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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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15.視点を変えて…?

 恐縮しっぱなしというのも、どうなのだろうか。


 桐島さんから頼まれたクッキーの包みと共にやってきた家庭教師の場では、葵が冒頭から低姿勢であった。

 双子姉妹からの差し入れがあった手前、やはりという気はしていたらしいのだけれど、まさか手作りのお菓子を貰えるとは思っていなかったらしく、感謝と共に申し訳なさも感じてしまっている。

 

 桐島さんに挑戦状を叩きつけた、二日後の夕刻である。


 大学の講義を終えると、僕は予定していた通りに葵の家へと来ていた。

 いつも通りに教え、吸収され、手ごたえを感じ――といった風に二時間を過ごした後のこと。


「食材、買い忘れちゃった。ごめんね、今日は何も作れない」


「僕のことは全然良いんだけれど……困るのは葵の方じゃないかな? 遥さん、今日も遅いんでしょ?」


「うん」


 そう言って、ちらちらとこちらの顔色を窺ってくる葵。

 わざとでないことを祈ろう。 


「仕方がない、かな。勉強も随分と進んだことだし、たまには息抜きも必要か」


「外、行く?」


「葵さんや、それは僕が言わなきゃ、期待してたこと丸出しだと思うんだけれど?」


「――カットで」


「生憎と生放送ですよっと。早いとこ出ようか」


 葵は無言で頷くと、ぱたぱたと駆けていってしまった。

 部屋着だったからか。


 いい加減見慣れて来てしまったな、この部屋も。

 やましいことは何一つないけれど、どうなのだろうか、慣れてしまうというのは。

 唯一の身内たる遥さんからは何故か背中を押されているとは言え、年頃の女の子の部屋に――いや、僕の立場は家庭教師だ。

 考える方がどうかしている。


 謎の葛藤を済ませて意識を切り替えたところで、お待たせと葵が戻って来た。

 いつも通り黒のショートパンツに同色タイツといったスタイルではあるものの、今日は少し冷え込んでいるということで、パンツと同じくらいまでの丈のコートを羽織っている。


「秋の夜長だね」


「虫の声、ここではほとんど聞こえないけどね」


 僕の地元へと行った折、田舎の夜の空気が好きになってしまったと語っていた葵は、ヴェネツィアよりも短い滞在期間だったというのに、こっちに戻って来てからは何処か物足りなさを感じているらしい。

 それはそれは嬉しいことである。

 一部の人間ではあるのだろうけれど、田舎を地元とする僕としては、都会産まれ都会育ちの人は、田舎に触れると、その不便さや施設の少なさから少し馬鹿にしたりすることもある実情を知っていたので、葵がこう言ってくれることは何より喜ばしい。


 人間なんて、元は皆原始的だったと言うのに。

 便利にはなった世の中も、言い換えれば人類が堕落したとも取れる――というのは、僕の性格が歪んでしまっているからだろうか。不思議な感覚だ。


 夜も七時を越えてから高宮家を出ると、冷ややかだけれど優しい風が頬を撫でて去っていく。

 気温的には同じ春先とはまた違った感覚が、ここだとかえって敏感に感じられてしまう。


「さて、どこに行こうか」


「まこと、荷物は持ってるみたいだから、食後にまた送ってもらうのは申し訳ない」


「僕の家方面のどこかってことで良いのかな?」


「うん」


「了解。じゃあ――」




 と、やって来たのは、見た目には洒落たお店。

 何かの為にと、以前ちょっと調べていた候補の一つだ。


 しかし、都会慣れしていない僕に案内されたのがそんなところだと、流石に葵には背伸びしたのがばれてしまった。

 わざわざ調べてくれたんだね、と敢えて言葉にして、いやらしい顔つきで見て来る。


 そんなこと、それこそわざわざ言葉にしなくてもよろしい。


 店員に案内された席に座り、メニュー表を開く。

 情報通り、洒落た見た目とは打って変わって、品は全てリーズナブルだ。

 かく言う葵も、こういう所に普段は来ないので、どれにしたものか悩んでいる様子。

 装い的には慣れていそうなものなのに。

 人は見かけによらない典型である。


「パスタ、かな?」


「――丁度見てた。何で分かったの?」


 驚きに目を丸め、メニューから顔を上げて僕の方に目をやった。


「分かったっていうか、何となく。ノリと勢いと流れで出て来てみたは良いものの、葵は今日一度も『お腹空いた』って言って無かったから。ならちょっと軽め、でも肉料理が意外と多いお店だ――って考えたら、ここだとパスタかドリアかサラダが余る。ドリアは写真の見た目には存外と多そうだし、サラダだけだと味気ない。じゃあパスタかなって」


「まことにそんなつもりが無いのは分かってるんだけど、言葉にするとやっぱり――」


「それは言わないで、自分で言ってて思ったから」


 人間、無意識の内にあれやこれやと考えているものではあるけれど、それを全て文字、言葉に起こしてみると、いやに気持ちが悪い。

 葵が理解ある人で良かった。


「ま、まぁ、何となくっていうのは本音だよ。別に分析してた訳じゃない」


「それは分かってるよ、大丈夫。でも、何でまた分かっちゃうものなんだろうね」


「うーん……ちょっと違うけど、似た話ならあるよ」


 言うと、葵は「どんな?」と興味を示してきた。


 あくまで聞いた話ではあるけれど、と前置きして、話し始める。


「付き人っているでしょ?」


「芸能人?」


「とか、落語家さんとか。その付き人がいるようなベテランさんって、全員がそうじゃないとは思うんだけれど、自分からは喉が渇いたとか熱い寒いとかって、言わないらしいんだよ」


「え、じゃあ付き人さんはどうやって渡したりするの?」


「そこなんだ。何でも、そういう人の付き人は、師匠と同じような生活リズムに食事量とかに少し寄せて、師匠が今どんな気分なんだろうって感じ取るものらしい」

 

 調べたことはないのがどうにもな点だけれど。

 同じリズムにすることで、師匠が飲み物が欲しい時間、扇ぎが欲しい温度、それらに通ずる気分とを、自ら進んで感じ取っていくのだとか。

 

 この場合、別に僕が葵に寄せている訳ではないことは大前提だ。


「へぇ。面白いね」


「今のはあくまで、ただそうかなって思った程度なんだけどね。物だと、メトロノームの実験もあるね」


「あ、それは知ってる。振り子の同期でしょ?」


「そうそう。吊り下げてあるから、その媒体にも振り子が反作用で影響して、テンポの近い錘がいずれ同じリズムを刻むようになるってやつ」


 これは何かの動画で観たな。


「っと、結局注文はどうしようか。僕もパスタにしようかと思ってるんだけど」


「うーん……」


 問いかけると、葵は少し考え、直ぐに悪戯な笑みを浮かべて一言、


「ドリアにしようかな」


 どうやら、素直に褒めてはくれないらしい。


 呼びつけた店員にそれぞれの注文をすると、再びしばしのフリータイム。

 これといって話す題材なく、ちまちまと水を飲んでいる内に、葵は「ちょっとごめん」と言ってお手洗いの方へ。少しして戻って来た葵は、一個話題があったと言って席に着いた。


「こういうお洒落なところってさ、絵画が飾ってあるイメージ多いよね」


「そういえばそうかも。僕もあんまり意識したことはないど」


 確かに、天使の絵とかが飾ってあるイメージはある。

 この店にも、所々に天使の絵が。


「それで、絵で思い出したんだけど――私、芸術科目は美術を選択してるんだけど、有名な絵画の中にはさ、怖いものも多いよね」


「まぁ。例えば?」


 葵は考える素振りもなく、一つ大きく言い放つ。


 ”我が子を喰らうサトゥルヌス”

 世界で有名な怖い絵の中でも、とりわけ話題に出るのはこれだろう。

 ギリシャ神話、ローマ神話に登場する農耕の神されるサトゥルヌスが、自分の子に殺されるという予言を恐れて、自分の子どもを食い殺してしまっている。父ウラヌス神に行った報復を、我が子にも成されるのではないかと危惧した末の行いだ。

 自己破滅に対する恐怖心から狂い、伝承では丸呑みとされていら殺し方ではなく、残忍にも頭から齧り喰らっていく様が、とにかくも怖く、しかし同時に惹きつけ、見る者の目線を外させない存在感をもっている。

 後に修正されたこの絵、実は怖さからではなく、ある部分を隠すためだという話だ。 


 事の顛末としては、末っ子のゼウスに止められることとなる。

 

「よく知ってるね。私でも覚えてないのに」


「僕も高校は美術を選んでたからね。あと、個人的に絵画が好きなだけ」


「ふぅん。サトゥルヌスについて詳しいのは、流石にちょっと嫌だけど」


「嫌とはまた随分な言い草だ。好きなものならとことん、それこそ嫌な部分すらも知っていくべきじゃないのか?」


「それはまぁ、そうだけど……まこと、たまにお兄さんぶるよね」


「まぁ、歳上だからね」


 しかしまた、どうしてサトゥルヌスの話が。そう問う僕に葵が返したのは、意外にもその捉え方についてだった。

 

 確かに、一見するとただ怖いだけの絵。

 しかしそれも、少し見方を変えてみれば、何かしらどうにも引き返せない所まで来てしまった人間が、最終的にとった手段なのではないか、と。

 

 例えば、選択肢がないからそれを選ぶしかなかった。


「選ぶしか……」


「あ、えっと、ちょっとそんな風に思ったってだけで、その――」


「いいや葵、それはいいことを聞いた気がするよ」


「いいこと…?」


「とってもね。あーでも、それは受験が終わってから話すとして、今の僕には必要な情報だ」


「え、すっごく気になるんだけど」


「ごめんだけどね――っと、丁度いい時間みたいだ、来たよ」


 こちらに向かってくる店員の両手にはそれぞれ、僕らの注文した品が持たれている。

 手慣れた動作で配膳、確認を終えると、また忙しなく厨房へ。そういえば、客数も多い。


 周囲をちらと見ながら手を合わせて僕が食べ始めると、葵も同じようにしてスプーンを手に取った。

 サトゥルヌスの話を自分からしておいて、美味しい美味しいとその手は進んでいく。

 僕はほんの少し、食欲が失せてしまったというのに。


 サトゥルヌス。英語ではサターンと言い、意味はそのまま土星のことで、位置づけも土星の護り神とされている。

 農耕と同時に、時を司る神されているけれど――話し始めると長くなる。

 

 そうやってまた途中で濁す僕に、葵は教えてくれと追随してくる。

 情報程度ならネットには幾らでも転がっているので自分で調べてくれと言うと、食事中だからと断って食事を再開した。しかし、真面目ぶっておきながらも、手元に置いたスマホに目を向けている辺り、気になって仕方がないという様子が丸分かりである。


 やれやれと肩を落とすと、葵ではなく僕のスマホに反応があった。

 画面には、桐島さんのお兄さんからのメールを知らせる文面が。


 食事中だよ、と咎める葵の声を他所に開くと、


『今度の休日の内いずれかで、またお時間をいただけないでしょうか?』


 といった旨。

 どちらでも構わないと返信すると、すぐにまた通知があった。


『そう距離はありません、私の実家へ行っていただきたいのです』


 と。


 何だか、嫌な予感しかしないのだけれど。


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