいるのか?」


 問われた楠さんは、厨房冷蔵庫にグレープジュースが残っている旨を返した。

 修二さんが酒に弱く、たまに里帰りする修二さんの為にとジュースは常備しているのだそうだ。


「では、それで」


 短く頷いて屋敷へ向かおうとする大輔さん。

 僕の横を通り抜け、扉へ触れようと――したところで、


「駄目ですよ、大輔さん。お客人を招き入れるのは、家主のお役目です!」


 大輔さんの手をがっちりと掴み、自分に引き寄せ、息がかかるのではという程の至近距離まで顔を近付けた小夜子さんが叱咤を浴びせた。

 すると、鋭い目つきが少しだけ緩み、バツが悪そうに頭頂を指先で軽く掻くと、僕に向き直り、


「藍子がいつも世話になっているようで――」


「話し合いは応接室で、です。今は招き入れですよ?」


「わ、分かっている……いらっしゃい、神前真くん」


 額に聊かの汗を滲ませて、しかしキリっと言い放つ大輔さん。

 隣ではずっと、小夜子さんがふわふわと微笑んでいた。

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